まちカド木属性   作:ミクマ

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逃げないよ

「清子さん、おはようございます」

 

 あの告白の後、葵達は夜遅くまで語り明かし、客人用の布団を引っ張り出し四人で就寝した。

 そして翌日。三人を喬木家に残した葵は一人で吉田家に入り、みかん箱の前に座っていた清子に挨拶をする。

 

「おはようございます。……葵君、心を決めたようですね」

 

 柔らかい笑顔で返された挨拶。だが、その後清子はすぐに引き締まった表情になった。

 清子から見つめられた葵は一瞬怯むも、軽く息を吐いて対面に座り再び口を開く。

 

「……清子さん。俺、優子を……皆を絶対に幸せにします」

 

 世間一般的には不条理な葵の選択。

 しかし葵はそれについての詫びの言葉は口に出さない。

 

「俺を選んでくれた事を、絶対に後悔させません」

 

 自らを、なにより彼女達を否定しない為に。

 その選択を誇りとし、一生涯撤回しない事をここに誓う。

 故に、葵は謝らない。

 

「だから、清子さん……ヨシュアさん」

 

「はい」

 

 葵が再び名前を呼ぶと、清子はやはり真っ直ぐに葵を見る。

 

「俺に、優子をください」

 

 葵は赤面しながらも、清子と、そして眼下のみかん箱に向けて、ある種傲慢とも取れるその台詞を言い切った。

 清子が目を閉じると、葵は自らの心音がやけに大きく聞こえてくる。

 

「葵君」

 

「……っ」

 

「手を……出してくれませんか?」

 

 名前を呼び返され、思わず息を漏らしてしまった葵は、続く清子からの申し出に目を丸くしながもおずおずとそれに従い、みかん箱の上に置かれた葵の両手を清子はそれぞれ握った。

 

「桜さんに紹介されて、初めて会った時……葵君は何もかもに疲れた様子でした」

 

 泣く気力すら無いような、そんな状態。

 千代田桜という精神的な柱に依存していた葵は、非常に脆い存在だった。

 

「だけど、葵君が病室のベッドに寝ていた優子を見て……表情が変わった瞬間。

 私はそれをよく覚えています」

 

「……優子に会わなかったら……俺は、どうなっていたか分かりません。

 今だって……優子が居たから変われた事が沢山あります」

 

 悪く言えば、依存の対象が変わっただけなのかもしれない。

 だが、葵はあの瞬間に初めて、誰の物でもない自分の意思によって、生きようという決意ができた。

 そんな純然たる事実を吐露した葵に、清子は微笑む。

 

「優子だって、葵君に影響を受けているんですよ」

 

「へ……?」

 

「入院していた頃の事を優子はあまり覚えていない様ですが……。

 偶にあの子が起きて面会が出来た日に、葵君が来ないと寂しがっていたんですよ? 

 それに、注射や点滴を怖がるあの子に『頑張ったら葵君に会える』って、そう言ったら……」

 

 清子はその先の言葉を言わなかった。

 目を伏せて考える葵に、清子は更に続ける。

 

「人に、何の影響も与えない人なんていません。

 私だって、葵君が居てくれて……本当に良かったと思っています。

 葵君がお父さんを慕ってくれていて、あの人の事を覚えている。

 それが私にとって、とても強い心の支えになっていたんです」

 

「清子さん……」

 

 葵が強くなろうと思ったのはシャミ子による影響が大きいが、もちろんそれだけではない。

 愛する夫との意思疎通が出来なくなり、清子が憔悴する様は幼き葵でも見て取れた。

 今の葵の人格形成には、清子の負担を減らし、ヨシュアの様になりたいという思いが関わっているのだ。

 

 そんな過去の決意を改めて葵が回想していると、未だ握っていた手を清子は離し、みかん箱越しに葵の首に腕を回した。

 

「本当に……よく、真っ直ぐ育ってくれました。お父さんも喜んでいるはずです。

 それに……葵君のご両親も、きっと……」

 

「……」

 

「優子のこと、よろしくお願いしますね。これからも、ずっと……」

 

 それを言うと清子は離れ、赦しの言葉を聞いた葵は目を手で覆って嗚咽を漏らす。

 溢れた滴がみかん箱の天面を濡らし、清子はそれを見守っていた。

 

「……さあ、葵君。あなたには、認めさせなくてはいけない人が沢山いるはずです。

 泣いている暇はありませんよ」

 

「はいっ!」

 

 しばらくの後、清子による導きが耳に入ると葵は涙を拭い、力強く返事をした。

 と、そこで屋根裏に続く天井の扉が開き、落ちてきた梯子を辿り良子が降りてくる。

 

「お兄」

 

「良ちゃん、心配かけたね。でももう大丈夫」

 

 葵を呼びながら近づいて座った良子に対して、葵は少し目を赤く腫らしながらも声をかける。

 

