今回は体育祭編のお話です。
一週間後に控えた体育祭。その準備に追われる中、鷺宮は廊下を疾走する藤原と出会った。
普段から慌ただしい彼女であるが、今回は様子が違っていた。その目に涙を滲ませて、明るい表情は悔しそうに歪んでいる。
「…藤原さん。何かあったの?」
この事に困惑しつつも、鷺宮は藤原に事情を訊ねた。何せ、藤原がこんな風に泣くとは只事では無い。暫しの間、無言を貫く藤原だったが、鷺宮の言葉を切っ掛けに彼女は更に涙を流して、鷺宮に抱きついてきた。
「ざぎのみやざぁ~ん。会長が酷いんでずよぉ~。私が一生懸命に教えてるのにぃ~」
「…藤原さん。とりあえず、深呼吸。それから話をしよう」
「は、はい、すーはーすーはー」
藤原は必死に説明するが、興奮してる所為か、話の内容が支離滅裂だった。そんな藤原に鷺宮は深呼吸をさせて落ち着せる事にした。藤原も素直に従い、深呼吸を繰り返して平静を取り戻す。
「改めて訊ねるけど、一体全体…何があったの?」
「よく聞いてくれました!! 実は体育祭のプログラムで会長がソーラン節を踊る事になったんですよ。ほら会長って、意外に弱点が多いじゃないですか。だから気になって試しに踊ってもらったら、案の定…最悪でした。それで特訓に付き合ってあげたのに…会長ってば、私に反発したんですよ!! 毎度、親身になって協力してるのにぃ」
事情を話す内にその出来事を思い出したのだろう。次第に感情が籠って、最後は叫ぶ様に言葉を吐き出していた。温厚な藤原すら、投げ出す程に白銀の踊りは酷いのだろうか? 純粋にそれが気になった鷺宮は藤原に問い掛ける。
「白銀くんのソーラン節かぁ。ちょっと、見てみたいかも…」
「…物好きですね。動画、撮ってるので見ますか?」
鷺宮の発言に呆れた表情を浮かべながらも、藤原はスマホを取り出すと録画した動画を再生する。
「……どれどれ! ぷっ、あははははははは。な、何これ!? 白銀くんの踊りって、かなり面白いわね」
「笑い事じゃないですよ。初めて見た時、私はかなり精神を削られたんですからね」
「ごめんね。だけど、この後はどうするの? 白銀くんの事、本当に無視するわけ?」
「そ、それは…良い訳ないじゃないですか」
先程と違って、今度は曇った顔で呟く藤原。冷静になれば、自分がやった行為に罪悪感を抱く。そんな彼女に鷺宮は優しく言葉をかける。
「じゃあ、やる事は一つね。白銀くんの所に行きましょ。私も一緒に行くからさ」
「ありがとう。鷺宮さんが一緒なら心強いですよ」
思い立ったら即行動。白銀に謝る決意を固めた藤原は腰を上げた。そして白銀を探して校内を廻るが、何処にも姿は見当たらない。諦めかけた時、幸運にも白銀を見たという生徒から場所を聞いて、二人は生徒会室に足を運んだ。
「…こんな感じか?」
「ええ。そうですね。その姿勢を保つ事を意識して下さい。ソーラン節は単調な踊りですからね。基本をしっかり押さえておけば、問題はありません」
意気揚々と生徒会室の戸を開けた藤原の目に映った光景。それはかぐやに指導を受けて、踊りを練習する白銀の姿。これが別に悪い訳ではない。癇癪を起して白銀の特訓を投げ出したのは自分だ。大方、一人で練習する彼の姿を見て、かぐやが協力を申し出たのだろう。
だが、藤原はこの状況を看過出来なかった。元より、白銀に踊りを教えていたのは自分なのだ。それを忘れた様に練習に励む白銀に藤原はふつふつと怒りが湧き上がる。
「おんやぁ~。会長ってば、かぐやさんに踊りを教えて貰ってるんですねぇ~」
「あ、ああ。そうだが、どうした藤原? 妙に顔が怖いぞ。もしかして怒ってるのか?」
