無理しない程度に目を休めながらお楽しみください。
ある日の放課後
今日は生徒会の仕事も無く、帰り支度をしている最中。鷺宮は一人の女子生徒に声をかけられた。
「ねえ…璃奈。今時間ある?」
「あら、四条さん。大丈夫ですけど…どうしました?」
「そう。良かったわ。実は…相談したい事があるのよ」
その人物は同じクラスの四条眞妃。普段は挨拶する程度の仲だが、今日は珍しく相談に乗って欲しいと頼って来たのだ。別段、断る理由もなく眞妃と仲良くなる良い機会だと鷺宮は考えていた。
後にこの頼みは断わるべきだったと、後悔するとも知らずに…
「それで相談とは何ですか?」
「うん。それは私...好きな人がいてね。どうしたらいいのかアドバイスが欲しいの」
「アドバイス…ですか。頼ってくれるのは嬉しいですが、私も恋愛の事は分かりませんよ」
「え?だって…璃奈はおば様の恋愛成就に協力してるって聞いたわよ」
眞妃の相談は恋愛に関する内容だった。その後の恋愛成就に協力している。この言葉に不穏な気配を感じ、鷺宮の心に一抹の不安が過る。どうか予想が外れていて欲しいと、神に願いながら鷺宮は気になる事を尋ねてみる事にした。
「…ちょっとお尋ねしますけど。四条さんが言うおば様って、誰の事ですか?」
「ああ。璃奈は知らなかったっけ?四宮かぐやの事よ。あの人、私のおばなのよ」
「そうだったんですか。世間って意外と狭いものですねぇ」
(うわぁ~嫌な予感的中だわ。四条さんが好きな人。まさか白銀くんじゃないよね?だとしたら…最悪としか言いようがない。どうしよう…聞かないと分からないけど、聞きたくない。何でこうなるんだろう?今日は帰って、ゆっくりしようと思っていたのに…神様って私の事が嫌いだったりするの?)
「眞妃さんの悩みを聞く前に二つ質問していいですか?」
「いいわよ。何が聞きたいの?」
「ありがとう。まず一つ目。私が四宮さんに協力してると四条さんに教えたのは誰?」
これを知っているのは限られた人だけだ。ある程度は予想が付いてはいるものの…鷺宮はハッキリとさせておきたかった。
「おば様の近待からよ。確か…早坂だったかしら。最初は渋っていたけど、最終的に私が妨害しない事とおば様の好きな人を聞かない事を条件に聞いたのよ」
「そう。早坂さんから…ね」
(あっちゃんの大馬鹿者。大事な友達と言ってたのに…私を売るだなんて酷い。大方、四条さんにしつこく詰め寄られて面倒になったに違いない。友情なんて所詮は儚いものね)
「それで二つ目だけど、四条さんの好きな人は誰なんです?」
「…耳貸して。誰かの耳に入ったら嫌だし」
「ええ。分かりました」
この問いに眞妃は素直に答えてくれた。その相手は同じクラスの翼という男子で鷺宮も翼の事は知っている。真面目で大人しい草食系の男子。これが鷺宮の翼に対する印象である。
「成程。つまり四条さんはその男子と付き合いたい。それで私に相談しに来たと…」
「そうしたかったわ。だけど、実は彼が私の友達に告白して付き合う事になったのよ」
「それは複雑ですね。まさか、その方と喧嘩でもしたんですか?」
初恋は実らない。この言葉を強く実感するとは鷺宮も想定もしてなかった。強い友情も恋の前には脆く崩れ去ってしまう。現に先程、自分の友情に罅が入ったばかりである。
「そうじゃないわ。友達とは仲良くやってる。問題があるとしたら…」
「あるとしたら?それは何ですか?」
鷺宮としてはこれ以上、面倒事に関わりたくないのが本音である。だが、困っている人や頼ってきた人を放ったり、無視出来ない性格の為、結局は面倒事に巻き込まれるのが鷺宮璃奈という人間だった。その性質上、やはり今回も面倒事に関わる道を進んでいく。
「彼に余計な事を吹き込んだ奴よ。何処の誰か知らないけど、見つけたら空気の無い所に送ってやるわ!!」
「ぶ、物騒ですね。因みに四条さんの友達…名前を教えてくれませんか?」
「ああ。柏木渚よ。小さい頃からの友達なの。だから複雑なのよね」
最初こそ、恋愛の縺れで女友達と拗れた程度だと思っていた。しかし…柏木渚。この名を聞いた途端。鷺宮の胃がキリキリと痛みだす。眞妃の話と件の友達に鷺宮は非常に心当たりがある。やはり神などこの世にいないと鷺宮は心の中で叫んでいた。
遡る事、数日前。この日、放課後の生徒会室に珍しく来客が尋ねてきた。それは眞妃が想いを寄せる翼であった。
「恋愛相談?この俺にか?」
「はい!会長は恋愛でも百戦錬磨だと聞いてます。だから、どうか力を貸して下さい」
