廃れたホテルだ。ベッドや家具の類は綺麗に整えてはあるものの、壁は何処となく色褪せており古びている。
窓から見える街並みも灯こそ伺えど、まばらな印象。
壁に埋め込まれたテレビモニターはさやかがチャンネルを変えた為、余り興味の湧かないバラエティ番組を騒がしく鳴らしている。
「えー?そんな訳ないっしょー。」
くだらない検証企画に対して、彼女はソファに横になり肘をつきながらお煎餅を口にした。
バリ、バリ。気味良く軽快に煎餅を砕く音は私の食欲をかきたてる。
あの後、私達は暫く神社の敷地内を見て回ったものの、建物内には施錠がかかっており入れず。流石に其の錠までも破壊する事は出来ずに。日が暮れる前に帰路を辿った。
誰か…いや"何か"に守られた経験は私の心を抉るような。安堵だけを与えてくれる出来事ではなく。
けれど。私は確実に雛見沢と関係があり、そして…大切な何かを忘れていて。其れが何なのかは未だ、漠然としているけれど、僅かながら其れに近付いているのだと実感はできる。
…きっと、辛いんだろう。
それらを知ってしまうと。
思い出してしまうと。
…此の思考は私に溜息を及ぼす。
そう結論づけては一旦の休息として。ベッドに腰掛けていた私はさやかの寝転がるソファのすぐ前に在るテーブルへ手を伸ばし、煎餅を手に取れば口へ運ぶ。
バリッ!バリッ!
思い切り噛み砕く。固めのお煎餅が歯に割られ弾けんばかりにその塩加減を味覚に与える。
演技じみた笑い声がテレビから流れる中、さやかと私はバリバリと咀嚼音を立てた。
そろそろ、汗を流したい。
散々歩いてくたくたに疲れてしまって、こうしてダラダラと部屋で過ごしているけれど。
汗にベタついたまま寝転がるのは、きっと不快だ。
「くだらないわ。」
どうせなら…美味しいものや美しいものが見たい。はたまた、物語であれば想像の余地もあり、楽しめるのだけれど。
「梨花は相変わらずだね。これとかは?これは?」
砕いた煎餅を口に含みながらもごもごと。
彼女がいくつかチャンネルを回して提案する。
「…此れがいいわ。」
あぁ、美味しそうだ。
ステーキ。
頬が緩む。
「うぁー、お腹空いちゃって見てらんないわ…」
「…そうね。ステーキにしましょう。」
「…晩御飯の話?」
「えぇ。」
早く、食べたい。
その為には早く温泉に向かわなくては。
「お風呂に行きましょう。煎餅でお腹を満たしていては勿体無いわ。」
「案外、食いしん坊だね。梨花って。子供っぽくて安心した。」
「…食欲に年齢は関係ないわ。」
恥ずかしいような気がしたけれど、仕方ない。
あれだけ動いてお腹が空かない訳もない。お昼ご飯も食べずに山登りをしたようなもの。
そそくさと着替えとタオル、化粧水等の類を持ち支度をする私を見兼ねて、さやかはテレビを消し、後を追うように支度を始める。
「ま、梨花とのお泊まりデートも早々無いことなんだし。贅沢させて貰いますかーっ!」
其の単語に少しの羞恥心を感じたけれど、何故か私は。
「そうね。」
とだけ、告げた。
今思えば、こうして友人と二人きりで生活、寝泊りをするのは初めての経験だ。半日の事かもしれないけれど。
…でも、ワクワクするような。
…どこか、懐かしいような。
そんな気がした。
「どうだった?今日という一日は。」
やはり然程人影はない。
利用する客層もきっと男性が多いのだろう。
湯船に浸かる私達の周りには誰もいない。遠目にシャワーを浴びる人影こそあれど。
「…私は雛見沢に。…あの分校に居たわ。きっと、という他ならないけれど。確信的ね。」
さやかは両手を岩場に広げ、後頭部を其の岩にあてがい斜め上に視線を泳がせながら。
「余計に訳分かんないってーの。」
と、半笑い気味に呟いた。
「奇遇ね。私もなの。」
「アンタが言い出した事でしょうに。」