「いえいえ。会長の気の所為ですよ。別に怒ってはいませんよ。只、感心してるんです。こうも早く、別の人と練習する会長の機転は素晴らしいとね。さて、折角の機会ですし、私も会長の練習を見学させてもらいますよ。ねえ、鷺宮さんも此処に座って一緒に見ましょうよ」
白銀に弁明をさせる暇を与えず、藤原は早口で言葉を捲し立てる。その勢いだけでなく、藤原の笑顔に妙な迫力が籠められていた。それは遠巻きに見ていた鷺宮も感じていたのだ。直接、その感情をむけられている白銀は更に強いプレッシャーを感じている事だろう。
「そ、そうか。まあ、特に面白くもないが、それでも構わないなら好きにするといい」
「ごめんね。なるべく、邪魔はしないからさ」
若干、強張った表情でそう言う白銀に小声で呟いた後、鷺宮は藤原の隣に腰を下ろす。
「話は終わりましたか? じゃあ、続きをやりましょう。先程、私が教えた事をやってみてください」
鷺宮が座るのを確認してから、藤原は抑揚のない声で白銀に練習を促した。そんな藤原に思う所はあるものの。かぐやは知らぬ振りをして、白銀の指導を再開した。
「お見事です。随分と形になってきましたよ。これなら本番でも問題は無いでしょう」
「…なってないなぁ。上手く踊れても、感情が籠って無いなら意味がないのに」
「何か言いました?」
「いいえ。単なる独り言ですよ。気になさらず、続けて下さい」
藤原の呟きにかぐやが訊ねるも、当の本人は何処吹く風で話を逸らした。そして再び練習に再開し、助言を与えるかぐやに藤原がまたもや口を開いた。
「へえ。単純な真似でいいんだ。伝統文化が軽んじられるとは…悲しい時代になりましたね」
「藤原さん。先程から五月蠅いですよ。邪魔するなら出て行ってくれますか?」
練習を妨げる藤原にかぐやも苛立ちを覚えて、きつい口調で言葉を返す。その言葉は思いの外、藤原の心に突き刺さり、気付けば藤原の目に涙が浮んでいた。
「そうじゃ…ないのぃ。私が…教えた方が会長の為になるのにぃ~」
「何やら、まだ五月蠅い人がいますが…気にせず続けましょう」
愚図り始めた藤原にかぐやは無視を続けた。それに我慢の限界が訪れた様で、勢いよく椅子から立ち上がると白銀の元に駆け寄っていくとその腕を引っ張り始めた。
「会長を育てるのは私です。かぐやさんにこの役目は渡しません!!」
「何を馬鹿な事を言ってるんですか!? この手を放しなさい!!」
「い、いだだだだだ。お、おい。二人共、手を放せェェェぇっ!! てか、鷺宮も二人を止めてくれよ」
藤原に負けじとかぐやも白銀の腕を引張って対抗する。当の本人は痛みに悶えて叫ぶが、聞く耳を持たず力を緩める所か。更に力を籠める一方だった。その姿は獲物を奪い合う肉食獣の様だった。この争いを止めるべく、白銀は鷺宮に助けを求めるが、彼女は聞こえない振りをしてスマホを弄っている。この面倒事に巻き込まれたくない。その意思が彼女から感じ取った白銀は愕然とした。
(畜生! 一体、何でこんな事になったんだ。四宮もそうだけど、藤原の奴も力が強くてマジで腕が千切れそうだよ。俺は物じゃないんだぞ。……待てよ。物、そういえば藤原は網の気持ちも理解しろと言っていたな。そうか。これは俺に網の気持ちを教える為にやっているんだな。思えば、四宮と鷺宮がこんな茶番に付き合う訳もない。恐らく、二人はそれを悟って協力してくれてるのだろうな。よし。ならば、俺もそれに答えねば)
無論、これは白銀の思い過ごしである。前者は自分から白銀を取ろうとする藤原に対抗しているだけで、後者は純粋に面倒に関わりたくない。どちらも己の事を優先しての行動である。しかし、そうとは気付かず白銀は二人の拘束を振り解くと、力強い踊りを披露して見せた。