「あの…お言葉ですけど、友達に相談されては?流石にそういう相談は生徒会では受け付けてませんよ」
普段は役員以外は来ない場所に足を運んでの相談。故に真面目な話と思いきや、恋愛相談と生徒会に関係ない内容に鷺宮は眉を顰めて苦言を洩らす。これは至極、当然の事であるが他に頼る術が無い翼には死刑宣告にも等しい言葉であり、翼の表情は落胆の色に染まる。
「…やっぱりだめですか?だけど、僕はどうしたらいいのか分からないんです」
「まぁ待て鷺宮。友達にも言えない事もあるだろう。生徒の悩みである以上、生徒会として手を貸すのは当然だと思うぞ」
「…はぁ、分かりました。会長がそう言うなら私も協力します」
「本当ですか!! 二人共。ありがとうございます」
(あー 何でこうなるのよ。只でさえ、四宮さんの事だけで大変なのに他人の恋愛事なんて知らないわよ。ハア~ 会長の面倒見の良さは良いけど、こういう時は非常に面倒だわ。まだ生徒会の仕事も沢山あるし、適当に助言して早く帰ってもらいましょう)
本来なら受ける必要のない相談。しかし、白銀は翼の肩を持ち相談に応じる姿勢を見せた。無論、白銀も恋愛経験が無く、この手の問題は真っ平御免である。もし...上手い助言が出来ずにボロを出した場合。
【白銀会長、どうやら恋愛経験の無い童貞だった】
【え~ それ本当?今時、童貞なんてだっさーい】
【あらあら…会長ともあろう人が童貞とは…お可愛い事】
(駄目!!乗る切るしかない)
最悪の未来が浮んだ白銀は何があっても成功させねばならないと決意を固める。幸い、この場に鷺宮もいる。自分では分からない事に関しては彼女が知恵を貸してくれるだろう。鷺宮の存在が白銀の不安を軽くしていた。
「それで相談とはどんな事だ?」
「僕と同じクラスに柏木さんという子がいて、その彼女に告白しようと思ってるんです。でも…余り話した事もないし、告白して断られた事を考えると怖くて」
「成程な。因みに接点はあるのか?例えば、何か貰ったとか。或いは渡したとか」
(この人。勇気を出したと思えば、自信を無くしたりと忙しいわね。しかも好きな人と碌に話した事も無いんじゃ、告白しても結果は見えてるよ)
煮え切らない態度の翼に鷺宮は少し苛立ちを覚えて、心の中で毒を吐く。それを表に出さない様、注意を払いながら鷺宮は二人のやり取りを聞いていた。
「そういえば、バレンタインにチョコを貰いました」
「あら、それはどんなチョコでした?」
「その…一口チョコ三粒です」
意外な接点に驚いた鷺宮が詳しく尋ねると、返ってきた返事に場の空気が凍り付いた。男女にとって、重要なイベントであるバレンタイン。そこで貰えるチョコの質で女子の気持ちが明白となる。人によっては忌まわしい日とも呼称されるそのイベントにおいて、翼が意中の相手から貰ったチョコはたったの三粒。最早義理チョコですらない贈り物に白銀と鷺宮はかける言葉が浮ばない。
「あー そうだな。その子、間違いなくお前に惚れてるぞ」
「え?会長…流石にそれは無いと思いますよ」
「いいや。分からんぞ。女心は複雑だからな。本当は本命を渡したいが、恥ずかしくなってそのチョコを渡した可能性もあるかもしれんだろう」
(そんな可能性ある訳無いでしょう。だって粒よ粒。義理のチョコだって個の単位なのに。興味が無い以前に空気と同じ存在とハッキリ言ってる様なものじゃない。白銀くんって、頭は良いだけで実は馬鹿なのかしら?四宮さんは彼の何処が好きになったんだろう?永遠の謎ね。それに当の本人だって、こう言われて納得しないよ。矛盾だらけの論理だし、余程の馬鹿じゃない限りは…)
ありえない持論に鷺宮は呆れていた。白銀の言葉を信じる者は誰もいないだろう。例え相手が小学生でも嘘だと気付くレベルである。それを高校生、しかも秀才と言われる白銀の口から出た事が何よりも衝撃だった。
「そんな…じゃあ、あのチョコは実は本命だったのか」
(あ、馬鹿は此処にもいたわ。この学園、大丈夫なのかな?私…通う学校を間違えた気がしてならない)
しかし事実は小説より奇なり。あろう事に翼は白銀の言葉を信用し、感銘を受けていた。その事に鷺宮は絶句する。純粋と言えば、聞こえはいいが…だがそれは相手が小学生や中学生ならの話だ。高校生でこれは無い。此処にいたら自分も馬鹿になりそうだと感じた鷺宮は一刻も早く、このくだらない相談を終わらせる為、話を進める事にした。
「他に接点は無いんですか?先程、余り話した事は無いと仰ってましたけど、会話した事はあるんですよね?」
