私には記憶がない。
幼くして両親を亡くしたらしい私は、古手の家系に近しい、百江家に引き取られた。
そして…現在に至るまで特に不自由なく暮らしている。
今の"両親"も、屈託ない愛情と優しさを与えてくれるし、勿論、いびられたり疎外感を与えてくるような事もない。
時々、"父"は娘相手とは思えない程の気遣いすら見せてくれるが、其れは…あくまで私は途中から家族の中に入ってきた訳なのだから、全く同じようにとはいかないのだろう。
…まぁ、私もその方がやりやすい。変に意識して、無理に肉親と偽られるくらいなら…慎重な優しさに身を委ねる方が…ドライな私には好印象だ。
上辺だけの取り繕いだけでは私にはどうにもならない事を、恐らく"両親"は理解しているのだし、其れで良い。
不満どころか、感謝すべき事だ。
…けれど。記憶がないのだ。
この回想も全ては"両親"から聞いたこと。
私の記憶ではない。
かろうじて本当の両親の顔くらいは思い出せるけれど、元の古手の家で何があったのか…どう育ったのか。
全く、覚えていないのだ。
医者達は口を揃えて、
解離性健忘
心因的記憶喪失
と私に告げた。
正直、今の私にとってそれが全てだ。
「気にしても仕方ない」
「考えてどうにかなる訳でもない」
「前向きに、未来を見つめよう」
薄く淡いその言葉は私にとって更に希釈されて聞こえる。
えぇ、今まさに洗濯機に注ぎ込んだ洗剤よりも何倍も何倍も希釈されているわ。そんな言葉なんて。
…思い出したいに決まっている。
自分が何者か分からずに生きていくなんて、その不安は底知れない。
「梨花!毎日毎日お洗濯、ご苦労様なのですー!」
「…えぇ、洗濯機を回すくらい…造作も無いわ。」
今日も私は疲れた。
学校では にぱー などと明るく振舞い、"年相応"を演じなければならないし、教師達は記憶喪失というパッケージで私を見ている。そこに悪意は無かろうと、無意識な傷物扱いは浅はかで軽薄。
同学年の子達ともどうにも話は合いそうにない。…きっとそれは私のせい。
周囲がやけにくだらなく、幼く、稚拙に感じる。
いや、正確には私が異常な迄に精神的年齢が高いのだ。
それ故に、辛い。私は別物なのだと、思い知らされるようで。
記憶もなければ年相応の思考をする事も叶わない私は、一体なんなのだろうか。
そんな思いが永遠と慢性的に続くのだろうか。
…けれど、嫌な事ばかりでもない。
放課後にいつも合流する"魔法少女達"との会話はとても良い。
彼女達は中学生、幾分年上かつ数々の戦いを経ているせいか彼女達の言葉はとても楽しい。
最初に…魔獣の結界とやらに巻き込まれた時は驚いた。そして…彼女達が戦う姿はより一層。
けれど、記憶をなくしたばかりの私にとって…受け入れられないものでもなかった。
そんな彼女達と居るだけで、趣を感じられる。
明るかったり、時にギスギスしたりするけれど。
屈託なく私を可愛がり、そして私の言葉に真摯に耳を傾けてくれる。
素敵な仲間だ。
…なのに、何故だろう。
"仲間"というものはもっと
うるさくて
暑苦しくて
もっともっと信頼できるもののような。
そんな人達を指す言葉のような、気がする。
…このままでは良くないのだ。
きっと、私は自力で求めなければいけない。
私の本当の姿を。
「…なぎさ。昨日のシュークリーム…まだ食べていなくて。冷蔵庫に残してあるの。」
「本当なのですかッ!?!?!?」
なぎさは甘い物が大好きだ。
シュークリームという言葉を放つと言うことを聞く生き物だ。
可愛らしい。そして…ただ可愛らしいだけではない。
彼女もまた、ひとりの仲間。かけがえのない…数少ない、私と真摯に向き合ってくれる…仲間。
そんななぎさが声を張り上げてシュークリームへの期待を示すと、"母"が台所から…何を叫んでいるの、と呆れた口調で告げた。
「なぎさにシュークリームをあげるわ。…その代わり…。」
「その代わり!?!?」
「…話を聞いて頂戴。」
「はいなのです!!」
0.1秒もかからずに彼女は即答した。何も考えていないのだろう。
簡単な子だ。
ーーーシュークリームを頬張る彼女をテーブル越しに眺めながら、私はぶどう酒を模したノンアルコール飲料の入ったグラスを口元に傾け、そのほぼジュース同然の味に舌を鼓む。
