さやかの喉元から飛び散る鮮血に目を見開いた。
噴く。
舞う。
余りにも無惨に、唐突に。
瞬間的に彼女の懐に潜り込んだ暁美ほむらが切り裂いたさやかの傷口から、見計らっていたかのように。
真っ赤な血色がコンクリートにびたりと、痛々しく其の血痕を叩きつける音が微かに聞こえた。
彼女の身体から力が抜けて行くのが側から見ていてもよく分かる。
私は。
彼女に守られている。
守ってくれると信じている。
それなら。
彼女の劣勢を目の当たりにしてするべき事は?
全身に冷や汗を帯びる。
悪魔の所業を此の儘、見届けるだけ?
…いいえ。
違うわ。
其れを私は望まない。
…命が惜しくない訳でも。
…ただ蛮勇に足を踏み込むのではない。
…今、騎士様を救えるのはきっと。
私しか居ないわ。
恐怖や畏怖に負ける程
今の私は弱くない。
鼓動が高鳴る。
アドレナリンとストレスに全身の筋肉に硬直剤でも打たれたかのようだ。
そう意を決して。
項垂れる彼女を庇うべく駆けつけた。
彼女のサーベルを片手に持って。
「させないわ。悪魔。」
「そう…。私が本当に仕留めたいのは元々、貴女よ。古手梨花。…好都合だわ。逃げもせずに足掻くだなんて。」
暁美ほむらの嘲笑を見届ける中。
私は彼女へ。
できる限りの素早さで。
斬りつける。
私の騎士様を傷つけた、大いなる罪と。
其の、罰。
「殺意じゃないわ。其の眼。」
そう古手梨花に告げられた。
時折、私よりも悪魔に相応しい様な。
小さなこの子の視線が悍ましい。
悪魔の尊厳を踏み躙ろうとするだなんて、きっと貴女も悪魔か其れ以上に。
…虫唾と形容すべきだろうか。歯痒いような、負の感情。
何もかもを知り尽くした筈の私の前に存在する未知。
…そんな私に敵意を剥いて抗い、何もかもを見透かしたかの様に生意気。
まるで、私が人を殺めた事がない事を知るかの様。
命すら、惜しくないのだろうか。
此れ以上、私達に関わるべきではないと…どうして分からないの。
誰も彼も、どうしてそうやって首を突っ込むの。
そんな銃口にすら怯えない彼女に私は内心、劣勢を感じる。
こんなにも圧倒的に世界を手にしているのに。
…切り裂いた"正義"の喉元は、案外薄く。
美樹さやかの、発する筈では無かったであろう音が鳴る。
声帯から、反射的に。
通常の人間なら、きっと即死だろうけれど。
魔法少女…其れも痛みを失える貴女なら、此れでは死なないわ。
…其の確信が、私にはあった。
…いいえ。
其の確信がなければ…私は…。
「させないわ。悪魔。」
「そう…。私が本当に仕留めたいのは元々、貴女よ。古手梨花。…好都合だわ。逃げもせずに足掻くだなんて。」
銃口にすら怯えない少女を前に私は、拘束でもするべきかと思考を巡らせる。
戦闘においては彼女に負ける訳も無いのだから。
いざとなれば、無理にでも止める。
私への干渉を。
此の世界への干渉を。
そして…私の…"あの子"への愛を邪魔させないように。
…けれど。
やっぱり、貴女は悪魔の名に相応しいかもしれないわね。
古手、梨花。
私との違いを感じた。
幼く、腕力こそ低いであろう古手梨花の其の一薙は
余りにも…躊躇が無かった。
反射的に。
必死に。
全身に戦慄を走らせながら、私は盾を構える。
金属音が鳴らす高音域が喧しく、鼓膜に響いて瞬間的な耳鳴りを起こした。
世界は。
閃光の様にチカチカと。
「貴女を、絶望の運命から救い出す道を!」
流れ込む。氾濫する激流の様に。