「ううん。お兄なら、きっと大丈夫だと思ってた。

 お兄には、支えてくれる人が沢山いるって知ってたから」

 

「……良ちゃんも、その一人だよ」

 

「ありがとう、お兄」

 

 葵が目の奥のソレを堪えながら言葉を返すと、良子はぱあっと笑顔を輝かせた。

 

「お兄はいつも頑張ってる。これからも、良の自慢のお兄でいてね」

 

「ありがとう。もっともっと、良ちゃんに頼ってもらえる様になるから」

 

「……葵君……よかったですね」

 

 葵の宣言を聞いた良子が葵の頭を撫でると、傍らの清子が少し驚きの混じった笑顔でそう言った。

 何が、とは清子は言わなかったが、その言葉に含まれる複数の意味を葵は感じ取れる。

 

「はい。皆のおかげです」

 

 三人は笑い合い、少しすると葵は天井を見る。

 

「小倉さん。桜さんのメモ、解読お願いね。

 それがあれば、俺はもっと強くなれるはずだから」

 

「……せんぱいの家の本、片したほうがいいかなぁ……」

 

 顔の見えないままで行われたそんな返事に、葵は思わず笑ってしまう。

 

「フフ、本棚は大丈夫だよ。小倉さんも、よければ俺の事頼って欲しいな」

 

「……せんぱい、私の事もどうにかするつもりなのかなぁ……」

 

 いつもとは少し異なった口調に聞こえる言葉を終えると、しおんは屋根裏への蓋を閉めてしまった。

 思わぬ意趣返しを葵が食らうと、その場の空気が凍る。

 

「……お兄、お姉を悲しませたらダメだよ」

 

「うふふ。葵君、頑張ってくださいね」

 

 ■

 

 どうにかこうにか言い訳をし、そして自宅に戻った葵は三人に出迎えられた。

 

「どうでしたか?」

 

「……清子さんを裏切らないためにも、頑張るよ。俺」

 

 葵は答えをぼかしたが、それだけで察したらしいシャミ子達は喜んでいる。

 

「……桜さんと、ミカンのご両親にも挨拶しないとね」

 

 続けてポツリと呟いた葵に、ミカンは少しいたずらっぽい笑顔で口を開く。

 

「ウチのパパ、どんな反応するかしら?」

 

「……何度でも、お話させてもらうよ」

 

「……ウガルルの事を話した時、結構いい感じだったのよ。

 まさかこうなるとは思ってなかったでしょうけど」

 

「……そっか」

 

 両親に対してミカンが話したことはもう一つあるのだが、ここでは言わない。

 それはささやかな独占欲から来るものではあるが、ミカンの思いは露知らず、やや不安げに葵は息をついた。

 

「葵の事信じてるから。きっと大丈夫」

 

「桃……ありがとう」

 

「桜さんに挨拶するためにも、私はもっと強くなります。

 だから……これからも助けてくださいね、葵」

 

「もちろん、喜んで」

 

 桃による後押しと、胸を張るシャミ子による宣言。

 それを聞いた葵が改めて気を引き締めていると、唐突にインターホンが鳴り響く。

 

「ごきげんよう、葵さん」

 

「……随分と早いんだね」

 

「葵さんならすぐに解決すると思ってましたわ」

 

 玄関ドアを開けた先に居たのは、紙袋をぶら下げた妃乃。

 昨日確かに訪れるとは聞いていたが、流石にこの早さは葵の想像の外だった。

 妃乃からの謎の信頼に葵は内心首を傾げるも、とりあえずは中に通すことにする。

 居間に待たせていたシャミ子は妃乃の姿を見ると、見覚えはあるが名前を思い出せないと言う感じであり、妃乃は改めて自己紹介をした。

 

「それで、話っていうのは何なのかな」

 

「そこそこ長い話になりますわ。まずは……」

 

 シャミ子達とお互いに自己紹介を終えた妃乃に葵が問うと、妃乃は考える素振りをする。

 

「わたくし、葵さんの事をあの船で会う前から存じておりましたわ」

 

「……葵、何したの?」

 

「……ごめん。本当に覚えがない」

 

 桃に詰め寄られ、ミカンにはジト目で見られ、シャミ子はガーンといった表情。

 三者三様の反応に、葵は身を縮こまらせながらもそう返した。

 

「葵さん、愉快なことになってますわねぇ……」

 

 妃乃はそう言いながらニヤニヤしていたが、すぐに一息つく。

 

「ご安心くださいな。初対面は間違いなくあの船ですわ」

 

「……どういう事かな」

 

 疑問符を浮かべる葵。

 そんな姿を見た妃乃は、懐のカバンからある物を取り出してテーブルに置いた。

 

「コレは……!」

 

 それは、一組の成人済みの男女──葵の知るものより若いが、彼の両親が映る写真だった。

 目を見開く葵に、妃乃は一つの問いを返す。

 

「葵さん。ご両親の昔の事……どのくらい知っておいでですか?」

 