「はい。といっても会話と言うほどじゃなく…」
翼の話はこうだった。休み時間の折、柏木達の女子グループが翼に恋人がいるかどうかを聞いてきたらしい。翼に恋人はいないと答えた後、女子グループは翼を笑いながら立ち去ったとの事だった。
「どうみても揶揄われてますよ。厳しい事を言うけど、異性として見られてないと思います」
「やっぱりそうですよね。僕なんか相手にされる訳ないですよね」
「いや待て。結論を急ぐ必要はない。意外とモテ期…来てるぞ」
「え?会長…それはな「第一、何故ネガティブに考える?人は本音を隠す生き物だ。それは老若男女に共通する事だぞ」
「成程…じゃあ、実は皆僕に好意を寄せていたのか。そんな…彼女達の中から一人選ばないといけないなんて」
鷺宮は冷めた表情で二人を眺めていた。それに気付かず、二人の恋愛相談は熱を増していく。もう口出する気が失せた鷺宮は静観する事を選んだ。その都度、おかしな持論に苛立ちを覚えるが…何を言っても当の本人達は聞く耳を持たず、都合のいい展開を想像する二人の話に疲れたのが本音である。
「それで肝心の告白ですけど、どう切り出したらいいですか?」
「うーむ。そうだな。なら、俺に良い案があるぞ。よく見てろよ」
白銀の策、それは通称『壁ドン』という手法であった。相手を壁際に追いやった後、腕で逃げ道を塞ぎ相手の耳元で愛を囁く。追い詰められた不安を恋心に変化させ、告白の成功率を高めるのが狙いである。
(え?白銀会長…正気ですか。今時、そんな告白方法が通用する女子がいるとでも?ダメだ…生徒会もおかしい気がする。本当にこの学園は大丈夫なの?)
希望が見えたと喜ぶ翼と裏腹に鷺宮は軽蔑した目で白銀を見つめていた。確かに『壁ドン』は恋愛の駆け引きに使われる手法であり、絶大な効果があるだろう。しかし、それは柏木が翼を異性と意識している場合の話である。だが、実際はバレンタインでは義理以下のチョコ。しかも当の本人から揶揄われる始末だ。もし翼がこの方法で告白したら、間違いなく振られるのは火を見るよりも明らかである。問題はこれだけに終わらないだろう。前代未聞の方法で告白して振られた愚か者。そんな噂が広まり、心無い者からいじめに遭うかもしれない。最悪、不登校に繋がり世に絶望して自ら命を絶つ可能性もありえるのだ。
そこまで想像して鷺宮は恐ろしくなった。今ここで翼を止めなければ、この結末が現実になりかねない。いくら馬鹿と思った男子とはいえ、そんな目に遭って欲しい訳ではない。
「会長、今時そんな方法は通じ…」
「ん?何か言ったか?」
何が何でも止めねばならない。そう決意し口を開いた時、鷺宮の目に映ったのは陰から生徒会室を覗くかぐやの姿だった。また暗がりでも分かる程、赤い顔で佇んでいる。その反対に立つのは不思議そうな様子の白銀会長…。ゆっくりと物事を整理して、鷺宮は起きている状況を把握した。
「いえ。何でもありません」
此処で白銀に説明すれば、また面倒な事になる。これ以上の面倒事は避けたい。…故に鷺宮は全てを無かった事にした。そんな鷺宮の心境など知りもしない翼はとんでもない発言を口にする。
「ありがとうございます。おかげで告白する勇気が持てました。流石、四宮さんを落としただけありますね」
「なっ、それはどういう事だ?」
「あれ?知らないんですか?会長に四宮さんが告白したって噂」
「全く知らないぞ。というより、俺と四宮は付き合っていない」
この話は外にいるかぐやにも聞こえており、動揺した表情で此方を窺っていた。やがて落ち着きを取り戻した白銀は意気消沈した様子で自身の気持ちを吐露し始める。
「いや、寧ろ逆だ。最近になって思うんだ。実の所、俺は嫌われているんじゃないかって」
「会長は四宮さんの事、どう思っているんですか?大事なのは会長の気持ちですよ!!」
翼の言葉に白銀は己の気持ちに向き合ってみた。そうして浮かび上がるのは四宮への本音。
「まあ正直な話。金持ちで天才だろ。そこが癪な所だな。人に無い物を持っている分、内心では人を見下しているんじゃないかな。お高く留まった態度で余計にそう感じる」
(その口閉じてぇぇぇっ!! そして気付いてよ白銀くん。四宮さんが凄い目でこっちを睨んでるよ。どうしよう。これが原因で二人が険悪になって、四宮さんの恋が終わったら私の未来も終わってしまう。絶対、”貴女がしっかり協力しないからこうなったのよ”って言いそうだよね。そして私は空気の薄い所に…駄目、何とかするしかない!!)
