まちカド木属性   作:ミクマ

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if A-2 千代田葵 再編・後編

『へえ〜、桜ちゃんに弟くんなんていたんだ! 初めて知ったよ!』

 

 ソレとの出会い。

 逃げ隠れるにしても、不意を打つにしても。

 後から考えれば、そもそも姿を表すべきでは無かったのだろう。

 異物である葵が力を振るうには、手段を知られないことこそが一番の武器なのだから。

 もっとも、それが出来る頭があるのならば、正体を知られようとももう少しまともに動けたのかも知れないが。

 

『ん〜……あの子、魔族じゃないみたいだし、()()()()()()()()()()()()()()()()()() ウリエル』

 

『いっ……イエスマム! イエスマムゥッ!』

 

『なら桃ちゃんと一緒に探してもらったほうが良さそうかなぁ。仲良いみたいだしね〜』

 

 偶然以外の何者でもない、言葉の孕むすれ違いによって葵は辛うじて、首の皮一枚分の命を繋ぐ。

 

『かわいそう、かわいそう。

 タダのニンゲンなのにそんな力を持ってるなんて……ほんとにかわいそう。

 かわいそうだから……ポイントにならなくても、ぼくがしあわせにしてあげる』

 

『葵……っ! 逃げて!』

 

 しかし結局は首の皮一枚。

 後処理を間違えれば、ちょっとした衝撃で無残にちぎれる程度のものに過ぎない。

 

『あ……あぁ……! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ! ボクの……僕の……! 姉さんの……()()()の……っ!』

 

『ごめんね、そんなに大切なものだったんだね。

 すぐに無かった事にしてあげるから……安心してね』

 

 命との代償として喪失してしまった、己と大恩人を固く()()()()、なおかつ彼女が存在していたことを証明する数少ない物品。 

 それを認識した葵は激昂するも、しかしだからと言って状況を覆すような行為など出来る事は無く。

 

『……あはっ。すごぉい! 

 そんなことが出来るなら、魔族じゃなくても絶対にポイントにはなるよ! 

 ぼくにウソ付くなんて……ウリエルとはまたおはなししなくちゃねえ!』

 

『もうやめて……!』

 

 敵に喜ばれ、味方を苦しめる。

 時間稼ぎの末に葵が出来た事とは、最愛の人が最も嫌う()()を切る決心を付けさせることだった。

 

『……ああ、そっか。ウリエルはウソを付いてるわけじゃなかったんだね。

 コレなら確かに……殺すより、生かした方がぼくにとっては得だ。

 星の力を無尽蔵に取り出せるのなら、間違いなく計画は短縮できる……!』

 

『なに、を……』

 

『だけどまだ足らない。その程度の傷も治せないようでは。

 ……ぼくが、きみの力を十二分に振るえる道を用意してあげるよ。

 ぼくの隣で、理想の世界を見せてあげよう。

 だからそれまで……誰にも狩られちゃだめだよ』

 

 

 

「桃……」

 

 千代田邸。立ちすくみ、名を呼ぶ葵。

 その視線の先には、ソファーに横になり眠る桃が居る。

 

 極めて大きな疵を負い、肉体的にも精神的にも疲労して気を失った桃を、葵はここまで運んできた。

 ある程度の魔力の譲渡を行うと、桃の容態は安定し始めており、完治のために葵がそれ以上に出来る事といえば、食事を作ったり、より心地よく眠ってもらうためにベッドを整えそこに運ぶ事などだろう。

 だが、葵がとった行動はそのどちらでもなく──。

 

「……しね。しねっ。しねぇ……っ!」

 

 表札に貼り付けてあった、()()()()()()()()()が並べ立てられた紙を引き剥がし、両手でグチャグチャに潰し、床に叩きつけ、何度も拳を振り下ろす。

 そんな事をしても、何かが変わる訳でもないというのに。

 

「なんで……なんでこんな事に……。誰か……助けてよ……姉さん……!」

 

