「…転校生。…いや、今はもう違うんだっけ。…暁美ほむら。」
木々が連なり、通路脇には水路が流れる。
微かな風が吹けば、程々に行き交う人の中でも際立つは、さらりと靡く長い黒髪。
誰もがその光景を見て、美しいと喩えるだろう。
けど、私にとっては禍々しくさえ思えた。
「貴女から声をかけてくるだなんて。…私を沈める勝算は見つかったのかしら?美樹さやか。」
歩みをぴたりと止めたその後ろ姿。
僅かに伺える横顔は、口元…口角を上げて相変わらず嘲笑を浮かべる。
…私はかつて…とは言え体感的にはつい最近の事だけど。
きゅうべえに囚われ、終いには魔女化してしまった彼女の事を
救おうとした。
その為にいち早く、誰よりもほむらの為に動いた。
自負できる。
彼女が歩んできた壮絶で膨大な回廊を知ってしまった以上、自分が引き渡された使命が仮に失われようとも同じように動いただろう。
そう思える程に彼女を救わなくてはならないと、懸命に動いた。
その結果…彼女は裏切った。
否、私達を利用した迄に過ぎないのかもしれない。
そもそも私達なんて、蚊帳の外だったのかもしれない。
彼女はまどかの為に。
まどかだけの為に…その呪いよりも、憎しみよりも強い"愛"で、世界を改変した。
宇宙の存続すら、蔑ろにして。
…許しては、ならない。
如何に彼女が歩んだ回廊が辛く、儚いものだったとしても。
私はまどかの選んだ世界を、そして…大切な仲間、友人、想い人を…守らなくてはならない。
今やその使命を背負えるのは私だけだから。
「…やめてくれない?その気持ち悪い笑い方。」
「あら。笑みが漏れるのも仕方ないわ、貴女の無力な踠き様は私にとって滑稽なの。悪気は無いのだけれど。」
敵意と悪意がぶつかり合うばかりの、私達の関係性は…絶望的に、微塵も交わる事のない対極で。
…でも今は、そんな野暮ったい応酬を繰り返したい訳じゃない。
「古手梨花。…あの子は一体なんなの?あんたが仕向けたの?」
単刀直入に聞いてまともな答えが返ってくるとは限らないけど、早く切り出したかったもんだから、包み隠さずに言い放つ。
「知らないわ。この世界だって私が全てを担っている訳では無いから。どこに収束するかまで管理している訳ではないの。私はまどかを引き裂いて…其れに都合の良いように一部を触っただけ。どうだっていい事象には関わっていないわ。」
きょとんとした表情。まるでとち狂った人間を見るかのような冷たい眼差しで私に向けられた横目。
騙そうとしている素ぶりには感じられなかった。
「じゃああんたは…あの子の事を何だと思う?」
「今まで関わっていなかっただけで、彼女も元々魔法少女だったんじゃないかしら。私が触った場所が間接的な要因となって、関わりあうようになった…粗方、そんなところかしら。具体的な事は知らないわ。そもそも、興味すらないの。そんな愚問をわざわざ私に問いかける為に来たの?少しは器用になったかと思っていたけれど、相変わらずね。」
一言聞いただけでこの言われよう。
彼女の侮蔑は生半可ではないと、改めて気付かされる。
一々苛立つその言動も、今や半ば慣れてきている自分もまた、確かに在る。
「あたしもあんたも知らない存在だって事だね。…ま、それだけでも分かればいいかな。」
とにかく、ほむらが何かを企んで設置した分子では無さそうだ。
口を開けばまどかまどかとイカれた頭で呪文のように繰り返す彼女の事だから、興味が無いと言われても合点ではある。
「暁美ほむらすら知らない存在か!やっぱり古手梨花は不思議な存在だね!」
インキュベーター。
かつてはこの宇宙のエネルギー管理を担っていた者。
今や彼らは暁美ほむらの描いたデザインの上で踠き苦しむばかりの存在だ。
けど、こいつなら何か分かるかもしれない。
「きゅうべえ。あんたは何か知ってる?古手梨花について。」
「知らないよ。彼女がどういう存在なのか、何もわからない!僕だって知りたいくらいだ。そもそも、君達のただのお友達なんだろう?君達の方が詳しいと思ってたんだけど…違うのかい?」
突然現れておいて役に立たない白い塊が後ろ足で顔を引っ掻いて動物を気取っている。
「インキュベーター。邪魔よ。何しに来たのかしら。私達の会話を聞いたって貴方の身になるような情報は無いと思うけれど。」
ほむらはインキュベーターの事をとことん嫌っている。
その眼差しは私に向ける時より、酷く冷たい。
「君達は気付いていないのかい?」
急な言葉は、私とほむらの間に刹那的な沈黙を与えた。
「…何?」
続けろという意味合いをこめて。
私は一言、放つ。
ほむらもどことなく耳を傾けていたいらしく、大人しく横顔を硬直させながら目を細めた。
「古手梨花には膨大な因果が纏わり付いているんだ。恐ろしいくらいだよ!暁美ほむらや鹿目まどかと同じように…いや、それ以上かもしれないくらいだ!」
…淡々と彼が告げるその話の内容に、私は息を呑んだ。
その言葉が本当なら暁美ほむらに対抗できる手段として活かす他ない。
「彼女を魔法少女にする事ができたら、膨大なエネルギー回収が見込めるんだ!彼女に辛い出来事があったら、すぐに飛んでいかなくちゃ!」
そう言ってすぐ、インキュベーターは姿を消した。
とは言え、彼自身が脚を動かして去ったのではない。
暁美ほむらの手によって放たれたショットガンがインキュベーターの全身を破壊し、跡形もなく爆発四散しただけだ。
「…私の浅はかで適当な予想は、あながち間違いでは無かったのかもしれないわね。」
冷静に顔を傾けながら聞いていた彼女の横顔を改めて見ると、その瞳はギラリと鈍く輝きつつ…明確な殺意を抱き、静かに滾っていた。
「…やめなよ、あの子は関係ないんだから。」
極めて危険。彼女の脳裏に何が過ったのかなんてすぐに分かる。
あんた、普通じゃないもんね。
「まだ何も言っていないわ。…けれど、脅威になると感じたらその時は。」
…殺す、とでも、言いそうだ。
今のほむらは倫理や道徳…良心や秩序という概念から逸脱した存在。
まどかの存続の為ならきっと、他者の命なんて容易く奪える。
文字通りに、悪魔だ。
「させないよ。梨花がどのくらいの力を秘めているのか知らないけどさ。」
刹那、振り向いた彼女は素早く私の顎元へ顔を寄せる。
相変わらず靡く黒髪が…美しく、禍々しい。
その懐に入り込む素早さは人ならざる速度で、瞬間的だった。
「…その時は貴女も殺してあげる。」
彼女の人差し指が、私の顎をつうっ…と撫で上げる。
嬲り、小馬鹿にしたようなその仕草は…私の全身を筋張らせて、死すらも予兆させる。
怖い。そう感じる他に無い程に。
暁美ほむらの瞳の奥には、冷徹な殺意を孕んでいた。
「それも、させない。」
精一杯に告げる声は自分でも分かるくらい、露骨に震えていた。
それは…慄きでもあり、そして…武者震いでもあった。
一筋の不確定な淡い希望と、彼女に葬られるかもしれない恐ろしさが。
私の中で複雑に混じり合い、形容できない感情となって…ただただ私は震えていた。