「梨花!なんかムカついてる!?ごめん!」
コーヒー店から急ぎ足に抜け出した私は、さやかを連れて強引に早歩きを進めた。
釈然としない苛立ち。例え難い、戦慄。
暁美ほむらの眼差しは、私にそんなネガティブな感情を強く、強く…与えてくる。
「貴女じゃないわ、謝らないで。」
彼女の事は大して知らないし、関わりも薄い。
魔法少女ながら、さやかの一味と集団行動を取る事はなく、それどころか…小馬鹿にしたかのような、あの目で私達を見定める。
他の魔法少女が言うには彼女はとてつもなく強いらしいけれど。
そんな事はどうでもいい。
私はあの目が嫌いだ。
他者を見下し、信用せず、憎み、蔑むような。
殺意にも似た、濁りを極めた眼。
…私とよく似た眼。
卑下と嘲笑を含んだ眼差しを向けられた、安直な苛立ちは勿論。
その眼差しの粗悪を、鏡のように自覚させられて、自分の擦り切れた醜悪さを目の当たりにさせられるような。突きつけられたような。
…不愉快な、眼。
「どうしちゃったの?」
漸く脚を止めた私に、気遣うようなさやかの声は少々上擦っている。
「…貴女が"一発お見舞いしたい"のは、彼女ね。」
「…………。」
この沈黙は肯定と見做すべきだろう。
「何故かも分からないし、それが正しいかも勿論、分からないわ。けど、私も同じ気持ち。あくまで私的な感情だけれど。何の話かさえ掴めない、でも…貴女達の間にある絶対的な亀裂ははよく伝わった。」
あくまで感情的な意見だ。
内容も分からなければ口を挟む術がない。
個人的に。独善的に。思考を開示しただけの時間。
「私みたいね、彼女。…醜い。」
「…さぁ?梨花の事はまだよくわからないよ。何とも言えないかな。ここだけの話、アイツは大嫌い!だけどね。」
私の苛立つ理由をどことなく察したのか。
はたまたとりあえずは落ち着けと言いたいのか。
いずれにせよ、私の頭をぽんぽんと、優しくあやすさやかの手は暖かい。
「人の陰口なんて良くないかもしれないけどさ。…でも、梨花があたしの肩を持ってくれるのは、嬉しい。ありがと。」
…別に貴女の肩を持ちたくて苛立ったのではないわ。
と、口に出すとからかわれてしまう未来が見えた。
「…改めて、私の事が知りたい?」
「え?うん。知りたいっていうか、知らなきゃいけない。」
「………。」
変わりたい。
暁美ほむらのような醜悪な眼差しを、もうしたくない。
周囲を見下し、呆れ、俯瞰し、そして…信用もできずに自信を失う自分は改めて、嫌いだ。
その為にも私は…辿り着きたい。
本当の自分に。
「私も物凄く、知りたいの。」
完全に信じ切っている訳ではないけれど。
美樹さやかの事は尊敬している。
親しみやすい先輩として。
戦いに身を投じる魔法少女として。
「利害が一致しましたなーっ?」
…私が切り出す前に、察したのだろうか。
さやかは私の頭に手を置いたまま、腰を折りつつ歯を見せて笑みを向けて。その顔を寄せる。
「…手伝ってくれる?」
「役に立てるかは分からないけど、出来る限りは。ま、これでもあたし…正義の魔法少女だし?」
…いつもはヘラヘラしてる癖に。時々、彼女が見せる慈愛は…格好良い。
「この美樹さやかが!お守りしましょう、お姫様。」
その笑みは、夕暮れの猩々緋を浴び。
彼女の頬に差す陽と影は、
どんなストロボよりも、煌びやかに思えた。
「ありがとう。」
ここ最近の私は、人に感謝をしてばかりだ。
「昨日調べていた事を話しても良いかしら。」
「うん、聞かせて。」
夕焼けに染まる通路の傍に、点々と設置された街灯が…その光を点け始める。
「私が元々住んでいたとされる場所を"母"から聞いたの。」
さやかが左手にぶら下げて持っていたバッグを右手に持ち替えると、彼女の肩の影が私の顔を差す夕陽を一瞬、遮った。
「鹿骨、旧興宮…今は鹿骨中央と言うみたい。」
「聞いたことないなぁ。」
「その鹿骨市と言う場所で…昔、災害があったの。…いや、厳密には…災害と、連続殺人事件。」
遠くで子供達の騒ぐ喧騒が聞こえる。
公園でもあるのだろうか。賑やかな騒ぎ声。
「…雛見沢ガス災害。…雛見沢連続怪死事件。はたまた、鬼隠し。そんな風に呼ばれているみたい。」
「物騒だね。怖い話?」
一々茶化す彼女の癖も、今は悪くない。
もう、とだけ一言挟んで。
「その連続怪死事件は綿流しのお祭りという行事の晩に。毎年誰かが死に、誰かが消える…という内容ね。その事件の最後に当る殺人の現場の名前が。」
顔向きは変わらぬものの、その目線が横目に向けられた。
「古手神社。」
「…ふーん?」
さやかの表情は驚き、というよりは…面白そうと言わんばかり。
その感嘆詞は無関心を示すものではなく、話の続きを待ち侘びるもの。
「それと…私には記憶が無い上に、一連の事件は70年程前。なのに…凄く"身に覚えがある"の。雛見沢。ガス災害。鬼隠し。綿流し。絶対に聞いた事があるわ。関わった事があるとすら、言える気がする。」
「…70年前なのに?」
「えぇ、おかしな事を言っていると思うのも…無理はないわ。私の主観の話だから、伝えようもないけれど。でも、言い切れる。私は其れを知ってる筈なの。」
難しそうに眉をしかめながら。
さやかは暫く遠くを見つめ。
そして。
「あんたの事だから、あたしは梨花を信じるしかないかな。」
恐らく疑念も過ったのだろう。
それを振り払ったかのように、私に顔を向けて言ってくれた。
「ありがとう。」
もうすぐでマミの家に辿り着く。
その前に。
「…行きたいの。」
「…えーっと、ひな?」
「雛見沢。今は…鹿骨北、と言うみたいだけれど。…それと、特に古手神社に行きたいわ。」
「ひなみざわ、ね。…面白そう!旅行なんて小学校の修学旅行以来行ってなかったよー。久しぶりだわぁ!」
「旅行では無いけれど…。…来るつもり?」
「え?行かなきゃお守りできないじゃんか。」
誘うつもりが、既にその気だったなんて。
彼女らしくて…漸く私は笑みを取り戻した。
「なんか青春って感じだねー!」
「遊びに行く訳では無いのだけれど。」
巴マミ宅に辿り着く頃には、暁美ほむらと対峙した際に私を襲った不快感が、どこかへ息を潜めていた。
…仲間。
その言葉の意味を何となく、改めて…知れた気がする。
いや。思い出せた…と言うべきなのかもしれない。
遠くに茂る街路樹から、ひぐらしのなく音色が微かに聞こえたような気がした。