 このような無為な行為はしないであろう、高潔な“姉”と“妹”との対比を見せつけられているようで、心に虚しさが広がり、動きを止めて嗚咽を漏らす葵。

 今にも崩れそうな身体を、ふらつきながらも床に置くことでどうにか自重を支えている手に、別の存在の小さな(前足)が載せられる。

 

「……メタ子」

 

「……」

 

 返答はない。

 苦節有ってメタ子との合流そのものは叶いはしたのだが、まともにものを言えぬ状態へと陥ってしまっていた。

 

「……アイツは……また来るの?」

 

「時は来る」

 

「僕達で……この町を守れるの?」

 

「……時は来る」

 

「その時までに……僕は強くなれるの?」

 

「……時は、来る」

 

「『時は来る』じゃ分かんないよぉ……」

 

 絞り出した言葉は、完全な八つ当たりでしかない。

 それを葵自身も分かっているからこそ、また虚しさを覚える。

 

「……ごめん、メタ子」

 

「……」

 

「──っ!! 葵っ!」

 

「桃っ!?」

 

 あたかも悲鳴であるかのように葵の名を呼び、桃が飛び起きた。

 それに反応した葵が呼び返すと桃は顔を向け、安堵の表情を溢す。

 

「……葵。良かった……」

 

「桃……調子は、どうかな」

 

「大丈夫。……葵が、魔力を渡してくれたの?」

 

「……うん」

 

「ありがとう。もう大丈夫だから」

 

 葵が頷くと桃は礼を言うが、逆に言えばそれしか出来なかったという事に過ぎない。

 瀕死の重傷に類する段階から復帰させるという事を行ったのは、他でもないあの外敵なのだから。

 足りなくなった()()を求めるように、自らの脇腹を押さえる桃を見て葵は唇を噛む。

 

「……葵」

 

 名を呼ばれた葵が顔を上げると、桃はすぐ近くに座っていた。

 そのまま桃は、呆然とする葵の手を取り両手で挟み込む形になる。

 

「僕は……何も出来なかった」

 

「今回のことは私が甘かった。話し合えるなんて思うべきじゃなかった。

 葵より()()の私が、それを考えておくべきだったんだよ」

 

「……桃にばかり負担をかけるなんて、そんなのはイヤだ。

 それに……っ! 僕よりも()()のなっちゃんだって、もう僕よりずっと強くなってる! 

 僕はずっと弱いままなんだ……!」

 

「葵が送ってるあのお守り、ミカンはすごく嬉しそうにしてたでしょ。

 葵は、そういう事も伸ばしていけるんだよ」

 

「……それで、僕は力になれてるの? あんなのを相手にして……それだけで……」

 

 葵の脳裏に浮かぶ理想は、もとより遠く感じていたものだった。

 それが、今回の一件によって更に遠ざかるどころか、幻に思えるほどに不確かなものへと変貌してしまっている。

 

「……お姉ちゃんは、葵は強くなるまで目立っちゃダメだって言ってた。

 葵には強くなれる素質があるんだよ」

 

「ぁ……」

 

 桃による反論を聞き、葵は声を漏らす。

 それは葵が正式に桜の弟子となった日に交わした会話の一部であった。

 ()()()、『目立ってはいけない』と言う所だけを歯抜けに記憶しており、数時間ほど前に最悪のタイミングで明確に思い出したソレを、葵は今この瞬間想起する。

 

「だから……葵がそうなれるまで私が絶対に守るから」

 

「桃は……ずっと僕のことを守ってくれてる。それなのに……」

 

「今は、出来ることをしてくれればいい。

 強くなれたら、今度は私のことを守ってほしい」

 

「……うん」

 

 控え目ながらも、葵は頷く。

 と、そこで。

 事前にセットしていた、お風呂のお湯が湧いたという旨のアナウンスが操作用のパネルから鳴る。

 それを聞いた桃は、葵からゆっくりと手を離して立ち上がった。

 

「……お風呂入ってくるから……葵のごはん、食べたいな。お願い」

 

 名残惜しそうにする葵に背を向けて桃はそう呟くと、リビングの入り口へと向かう。

 