白銀が本音を吐き出す度に四宮の顔は険しくなり、目付きも鋭くなっていく。その事に白銀は全く気付いていない。これ以上、白銀が爆弾を投下する前に話を変えないと自分まで巻き添えを食らう羽目になる。それは断じて御免だと、鷺宮は行動に出た。
「ほら四宮さんは四大財閥の令嬢ですからね。お高く見えるのは英才教育の影響ですよ。それに何事においてもしっかりした人だし、他の人にない品格もありますよ」
「そうか?案外抜けてるし、怖い顔してる時も多いぞ。それに…!? でも、そこが良いよな。普段とのギャップがあるから可愛いよ。鷺宮の言う通り、品格もあるから俺の気も引き締まるし、精進しようという気持ちになる。そう思うと四宮は最高の女だよ」
暴走していた白銀は一転して、かぐやを称賛する言葉を次々と口にする。この場に本人がいる事に漸く気付いたからである。いつの間にいて、何処から聞いていたのかは知らない。だが、これ以上…この相談を続けていてはまたボロを出しかねない。そう判断した白銀は翼の相談を終わらせる事にした。
「まあ、俺の事はともかく。話を戻すぞ。いいか、とにかく告白しなくては始まらん。変に策略を練っても拗れるだけだ」
「そうですよ。悩んでも答えは出ませんから」
「分かりました。僕、頑張ってみます。今日は相談に乗ってくれてありがとうございました」
そう言って翼は生徒会室をあとにした。そして驚く事に彼は告白に成功し、柏木と付き合う事になった。これが事の真相である。
「ねえ…私、どうしたらいいと思う?」
「そうですねぇ。今は…距離を置いてみてはどうでしょう?人間関係は複雑ですから、もしかしたら付き合い始めた二人も意外と長続きせず、別れるかもしれないですよ」
「そっか。今はそれがいいかもね。私も渚と喧嘩したくないし、そうする」
「また何かあったら、いつでも相談してください」
「ありがとう。それと…私の事は眞妃でいいわ。じゃあ、私は帰る。また明日ね」
「はい。また明日…眞妃さんも気を付けて帰ってね」
眞妃の姿が去るのを確認して、鷺宮はへなへなと力無く床に座り込んだ。眞妃の失恋の原因が自分にあると知られたら…それを想像して目の前が暗くなる。その後、立ち直って帰宅するまでの1時間。鷺宮は教室で放心していた。
【本日の勝敗 知らぬ所で新たな火種を撒いた鷺宮の敗北】
「はぁ~今日も寒いですね~ 早く夏が来ないかな~」
「随分と気が早いな。まだ春も来てないというのに」
「いいえ。時間はあっという間に過ぎるんです!うかうかしてるとな~んも無いまま卒業ですよ~」
藤原の不意の発言は白銀とかぐやの心を深く抉った。そんな二人の心境を悟り、鷺宮は密かに同情するが…下手に口を出せば、藤原が場を掻き回す事になると黙る事にした。普段はのほほんとしている藤原は何故か恋愛事に関しては、異様な鋭さを見せる。
そうなったら、根掘り葉掘り聞こうとするだろうし、確実に地雷を踏み抜く事になるのは明白である。
「そうです!夏になったら生徒会の皆で旅行に行きませんか?きっと良い思い出になる筈ですよ~」
「それは名案ですね。親睦も兼ねて何処かに行きましょう」
「只、何処に行くかですよね。余り遠くは行けないですし」
「そうだなぁ。世間の目もある。無難な所、山でどうだ?山荘を借りて自然を堪能するのも良いぞ。綺麗な星空も拝めるから最高の思い出になると思う」
「山ですか…。でも、山荘って私達で借りれますか?他の点においても高校生の懐具合じゃ厳しいのでは?」
名案だとばかりに山を薦める白銀に対して、鷺宮は異論を唱えた。それは予算の問題である。白銀の提案は確かに魅力的だと、鷺宮も思っている。だが、旅行は何かと出費が嵩むのが現実だ。移動に寄る交通費、泊まる施設に掛かる宿泊費等。家族で行くのと違い、高校生同士では負担は大きくなる。
しかし白銀はこの展開を予想していた。山と聞いて誰もが思うのは、都会の片隅にある場所。目的地によって変わるが、準備に金が掛かるイメージを抱いている者が大半であろう。
