まちカド木属性 作:ミクマ
10年前の年末、喬木家。
幼い子供が起きているには相応しくない時間帯、葵は寝ていなかった。
眠れなかったのだ。
「……ヨシュアさん」
月明かりにのみ部屋が照らされ、弱々しく両手をついて座る葵の目の前にはみかん箱が置かれている。
部屋を明るくしないのは、自身が罪悪感に苛まれており、暗い場所ならそれから逃れられるのではないか……と、なんとも説明の出来ない葵の考えによるもの。
「どう……すれば……」
何時間も、葵は項垂れたまま同じ言葉を何度も呟いていた。
考えが纏まらず、そのうち葵は肉体的にも精神的にも疲れ、倒れるようにみかん箱の上に覆い被さりようやく眠る。
そうして翌日、葵は悶々とした考えの中病院に向かった。
「葵君。来てくださるのは嬉しいですけど、冬休みの宿題は大丈夫ですか?」
優子の病室へ向かう中、お腹を抱えている清子にそう問われ、表情を読まれないよう一歩下がった所を歩いている葵はどうにか口を開く。
「……もう終わっちゃったので、大丈夫です」
「そうなんですか? 葵君、凄いですね」
「来年から……優子ちゃんに教えられるようになりたくて」
「……優子の事、よろしくお願いしますね」
葵の言葉を聞いた清子は立ち止まると一瞬憂いの表情を見せ、そして笑いかけた。
「はい。……ヨシュアさんにも、『ボクがいない間、あの子の事を頼むよ』って、そう言われました」
その言葉を清子に対して伝えた理由は、葵自身にもわからない。
贖罪のつもりか、逃避なのか。
渦巻く感情を隠すために葵はどうにかして笑顔を取り繕った。
そんな話をして二人は優子の病室に入り、清子は彼女の頭を撫でる。
葵はそれをやはり引いた位置で眺めつつ、口をまごつかせていた。
「ん……」
「優子、起きたのですね」
起きた優子が白ネコと会話をしたという旨の報告をした事で清子は慌て、優子が再び眠った後に医師やナースと共に白ネコを探すということになり、葵はそれを邪魔するまいと病院を出る。
「……」
そんな状況に、葵はホッとしてしまった。
大晦日。この日も葵は夜遅くまで起きている。
ここ数日間、葵は食事の時以外ずっとみかん箱の前で放心し、眠る時はやはりみかん箱に覆いかぶさっていた。
傍から見れば孤独な状況、しかし葵の目の前にはヨシュアが居る。
「……ヨシュアさん……僕は……優子ちゃんを……」
みかん箱の天面を濡らしながらゆっくりと言葉を紡ぎ、そしていつしか気絶するように葵は眠った。
■
「葵、おとーさんの肩車ってどんな感じでしたか?」
「うん?」
「私、ずっと入院してたので……葵の事が少し羨ましいです」
葵の家に飾られている写真を眺めていたシャミ子は少し恥ずかしそうに問い、それを聞いた葵自身も軽く照れつつ考える。
「……そうだね。俺、人の頭触るのが苦手……だった、から……さ。
首に手を回せるおんぶは何度かしてもらってたんだけど、肩車はその写真の時が最初で……その少し後に封印されちゃったんだ」
「……はい」
「それで、その肩車をしてもらった時に……ヨシュアさんが角なら大丈夫なんじゃないかって、そう言ったんだ」
葵のそんな言葉にシャミ子は一瞬呆け、そしてもう一度写真を見る。
そこに写っている葵は確かに、頭と言うよりは角に手を添えていると言ったほうがいいだろう。
シャミ子の軽く困惑した様子に葵はクスッと笑い、話を続ける。
「実際、ヨシュアさんの角はあんまり抵抗無く触れたんだよね。
ヨシュアさんがそれを提案した時の口調は冗談混じり、って感じだったんだけど……提案そのものは大真面目だったんだと思うな」
「……おとーさんの角って、どんな感じだったんですか?」
懐かしげな葵に、シャミ子は微笑みつつも考えている様子であり、おずおずとそんな事を問う。
「……写真で分かる通りヨシュアさんは小柄なんだけど、それでも……何て言うのかな、がっしりしてて……“お父さん”って感じがしたよ」
「“お父さん”……」
「この人に頼っても良いんだって、そう安心できるんだ。
