気が付けばいつも、誰かを救いたいと踠いていた。
例えば、恋慕を寄せる彼に。
例えば、親友に。
例えば、かけがえのないパートナーに。
例えば、大嫌いな悪魔に。
救いたい、と。
いつも、いつも。
考えていた。
けれど。
私が手を差し伸べた所で、其の手は疾うに。
ぐちゃぐちゃで、千切れそうな程に脆く見えたとしたら。
きっと。
掴んでもらえないんだろうね。
ぼんやりと眺めるホテルの室内。
殆ど言葉も交わさずに帰ってきたせいで、喉が締まったような息苦しさを感じる。
けど、容易に口を開いて良い状況でもない。
何より彼女が必要としているのは、思考する時間だろうから。
「…あたし、お風呂行ってくるわ。」
心配でもある。
彼女と眺めた凄惨な災害資料の内容もさる事ながら、彼女の心が凄まじい勢いで…ズタズタに切り裂かれる瞬間を目の当たりにしたんだ。
…何をしでかすか、分からない。
けれど。
彼女が私を見つめ返した時、彼女を信じようと…そう、思えた。
梨花の目は確実に、私を見つめていたから。
「えぇ。…行ってきて。」
何処か申し訳無さそうに。
もしくは失態を晒したとでも思い込んでいるのだろうか、梨花は伏し目がちに応答する。
…思い詰めなければいいけれど。
古手梨花、かぁ。
まさかあんな見ず知らずの女の子が暁美ほむらへの対抗馬になるとは思えなかった。
…最初は。
けど、よく分かる。
彼女が膨大な因果を纏っている事。
彼女の眼差しは"悪魔"の其れより深く深く、黒く。
そして、鋭い。
此の土地、雛見沢とやらにかつて居たのだと言われても…きっと、虚言や妄言にしか聞こえない筈が。
どうしてこんなに信じたくなるのだろう。
…そして、彼女が何者なのか。
どうして、知りたいんだろう。
そんな風に彼女の事ばかりを…まるで初恋の思いを馳せる際の様に、只管に詮索する内心はやけに神妙だ。
冷静な彼女があれだけ取り乱して得た記憶は如何なる物だろう。
其れはどれ程、残酷だろう。
其れはどれ程、哀しいだろう。
私には未だ分からないけれど、彼女が打ち明けてくれる事を心待ちにしながら。
「きもちい。」
深めの湯船に肩どころか首元まで浸かり、湯煙の舞う星空を眺めた。
周囲にはやはり、他の客も居ない。
湯船の熱と僅かなとろみを帯びた水質が肌に心地良く染み渡る。
仮にも歩き回ったし、身体は疲れているみたいだ。
昨日は戦闘だってこなしたし。
星空の中をチカチカと点滅する小さな閃光が進む。
…久しく乗ってないなぁ、飛行機なんて。
もう、乗る事も無いけど。
夜風はやたらと冷たく私の頬を凍らせんばかりにゆっくりと吹く。
湯を纏った指と手の平で両頬を温めようと、自らの顔を挟む。
「…何?其れ。」
其の瞬間、真横から聞こえた声は疲弊を露わに低めに吐息を交えるも。
何処か嘲笑を帯びて愉快そうだ。
…彼女の笑顔が見れるのなら、少々間抜けだって構わないや。
あんたの痛みが少しでも、笑顔に変わるのなら。
…そんな梨花の表情は、口角を僅かに上げた微笑。
随分と…いや、誰よりも
彼女は大人っぽく見えた。
「落ち着いた?」
「えぇ。漸く。」
其れなら、良かった。
彼女の表情と先程よりは幾分、鮮やかだ。
暗く淀んで悩み苦悶する表情ではない。
「…さて。何から話せば良いかしら。」
ふぅ、と湯煙に交える白い溜息を吐きながら彼女は湯船に身を沈める。
「綺麗ね、星空。」
「…本当に。」