「桃。……いつもありがとう」

 

「……うん。これから毎日、葵のご飯食べられるの、楽しみにしてるから」

 

「……任せて」

 

 葵が呼び止め、会話を交わすと、今度こそ桃はリビングを出ていった。

 そんな言葉をかける事しか、今は出来ないということを己に突きつけているようで、またも葵は表情を曇らせる。

 

 とはいえ、それを続けているわけにも行かず、食事の準備に取り掛かり始める葵。

 桃だけではなく自分自身も病み上がりであることから、シンプルなお粥を作っている最中に、コポコポと気泡の割れる音を聞いていると、火をかけているにも関わらず思考が飛ぶ。

 

ぼくが、きみの力を十二分に振るえる道を用意してあげるよ

 

 悪魔の囁き、というモノなのだろう。

 その言葉が鼓膜を、脳を。

 痛い位に身体の中を乱反射して、己の記憶を犯してゆく。

 

「──ッ……」

 

 そうしている内に、熱された鍋の金属部分に触れてしまった葵は思わず悲鳴を漏らす。

 

「……僕は、何を馬鹿な……」

 

 “町を狙う敵がいる”と言う所だけを覚えておき、あのような言葉など忘れてしまった方が良いのかも知れない。

 しかし、己の無力さがそれを許さない。

 

(……約束……果たせてないよね……)

 

 思い返すのは桜からの言葉。

 葵はそれの意味する所をある程度は察してはいる。しかし。

 

「桃は、ああ言ってくれてたけど……」

 

 後方で支援をするにしても、ミカンへと送っているお守りが根本的な解決になってはいないように、半端なもの。

 ましてや、桃に並び立とうと前線に出たりしてしまえば、足手まといにしかならないことは明白だ。

 今回の一件も“格上相手に足止めが出来た”といえば聞こえは良いが、実際は物珍しさから遊ばれていたに過ぎない。

 

「何が、……だ。結局……」

 

「……んなぁ〜お」

 

 指を水に晒して冷やしながら言葉を漏らす葵の足元で、メタ子が鳴く。

 

「ああ、メタ子。この缶でいいん……だよね」

 

「時は来た」

 

「……うん」

 

 やはりそれしか言葉は返ってこない。

 桜とともに暮らしていた頃の、メタ子による餌に対する品評を思い出して葵は懐かしむ。

 

「……桃、お風呂長いな」

 

 IHヒーターを止めた葵は、お粥が出来る程度の時間が経ったながらも出てくる様子のない桃を心配する。

 千代田邸に配備されている諸々の設備はいずれも最上位グレードの機種であり、機能の中の一つである操作パネルによる浴室間との通話機能を使おうと、そう考えた所でリビングの入り口が開く。

 

「今出来たところだよ」

 

 そう言って桃を出迎えた葵。

 だが桃はそれに言葉で答えず、葵に抱きついて来た。

 その行為が予想外だった葵は桃を受け止めつつも、尻餅を付いてしまう。

 

「桃……?」

 

「……」

 

 返事はなく、桃は葵の胸に顔を埋めており、表情は見えない。

 先程葵に対して励ましの言葉をかけた姿の面影はなく、一転してあまりにも弱々しい桃の姿を見て葵はどうするべきか迷い、少しすると桃の背中を擦る。

 ……かつて、己がそうされたように。

 

「……大丈夫だよ」

 

「……うん」

 

 何の理解もないありきたりな言葉しかかけられず、更には桃の小声での返事に大きく心を揺さぶられ、そして何も考えられなくなって行く。

 そのまま時間が過ぎて行き、どの位経ったか葵が判断できなくなってきた頃に桃が顔を上げる。

 

「……ごはん、お願い」

 

 会話はなく、メタ子の鳴き声が響く中で食事を終え、続けて自分自身の入浴を済ませた葵の手を桃は引く。

 

「一緒に寝よう」

 

 

 

『お風呂でウトウトして……怖い夢を見た』

 

『夢……?』

 

『──に……葵が付いて行く夢』

 

『……!』

 