そう言われても。私の曖昧な記憶の断片は余りにも不明瞭なものだから。
と、口に出して告げずとも彼女は理解してくれているだろうと感じる。
「…水車や、分校。古手神社も。…何故か懐かしかったの。凄く。」
「…へえ?」
「他には特に。…断片的過ぎて結びつかないわ。」
「ま、明日もあることだしさ?慌てなさんなって。」
横目に見つめる彼女は次に、目を閉じながら湯船の心地よさを噛み締めつつ、私の肩に手を軽くぽん、と置いた。
明日は鹿骨に関するデータが多数在るとされている資料館へ向かう。
…恐らく、ガス災害や鬼隠しに関しても具体的な事が分かると思う。
其処に私が望む内容があれば良いけれど。
…まぁ、古手神社の出来事だけでもお腹いっぱいな位だ。
特に何も得られなくとも、及第点だろうか。
「強いて言うなら。…あの魔獣達は…。いいえ、なんでも無いわ。」
徐に告げた言葉にさやかの手がぴくっ、と小さく跳ねる。
「…泣いてたね。」
「…やっ、ぱり、そうなのね。」
あぁ、さやかもそう感じたのなら。
きっと泣いていたのだろう。
魔獣の知識は浅いけれど、彼らは泣いているように。
嘆いているように、見えた。
深い、深い、森の奥で。
彼らもまた辛かったのだろうか。
人々の呪いはあそこまで、残酷に、永く、苦しく、残留してしまうものなのだろうか。
そして、何故私は彼らを見て
恐れや嫌悪よりも強く
慕うような。
憧れのような。
そして、罪悪感のような。
そんな微睡みを感じてしまったのだろうか。
其の正体が何なのか分からなくても。
私は彼らに
何か、酷い事をしたんじゃないかと。
…そう、謝らなければいけないのではないかと。
ごめんなさい、ごめんなさいと。
その文字列が離れない。
「いつまでも呪ってるのはさ。…多分、苦しい筈だよ。」
何を察したのだろうか、僅かな沈黙を経てさやかが口を開けば、浴場内の残響にて微量、余韻を残す。
「苦しい侭、呪い続けるよりも。其れを忘れて潔く眠った方がきっと、救われるって。」
そう告げる彼女は目を開いて天井を見据えた。
「勿論、そう考えない奴も居るけどさー。」
其の表情は、無表情と形容する他無かった。
「アンタももしかしたら、忘れた侭の方が良いのかもね。…っあはは。梨花は、一度決めたらブレないか。」
「何が言いたいの?」
その言葉はどこか不穏に聞こえる。
「…さぁ?あたしには何が良いとか悪いとか、結局の所わかんないや。意地になってるだけなのかも。」
「…?」
やけにセンチメンタルに。彼女は目を細め、思考に耽りつつ天井に呟く。
具体性のない話だ。
けれど、私は。
彼女の言葉に耳を傾けておこうと、湯船の水面にて映る灯を見つめた。
「…でも、梨花は裏切らないって言ってくれたし。…例え裏切られても私がやらなくちゃいけない事は変わらないんだしっ!」
バシャッ!
唐突に立ち上がるさやかにぶちまけられたお湯が顔にかかる。
目を閉じるけれど、特に身体を跳ねたりはせずに済んだ。
目元を指先で拭き上げ、再び瞼を開けると。
「どんな記憶であっても、どんな過去であっても。あたしは梨花を救ってみせる。悪魔になんて、ならないで済むように。」
独り言のように告げる彼女が、此方に手を差し伸べる。キリッと締まる眼差し。水面が反射する灯に頬が揺られてより一層、煌びやかだ。
「大事な仲間だからね。」
相変わらずマイペースに言葉を紡ぐ彼女が、何の話をしているのか結局わからなかったけれど。
その全貌が見えなくても。
私が抱く絶望や不安なんてきっと、彼女なら。
金魚掬いの網のように、軽くぶち破ってくれそうな。
そんな不確かな確信を抱かせてくれた。
「そうして頂戴、正義の騎士様。」
差し出された其の手の平に、私は指を揃えて手を預ける。
お風呂で暖まったせいか、はたまた。
彼女の手の平はとても、熱い。