まちカド木属性   作:ミクマ

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if B その先を聞かせて

「やっと……やっと捕まえた」

 

 地べたに座り項垂れる葵。

 その首元には漆黒の刃が添えられている。

 

「フ……フフフ……流石だよ……。

 考えに考えて、完璧だと思ってた計画をここまで……ここまで、崩されるなんてね……」

 

 自嘲気味に笑いながら葵はそう言い、少女は刀を持ちながら複雑な表情で再び口を開く。

 

「メタ子が……久しぶりに喋った。

 それで……──を、……ぅくっ……狩れっ……て……」

 

「だろうね。俺は世界の敵になったんだから。それだけの事をした」

 

「ここに来るまで、凄く……大変だった」

 

「……皆と戦いたくないって、そう思って……絶対にここまで来れないようにしたつもり、だったんだけどね。

 まさかこんな簡単に──」

 

「簡単なんかじゃなかったっ!」

 

 お互いに、何度も詰まらせながら声を絞り出すやり取りをしていた中、葵の言葉を遮って少女は叫ぶ。

 

「あなたが急に居なくなって、ようやく足取りを掴めたと思ったら……まさか、こんな事をしているなんて……信じたくなかった。

 だけど……どんどん証拠が出てきて、信じ得ざるを得なくなって……っ」

 

 嗚咽を漏らしながらの言葉が途切れると、少女は刀を葵の首元から外し、それを杖代わりにして膝を付く。

 

「どうして……こんな事をしたの……?」

 

「これが、みんなが幸せになれる唯一の手段だって思ったから」

 

「……皆……私は……っ! あなたがそばに居てくれるだけで幸せなのに……なんで……」

 

「……」

 

「……ううん、もういいの。……ねえ、一緒に帰ろう? 

 メタ子は出来る限りあなたを庇うって、そう言ってた。

 あなたの事は私が守るから、だから……っ」

 

 刀を取り落とし、カランと金属音がなる。

 しかしそれを気にする様子もなく少女は葵に縋り付いた。

 

「久しぶりに……葵のごはん、食べたいよ……」

 

「……もう、終わったんだよ」

 

「……! ……うん。もう……諦めて、一緒に……」

 

 顔を上げ、一筋の光を見出したかのように微笑みながら語りかけるも、葵は張り詰めた表情のまま息を付く。

 

「諦める? ……違うよ。ここでの俺の目的は、既に果たしているから。だから終わり」

 

「え……?」

 

 少女は困惑した声を漏らすも、葵の言葉の意味を理解することはなく、気を失い葵に向かって倒れ込んだ。

 

「許してほしいなんて、そんな事を言う資格は俺には無い。

 ……だけど、せめて……俺の事を忘れて、健やかに生きて欲しい」

 

 葵は少女を左腕で抱き締めると右手を後頭部に添え、そして──。

 

「……さよなら」

 

 これは、有り得るかも知れない一つの未来の話。

 逃げて逃げて、逃げ続けた元少年が陥った破滅。その末路へと至る道筋。

 

 ■

 

「……」

 

 人里離れた山の中、ひっそりと存在する掘っ立て小屋。

 布団に寝ていた葵は目を覚まし、掛け布団から両手を出して熱くなった目頭を覆った。

 

「……また……あの日の夢見たな」

 

「葵はん? ……どうしたん?」

 

 ため息を付きながら上体を起こし、額を抑えて漏らした言葉。

 それに反応し、隣に寝ていた彼女、リコが起き寝ぼけ眼を擦りつつ葵に問いかける。

 

「……また泣いとるん?」

 

「……ええ」

 

 リコの指摘に対して葵は隠す事はしないし、その必要性も感じていない。

 葵の“悪癖”など既に認知されている物であり、リコにそれを曝すことに躊躇いは無かった。

 沈黙が落ち、ぐっすりと睡眠を取る事が出来たにも関わらず疲れた様子の葵をリコはしばらく眺め、そして天井を見上げる。

 自然には存在し得ない、巨大な木版で出来た一枚天井からは、雨粒が打ち付けられる音が鳴り響いていた。

 