"両親"にこれだけはいつも飲めるように置いて欲しい…と我儘を言って、常備して貰っている。やはり変わった子だと思われているだろう。
「…やっぱり、私の過去には…何かあると思うの。」
私が切り出すと、なぎさはシュークリームを頬張ったまま、目をきょとんと見開いて聞き入る。
「魔法少女でもないのに…やけに、周りと違う。自覚しているわ。変わった子だって。まるで子供じゃないみたい。貴女達は数々の戦いの中で、凄まじい経験をしているのだから多少の違いは当たり前だろうと思うけれど…私はそうじゃない。」
「…その原因が過去にあると言うのですか?」
「えぇ、生まれつきだとは思わない。大体…記憶が無いだなんて。両親が亡くなったからって…何も覚えていなくて、何も思い出せないだなんて。おかしい。まるで…誰かにそう仕向けられているんじゃないかとすら思えてしまう。」
「突拍子もないのです。誰が何の為に?」
「分からないわ。勿論本当にただ、ショックで記憶を飛ばしたのかもしれない。けれど…」
なぎさはより神妙に。思考を懸命に巡らせながら私の目をじっと見つめて聞いている。クリームを唇につけたまま。
「クリームがついているわ。」
「? 記憶にですか?」
「其れは意味不明ね。貴女の口によ。」
「どこなのです?」
「ここ。」
上唇の左端を、自らの唇に指差して教えてあげると…なぎさはぺろっと舌を一周、円を描くように唇を舐めて。
「んー!!」
と美味しそうに笑みを見せた。
「…続けるわ。…以前、きゅうべえに魔法少女の勧誘を受けたの。覚えているかしら?」
「覚えていますです!何だか梨花にはすごく力があるだとか…」
そう。幾度かきゅうべえに魔法少女契約を提案された事がある。
勿論、仲間達…そしてなぎさも魔法少女な為、そのシステムや契約内容は粗方把握している。
その上で…記憶を取り戻したい、と願おうかとも考えたけれど。
とても私には務まらない…もしかしたら、それを機に仲間との関係性が変わるかもしれない…ただただ、今の生活そのものには不憫は無い…そう考えを纏めて、保留を選んだ。
彼女達は凡そ、通常の暮らしを送る人間と比べると短命だと聞いているし…容易に乗れる提案ではない。
その際に聞いた、嘘か誠か…私にはとてつもない量の因果、というものがあるらしい。
良く理解はしていないけれど…つまり、魔法少女になると相当な力を手にする事ができるときゅうべえは話した。
胡散臭い彼の事だ。ミスリードを誘発し、事実は異なっていて…そしてそれを指摘したところで後からとぼけられてしまう、なんて未来も懸念できる。
けれど…その因果の話が本当だとしたら。
それは決して先天的に纏わりつくようなものではないと、言っていた。
私に一体、何が起こったと言うのだろうか。
「…過去を知る事ができれば、それも…きっと分かる気がするの。何より、私が誰なのか。何者なのか。…思い出さなければ、いけない。絶対にそう。忘れたまま生きていくのは、御免なの。」
暫くの沈黙。それはなぎさが懸命に考え続ける時間。そんななぎさの返事を待つ私がノンアルコールを得る時間。
「情報収集…本格的に手掛かりを探したいのですね!」
「えぇ。なぎさが良かったら…手伝って欲しい。」
「勿論なのです!…でも、その先に何があるのかわからない以上、覚悟はするべきなのです。」
いつになく真剣な表情。シュークリームを食べ終えたなぎさはティッシュで口元を拭いつつ、注意深く告げた。
「…えぇ。そもそも両親を亡くしているし…あまり素敵な過去ではないと、思っているわ。」
淡々と胸の内を明かした私に、なぎさは再び笑顔を向けて快諾してくれた。
「梨花の為なら朝飯前なのです!役に立てるかは分からないですが、頑張るのです!」
「ありがとう…なぎさ。」
とは言え、何から手をつけたらいいかわからない。
けれど…隈なく、先ずは私の生い立ちや家系について…"両親"に改めて聞いてみよう。
何なら…私には離さない、事実がもしかしたらあるかもしれない。
その時には…なぎさにこっそり聞いて貰おうかしら。
…仲間というものはやっぱり、何より大事なのだと。
実感しながら私は…もう一つ、シュークリームを与えてしまうのでした。