「か、会長…。それですよぉ。魚と競り合う雄々しい漁師の動き。それに釣られまいとする魚の抵抗すらも感じられます。良かっだよぉ~。私の苦労が報われましたぁ」
「藤原さんの言ってる事はよく分からないけど、会長の踊りは素晴らしいですね」
見事な踊りを披露する白銀を称賛するかぐやと藤原。そんな三人を遠巻きに見つめていた鷺宮は、スッと立ち上がるとそそくさと部屋をあとにした。
「…私。結局、何の為に藤原さんについて行ったんだろう?」
廊下を歩きながら呟くが、鷺宮に返事を返す相手は誰もいない。何とも言えない虚しさを感じ、大きい溜息を吐いて帰路に就いた。
【本日の勝敗 藤原に振り回され、翻弄された鷺宮の敗北】
体育祭。それは年に一度だけ開催される行事の一つ。赤組と白組に別れた生徒達が様々な競技で競い、一丸となって優勝を狙うのが目的である。
「はぁ~。折角の体育祭だと言うのに、何で私だけ白組なのでしょう」
賑わう生徒の中でかぐやは溜息を吐き、詰まらなそうに小声で呟いた。チーム選別はクラスによって決まる為、殆どが気心知れた者達が多い。しかし、他の生徒会メンバーが同じ組であるのに対して、かぐやだけは白組と違う組で争う事になってしまった。
開始前に少しでも気分転換をしようと、かぐやは同じ白組の早坂の元へ訪れた。
「早坂。ちょっといいかし「ママの嘘吐き!!」は、早坂!?」
かぐやが早坂に声をかけた時、早坂は大声で叫び出した。突然の事に困惑するかぐやだが、彼女の手に握られている携帯を見て、事情を把握した。どうやら、早坂は母親の奈央と話している様だ。流石にかぐやも家族との会話中に割り込む程、無粋ではない。幸いにも早坂は気付いていない様だったので、かぐやは早坂との会話を諦めて、その場をあとにした。
『只今より、障害物競争が始まります。参加者は指定の位置について下さい』
スピーカーから流れるアナウンスを聞いて、鷺宮と藤原はそれぞれのレーンに移動する。藤原は隣に立つ鷺宮を見据えると笑みを浮かべて、口を開いた。
「ねえ、鷺宮さん。折角、同じ競技に出る事ですし、此処は勝負と行きませんか? 負けた方がご飯を奢ると言う事で…」
「ええ~。何でそんな勝負しないといけないのよ。第一、同じ赤組で争う意味が無いでしょ」
「おんやぁ~。鷺宮さん、もしかして私に負けるのが怖いんですか? 意外とヘタレなんですね」
「はいはい。私はヘタレですよ」
勝負に消極的な鷺宮を藤原は煽るが、そんな挑発に乗るほど鷺宮も単純ではない。だが、次に藤原から発せられた一言が鷺宮の闘志に火を付ける。
「もし…私に勝ったら、美味しい塩ラーメンを奢りますよ。この間、とても美味しい店を見つけましたからね。鷺宮さん、確か塩ラーメンが好きでしたよね?」
「…その勝負、受けて立つわ。やってやろうじゃない」
「おお~。その意気ですよ。そんじゃ、私が勝ったら…鷺宮さんに奢ってもらいますよ」
「上等よ。何だったら、大盛りでも好きなトッピングでも奢ってあげるわ」
自分の目論みが成功して、藤原は密かに笑みを浮かべた。無論、勝負の勝ち負け等はどうでも良く。藤原の狙いは鷺宮と二人で出かける切っ掛けを作る事にある。つい最近、藤原は自分だけが鷺宮と一緒に遊んだ事が無い。この事実に気が付いて、実の所…密かにヤキモキしていた。しかし、いざ誘おうとしても鷺宮の好みが分からず、悩んでいた時に白銀から塩ラーメンが好きであると教えてもらい。件の勝負に利用した訳である。
だからといえ、勝負事が好きな藤原。勝敗に拘っていないものの、勝負に手を抜くつもりはない。