肩車だけじゃなくておんぶの時もそうだったんだけど、しっぽで俺の背中抑えてくれてもいたんだよ。
あの感触は今でも覚えてる」
葵はそう言い、ヨシュアのしっぽの先端が隠れている写真を二人は三度眺める。
「……ところで、葵はごせんぞの角の事はどう思ってるんですか?」
「……え?」
「立派な角が好きならごせんぞのもそうなのかなって……」
「……いや。あのクワガタみたいな角はちょっと……」
「ク……クワガっ……」
桃が練り上げ、形を作ったあの等身大よりしろを見た時の率直な感想を葵は伝えたのだが、シャミ子は軽くショックを受けているようにも見える。
「で……でも! 夢の中だとごせんぞの角もおとーさんみたいですよ!」
「ほんとかなぁ……」
「ほんとーですよ!」
訝しげな葵にシャミ子は詰め寄り、憤慨しているように叫ぶ。
少しの間両者のそんな視線は続いていたものの、ふとした瞬間にまじまじとお互いを見つめ合う状態になる。
「……あの。私の角、触って……みますか……?」
その言葉に葵は目を丸くして硬直する。
そして、シャミ子がその頭を寄せるとおずおずと手を伸ばす。
「……」
最初に指先が触れ、そこから指の腹。更に手のひらへと滑らせていく行為を五本の指それぞれで行う。
手の甲の側で同じ事を繰り返したり、指の股で角を挟む。
二本の指で輪っかを作り、そこに角の先端を通す。
爪で角のデコボコを擦ったりと、葵は思いつく限りにそれを堪能する。
「……優子の角ってこんな感じだったっけ」
「へ……?」
「優子がまぞくになったばかりの頃は……こう、もっと尖ってた気がしたんだけど」
「そうでしたっけ……?」
そんな会話をしている間も葵は角に触れており、最後の言葉と共にシャミ子は考えている様子だったのだが、ハッとなり口を軽く尖らせつつ言葉を発する。
「……葵、なんだか手つきがやらしいです」
「やら……っ!?」
「息も乱れてますし……」
シャミ子からの予想外の言葉に葵は再び硬直し、どうにか反論を練ろうと思考していた。
「ゆ……優子が桃のお腹を触る時もこんな感じだと思うよ……」
「あれは……あのおなかが悪いんですよ! あのおへそが私を狂わせるんです!」
(……まあ分からなくもないけど……)
「……それに、あれは桃も私の手の感触がありますけど、私の角自体には触覚無いんですよ」
言葉には出さないが、葵はシャミ子に同意してしまう。
そんな思考を頭に巡らせていると、シャミ子は未だ角にかかっていた葵の手を取りそう言った。
「……?」
「良に先を越されちゃったのは少し羨ましいですけど……でも、葵の怖かった事を克服させる事が出来たのは……凄いです」
「優子……」
「角だけじゃなくて……頭も撫でてほしいです」
シャミ子は葵の手を引いて自らの頭に乗せると、手を離して葵の胸に顔を埋める。
当然ではあるが、葵がシャミ子の頭部に手を触れること自体はこれが初めてという訳ではなく、主にシャミ子の髪を結う時に触れてはいる。
その時のみならず、己の場合を含めて葵はその時に思考を“分ける”事を心がけており、『自分が触れているのは頭ではなく髪だ』と、そう意識に刻み込むことで平静を保っていた。
「ん……」
沈黙が落ちる中、しばらくした後にようやく葵が手を動かし始めると、シャミ子が声を漏らす。
良子やウガルルに対してその行為をしていた事で、葵自身はそれなりに慣れていたつもりであったのだが、葵の手つきはぎこちなかった。
「良の……言ってたとおりです」
身体を大きく動かさずに発されたシャミ子の言葉に、葵は少しギクリとしながらも手は止めない。
何度か頭の上を滑らせた後、頭髪をゆっくりと梳き始める。
「葵に初めて梳いて貰った時、凄く手が震えてましたよね」
「……色々、あったからね」
シャミ子に指摘された初めての時、葵が震えていた理由は様々なものが絡んでいる。
トラウマや、桜や清子に同様の事をしてもらった事の回想。
何より、髪を梳くという行為をシャミ子に対して行えるという状況そのものに対して葵は複雑な感情が渦巻き、歓喜していた。
