朝陽が昇り間も無くして。
厚い手袋を以ってしても顔に伝うは冷たい寒風。
先程まで抱いていた眠気もどこかへ消え去り、暖かだったペットボトルの紅茶はいつの間にかぬるく。
かつて飲み込んだ際に体内を通る熱さは失われていた。
記憶喪失、そして…私自身が誰なのか探している事を、さやかに伝えてから数日経つ。
なるべく早くに鹿骨へ行きたいと、焦る気持ちを露わに思いを告げると彼女は、土日月で2泊3日を提案してくれた。
…月曜日はサボる、という事になるけれど。
彼女曰く、一日くらいいいでしょ!との事だ。
私も特に学校は好きではない…というか、どちらかと言うと嫌いだ。
一日休んででも記憶を僅かでも取り戻せる可能性が上がるなら。
彼女が其れで良いと言うのだから、私は感謝を告げて付き合って貰う事にした。
それから今日まで。できる範囲での調べ物はしてみたものの、現在の鹿骨市の情報にはイマイチピンと来なくて。
アクセス情報や小規模な商業施設に関しての物ばかり。特に目ぼしい情報は見つからなかった。
70年前の情報は勿論、あの記事くらいしか詳細はなくて…。強いて言うなればやはり、古手神社の記事に書かれていた物々しい情報くらいだろうか。
かつて祭具殿と呼ばれ、儀式行事に使う神具が保管されていた…だとか。神社なのだから、そういった側面もあるだろうとは予想できる。
気になったのは、"オヤシロ様"なるものが祀られていたらしい事。
この単語もまた、私の心を揺さぶる何かである事は間違いなかった。
とは言え70年前に滅んだ地区だ。
オンライン上にも情報が少なく、鹿骨市全体も過疎化が進んでいるようで情報不足な印象を持った。
兎にも角にも、直接出向かなければ大きな釣果は得られない。
そう感じつつ私は"両親"、なぎさにも伝えた。
鹿骨に行きたいと。
不安そうに。そして行くなら私達も…と心配を募らせていたけれど。
…もし、記憶が判明した時…その記憶が余りにも凄惨、あるいは醜悪だったら。
その傍らに"両親"は居て欲しくない。
私の口から打ち明けるまで、保留できるようにしたい。
その懸念を正直に告げる事で、納得を得た。
さやかの付き添いもある、と告げると幾分安堵の笑みを浮かべつつ。
その後日には母は鹿骨警察署の電話番号と、スタンガン、防犯ブザーに鹿骨地区の地図を用意してくれた。
何から何まで世話をかけてしまって申し訳なさを感じつつ、この上ない程の感謝をひたすらに告げて。
そして今日。車での送迎まで面倒を見てもらった。
ありがとう、と何度言っても足りなかった。
そんな"両親"のお陰で、脚を運ぶ日が漸く来たのだけれど。
"10分遅れる"
余裕のないそのメッセージは無論、さやかからだ。
そして今、待ち合わせ時間から15分経過した。
アクセスが悪く、鹿骨から雛見沢までも距離があるそうなので早く出ようと纏めた筈だけれど。
少し、早過ぎただろうか。
「ごめん!お待たせしました!」
ハァハァと息を荒げながらホームに走り込んできたさやか。
…走ってきたの?