「その心配はいらんぞ。最近では色んな層に合わせたサービスがある。食事込みなら多少は高くなるが、俺達で食材を持ち込んで用意するなら安く済む。調理に必要な器具も宿泊費を払えば使えるから、荷物が増える必要もない。費用も諸々合わせても大体、5万前後だろう。各自で出し合えば、何とかなる金額だ」
「成程。最近はそうなんですね」
白銀の説明に鷺宮は感心する。恐らく、この為に事前調査をしていたのだろう。旅行は計画性が無いと、バタバタするだけで楽しいよりも面倒な思いをする事になる。それを考えると白銀の提案に賛同しても良いかな?と鷺宮は思っていた。
「そうだろう。だから行くなら…」
「海ですね。海以外ありえないと思います」
だが、此処で別の意見がかぐやの口から飛び出した。夏の旅行という点において、その意見は自然の流れである。現に鷺宮も候補として海に行く事を考えていたから。問題なのは異なる意見を出したのが、白銀とかぐやだという点である。何かと対立する二人は今回も貼り合う姿勢を見せていた。
「海は良いですよ。生命の根源でもありますし、夕暮れ時の潮騒は最高の癒しです。それに山より近いから旅行に最適では無いでしょうか」
「いやいや。近場で済ませるなら旅行の意味が無いだろう。山の空気は新鮮で身心を整えるに持ってこいの場所だぞ」
海と山。どちらも夏の定番スポットに挙げられる。毎年、この二つを廻って意見が別れるのは最早お約束となっている。
反対意見を述べた白銀であるが別段、海が嫌いという訳ではない。白銀が海に反対する本当の理由、それは白銀が泳げないという致命的な弱点故である。もし、海に訪れて一人だけ浮き輪でいる姿を見られたら…
【あら、会長。その浮き輪…もしかして泳げないんですか?ふふ、お可愛い事】
(いかん。それだけは隠さないと…。断固として山だ。海に行く事は絶対避けないと)
白銀は何とか山に行く様に誘導するべく思考を巡らせる。その手段は海のデメリットを指摘する事。海のネガティブなイメージを与えれば、必然的に山へ行く方向に話を持っていけると踏んでいた。
「海は何かと混むだろう。それに潮風で体がべたつく」
「四宮家のプライベートビーチを使いましょう。それなら人混みの心配は無用です。すぐ傍に温水シャワーも完備していますよ」
「紫外線の問題もある。日焼けは皮膚に悪いし、何より乙女の天敵だろう」
「屋内にプールもあるのでそちらを使いましょう。それに最高級の日焼け止めクリームも用意するので皮膚のケアもバッチリですよ」
「海には危険な生き物もいるだろう。海月とか鮫とか‥被害が出たら洒落にならんぞ」
「沖に侵入防止用のネットが設置しているので、安全面でも問題ありません。それにフロリダから腕利きのハンター、万が一を考えて医者も常駐しているので大事に至る事はありません」
(くそう。この金持ち…。デメリットを挙げても悉く潰される)
無論、それはかぐやも同じである。予め白銀が言いそうな事は把握していた。その為、言った傍からカウンターを決めて、白銀の言葉を叩き伏せていく。面前で繰り広げられる戦いに鷺宮は知らぬ振りをしていた。山でも海でも鷺宮にとってはどうでもよかった。皆で楽しい思い出を作る。それが重要であると思っているから。
しかし予期せぬ事は唐突に起きる。それを鷺宮は失念していた。
「埒が明かないな。この際、他の意見を聞くとしよう。鷺宮、お前は山と海。どちらを選ぶ?」
「勿論、海ですよね。四宮家のプライベートビーチの海はとても綺麗ですよ」
「何を言う。山だって、緑豊かな自然が綺麗だぞ」
「それは理解していますよ。でも、海は主に夏にしか行かないではありませんか。それに…山は天気が崩れやすいし、山にも危険な生き物がいます。もし蜂に刺されたり、蛇に咬まれたらどうするんですか?治療が間に合わず、悲惨な事になる可能性もありますよ」
「ぐっ それは…そうだが。結論は鷺宮の意見を聞いてからにしよう」
「そうですね。まあ、私と会長で言い争っていても仕方ないですもの。鷺宮さん、貴女は海と山。どちらを選ぶんですか?」
「え?私の意見ですか。そ、そうですね…」