『ヨーイドン!!』
スタートの合図と同時に鷺宮と藤原は駆け出すと、最初の障害物を突破していく。その後も障害物を超えていく二人であるが、元々の運動神経の差が出始めた。ゴール間近の障害物で鷺宮は藤原を引き離すと最後の障害物、飴探しの箱に顔を突っ込んで飴を探し始める。幸いな事に口元に転がる飴を発見した鷺宮は飴を口に含むとすぐに駆け出し、見事一位で藤原との勝負に勝利し、赤組に貢献した。
「はあはあ。勝負は私の勝ちね。今度…ラーメン奢って貰うわよ」
「分かってますよ~。それと鷺宮さんって、運動神経が良いんですね」
「そうかな? 別に普通だよ。まあ普段は本気で走る事は無いからなぁ」
「へぇ~。でしたら、また私と走りませんか? 最近、私はジョギングをやっているんですけど、鷺宮さんもやりましょうよ」
「良いわよ。久しぶりに全力で走ったけど、案外楽しかったからね」
「やったぁ~。じゃあ、今度から一緒に良い汗を掻きましょう」
息を切らし勝ちを宣言する鷺宮の姿に、藤原は苦笑して負けを認めた。そして藤原は鷺宮をジョギングに誘った。美容と健康維持に始めた日課であるが、一人で続けるのが辛くなった為に一緒にやる仲間を増やす算段であった。結果、見事に仲間を得た藤原は満面の笑みを浮かべて鷺宮に抱きついた。
そんな二人のやり取りを遠巻きに見ていた男子達。彼らは次の障害物競走に出る走者で、一同は鷺宮達が顔を付けた箱に狙いを定めていた。本人達は知らないが、鷺宮と藤原は意外と異性に人気があり、男子達の仲では付き合いたい人ランキングの上位を占めている。
その後、体育祭のプログラムも順調に進んでいき。午前の部、最後の学年別リレーが始まった。走者の中には白銀と石上が出場する事になったのだが、此処で起きた事に鷺宮は眉を顰める。その姿を見て、思う所があったのか。かぐやは彼女に歩み寄ると声をかけた。
「どうしたんですか? 顔が怖いですよ」
「別にどうもしないよ」
「…石上くんの事でしょう? 会長の時と違って、態度の差が酷い事が気に入らないといった所かしら」
「そうよ。彼が周りから嫌われているのは知っていたけど、こうも酷いとは思ってなかった。石上くんが心を閉ざすのも無理ないわね」
白銀の時は称賛して、石上の時は無視をする。同じ組で頑張っている人間に対する態度とは思えない。それが気に入らず、苛立ちの感情が顔に出ていた事をかぐやは指摘する。そんな鷺宮の気持ちはかぐやも理解は出来る。自身も周りの露骨な態度には苛立ちを覚えているからだ。
しかし、だからこそかぐやは心を鬼にして鷺宮に告げる。
「璃奈さん。貴女の気持ちは分かるけど、此処で下手に動いては駄目よ。石上くんは確かに周囲に対して心を閉ざしていたわ。けれど、今は以前と違って彼は自らの殻を破ろうとしている。それを妨げる行為は誰であっても許されない事よ」
「…ええ。肝に銘じておく」
かぐやの言う事は尤もであった。手を差し伸べる行為が必ずしも、誰かの助けになる訳ではない。その事を鷺宮は痛い程に理解している。何とも言えない気持ちを抱きながら、体育祭は午後の部を迎える。
【本日の出来事 藤原との対決、石上への風当たりを目撃】
人の心には悪意が潜んでいる。善人と呼ばれる者であっても、例外なく心に悪意が巣食っている。
「石上くん…随分と楽しそうだね。私にあんな事をした癖に」
「お、大友さん…。ど、どうして此処に」
「どうでもいいでしょ。第一、私に言う事は何か無いの?」
その悪意をぶつける存在を前に、石上の体に震えが奔る。
(そうだ。僕はあの事をいつの間にか、忘れていた。決して忘れてはいけないと分かっていたのに...)