「約束するわ…絶対に貴女を救ってみせる!何度繰り返す事になっても…ッ!!」
此れは。
「貴女を…!!」
…女神に成る前の少女と。
「守ってみせる…ッ!!」
…悪魔に成る前の。
ほむら。
…暁美ほむら。
傷ついた少女に涙を流す悪魔が居た。
世界の終焉を見せつけられても尚、諦めずに遡行する彼女が居た。
正義の騎士様のデリカシーの無い言葉に傷ついたほむらが居た。
守りたいものが出来て嬉しそうにはにかむ暁美ほむらが居た。
そして、其れを守れずに愕然とする貴女が居た。
其れでも尚。
何度も何度も
繰り返す貴女がいた。
傷とさえ呼ぶに相応しく無い…麻痺しそうな程の暗闇の中で、鬱屈を紛らわし死闘を繰り返す…
たくさんの、貴女。
たくさんの、世界。
たくさんの…。
欠片。
そして。
今日まで何度も繰り返し。
傷つき苦しんできた全てが。
まどかを思ってのことだった。
だからもう今では。
痛みさえ、愛おしい。
此れこそが人間の感情の極み。
希望よりも熱く、絶望よりも深い物。
「…愛よ。」
あぁ。
たくさんの、愛。
深く、深く、深く、深く、深く、深い。
抜け出せない程に深い、愛。
…私が余り知らないもの。
何秒間だったのだろうか。
もし、此の情報を一つずつ回想したら。
何時間かかっただろうか。
唐突に。
一気に。
畳み掛けるように流れ込んだ、数多もの彼女の記憶。
見た、聴こえた、感じた、情報。
彼女の心の中にある、事実。
過去。
そして現在。
…………………………………………………。
……………… ……………… ………………。
古手梨花の死体が見えた。
烏に啄まれ、血を散らし。
腸を啄まれてロープのように嘴に振り回される、遺体が。
古手梨花の自殺が見えた。
自ら頭部にナイフを突き刺して
目を剥いて気を違える、彼女の狂宴が。
古手梨花の決意が聴こえた。
戦おうとする意志が
こんなにも美しく神々しく、
運命さえも覆すほどの力が在る事を
…私は知った。
だから私は、貴方と共に戦おう…!
何度でも…先の未来に辿り着くまで…ッ!
友人だろうか。
とある青年が、ベレー帽の少女を殴り殺す様を見て
溜息混じりに傍観する彼女が居た。
自らの死を知りながら、永遠と時を彷徨う少女が居た。
日常に憧れながら…ただただ、茫然自失を過ごす古手梨花が居た。
青年の振る舞いに希望を見出す事が出来た、千年の魔女が居た。
そして、また殺される貴女が居た。
其れでも尚。
何度も何度も
繰り返す貴女がいた。
痛みとさえ呼ぶに相応しくない…無さえ癒しの様な生き地獄の中で、助けを求める事も出来ずに踠く…
たくさんの、貴女。
たくさんの、世界。
たくさんの…。
輪廻。
そして。
迎える事が出来た7月1日に。
微笑み乍ら。
何もかもを、許す事が出来る
貴女が居た。
私達は百年にも及ぶ戦いに遂に打ち勝った。
だからこそ。
私の夢だったプール遊びに
皆で来る事が出来た。
其れは細やかな夢だけれど
こんな一日を得る為に気の遠くなるような日々を放浪した
だからこそ分かる
平凡に思える何気ない日々が
何よりも深い幸せなのだと
誰かにそう語る彼女は
本当に。
…本当に。
幸せそうだった。
目が覚めた、と形容すべきだろうか。
我を取り戻したかの様に、気付いた頃に。
私達は。
ただ、ただ。
見つめ合っていた。
動悸を伴う息遣いと
驚愕に満ちた眼差しが伺える。
そして其れはきっと、私もでしょう…。
互いに。
見つめ合っていた。