(はぁぁぁぁぁぁ。何で私に話を振るのよ。海か山かなんて別段、どちらでも良いじゃないの。うう、面倒くさい事になったわね。山を選べば、四宮さんの不興を買って何をされるか分からない。下手をしたら、この人の事だし…”あらあら。協力者でありながら私を裏切る不調法者。貴女には空気の薄い場所が相応しいですね。さようなら鷺宮さん どうぞお元気で”って事になるに違いない。かといって、海を選べば会長に歯向かう事になるし、それに会長にはファンクラブがあると聞いた事がある。もしこの事がファンクラブの人達の耳に入ったら…”貴女ね。会長に歯向かった無礼者というのは。ちょっと顔貸しなさいよ”という修羅場に巻き込まれかもしれない。何とか二人が納得する答えを出さないと…考えろ、知恵を絞れ鷺宮璃奈。きっと、何か抜け道はある筈…そうだ)
「それなら川なんてどうですか?会長が仰った緑の自然に触れる事も出来て、川によっては泳ぐ事も出来ますよ。それにほら…川の生き物だって生命力に溢れているから活力も貰えるし、流れる川の潺は心に安らぎを与えてくれますからね。他にもメリットはありますよ。テントを持参すれば、川辺で夜も過ごせるから宿泊費も浮きます。皆とテントで語り合う時間は何よりも貴重な思い出になる筈です」
白銀とかぐやに口を挟む暇を与えず、鷺宮は怒涛の勢いで意見を捲し立てた。普段、物静かな鷺宮が妙な迫力を醸し出す姿に白銀とかぐやも気圧されて、反論の言葉が出る事は無かった。それに鷺宮の意見は説得力もあり、断る理由も無いのも事実である。
「川か。そこは盲点だったな」
「そうですね。川も自然の一部ですし、ゆったり過ごすには最適なのかもしれませんね」
鷺宮の提案は両者が行きたい場所の良い面をしっかりと抑えている。これで話が纏り、解決かと思った時…
「川も確かに素晴らしいですよね~ だけど、私はどっちかといえば海がいいです~」
「あら、藤原さんも海派でしたか。そうなると多数決で旅行先は海で決まりですね」
今まで傍観していた藤原があろう事か嵐を巻き起こす。これを好機と見たかぐやはすかさず、海を粋して来た。おまけに多数決という民主的な手段を表に出し、白銀に反論の余地を許さないという徹底ぶりである。納得が行かなくても数で決まったのなら、反対しても勝ち目は無い。今の白銀に出来るのは、夏までに泳げる様になると決意する事だけである。
(藤原さん…貴女はいつもいつもいつもそうやって、場をかき乱すのは何でなの?以前も白銀くんが弁当を持って来た時だって…周りを気にせず、突っ走るだけ。あの時、私がどれだけ胃を痛めていたか知ってるの?いや、知る訳ないか。脳味噌の栄養が胸に行ってる様な人だし...そんな事を考える訳無いわよね。この人の友達はさぞ、大変でしょうね。苦労してるのが目に浮かぶわ)
空気を読まず、それどころか平気で火に油を注ぐ藤原に対して、鷺宮は心の中で本人が聞いたら号泣するレベルの毒を吐きまくっていた。
「あ、海といっても私はバミューダ海域に行きたいです~ 多くの船を沈没させた摩訶不思議な謎。それに海底に眠る財宝の数々。ロマンがあって楽しそうじゃないですか~」
しかし藤原が巻き起こす嵐はそれでは収まらず…藤原の暴走で白けた空気が生徒会室に漂っていた。これ以上、三人は何も言う気力もなく旅行の話は白紙となった。
【本日の勝敗 藤原の暴走により勝者なし】
「会長、この本は一体どうしたんですか?」
「ああ。先程、校長がやって来てな。生徒から教育上良くない本を没収したから、処分してくれだそうだ。全く、これくらいの事はそっちでやればいいのにな」
生徒会室にやってきた鷺宮は置かれた雑誌に気付き、白銀に尋ねると彼は愚痴を交えて事情を説明してくれた。珍しく不機嫌だなと思った鷺宮であるが、今日はやるべき事が多く面倒事を押し付けられた事が原因だろう。忙しい時に面倒事は受けたくないものだ。しかし相手が校長とあれば、それを突っ撥ねる訳にもいかない。
「…教育上、良くないって何が載ってるんでしょうね~ っっ!? ひゃあああああっ!!? み、乱れ・・この国は乱れています」
「何をそんなに慌てているんですか?」
「うーん。予想は付くけど、言いたくないです」
「分かりませんね。藤原さんが見たページは此処ですね」
慌てふためく藤原の様子をかぐやは不思議そうに見ていた。鷺宮は藤原が何を見たのか察したものの...口に出して言うには憚れる内容であるからだ。