「……雨、ゆうべより強うなっとるなぁ……」

 

 リコの言葉を聞いて立ち上がった葵は壁に近づいて手を当て、能力を以て干渉し覗き穴を開け外を眺めると、再びため息を付く。

 

「……どうします? 今日」

 

「んー……。二度寝するには遅いし外歩くのも躊躇うなぁ」

 

「建てる場所間違えましたかねぇ……」

 

 覗き穴の向こうには大量の水たまりとぬかるんだ地面が見え、草木の根っこである程度支えられているとは云え、出歩くには不安があるものだ。

 

「まあ、エエんとちゃう? ちょっとくらい休んでもバチ当たらんよ」

 

「そうですかね……」

 

「ウチらにバチ当てるようなイキった娘はこえだめに落とせばエエだけやしな〜」

 

「……」

 

 両手の掌を合わせ名案とばかりにそう言うリコに葵は眉間を抑えるが、実際今まで“そう”してきたので何とも言えない。

 己がリコの思考に染まってきている事に葵は割と危機感を覚えていたりする。

 

「それに、こんな泥道歩いたら服汚れるからウチはイヤや〜」

 

「連れ出した俺が言えた事じゃないですけど……もうちょっとその辺り考えた服装にする気は……」

 

「無いで」

 

「ですよね……」

 

 食い気味にリコに即答され葵は肩を落とす。

 葵の言うその服装とは、寝間着の類を除けばチャイナドレスや給仕服ばかりであり、リコは幾つも持っているそれらを着こなしている。

 

「ウチからチャイナドレス取ったらアイデンティティ無くなるで」

 

「リコさんのキャラ、アイデンティティしかないでしょうよ。

 ていうか何時だかにTシャツと短パン着てたじゃないですか」

 

「アレは部屋着や。葵はん分かっとらんな〜」

 

 何やらこだわりのあるらしいリコは口を尖らせていた。

 葵は壁に寄りかかって座り、そんなリコの言葉を聞いて仕方ないと言った表情で天を仰いでいたのだが、ふと気がつくと当のリコはニヤニヤしていた。

 

「そんなに他の服着て欲しいんなら買うてくれやぁ。喜んで着たるで?」

 

「……いくらアレがあるとはいえ、取り出すの結構手間なんですから」

 

「ほんなら今あるので満足してくれんと。それに葵はん、チャイナドレス嫌いとちゃうやろ?」

 

 その言葉と共にリコは立ち上がり、懐から取り出した葉っぱを構える。

 葉っぱと共にリコの体が煙に包まれ、蒸散するとその衣服はチャイナドレスに変化していた。

 

「……好きなのはチャイナドレスじゃなくてそれ着てるリコさんですよ」

 

「嬉しいこと言うてくれるやないの」

 

 両手を頬に当て、芝居がかって照れたようにリコは身体を振る。

 

「ほんにな? この幻術だってウチの認識に因るんやから、そろそろ新しいの欲しいな〜って」

 

「分っかりましたよ。今度でかい街寄りますから、あんまり目立つのは勘弁してくださいよ?」

 

「ふふふ。葵はんのそういう所、だぁい好きやで?」

 

 からかう声と共に葵に駆け寄り、リコは抱きつく。

 その体を擦り付けるリコを赤面しながら見る葵の視界には、チャイナドレスの虚像が重なったとある物が映っている。

 

「……そんな激しく動くとネグリジェずれますよ? 