『……本当はいつも、怖い。

 園を離れて戦いに行くときも……失敗すれば葵に会えなくなるかもしれないって。

 でも、ミカンとかブドーみたいな他の子がいたからその時は、まだ……』

 

『……僕も、桃に会えなくなるのは嫌だよ。

 僕は絶対にいなくならないから、2人で一緒に姉さんを探そう』

 

『……お姉ちゃん、どこに行っちゃったんだろう。

 メタ子が言ってた大まぞくと、相打ちになっちゃったのかな』

 

『……』

 

『……そんなわけ、ないよね。

 明日から……葵の姉弟子としてまた頑張るから。だから、今日は……』 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 その機能に多少特殊な点はあれど、命との引き換えならば安いもの。

 消えない疵を負った桃の事を思えば、この程度で嘆く訳にはいかない。

 

 ……そう考えることができれば、どれだけ楽だったのだろうか。

 ましてや、それを一番嘆いているのは他でもない桃なのだから。

 

 

 

 あの日以降、桃は腕を隠して行動するようになった。

 桃は何でもないように振る舞っているが、葵が以前選んだ服を眺めてため息をついている場面を密かに目撃し、葵はその心に影を落としていた。

 だからといって、葵が何かを出来ることはなく無情にも年月は過ぎてゆく。

 

「もしもずっと……お姉ちゃんが見つからなかったら、葵はどうする?」

 

「え……?」

 

 この日、買い出しに出ていた2人は買い物を終えた後、桃の提案で高台公園に向かった。

 因縁の地と化しながらも、しかし切り捨てられるわけも無い良い思い出の場所でもあるそこで特に何もする事もなく町を眺めていたが、そんな折桃にそう問われ葵は困惑する。

 

「……姉さんが見つからなくても、()は姉さんの居たこの町を守りたい」

 

「あの日はああ言ったけど……葵は魔法少女じゃないから、戦わなくても……この町を守らなくてもいいんだよ」

 

「俺は……桃の隣でずっと戦いたいって、そう思ってるよ。

 それに、本当の事を言えば……桃より前に出て、桃を守りたいんだ。だけど……」

 

 言葉を切った葵は、望みを果たせるだけの実力には未だ達していない。

 

「……私が、『まだダメ』って言ったら……葵はずっと戦わないでいてくれる?」

 

 段々と、語気を弱めていきながら桃はそう漏らす。

 それの意図するところを察する事が出来、葵は痛いほどに拳を強く握りしめ、同時に歯を噛み軋ませる。

 

「……。桃は……俺に戦って欲しくないの……?」

 

「……アイツは、この町やまぞくだけじゃなくて葵も狙ってる。

 何をするつもりなのかは分からないけど、ろくでもない事なのは分かる。

 いつか、またアイツが来たら……」

 

 葵の問いにそう答えた桃は我が身を抱きしめて震え、強く乱れていた息をゆっくりと整えると、葵の方を向く。

 その視線の先、今現在葵の髪を纏めている()()()紐。

 何の特殊な機能もない、単純に見た目が酷似しているだけの紐が有った。

 

「……それにもう、あの紐は無い。

 葵に()()があっても、それを止める“保険”が無いんだよ。

 そんな状態で、激しい戦いなんかをしたら……取り返しのつかないことになるかも知れない」

 

「ぐ……」

 

 桃に返す言葉が思いつかずに、葵はうめき声を漏らす。

 

「それでも、俺は強くなりたいんだ……」

 

「……ごめん。荷物持つから、先に帰るね」

 

 理屈も何もない、ただただ夢想するだけの言葉を発し、葵は背後にあるサクラの大樹に背を預ける。

 それを見ると桃は苦い顔で呟き、荷物を葵から受け取り公園を去っていった。

 

「クソ……ッ」

 

 暫くの後、葵は八つ当たりの様に握りしめた拳を大樹に付こうとして……思いとどまる。

 精神とともに己の力の制御が乱れ、このまま力任せに叩きつければ少なからず被害が出る。

 それを察したからだ。

 