「構わないわ。にぱー。」
私は満面の笑みを作…らずに。
寒さに凍えて硬い表情のまま にぱー を与える。
「…遺言書かなきゃ。」
粗方寝坊でもしたのだろう。大した時間でも無いし、乗り換えの都合上見滝原を出る時間が遅れても最終的に乗る便は変わらない。
一部ギリギリだから、急がなくてはならなくなるけれど。
実際は大して怒っていない。
さやかは宿を調べて予約してくれたり、私に付き合ってくれる身でありながら尽力してくれた。
私が貴女を許しましょう。
ーーー乗り換えるに連れて少なくなる乗客。
それに伴い車窓から伺える景色の緑と白が増える。
「すっご。建物ないよこの辺り。」
「そうね、不便そうだわ。」
などと会話を挟みつつ、私もなんだかんだで旅行気分で。
持ってきたお菓子をいくつか摘みながら、さやかと交換して味を比べたり、佐倉杏子のプライベートを聞き出したり。
遅れた罰として車内飲料を奢らせたり。
楽しい時間を過ごした…けれど。
新興宮駅へ着く時刻が近付くにつれ、そわそわと。落ち着かない自分が居た。
不安、期待、怖い、楽しみ。
複雑に絡み合う喜怒哀楽が私を混乱と焦燥に導いていた。
すると、ぐったりと背凭れに身体を預け目を閉じて仮眠に身を投じていたさやかが目を開け、時刻を確認し。
「大丈夫だよ。」
と…曖昧な言葉を放った。
「何が?」
私はそわそわしていた自分が恥ずかしくなり、普段通りを気取ったけれど
「…なんでもないよ。」
見透かしていると言わんばかりに年上の余裕を見せつけ微笑む彼女は、より一層…私の恥ずかしい感情を煽った。
ーーー"次は新興宮 新興宮"
小さくドキッと胸が高鳴った。
本当に乗客は少なくて。私達以外は殆ど居ないと言える。
降り立ったホームもちらほらと人影はあるものの、見滝原周辺の駅とは比べ物にならない。
改札を抜けて駅構内から出ると見えた街並みは
どこか古臭くて、未発展な印象。
建物の彩りは総じて淡く、その背丈も小さい。
少し歩けば 鹿骨中央1丁目 と書かれた標識が目に付いた。
「ここが鹿骨かー。レトロって感じだね。」
「そうね。見滝原とは大違いだわ。」
「うっわ!こうやって見るとやっぱ…少なッ。」
さやかが少ないと驚きながら見つめていたのはバス停の時刻表。
鹿骨北停留所行き。
1日に3本。…圧巻だ。
…とは言え、その停留所は厳密には鹿骨中央内だ。
鹿骨北エリアはガス災害後、数十年閉鎖されており、ガスが引き危険性が失われてからも暫くは立ち入り禁止だった。
そしてそれが解かれたのも10年程前らしく。
現在では完全なる廃村、人は誰一人として住んでいないとのこと。
つまり…鹿骨北に用がある人間はほぼ居ない。強いて挙げるなら役所関係者や区域管理の関係者くらいだろう。
1日に3本でも仕方ない。
…そして、鹿骨北…勿論、古手神社までのアクセスは、ない。
スクワットでもしておけば良かっただろうか。
…バスが来るまで30分だ。さやかの遅刻があっても尚、前倒しにスケジューリングし過ぎただろうか。
バスの間隔が空きすぎる為、余裕をもって置きたかったけれど…。
いざ30分を待つ時が来ると、少し面倒さを感じた。
「…いいね、人が居ないのも。」
ベンチに座るさやかがその両手を座位置に置いて。
右脚を左の太腿に組めば、立ったままスマホを眺めていた私に顔を向けて問い掛ける。
「そうね。嫌いじゃないわ。」
鹿骨北停留所から古手神社があるであろう位置の距離をマップで測る。
…中々。それも、恐らく誰かが管理してはいるであろう区域とは言え長い間放られた場所だ。
整備された道のりとは言い切れない。
「これから三日間、ほむらの顔を見なくて済むって思ったら…心が凄い軽いわぁー。」
ただの険悪な仲であればこの言葉は、醜く陰湿に聞こえただろう。
彼女と暁美ほむらの関係性は、単なる不仲では無いのだと思い知らされた…先日の出来事が瞬間、頭に横切る。
「悪魔だなんて、言われてしまったわ。」
私と似たような目の癖に。
「………。ね。」
あぁ、フォローは無し。
その点に関してはさやかも同感みたい。
…そうね、認める。
退屈に30分を過ごすのも大変。
スマホを一旦仕舞った私は側にある自販機へ向かい、自分用のホットココアと…さやかの為のホットミルクセーキを購入し。
片方を、手渡した。
「さっき、奢らせてしまったから。」
「…え。遅刻の罰では…?」
「…ミルクセーキは嫌いなのですっ…?」
私は便利なシステムを作ったものだ。
こうして年相応を気取り上目遣いになれば誰もが言うことを聞く。
「怖。」
…そうでもないみたい。
そんな馴れ合いに興じながら…私はさやかの隣に座る。
両手でホットココアの缶を持ち暖を取りながら。
待ちくたびれたさやかの吐息が白い煙となって、寒気の中で漂い消える。
「見滝原より全っ然寒いね。」
「北上したようなものだから。当たり前だわ。」
「ミルクセーキ様々だわー。」
その後、敢えてだろうか。
私達は記憶の話…暁美ほむらの話、古手神社の話。
それらには、触れなかった。
「…来たね。やっとだよー…。待ちくたびれたってーのー!」
「バスの中は暖かいかしら。」
鹿骨北停留所行き。
…もうすぐだわ。
もうすぐ。