 今となっちゃ、幻術見破らない様にする方が面倒なんですから」

 

「葵はんやから別にええの〜」

 

「……」

 

「どうせこの雨止むまで外出られへんし、それまで二人っきりや。

 葵はんがここに小屋建てるのを止めなかったん、ウチはそんつもりやったんやで?」

 

 首に手を回し、葵の目を真っ直ぐに見てリコはそう言う。

 遣らずの雨の中、誰にも邪魔される事のない二人だけの時間はまだまだ続く。

 

 ■

 

『お久しぶりです。リコさん』

 

『……こんな所で何しとるん? みんな心配しとるで?』

 

『今日はリコさんにお願いがあって……そのために来ました』

 

 ■

 

「何度やっても慣れないもんですねぇ……」

 

 レインコートに身を包み歩く葵。

 萎縮したように呟く彼に、隣にいるリコは呆れた様子で口を開く。

 

「ほーんま、葵はんはいつまで経っても根が小市民やな。もっと大胆なことやっとるんに」

 

 二人が今歩いている場所、それはとある国の陸続きの国境付近。

 葵がこんな様子になっている原因は、密入国を行った事による精神的な疲労である。

 

「同じ事やるたびに慰めるとか、ウチイヤやで?」

 

「……まあどうにかしますよ」

 

 葵とリコは、目的のために世界を巡る旅をしている。

 半ば逃避行の様なものでは有るが、各々が持つ力を振るう事でその立場には贅沢過ぎる程の衣食住を得ていた。

 

「あ、雨止んできたみたいですね」

 

「……やっぱウチ合羽キライや。耳が蒸れるぅ〜」

 

 手を外に出してそれを確かめた葵の言葉に、リコは不満げな表情でフードを外し、露出したキツネ耳をピコピコと動かしながらぼやいている。

 

「俺が買った服、着てくれるんでしょう?」

 

「むぅ〜、やっぱ葵はん意地悪やな」

 

「合羽と長靴って、結構印象変わって俺は良いと思いますけどね」

 

「……もう雨止んだし脱いでええやろ」

 

 レインコートのボタンをプチプチと外し、リコは顔を隠して一気に脱いで葵に渡す。

 葵はくつくつと笑い、左手で押し付けられたそれを持ち右の手の平に当てると、レインコートは吸い込まれるように消えていった。

 これは葵が以前に見た、魔法少女が魔力外装の内部に武装などを収納する場面を参考にした物であり、これによって旅の為の輸送を担っている。

 

「蒸し暑いから水出してぇやぁ……」

 

「はいはい……っと」

 

 リコにとってもその光景は既に見慣れたものであり、顔を片手で仰ぎながら要求を行う。

 葵はそれに応え、右手に左手を翳し水筒を取り出そうとすると、水筒と共に巻き付いた白蛇が飛び出して来た。

 

「その蛇も大概謎やな。本体もうおらんのに元気なもんや」

 

「というより、これが本体になった感じですけどね」

 

「ほ〜ん……」

 

 聞いておきながらリコはさほど興味は無いようであり、葵から受け取った水筒に口を付け、離した後に息を付く。

 

「ほんで、次の目的地までどんくらいなん?」

 

「後二日くらいですかね」

 

「イヤやわぁ……脚パンパンなるで」

 

「近くに大きな街有りますから。また良いトコロ泊まりましょう」

 

「それもエエけど……もうちょいマシな移動手段(アシ)調達せん?」

 

「……考えておきます」

 

 ■

 

『──だから、リコさんの力を貸して下さい。リコさんが必要なんです』

 

『……ホンマに、約束してくれるん? さっき言った事』

 

『はい。リコさんを独りにしません、一生守ります。

 薄汚れた衣服を着せるような事も、泥水を啜らせる事も絶対にしません。

 誰にも脅かされない住処を作ります。あたたかい布団を用意します。

 リコさんが好きなだけ料理を作れるようにします。

 ……俺が、リコさんの居場所になります。帰る家になります』

 

『……』

 

『だから、俺について来て下さい』

 

『……ウチ、は……』

 

 ■

 

「もう少し……もう少しだ。

 ようやく、この世界の狂ったパワーバランスを……」

 

 狂気を孕んだ目で天を睨みつけ、ブツブツと呟く葵。

 長い旅を経て、少年が初老と呼ばれる程には時が過ぎ去っていたが、葵の見た目は青年のものであった。

 

「葵はん」

 

「……おかえりなさい。リコさん」

 

 小雨の中一人佇む葵の足元。

 いつの間にかそこに近づいていた小さなフェネックに名を呼ばれ、葵は出迎えの言葉を返す。

 