 先程の桃の言葉に反論する余地など無かったと、そう呆然としながらも、葵自身一人で考えたかった事も出来たが故に町を歩く。

 

(……目標と約束と……夢。何一つ……果たせていない)

 

 考えると言っても何一つ答えが纏まる事は無く、葵はいつの間にか自分が昔住んでいた家があった土地にたどり着いていた。

 桜が手を回して残し、その後正式に葵の意思で売りに出された家も年月が経つ内、それの維持が難しくなったとして既に取り壊されていた。

 更地となっても未だ土地を買うものはおらず、狭い原っぱと化したそこで葵は佇む。

 

「あの……どうかされましたか?」

 

「……!」

 

 葵に声をかけたのは、割烹着を着用した年若い女性。

 思わず背筋を伸ばしながらも葵は平常を取り繕う。

 

「……少し考え事をしていただけです」

 

「なら良いのですが……少し疲れているように見えたもので……」

 

「わざわざすみません。ご迷惑をおかけしました。それでは」

 

「……あの、少々お話に付き合っていただけませんか?」

 

 心配そうな女性に対して、頭を下げ立ち去ろうとした葵はそう呼び止められた。

 

「はい……?」

 

「お急ぎなら引き止めてしまって申し訳ありませんが……」

 

「……いえ。大丈夫です」

 

 葵は急いでいる訳では無く、そしてそれ以上に女性からの話を聞いたほうがいいと、そんな予感がしていた。

 そうして足を止めた葵の顔を見ると、女性は少し驚いたような表情になる。

 

「やっぱり貴方……スーパーでたまに見る方ですね」

 

「へ……?」

 

 女性の言葉に葵は記憶を探るも、心当たりはない。

 疑問符を浮かべる葵を見て女性は微笑む。

 曰く、幼い葵が一人で買い物をしている様子を見かけ、それが記憶に残っていたらしい。

 

「私が一方的に見かけていただけですので、お気になさらないで下さい」

 

「そうなんですか……」

 

「私、貴方と同じ位の歳の子供がいて、だから印象に残っていたんです」

 

 その言葉に葵は目を丸くした。

 目の前の女性の見た目はそうは見えず、しかしそれでいて身に纏うその雰囲気はとても母親らしい物に葵は感じている。

 

「……貴方の様な方が母親ならば、その人はとても真っ直ぐな方なんでしょうね」

 

「……! ……ありがとうございます」

 

 口をついた言葉。

 葵にとっては本心からの言葉だったのだが、それに女性は礼を言いつつも憂いの表情だった。

 

「その子と、もう一人下の子も居るのですが……正直な所、あまり良い環境を与えられているとは言えないのです。たまに……不安になります」

 

「……」

 

 弱々しい言葉に葵が何も返せずにいると、女性はハッとして顔を上げる。

 

「ごめんなさい。変な事聞かせてしまいましたね」

 

「……いえ」

 

「……お優しい方ですね」

 

「……?」

 

 何も言えなかったにも関わらず、何故そう言われるのかと葵は困惑する。

 

「言葉が無くても、貴方のお気遣いは伝わりました。

 貴方のような方が近くにいるご家族は、とても……幸せだと思いますよ」

 

「……!」

 

「貴方がスーパーで食材を選んでいる時の表情……ご家族の事を深く考えている様に見えて、それも印象に残っています。大切な方なのでしょう?」

 

「……はい。とても……大切な人です」

 

 女性からの言葉はかなり深い所まで踏み込まれている物だが、葵は何故か全く不快には感じず、それどころかとても嬉しく思えた。

 

「……少し、足止めしすぎてしまいましたね」

 

「いえ。お話、楽しかったです。でも、そろそろ……家に帰ります」

 

「はい。またお会い出来ると良いですね」

 

 

 

 あの女性の言葉は不思議と心に刺さった。

 元より、裏方としての行動に関して手を抜くこと等はありえないが、今まで以上に気合が入り、そして前に出るための手段も考えられるようになった。

 

 ……もっとも、それが実を結ぶかどうかは別の話であるが。 

 

 

 