見滝原の空は都会のスモッグに覆われて星空の光輝が私達に届かない。
其れと比べると、此処から見える星々の煌びやかなスパンコールは絶景とさえ称して良い。
「さっき、飛行機が飛んでたんだ。」
「…そう。」
冷たく吹く夜風が今は気持ち良い。
心配が安堵と感傷へと変わったからだろうか。
隣からは彼女持参のシャンプーの香りだろうか、甘い香りが外気の無機質な嗅覚に際立つ。
「…私も、飛んできたの。1983年から。」
其の言葉は余りにも突拍子も無くて。
あぁ、きっと凡人なら"にわかには信じ難い"と表現するんだろうけど。
…あんたと過ごした時間で分かる。
其の言葉が事実であろう事を。
「私は此処、雛見沢で。何度も何度も…えぇ、数える事を止める程に。繰り返し続けたの。同じ時間を。…何度も、何度も。」
「私には友人が居た。…いえ、友人と呼ぶには生易しい程に。愛おしく、尊く、何よりも熱く滾る仲間。」
「だけど…私は死んでしまうの。殺されてしまうの。」
「…ある一人の呪いによって。決まった日に必ず…殺されてしまう。」
「生き返ったのは何千回目かしらね。同じ時間、同じ経験を繰り返していた千年の魔女に…白馬の騎士様が私に手を指し伸ばしてくれたの。」
「彼は言ったわ。」
「運命等、金魚すくいの網よりも薄く、容易く破れるのだと。」
「お陰で私は力を手に入れたの。魔法でも何でもない…強力な、仲間という力を。」
「…そして、私は。」
「"呪い"に打ち勝ったの。」
「仲間と共に。」
…そっか。
道理で悪魔と似た目をしている訳だ。
…似てる。
「あたしも知ってるよ?…何度も何度も同じ時間を繰り返した悪魔を。」
そう切り出すと梨花は目を微かに見開きながら息を飲んだ。
分かる。
ごくりと小さく喉を鳴らしたのが。
「そいつはね。たった一人の女の子の為にずっとずっと。同じ時間を繰り返したんだ。あんたと、一緒だね。」
「…だけど、必ず女の子は救われないんだ。絶対に、殺されてしまう。…"呪い"によって。」
「悪魔さんはどうしても勝てなくて。仲間を作る事も出来なくて。一人でずーっと、頑張ってた。」
「…畏敬、すべき程に。」
「其の結果、女の子は"呪い"を無くすために自らを犠牲にして…消えちゃったんだ。」
「…悪魔にとっては悲しい事だよね。」
「其れに耐えられなかった悪魔は。」
「…世界ごと、作り変えちゃったんだ。」
「女の子は呪いを消し去った事すら忘れて、元の姿すらも忘れて…。」
「でも。悪魔は其れで大満足なんだってさ。」
「…そんな悪魔を救いたくて。」
「…誰より、悪魔の元に駆けつけて。」
「そして。裏切られた間抜けな駄馬の騎士さんがーーー」
「…貴女ね、さやか。」
「そ!」
湯煙に包まれる空間にて響く笑い声は。
互いをやっとの事で初めて認識できた喜びだろう。
漸く其の実態が把握できた事への。
そして、此れも何かの運命だろうかと思わせる程に
皮肉な巡り合わせである事への自嘲でもあるのだろう。
何より彼女の表情は
今迄のどんな表情よりも。
魅力的だった。
「駄目ね、私。騎士様に何度も守られるだなんて。」
「しかも今度は駄馬の騎士様だよ?…正義を掲げているだけで、何の役にも立てないんだー…本当に。」
「…本当に駄馬ね。」
そう告げた彼女がふと。
美しい蒼みがかった紺色の長い髪、結われた先にて揺らめかせては此方に寄る。
「有難う、さやか。」
…ああ。
鼻先にて、いい匂いがする。