「もう良いんですか? ……お墓参り」

 

「ええんよ。あの場所じゃ出来る事限られとるしな」

 

「……そうですか」

 

「久々に来たけど荒らされとらんで良かったわ」

 

 リコの目的とは、死に別れた家族の墓参りだった。

 そこは元の動物の姿でしか入れない場所であるらしく、リコは葵と離れて一人で向かっていた。

 葵はずぶ濡れになったリコにタオルを差し出すも、彼女は獣人の姿に戻ろうとはしない。

 

「リコさん?」

 

「……なあ、抱っこしてくれへん?」

 

「……? ……分かりました」

 

 意図する所はわからなかったが、とりあえずとして葵はその言葉に従うことにした。

 雨水を吸い重くなったフェネック姿のリコを抱き上げると、リコは葵のフードの隙間に入り込み、更には内側に着ている服の中に潜りこむ。

 葵が困惑する中、しばらくもがくようにリコは動き、最終的には葵の服の首元からリコの頭部だけが出ている状態となった。

 

「……ウチな、きょうだいとこうしてたんよ。

 食べるもん無くて、お腹空いて、寒くて……無理やり眠るためにみんなくっついて暖取ってたんや。

 葵はんは……あったかいな。少し息苦しいけど……葵はんの事を感じ取れる」

 

「……こうすれば、呼吸通りますか?」

 

 レインコートの袖から両腕を抜き、葵は濡れた服ごとリコの体を持ち上げる。

 それによってリコは襟に引っ掛けていた前足が空き、頭をワシャワシャと掻いて水気を飛ばす。

 

「優しいなぁ……葵はん」

 

「……」

 

「……せや」

 

 何かを思いついたような声を出すと、リコは葵の胸元から飛び出し獣人の姿と化して葵の前に降り立つ。

 

「葵はんに連れ出された日も……こんな雨やったな」

 

「そう……でしたね」

 

「あの日から今までずっと、葵はんはウチに敬語よな。

 ウチら、もうとっくの昔にそれ以上の関係になっとるやろ。なんでなん?」

 

「それは……」

 

 葵の心には、ずっと引っかかっている自業自得な負い目がある。

 それはリコを連れ出した理由。

 彼女の“騙す”力が計画の遂行に都合が良かったという、実に利己的な物。

 

「……俺は、リコさんに殺されても仕方ないって……そう思ってます。

 失恋の傷心に付け込んで、店長から引き離して……この長い旅に付き合わせました」

 

「……マスター……。

 ……ウチ、マスターの事どう思っとったんか……未だに分からんのよ。

 マスターとの10年間の事は今でも大切な思い出や。

 でも……あの日に葵はんの言葉聞いて、心動かされもした。

 だからついて行こう思たんよ」

 

「あんな大口叩きましたけど、俺はあれを果たせていましたかね? 

 リコさんが来てくれた事を後悔させない様に……手は尽くしたつもりですが」

 

「少なくともウチはそう感じとるよ。

 布団だの窓枠だの……厨房まるごと持ち歩いとるって聞いた時、ウチ驚いたで」

 

 先程の暗めのトーンから一転して、葵の問いを聞くとリコは肩を竦め呆れたように答える。

 

「ウチは葵はんの事が大好きなんよ。

 マスターの事は分からんでも、それは確かなんや。

 せやからな、葵はん。ウチの事……リコって、呼んでぇな」

 

「……リ、コ……」

 

「……ふふ」

 

「……リコ」

 

「あ、ちょっと待ってぇな」

 

 二度名を呼び、リコを抱き寄せようとした葵だったが片手を伸ばされ静止される。

 リコはそのまま葵の着るレインコートに手を触れさせ、ボタンを外すと一気に引っ剥がし、そして抱きつく。

 

「合羽着とったら葵はんの事感じれんやろ?」

 

「そうで……そうだね」

 

 リコの言葉に敬語で返そうとして思いとどまり、数十年間使っていなかった口調を思い返しつつ葵は口に出す。

 自分自身でも正直違和感のあるものではあったが、リコは嬉しそうだ。

 

「懐かしいなぁ……もっと早く聞きたかったで」

 

「負い目を別としても……師匠でもあるし、年上だから」

 

「そんなん気にせんでエエのに。ほんならウチマスターに敬語使わなあかんやん」

 

「そこは使ったほうが良いと思うけど……」

 

「むぅ〜……」

 

 苦笑いをする葵のぼやきにリコは不満げな声を漏らしつつ、葵の胸に顔を埋める。

 そのままリコは葵を揺するも、その体は動かない。

 

「……なぁ、ホンマに……アレやる気なん? 