「……全然。昔の俺にそういう事聞く頭なんて無かったし、昔の写真とかも見つからない」

 

 遺産の多さや、手がかりの見つからない過去。

 そう言った情報から、葵は両親のことを駆け落ちと推測していた。

 

「……葵さんのお父様を、わたくしのお父様は知っているそうですわ」

 

「……!」

 

 声にならない声を上げる葵に、妃乃は説明を続ける。

 両者は古い友人であり、深い関わりが有ったらしい。

 酒の席の冗談混じりであるが、同じ歳に生まれた葵と妃乃を婚約させる……なんて話もしていたようだ。

 だが、喬木家は葵の物心がつく前に、住んでいた場所を離れざるを得なくなった。

 

「……お父様にとっては、苦い思い出だそうです。あまり、話したくは無さそうでした」

 

「……まあ、今はそこはいいよ」

 

 喬木家は消息を立ち、妃乃の父はそれを追うことが許されなかったようだ。

 

「ですので、わたくしもお父様も葵さん自身の事は名前と……それこそ、ハイハイも出来ない位の頃の写真程度でしか知りませんでしたわ」

 

「……」

 

「あの船で、葵さんのお名前を聞いた時は偶然と思っていましたが……家に帰ってお父様にお話ししたら、調べてくださいましたわ」

 

 葵の名前と、出身校。

 十と幾年経ったからこそ、妃乃の父はそれを頼りに足跡を追う決心をしたらしい。

 

「そして、葵さんのご両親にたどり着いた時……お父様は落ち込んでいました」

 

「……妃乃のお父さんは、俺の両親の死因を知ってるのかな」

 

 冷や汗をかきながらの葵の問いに、それを知るシャミ子達も肝を冷やしている。

 

「原因の全く分からない突然死……という記録を見つけたと、そう言っていましたわ」

 

「……そう」

 

「葵さん……心当たり、等は……」

 

 おずおずとした妃乃の問いに、葵は考える。

 親の遺体を運んでいく葬儀屋が『死んでいる事以外は健康そのもの』等と、小声で呟いていた事が偶然葵の耳に入り、それが嫌に記憶に残っていた。

 

「……ごめんね」

 

「……そうですか」

 

 その謝罪は何に対してのものなのか、葵にもわからない。

 暗くなった空気を打破しようと、妃乃は手を軽く打ち鳴らす。

 

「葵さん。お父様は、何か困ったことがあれば何時でも頼って欲しいと言っていました」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まる葵。

 妃乃の父が、真の死因を知ればどういう態度になるのかと考え、僅かに震える。

 しかし、そんな葵の膝の上に乗っていた手をシャミ子は抑え、それを見た妃乃は微笑む。

 

「心配は無さそうですわね」

 

「……心の準備が出来たら、その内会いに行ってみてもいいかな」

 

「もちろん。お父様も喜ぶはずですわ」

 

 妃乃はそう言うと、彼女の家の住所が書かれたメモを渡す。

 その後、妃乃は持参した紙袋の中から、葵の両親に関わる物をいくつか取り出して解説を始める。

 

「そろそろ……あ、そうですわ」

 

 そうして時間が経過し、帰るために立ち上がろうとしていたとしていた妃乃だったが、そこでまた座る。

 

「葵さん。お父様方による、わたくしたちの婚約のことですが……」

 

「……うん? そんなの……無効でしょ。無効」

 

「ええ。わたくしもそう思っております」

 

 妃乃からの妙な言葉に、シャミ子達は不安気な表情になり、葵は周囲を見わたして少し考えた後に返答をする。

 それを聞いた妃乃は口に片手を当て、おほほとわざとらしく笑う。

 

「……ですが、それとわたくしが葵さんをお慕いしている事は別の話ですわよ」

 

「……は?」

 

「あの島で、会って間もないわたくしのワガママに丁重に付き合って下さる優しさ。心に突き刺さりましたわ!

 今はまだ、葵さんの好意が足りていないようですが……必ず、振り向かせて見せます!」

 

 呆気に取られる葵たちに対して妃乃は一方的に言い切ると、玄関に向かい走っていった。

 

「……なんで……」

 

 そう言って頭を抱える葵は、周囲からの視線に気がついていない。

 玄関ドアの閉まる音が鳴り響くと、次にシャミ子達は目を見合わせ、そして。

 

「んえっ!?」

 

 そんな間抜けな声を出しながら、葵は床に縫い付けられる。

 

「どう……したの」

 

 葵は目を丸くし、思わずそう問いを口に出すも、答えには何となくではあるが辿り着いていた。

 

「……絶対に、私の事を忘れさせないわ」

 

 誓いを伴った、力強い布告。

 

「……離さない」

 

 震えた声で絞り出された、ある種の強がり。

 

「好きです」

 

 葵でも聞いたことのない声色での、自らの感情を再度確認する為の言葉。

 

「……もう俺は皆から絶対に逃げないよ」

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