石上の脳裏に過ったのは忌わしい過去。中学生の頃、周囲から浮いていた自分に声をかけてくれた人。それが大友京子だった。勿論、彼女に対して恋心を抱いた訳ではない。しかし、彼女の行動が自分の救いとなったのは事実だ。
そんな彼女に恋人が出来るのは必然だった。相手は同じくクラスで人気の男子。自分から見ても、お似合いと思える関係だと思っていた。それでも彼女が笑ってくれるなら、別に良かった。だけど…現実はいつも残酷だった。ある日、彼女の彼氏が誰かに電話している所を見てしまった。
只の偶然だったが、会話を聞かれたと焦ったのだろう。貼り付けた笑顔で彼は誤魔化していた。無論、それが嘘であるとすぐに分かった。他人が嘘を吐く時、決まって笑顔を浮かべて饒舌になる。彼もまた例外でない。寧ろ不自然な程、歪な笑顔に吐き気を覚える程だった。
それから数日後、僕は人気のない教室に彼を呼び出した。あの後、彼に関する事を調べた。彼と付き合う人間関係、彼の素行や周囲に隠している事を僕は彼に突き付けた。目的は一つ。自分に優しくしてくれた彼女に傷付いて欲しくない。その一心からの行動だった。
だが、今思うとやはり自分の行動はおかしかった。この一言に尽きるだろう。しかし、安っぽい正義感に燃えていた自分は後先考える事なく、突っ走ってしまった。
「へえ~。こんな事までよく調べたね。それで目的は何かな?」
「何もない。只、こういう事はもう止めろ。もし…断ったら分かってるよな?」
「…なぁ。取引しないか? お前、京子に気があるんだろ? だったら、今日の夜に俺の家に来いよ。そこでお前に良い思いをさせてやるよ」
「良い思い?」
突然、態度を軟化させた彼は提案を僕に持ちかけてきた。一体、何を言うのか検討が付かない事もあって、訊ねる僕に彼はその提案を耳打ちした瞬間。僕は我を忘れて彼を殴り飛ばしていた。何発殴ったのか。正確には覚えていない。だけど、赤く腫れた彼の顔を見る限り、かなり殴ったのは一目瞭然だった。
騒動の後、僕は学校を停学にされた。周りは僕を非難するだけで、いくら声を上げても話を聞いてはくれない。それは仕方ない事だ。殴られたのはクラスの人気者で、殴ったのはクラスの日陰者。周りの人間がどちらの言い分を信じるか等、分かっていたのに。僕はそれでも自分は悪くないと声を上げた。だけど、その叫びを遮る様に彼女が言葉を発した。
「あんたなんて最低よ。二度と私の名前を呼ばないで!!」
その瞬間、僕は世界が崩れていく感覚を味わった。この出来事は学校の教師を通じて、親に伝えられた。家に帰れば、怒りを露わにする父に殴られて罵倒された。母や兄は父を止めていたが、僕を見る目が冷めていたのを覚えている。家族ですら、僕の味方をしてはくれない。
完全に孤立した事を僕は理解した。
『只今より、団体対抗リレーを始めます。参加する方は指定の位置に着いてください』
(何だろう。誰かが僕を呼んでいる気がする。いや、気の所為だよな。僕なんかに声をかける人間がいる訳が無いんだ)
「…くん。石上くん。しゃんとしなさい。貴方がアンカーで走る事に決まったわ」
「え? 鷺宮先輩…? 僕がアンカー? どうして僕なんですか? 確か風野先輩が走る予定だった筈ですよ」
「その人が怪我をしたのよ。それで代打に君がアンカーになったわ。石上くんなら任せられると言ってたよ」
鷺宮の説明で事情を把握した石上だが、彼は暗い顔で項垂れる。確かに走るのは構わない。だけど、本当に自分でいいのだろうか? もっと相応しい人物が他にいる筈なのに…
「周りが気になる? だったら、あの時みたいに言ってやればいい。白銀くんが君に教えたあの言葉。今度は声に出してさ」
「…そうか。偶に本音を言うのもありですね。分かりました。アンカー任せてください」
「だとしたら、これを忘れるな。アンカーが鉢巻きしてないと格好が付かんだろう」
石上の決意を見届けた白銀は、彼の頭に鉢巻きを巻いた。思えば、昔もこうして白銀と鷺宮に救われた事があった。今回もどうやら、自分は二人に救われた様だ。
そう。全てを否定して殻に閉じ籠っていた僕を解放したのは、この二人だ。