「……い。あおいっ!」

 

「っ……ミカン……ごめん」

 

 とある日、ミカンの家を訪れていた葵は会話の途中に思考が飛んでしまい、ミカンに名を呼ばれ正気を取り戻す。

 葵は謝罪の言葉を口にするも、ミカンはまだ心配そうな表情だった。

 

「大丈夫……?」

 

「……うん」

 

「……ねえ、アイちゃん」

 

「……!」

 

 見つめられ、口をまごつかせていた葵は数年間使われていなかった名で呼ばれ、息を詰まらせた。

 そしてミカンは葵の首に腕を回し言葉を続ける。

 

「アイちゃん。ずっと私に隠してる事……あるのよね……?」

 

 桃の提言で葵は桜の失踪を隠しており、ミカンから飛んで来るであろう質問の返答を桃と共に造っている。

 罪悪感はあるが、それを貫き通す事を決めたのは葵自身だ。

 

「……俺は……」

 

「大丈夫、言わなくていいの。それだけ大切な事なんでしょう?」

 

 俯く葵からミカンは離れ、再び葵を見つめる。

 

「アイちゃんが桜さんと桃の事をとても大切にして、よく考えてる事は分かるの。だけど……」

 

「なっちゃん……?」

 

 潤む目線で見つめられ、今までに聞いた事の無いような声色を耳にし困惑する葵を、ミカンは魔法少女特有の力で押し倒した。

 

「今は、私だけを見て」

 

「何を……んぅっ!?」

 

 困惑しつつも半ば答えが頭に浮かんでいる葵の口をミカンは塞ぎ、そのまま時間が過ぎていく。

 そして離れたお互いの顔は真っ赤に染まっていた。

 

「……葵、好きよ」

 

「ミ……カン」

 

 呆然とする葵にのしかかり、ミカンは更に言葉を続ける。

 

「あの倉庫に葵が来てくれた日……あなたが言った桃のお兄ちゃんって言葉に、納得いってたの」

 

「……?」

 

「私を落ち着かせる為に抱き締めてくれた時の感触、私はずっと覚えてる」

 

「……あれは……子供の時だったから……」

 

 葵はどうにか言葉を並び立ててミカンを止めようとするも、それが通じる訳もない。

 

「桃と葵はずっと私の憧れ。この服は桃の魔法少女服の真似で、こっちは葵の真似」

 

 そう言って、ミカンは自らの髪を纏めている紐を解く。

 ミカンはとある時期から服装の嗜好と、そして髪型を変えていた。

 どういう意図を以てそのような行為をしているのかを、葵はある程度察してはいる。

 しかしそれは素直に喜べるものではない。

 ミカンは、あっという間に葵の憧れる高みへと登って行ってしまっていたのだから。

 

「俺には……ミカンに憧れてもらう価値なんて無いんだよ」

 

 葵自身桃に憧れているのだから、ミカンの気持ちは分かる。

 問題なのは、それに並び立とうとして、実際に結果を出すことが出来ているミカンに比べた葵の現状。

 

「どうして?桃も、葵もとってもかっこいいのに」

 

「……そんな事、無いよ」

 

 真っ直ぐなミカンの視線に射抜かれ、葵は言葉を詰まらせた。

 辛うじて、ひなつきの倉庫を訪れた日に限れば()()()()()見えたのかもしれない。

 しかしその後は、結局。

 

「何もかも……偽物なんだよ」

 

 偽装させた現況、偽装させた紐。

 葵は、ニセモノの真似をミカンにさせている。

 

「……葵。私を、見て」

 

 思わず逸らされた葵の顔に、ミカンは手を添えて向き直させると再びそう請う。

 

「私は葵の事が好き。この気持ちを偽物扱いするのは、葵でも許さない」

 

「ッ……」

 

「……他の事は、嘘を付いても隠しててもいい。

 だけど……これだけは本当のことを聞かせて。

 葵は……私の事、好き?」

 

「……好き、だよ」

 

 その感情を表出させる権利が己にあるのか。

 惑いながらも、葵はそれを口にする。

 