そんな事を思い返しつつ、次に葵は角の付け根辺りに手をやる。
そこは葵にとって、ヨシュアと初めて会った頃から地味に気になっていた場所だったりする。
「……やっぱり“角”なんだね」
「そう触られると、結構頭蓋骨に来ます」
「っ……ごめん」
「葵だから許してあげます。でもつのハンドルはだめですよ」
「……ここって、どうやって洗ってるのかな」
ずっと同じ体勢を続けていた事で葵のテンションが妙な方向へ向かい、無意識にそんなことを口走ってしまった。
次の瞬間にはハッとなって葵は頬を染めつつ手で口を塞ぎ、シャミ子は顔を上げて葵を見つめる。
「……」
「優子……?」
「……今度、見せてあげます」
「〜〜っ!?」
「……えいっ」
顔を近づけての耳打ち。
それを聞いた葵は先程にも増して真っ赤になって硬直しており、そして今度はシャミ子が葵の背に手を回して抱き寄せる。
「ずっと考えていたんです。私がいつ、葵の事を“好き”になったのか。
私が桃の生き血を取ってしまった日に……葵が泣いていたのを見て、そこで葵が今までと違うように見えたんです」
只でさえ脳内がパンク寸前な中、更なる追い打ちをかけられ葵は何も返せない。
「それで、私がたまさくらちゃんの着ぐるみに入ってた日。
着ぐるみに抱きついてきた葵がまた泣いていて……何か怖い事があったのに、ずっと私の事を助けてくれていたんだって、そう思いました」
「……」
「まだ……何か秘密があるんですよね?」
その言葉に葵は震えるが、シャミ子は更に強く抱きしめる。
「本当に言いたくないのなら……いいんです」
「……いつか、言わなきゃダメだとは思ってる」
「いつまでも待ってます。だからそれまでは……これで少しでも楽になって欲しいです。
それで、話してくれる時に葵が苦しそうになっても、私……達が必ず支えますから。
だから安心してください」
「……ありがとう」
「私……葵にこう出来るようになって、本当に嬉しいんですよ。
今まで何度か、おかーさんが同じ様にしてる所を見て……私がそう出来ないのが少し悔しかったんです」
シャミ子に背を擦られ、葵は何度か深呼吸をした後に震えつつもゆっくりと口を開く。
「優子は……ヨシュアさんにも清子さんにもそっくりで……本当に、強くなったよ……」
「皆のおかげです。葵はずっと私の事を守ってくれてました」
「俺は……優子の事を守れていたのかな」
半年程度の短い期間で様々な出来事が有り、葵自身もある程度は変われたと、そう思えるようにはなったのだが、しかしそれでも心を激しく揺さぶられると弱音を吐いてしまう。
それを聞いたシャミ子は葵に回した腕を解き、まっすぐに向かい合った。
「桃に会ってから、葵が持ってる力の事を話してくれる様になりましたけど……。
それを隠してた間でも、他の色んな事で葵が頑張っているのをずっと見てました」
「……うん」
「葵は一つ年上ですから、先に小学校に入ってて……そのお話してくれるのが私は楽しみで、私も元気になって行けるようになりたいって思ってました」
「そう、なんだ……」
葵としては正直な所、勉強を詰め込んでいた事ばかりが記憶に残っており、シャミ子に対してあまり面白い話は出来ていなかった様に感じている。
「私、一つ心残りがあるんです」
「……?」
「一度だけでも、葵と一緒に歩いて小学校に登校してみたかったんです。
私はずっと院内学級で……登校できても途中からだったので……」
「優子……」
「私がまぞくになって、元気になれたから葵と一緒に町を歩けるようになって……一緒に料理を作って……葵と一緒に過ごせて、毎日楽しいです」
感慨深そうなシャミ子。
それはもちろん葵自身にとってもそうだ。
「私、葵としたい事……まだまだ沢山あります」
「……優子のしたい事も、して欲しい事も……何でも、何度でも……付き合うよ」
「約束、ですからね」
シャミ子は己の長いしっぽを葵の胴に巻き付け、先端を背に当てる。
そんな行為に葵は思わず背筋を伸ばした。
「葵も……私にもっともっと、押し付けて下さい」