何故だろう。
私の名前が書いてあるのは。
そのボロボロに、穢れきった上履きは
何を示しているのだろう。
この土地に私が関係している事自体…直感的な予測だと言うのに。
心の何処かで願っていた。
私の過去は何の苦難もなく
平凡に日常を過ごした結果
両親を亡くしてしまった、単なる一つの不幸に過ぎないのではないかと。
その影響で人格に異常を障しただけに過ぎず、私は只の平凡な人間なのではないかと。
そう、少しだけ…願っていた。
私の中の不安は、これだ。
知ってしまった時に、何か耐えられないような、悲しい出来事を思い出すのではないかと…懸念していた。
それでも、記憶が欲しかった。
覚悟した筈だった。
外を風の音がびゅう、と駆り立てるように響く。
「梨花…これって…」
さやかの声に応じる気力すら、ない。
明確に私の脳内に、海馬に、記憶に…データそのものが蘇ったわけではないけれど。
雛見沢、綿流し、オヤシロ様、雛見沢連続怪死事件、雛見沢ガス災害。
そして上履きが示す
"ふるで りか"。
どうして胸が苦しいんだろう。
どうしてこんなに締め付けられるんだろう。
どうしてこんなに
愛おしいんだろう。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
悪臭すら放つカビだらけの上履きを私は抱き締めた。
この胸へ、この腕の中に。
地面へと膝をつき屈む。
きっと私の足のサイズと同じだ。
確かめなくても、解る。
私のものだ。
きっと、苦しかっただろう。
きっと、悲しかっただろう。
きっと、悔しかっただろう。
きっと、怖かっただろう。
「梨花。どうして、泣いているの?」
「わからないわ。」
この事象の正体が掴めていないにも関わらず
私の感情は溢れんばかりの無念と懺悔に苛まれ、涙を流す。
押し寄せる感情を一頻り、静かに零しきって。
私はそのシューズを自前のタオルに包んでバッグに詰めた。
今や、たくさんの死者が出たこの土地を不穏に思わない。
私は間違いなく、此処に居たのだから。
「びっくりしたよ、急に…泣き始めるんだから。」
「ごめんなさい。」
「…何か、思い出せた?」
さやかは空を見上げながら。
その声色は母性を掲げて包容を感じさせる。
「いいえ。けれど…あれはきっと、私のもの。」
「…そっか。」
私ですら自分の言っている言葉の意味がわからないと思うけれど…尚更、彼女はわからないと思うけれど。
それでも彼女は思考を巡らせて暫しの間を置いてから、一言だけ返す。
「私は此処に居た、ということだと思うの。」
「70年前に?」
「…えぇ。」
「ふーん?」
仮に逆の立場だとしても、私が同じような事を言われたら…同じ反応をしていたと思う。
寧ろ、私も分かっていない。
「…一歩前進、かな。大きな手掛かりだよ。幸先いいんじゃない?」
意外にも彼女は私の言葉をいとも簡単に受け止めて。
至極前向きな言葉を私に投げかけた。
その意図は単なる励ましだろうか、それとも。
不思議なものだ。
先程までは見知らぬ土地と認識していた筈が、いざこうして…此処に私は居たのだと考え始めると。
どこか見慣れているかのような。故郷に戻ってきたかのような、そんな感傷すら抱かされる。
懐かしい景色、朽ち果てた故郷。
その姿は人々の死をもって退廃しきっていても尚、愛おしい。
分校だった廃墟を後にしてから暫く歩き続けた私達は、段々と鬱蒼と茂る林道を経てから…再び、広く拓けた道へと抜けた。
辺りに家屋の跡が段々と見え始める。
恐らくこの辺りに、古手神社への入口がある筈。
其処に何が待ち受けているだろうか、はたまた何も無いのだろうか。
私は静かに口を閉じつつ、注意深く荒れ果てた地面や周囲を観察する。
すると遠目に見えた大きな岩のモニュメント。
いや、きっとあれは鳥居と呼ぶべき。
「鳥居だわ。」
「…此処だね。長かったー…ヘトヘトだわ、あたし。」
「もう一息よ、頑張れる?」
「あ"ぁー…もちろん!」
色気のない疲弊を漂わせながらもさやかは両手で頬をぱふっ、と軽く叩いて気合を入れる。
近づくにつれて其の神社への入口が見えると。
「…梨花。」
唐突にさやかはその眉を寄せて顔を顰めた。
声色もまた切迫を思わせる低めの端的な口調。
遠目に神社と思わしき大きめの建造物が在るけれど。
入口と思わしき辺りの木々と草むらは茫々と生い茂り、そして…鎖とKEEP OUTの黄色いテープが何重にも張り巡らされている。
…明らかに異様な光景と危険を漂わせる場。
ガスの心配は流石に無いと思うけれど。
現に異臭等は全く感じない。
「バレやしないわ。行きましょう?」
「…違う。」
此処まで来て、私は引き下がれない。
立ち入り禁止区域だとして、万が一バレて怒られてしまうとしても、それでもこの中を知りたい。
そう思い強行突破を図ろうとするも。
「…此処、瘴気に満ちてる。しかも…此処だけだよ。まるで神社だと分かってて集まってるみたい。」
瘴気。
彼女達魔法少女の口から時折発せられる言葉だ。
彼女達の戦う魔獣とやらが放つものらしい。
瘴気を辿って彼女達は魔獣を索敵する。
魔獣というものは、そもそも人々の呪いが具現化し、生者を脅かす存在。
…確かにこの雛見沢に集っていてもおかしくはないのかもしれない。
「そんなに、一箇所に集まるものなのかしら。」
「…どうだろ。意味深な湧き方だけど。」
…私には魔獣と戦う術なんて、勿論ない。
単身で乗り込めばきっと、危害を与えられ…生きては帰られないかもしれない。
そう思うと背筋が凍る。
一際強く鼓動が高鳴り、顔が強張ってしまっている。
自分の為にさやかに戦いを強いるのは…心が痛む。
それに私を守りながらの戦いになるのだろう。
その負担は、戦いを知らない私にとって測り得ないものだ。
「どうする?あたしはやれるよ。」
大きく息を吸い吐きしたさやかの身体を光沢が包み込み、その足先から頭部までを煌びやかに閃光したかと思えば…彼女は騎士の持つそれのようなサーベルを手に。
魔法少女へと変貌を遂げていた。
「此処に記憶があるかもしれないんでしょ?…ビビってても仕方ないよ、梨花。」
「…けれど…貴女に戦わせても、私は足手まといだわ…」
思わず俯く。
自分の無力さと身勝手さが醜い。
「…あのさ。」
けれど、そんな私とは彼女は違った。
「守るって言ったじゃん?お姫様。」
私に向けられた笑顔はとてつもなく眩しくて。
この禍々しささえ漂う死の村に差す一筋の光は、余りにも優しくて、強くて、綺麗な其れだった。
「さ、行こ?」
差し伸べられた彼女の手を恐る恐る握ると。
私の手よりも幾分、暖かかった。
怖くない訳ではないけれど。
私は彼女の強さを信じ、そして…其処に確かに何かがあるのだと希望を強く抱いて。
彼女が鎖とテープを切り裂くなり、その間を掻い潜って…向かった。
古手神社へと。