「時間が経つ度に葵の事しか考えられなくなるの。

 葵がここに会いに来てくれて、私の事を覚えていてくれるのが分かると凄く嬉しい。

 もしも葵がまた私の事を忘れたらって、そう思うと……私は……」

 

 言葉が進む毎に語気が弱くなっていくミカンを見ても、葵は何も出来ない。

 

「……仕方ないわね、私が引っ張ってあげる。昔からアイちゃんは臆病なんだから……」

 

 軽く怯えたような表情になってしまった葵にミカンは微笑む。

 

「もう二度と……私の事を忘れさせない」

 

 

 

 隠し事をされていることに、傷ついているのは見て取れる。

 そんな彼女に、何もかもを許し受け入れるような態度を取らせてしまっているのだ。

 絡み取られるような甘い毒に逆らうこともなく。

 

 

 

「桃……? その服は……」

 

 ソファに座りながら呆然とする葵。

 その目線の先に居る、リビングの入り口に立つ桃の格好はごく一般的な袖の短い服だった。

 

「葵……似合ってるかな」

 

「……うん」

 

 軽く俯きながら問う桃。

 実際、身長が高めであるからこそシンプルな服が合う。

 葵はそう思ってはいるのだが、しかし葵は別のものに気を取られている。 

 

「葵に選んで貰った服……いつもは上着とかであまり目立たないから……」

 

 言葉に詰まっている葵は、苦い顔をしながら桃の身体のとある場所を見る。

 ()()に刻みつけられた痛々しい古傷。

 それは物理的な物だけではなく、心にも重い疵を残していた。

 

「私、葵が苦しそうにしてたの……分かってた」

 

「俺なんかより、桃の方がずっと苦しいでしょ」

 

 言葉を絞り出し、唇を噛んで顔を反らす葵。

 そこに桃は近づき、葵の前に立って手を取る。

 

「ミカンと何かあったんでしょ?」

 

「……」

 

「私だって……嫉妬ぐらいするんだよ」

 

 それに葵が何も言葉を返せずにいると、再び桃が口を開く。

 

「葵、初めて会った時の事覚えてる?」

 

「……忘れる訳ない」

 

 あらゆる気力という気力が絶え、それでも桜に連れられて千代田邸を訪れた葵。

 ふと湧いた疑問をきっかけとしてここに住み、桜と、そして桃との交流を深める内に葵は新たなる希望を得た。

 

「……私はあの時、少しだけ葵に嫉妬してた」

 

 桃にとっては姉を取られたような状況に感じたかもしれない。

 葵自身、それを薄々感じ取ってはいたが、それでも。

 

「桃が、姉さんの事が大好きなのはすぐに分かったよ。

 だから、姉さんにここに住んでみないかって、そう聞かれたときには迷った。

 けど……桃みたいな子が目の前にいて、とっても綺麗なそれに手が届くかもしれないって……俺は憧れたんだ」

 

「……」

 

 葵の言葉に桃は少し照れた様子だったが、表情はあまり芳しくない。

 

()()()の、次の日から……葵は自分のことを『俺』って言うようになったよね。……どうして?」

 

「それは……」

 

 あの日、“守られる側の存在”であることを強く自覚した葵は、それ以降桃に負担をかけないように立ち振る舞う事を心がけている。

 実際にそれが実を結んでいるかどうかは分からなかったが、行動の中の一つが一人称を変える事だった。

 

「……桃に、出来るだけ……()()()の事を思い出させないようにしたかった。

 ()()()も……自分のことを『ぼく』って言ってたから」

 

「それだけ……?」

 

「それだけ、って……」

 

「私がそんな事で、葵と()()を混同する訳ないでしょ? 

 ……葵が、今のままがいいなら構わないけど……」

 

「……分かった。今日からはまた……『ボク』に戻そうかな」

 

「……やっぱり、葵にはそっちのほうが似合ってる」

 

「そっか。ボクは……気を張り過ぎてたのかな」

 

 そう言って、葵が苦笑いをしながら息を吐く中、桃はもう一度おずおずとしながら口を開く。

 

「……ずっと、聞きたかった事があったんだ」

 

「何、かな」

 

「私があそこに預けられる事になった時に、どうしてついてきてくれたの……? 