しかしそれを知らないかぐやはあろう事か。口に出して朗読を始めた。
「何々?初体験はいつだったかアンケート。へえ、高校生は34%もあるんですか」
「地味に生々しい確率ですね。まあ…今の時代はおかしくないですよ」
「おかしいですよ~ 皆、そんな事をしてる筈ありません。会長もそう思いますよね!!」
「ああ。藤原書記の言う通りだ。大方、そういう本を見た人が答えるからその確率なんだろう。いわゆるサンプルセレクションバイアスって奴だな」
白銀はしたり顔でアンケートを否定する。雑誌に掲載されている確率ならこの場のメンバーも経験があるという可能性もあるのだ。思春期とはいえ、そんな生々しい話など聞くのは御免だ。増して白銀が好意を寄せるかぐやが経験済みである等、想像したくは無かった。
「…果たしてそうでしょうか?私は適切な割合と思いますよ。寧ろ少ない気もしますね」
「四宮さん‥本気で言ってます?流石にその冗談は笑えないですよ。それ以前に経験あるんですか?」
「ええ。大分前に‥私は経験してますよ」
かぐやの発言は三人に凄まじい衝撃を与えた。硬直する白銀と藤原を視界に捉えつつ、辛うじて耐えた鷺宮は言葉を絞り出す。どうか間違いであってくれと祈りながら口にした鷺宮だったが、かぐやからの返答はその願いを容赦なく砕いてみせた。
「高校生なら誰もが経験してるものでしょう。皆さん、随分と愛の無い環境にいたんですね」
「…今の時代、そんなものでしょうか」
「わ、私も彼氏とか作るべきですかね?でも、お父様は許してくれないでしょうし~」
何処か妙な雰囲気の三人を見て、かぐやは首を捻る。自分は普通の意見を述べたつもりだが、三人には焦りの感情がある事をかぐやは悟った。隣の芝生は青いと言うように。人は自分に無い物が他人にある場合、出遅れていると焦りを抱くものだ。
これらを踏まえてかぐやの中にある方程式が浮び上がる。それは白銀の焦燥感を煽り、告白に導く事である。そうと決まれば即実行。かぐやは白銀に狙いを定めて仕掛ける事にした。
「あら、会長はモテると聞いていましたが…彼女はいないのですか?」
まずはジャブと言わんばかりの煽り。これで白銀がどう出るか?かぐやは様子を見る。しかしかぐやのジャブは白銀には相当なダメージを与えていた。だが、弱みを見せる事無く白銀は平静を装い返事を返す。
「あー 特定の相手とそういう関係は無いなぁ。今は…」
『今は』
白銀の発言は昔はいたと思わせる非常に便利な言葉である。実際はいなくても嘘にはならない為、老人から子供まで多用されている。だが、白銀は異性に好かれていない訳では無い。バレンタインではそれなりの数、チョコを貰ったりしているが…類は友を呼ぶというべきか。変人に好かれる傾向が多い事もあり、交際に至らないのが実の所である。
それでも自分はモテる。恋愛経験が無いにも関わらず、根拠のない自信を白銀は抱いている。だが、白銀が童貞である事に変わりはない。
「へぇ。それでは会長も経験はあるんですね」
「ま、まあな…」
(不味い流れだ。経験があると咄嗟に嘘を吐いてしまったが、詳しく聞かれたら答えようが無い。もし…俺に経験が無いとバレたら】
[あらまあ、会長ともあろう者が見栄をお張りになって…そんなに無垢な遍歴がバレるのが恥ずかしいのですか?お可愛い事…】
(かなり惨め。バレたら誤魔化す事も不可能)
「ハハ…誰でも出来る事だしなぁ」
強がりからそう発言する白銀を鷺宮は冷たい眼を向ける。鷺宮も本気で言っているとは思っていないが、それでも最低な言葉である事には変わらない。別に恋愛経験の有無など、些細な事で見栄を張る意味が理解出来ないのが鷺宮の本心である。
(誰でも出来るとか…発情した猿でもあるまいし、高校生で体験する人なんて多くないわよ。はあ…突っ込みたいけど、そうするとこっちに飛び火しそうだしやめておこう。早く仕事終わらせて帰るのが得策ね。こんな話に付き合ってられないわ)
「そうですか。会長には妹がいるのですから…ガンガンやってると思ってましたよ」
「ハハハ。それなって…してる訳ねえだろぉぉぉぉっ!! 馬鹿じゃねえのぉぉぉぉ」