『いきなり訪ねて申し訳ないな。俺は白銀御行。秀知院で生徒会長をしている」
『私は鷺宮璃奈と言います。同じく生徒会の役員ですよ」
『…一体、何の用ですか? 突然、部屋に入ってきて不躾な人達ですね』
突然の訪問者に僕は警戒心を露わにして、睨み付けた。親の伝手で自分が進級したのは知っている。大方、問題を起こした僕に対して、警告に来たのだと思っていた。
『そう邪険にするな。お前が知りたかった事を俺達は話に来たんだ』
『知りたかった事? 今更、無いですよ』
『本当か? お前がやった事が報われた。こう言っても聞く気は無いと?』
その言葉を聞いた時、僕は自然と立ち上がっていた。そんな僕を見て、その人は笑うと話を続けた。
『結論から入ると大友京子。お前が守りたかった彼女は件の男と数日後に破局している。どうやら、お前が無言で停学していた事が相手は怖かった様で、彼は転校して今は遠くに行ったみたいだな』
『それは…本当ですか? 彼女は大友は無事なんですね?』
『ええ。彼女も転校を余儀なくされましたけど、平穏な学校生活を送っていますよ』
二人の話に僕は心から安堵した。正直、どうでもいいと思う事もあったが…自分が仕出かした事で彼女に何かあったらどうしようと、いつも不安だったから。
『確かにお前のやり方はスマートだと言えない。だけど、お前が守りたかった者は無事だ。その段階で目的は達成している。今までよく頑張ったな。石上』
『大丈夫。貴方は一人じゃないですよ』
限界だった。二人の言葉で僕は堪える事が出来ず、声を上げて泣いた。
「この最低男。派手に転んでしまえ!!」
観客席から飛んできた京子の罵倒。それを聞いた鷺宮は激しい怒りを抱き、京子の元へ踏み出した瞬間。彼女の腕を掴んで止める者がいた。
「…放してくれる」
「いいえ。それは出来ないわ。さっきも言いましたよね? 貴女が出る幕は無いと…ご覧なさい。そうすれば私の言っている事が分かるわ」
自分を制止するかぐやを鷺宮は鋭い眼光で睨み付ける。普通の人なら、恐怖に負けて腕を放していただろう。しかし、相手は四宮家の令嬢。この程度で怖気付く事はなく、彼女も闇を連想させる瞳で鷺宮を見つめ返していた。そしてかぐやが指を差す方に視線をやって、鷺宮はかぐやの言葉を漸く理解する事になる。
「外野が五月蠅いんだよ。バーカ。黙って見てろ」
「な、何ですってぇ!?」
予想外の言葉に京子は怒って更に罵倒するが、石上は既に京子の事を見てはいない。今、彼が見ているのは自分が向かうゴールのみ。そしてバトンを受け取ると、全力で走り出した。先を走る走者の背を見据え、必死に食らい付いていくも抜き去る事が出来ず、結果は二位で負けてしまった。
(やっぱり駄目なのかよ。僕なんかが、全力を出しても敵う訳無いのに。チクショウ。チクショウォォォッ!!)
悔しさで項垂れていると、僕の背中に衝撃が走った。何だと思って振り返ると目に映ったのは泣きじゃくるつばめの姿。それだけでなく、僕を励ましてくれる応援団の面々。そんな彼らを見て、僕はやっと気付いた。僕の方こそ、周りを見ていなかったのだと。しっかり見れば、良い人達はこんな傍に大勢いたというのに…。
その後、始まった選抜リレー。僕は改めて仲間となった応援団の皆と一緒に応援をした。声が枯れる程の大声を張り上げて。
「…どう? 今までより良い顔してると思わない?」
「うん。確かに私が出る幕は無かったね」
「ええ。あそこで璃奈さんが出張っていたら、石上くんは永遠に自分の殻を破る事は無かった。だからこそ、私は璃奈さんを止めたのよ。正直な話、私だって腹を立てているんですよ。でも、自分がどうなっても守ろうとしたものがある。それを忘れては駄目ですよ」
「…返す言葉も無いよ。さっきは睨んでごめんね」
「別に気にしてないわ。だけど、そうね。今度、璃奈さんが藤原さんと行く食事。私も同行させてくれるなら、水に流してもいいですよ」
「分かった。じゃあ、あとで藤原さんに話しておくわね」
波乱が起きた体育祭はこうして幕を閉じた。
【本日の出来事。石上のトラウマ克服】
最後まで読んでくれてありがとうございます。
次回は日常編の話を書く予定です。