 知らない町に行くより、元の家に戻った方が葵にとっては楽だった筈なのに」

 

 桃の問い、葵が町を出ることを選択した理由。

 実際の所、それに葵自身は桃ほどに強固に反対していた訳ではなかった。

 無論桜と離れる事になるのは寂しくはあったが、『桃と一緒ならば』と受け入れていた部分はある。

 そんな感情を持った理由として桜との約束があり、葵にとって重要なもう一つのソレ。

 

「夢が……あったんだよ」

 

「夢?」

 

「僕はね、桃のお兄ちゃんになりたかったんだ」

 

「へ……?」

 

 葵の言葉は桃にとって予想外だったらしく、呆けた声を出す。

 

「桃に頼ってもらえて、桃が胸を張って紹介出来るような立派なお兄ちゃんになりたかった。

 だからこの町じゃなくて、桃の一番近くで強くなりたかったんだよ」

 

「葵……」

 

「桃、僕は桃のお兄ちゃんになれてるかな。

 僕は弱くて、臆病で、泣き虫だから……ずっと不安だったんだ」

 

 葵から揺らぐ視線で見つめられた桃は震え、葵に向かって倒れ込み抱きつく。

 

「そんなの……! ずっと前から……葵が居なかったら私は……っ!」

 

「よかった……」

 

「……ねぇ、葵。昔みたいな服……また選んで欲しい」

 

 顔を上げて行われた桃の要求。

 それに目を丸くする葵の手を桃は再び取り、()()に添わせた。

 桃が薄着でありなおかつ、葵の触覚が常人より尖っているが故に、手のひらにはそれの感触が生々しく伝わり苦い顔をする。

 

「ッ……」

 

「これからは葵の前でだけ昔みたいな服を着て、葵にだけ見せる」

 

「も、も……?」

 

「……桃ちゃんって呼んで」

 

「……桃……ちゃん……」

 

 見つめられ、気迫に圧された葵。

 困惑しながらも、久しく使っていなかったその呼称を葵が使うと桃は顔を綻ばせる。

 

「……お兄ちゃん」

 

「……!」

 

 葵が幾度と無く憧れた呼称。

 それを聞き驚愕する葵の姿を見た桃は、身をぞくりと僅かに震わせた。

 

「私の……私だけのお兄ちゃん。この立場だけは……誰にも……」 

 

 

 

 このような状況に陥らせた元凶が誰であるのか、それは言うまでもない。

 桃を支えるどころか、弱くしてしまっているのではないのだろうかと、そんな考えが頭によぎる。

 あの人を姉と慕い、ましてや助けを求める資格など、そんな物が自分に有るのだろうか。

 

 

 

「メタ子……()()()。……このままで良いのかな……」

 

「……時は来た」

 

「……メタ子?」

 

 とある日曜の昼。

 餌を食べていたメタ子が唐突に預言を発し葵は硬直する。

 あの日以降意図の解らない預言はよく有ることだったが、今のモノについては何処か違う様に思えた。

 葵がそんな考えを頭に巡らせていると、玄関から音が聞こえリビングに近づく。

 

「お帰り、桃」

 

「あお……い……」

 

 平常を装って出迎えた葵だったが、対してレジ袋を腕に掛けた桃は明らかに焦った様子で葵の名を呼ぶ。

 

「……どうしたの?」

 

 “臆病”な葵が望むものは停滞か、それとも進捗か。

 どちらにせよ、運命は葵の意志とは無関係に進む。

 

「さっき……まぞくに会った」

 

 

 

「それで……あなたは?」

 

「はじめまして吉田さん。桃から色々と話は聞いてるよ」

 

 ある一部だけはより強く、しかしそれ以外では変わらず弱く不安定。

 そんな彼の辿る日常はどう変貌するのか。

 

「ボクは千代田葵。桃のお兄ちゃんだよ」




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