 最後にそうしなくても……計画には問題ないんやろ?」

 

「……リコは、最後まで付き添わなくても大丈夫だよ。俺だけで十分だから。

 アレが終われば……リコは追われない生活に戻れる。だから……」

 

「そうちゃうよ!」

 

 胸から離した顔を葵に向けリコは叫ぶ。

 その瞳は潤み、体は震えている。

 

「葵はんがそこまで言うなら……ウチは止めん。

 けどな……ウチの事……置いて行かんといてや……」

 

「リコ……」

 

「ウチの服も、家も……一緒に寝るあったかい布団も用意してくれるんやろ? 

 ウチが作ったごはん、ずっと食べてくれるんやろ? 

 ウチの事、一生守ってくれるんやろ?」

 

「……うん」

 

「葵はん、目の前で家族が逝ってもうた人の気持ち……分かるやろ? 

 葵はんが居なくなったら、ウチはどこに帰ればええん? 

 ウチはもう、独りは嫌なんや……」

 

「……分かった。最期まで……一緒にいこう」

 

 強く震えるリコを葵は抱きしめ、そう誓った。

 小雨の中、薄い雲の隙間から差し込んだ光が二人を照らすと、リコは目を赤く腫らしながらも微笑む。

 

「……まだ足りんよ、葵はん」

 

「え……?」

 

「こういう天気の事、何て言うか……知っとる?」

 

「天気? ……天気雨……あっ」

 

「ほら。その先を聞かせてや」

 

 しばらく見聞きしていなかったいたずら混じりの視線と声色に、葵は口をまごつかせながらもゆっくりとその言葉を絞り出す。

 

「……リコ。俺と……結婚して下さい」

 

「はいな。ずっと待っとったで。葵はん」

 

 ■

 

「何でっ……! 記憶の処理は完璧だった筈! なのに何で……どうして……っ!」

 

 地べたに座り、叫ぶ葵の膝には一人の女性が横たわっている。

 

「私が……葵の事、忘れられる筈がないでしょ……」

 

 息絶え絶えに、血反吐が混ざった咳をしながら語る女性。

 その視線の先にはフェネックのオブジェが転がっている。

 

「……葵の事しか助けられなかった……ごめんね」

 

「俺の、せいで……こんな……っ」

 

 言葉を吐き出す葵を見て女性は深く息を吐き、震える両腕を葵の顔に伸ばし、そして──。

 

「最期に……葵にもう一度逢えてよかった」

 

「嫌だ……逝かないでくれ……桃ぉ……っ!」

 

 伸ばされた腕が降りると桃の体はどんどん透けて行き、そして葵にかかる体重は消える。

 葵の衣服に染みた赤黒い液体でさえも、まるで夢であったかのように無くなった。

 

「も、も……? あ……ああ……あああ……っ」

 

 慟哭に呼応するように、天からの雫が降り注ぎ全てを流していく。

 葵は水流に攫われようとするフェネックのオブジェに手を伸ばし、力強く握りしめる。

 

「俺は……どこで間違えたんだ……?」

 

 最初から、このような手段と目的を選んだ時点でどうなるのかは決まっていたのかもしれない。

 幾星霜を経ようと、その体や力がどれだけ育とうと。

 その中身が愚かで後ろ向きで、逃げ腰な少年のままならば。

 この歪な男は、結局何一つ守れず破滅に陥った。

 

「……せめて、同じ空間で過ごせれば……喜んでくれるかな……リコ」

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