「家族なんですよ。別に不自然ではないでしょう。第一、鷺宮さんのお父様。仕事上、海外で活動してると聞いてますし、彼女だってお父様としてるのでしょ?」
「え?鷺宮はそうなのか…?」
「だとしたらドン引きですよ~」
「んな訳あるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 常識的に考えてもあり得ないでしょうがぁ」
思わぬ流れ弾を食らった鷺宮は堪らず怒鳴り声を上げた。普段の敬語を忘れる程、かぐやの言葉は鷺宮の精神を大きく乱したのである。
「お、おう。そう…だよな」
「ご、ごめんなさい。てか、鷺宮さんが怒るの…私は初めて見ましたよ」
「…いけませんね。人との接触を過度に恐れるなんて…これも現代社会の闇かしらね?」
「四宮さん、貴女がそれを言うの?普通は家族とそういう事はしないわよ」
「あら、私は生まれたばかりの甥としましたよ。ビデオに撮られながら…とても楽しかったわね」
したり顔で実体験を語るかぐやに全員が絶句する。由緒正しい貴族や一族が子孫繁栄の為に血縁同士でそういう行為に及ぶ話を聞いた事はある。しかし…それはあくまでも言い伝えや物語上での事だと思っていたが、実例が傍にいるとは知らなかった。いや、知りたくは無かった。
現代でもこんな歪んだ世界が存在するのか。世間に隠れた闇に鷺宮は得体の知れない気持ち悪さを感じると同時にある違和感に気付いた。
(ん?何だろう…何か引っかかる。いくら四宮家の教育方針が歪んでいても、流石に赤ん坊とそんな事をさせるとは思えない。いや、普通に無いわ。でも、四宮さんの様子からして嘘を言ってる感じじゃない。世間一般の初体験って他にあったかな?…あ、四宮さんのいう初体験はまさかアレの事なのかな?此処は確かめる方が早いわね)
「…四宮さん。一つ質問してもいい?初体験って、どんな事か知ってるの?」
「当然ですよ。勿論…キスの事でしょう?」
かぐやの言葉は鷺宮の予想通りだった。普通に考えれば、今の時代にそんな因習が存在する訳が無いのだ。それに家族と頻繁にする行為。この段階で気付くべきだった。海外では挨拶として行う”チークキス”の習慣がある。かぐやの鷺宮が父親としている発言はこれを指していたのだ。
「…四宮」
「待って、流石に会長が言うのは不味いわ。私が教えるよ」
「確かにそうだな。鷺宮に任せた」
間違えを正そうとする白銀を鷺宮は制して、鷺宮がその役を買って出た。男の白銀がやれば普通にセクハラ行為になる上、かぐやの心を傷付ける事になるから。白銀もそこは理解して鷺宮にバトンを渡した。
「いい?私達が言ってる初体験は…」
周りに聞こえない様、かぐやの耳元で詳細を語っていく。やがて真相を知ったかぐやは涙を浮かべ、迷子になった幼子の様に震えていた。どうやら四宮家では性に関する教育は一切していなかった。それはかぐやを守る体もあるだろうが、些か箱入り過ぎるというのが鷺宮の感想である。
「はぁ~心臓に悪かった」
「そ、そうですね~。私もかぐやさんと長い付き合いだけど、全く知らなかったです」
「普通はこういう話をしないからな。それにしても…敬語じゃない鷺宮は新鮮だったな」
「あ、言われてみればそうですね。何だか親しみやすい感じがします」
「…まあ、素はこれだから」
「いっそ、普通に話してもいいのではないか?俺達だって、そっちの方が気楽でいい」
「ですねぇ~ 私も会長に賛成です」
「分かった。じゃあ、今日から敬語をやめる。正直、こっちの方が私も楽だもの」
思わぬ要因から鷺宮は被っていた仮面を外す事になり、少しだけ気分が楽になったと鷺宮は感じていた。
【本日の勝敗 性知識が欠如していたかぐやの敗北ならび生徒会メンバーと距離を縮めた鷺宮の勝利】
今回のお話、いかがだったでしょうか?
個人的に書きたい話を書けて満足ですが、思いの他文字数が多くなってしまいました(笑)
またオリ主である鷺宮璃奈。彼女を動かす為、端折るエピソードや漫画と違い、順番が前後する事もありますがそこはご了承下さい。
それとオリ主の設定も近い内に活動報告で上げておきますので…そちらも良かったら目を通して見て下さい。
それでは次回もお楽しみに