まちカド木属性   作:ミクマ

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おやすみなさい

「あの〜……葵〜……」

 

「どうかした? 優子」

 

 あすらでの勤務中における出来事。

 葵と同じく制服を着て勤務しているシャミ子は、キッチンとフロアを分ける間仕切りの布を手で上げて顔を覗かせた。

 

「えっと……ちょっとこっちに来てもらってもいいですか?」

 

 そう問いかけるシャミ子の、戸惑いが目に見えている表情に葵は内心首を傾げつつも、台所に立つリコに顔を向ける。

 特に言葉での返事は無く、注文の状況からしても問題はないだろうと判断して、葵はシャミ子の要請に応える事とした。

 

「何かあったの?」

 

「あそこのお客様なんですけど……」

 

「うん……?」

 

 フロアの側に出た葵による問いに、シャミ子は控えめに声を上げつつ、多数置かれたテーブルの一つを見る。

 葵が辿ったその視線の先に居た人物とは──。

 

「ぅげぇっ……」

 

「お客様に向かってその無礼な態度はどういうつもりかしらぁ」

 

 その姿を視認した葵が思わず漏らしたうめき声に対して、口を尖らせて咎めの言葉を返す女性。

 お客様を名乗る彼女は府上学園の前生徒会長であるタマだ。

 

「……何の、御用で……」

 

「お客様って言ったでしょう? 気が向いたから食べに来てあげたのよぉ」

 

「……」

 

 あからさまな建前、間違いなく存在するであろうウラを警戒して怪訝な表情となる葵。

 ただ、既にメニュー表を片手に持っていることから、食事を摂りに来たという目的も嘘ではないらしい。

 

「……あの。ご注文なら私が……」

 

「いや、俺が取るよ」

 

 葵の顔色を見て仲介に入ろうとしていたシャミ子だったが、葵は懐から伝票のボードを取り出しつつそれを止める。

 注文を受ければ結局キッチンに戻るとはいえ、短い間だけでもタマの真意を探るための情報が欲しいが故の行動である。

 そんなやり取りをして、葵がテーブルの近くに腰を下ろすまでの間、タマは感情の読めないのっぺりとした表情を崩さなかった。

 

「……ここ、アイースーあるのね〜」

 

「ああ、すみません。今アイースーの材料切れてるんですよ」

 

「そう。ならぁ……」

 

「アイースーってなんですか……? そんなメニューありましたっけ……?」

 

 二人の会話の中の謎の名詞に疑問符を浮かべるシャミ子を横目に、タマは再びメニューを見て、少しの後に顔を上げる。

 

「じゃあこの、マウンテンホイップのタワーパンケーキのトールサイズをベリーソースでお願いするわぁ」

 

「そんな……っ! まぞく憧れのお高いすうぃーつを何のためらいもなく頼むなんて……」

 

「……優子、後でもっと大きなの作ってあげるから」

 

「後エスプレッソのソロ。パンケーキと一緒でいいわ」

 

「エスプレッソ……あのすっごく苦いこぉひぃまで……! ただ者ではないですね……!」

 

「優子……少し休憩挟んだほうが良いよ。紅玉さんもいるし」

 

 何かの許容量が限度を超えたようで、タマの注文にオーバーリアクションを返すシャミ子。

 それを見て葵はグルグルと目を回すシャミ子を手近な席へと座らせた。

 立ち上がってキッチンへと向かう中、タマからシャミ子……達へと何か妙な事を吹き込まれないかと、そんな不安を脳裏によぎらせている葵に、その“達”に含まれるもう一人が声をかける。

 

「ねえ、葵。あの人が去年葵が入ってた生徒会の会長で……すごく強い人なんだよね?」

 

「そうだね」

 

「どのくらい強いの?」

 

「“ゲーム”にしてルールで縛った上で、多対一にしてようやく勝ち目が出てくる感じかな? 

 タイマンとなるともう一方的にボコボコだよ」

 

「……それは、“本気”を出した上で?」

 

「んー……高校じゃあ流石にそこまではしてないけど……仮にそうしても軽くあしらわれそうな気しかしないんだよなぁ……」

 

 客として来店していた桃の問いに、葵はそう返すとキッチンへと入っていった。

 畏怖の類の感情が混じっているように見える葵による評価を聞いても、桃にとっては数度対面した程度のその人物についてはあまりピンと来ていないようであり、シャミ子と会話を始めたタマを桃は遠巻きに眺める。

 

「改めて、お久しぶりねぇ。喬木と妹ちゃんから色々話は聞いてるわ〜」

 

「は、はい……」

 

「……妹ちゃんは、どうしてるかしらぁ」

 

「えっと、上の……家で勉強していますけど……呼んできましょうか?」

 

「いえ、いいわぁ。わざわざ邪魔する理由もないしぃ。

 ……そんなに警戒しなくてもいいのよぉ。あなたも、ねぇ」

 

「……!」

 

 タマのあらゆる言動にうろたえるシャミ子を見て、タマは中々に楽しそうな様子で言葉を紡いでゆき、そして次に桃の方に視線を移し声をかける。

 

「このタマちゃんに興味津々みたいねぇ。照れちゃうわ〜」

 

「……これまで葵がしてた話からして……境さんが──」

 

「タマちゃんでいいわよ〜」

 

「……タマさんが葵の師匠、のような人……なんですよね……?」

 

「……別に師匠なんてモノじゃないわぁ。

 何かしら覚えないとどうしようも無い状況を用意してあげただけ」

 

 近づいてきた桃が呼称を変えたことに対してある程度満足した様子のタマは、続く桃の問いに対して目を細めてそう返す。

 

「……あの、タマさんから見て葵は……どんな感じだったんですか?」

 

「そうねぇ……色々手を出し過ぎて中途半端な人間ってところが妥当だと思うわねぇ」

 

「……」

 

 代わって出されたシャミ子による質問の答えを聞くと、桃とシャミ子は沈黙する。

 タマが言う、葵が手を出し過ぎた“色々”に双方心当たりが有ったが故だ。

 

「……身内の前だから甘めに評価してあげるとしてぇ……今は特別に使える部下の一人ってことにしておくわ〜」

 

 シャミ子と桃の間に漂う空気が重くなり過ぎたことを感じ取りでもしたのか、タマにしては珍しくバツの悪そうな顔でそんなフォローを入れた。

 の、だが。それを聞いたシャミ子は妙な反応を見せる。

 

「わ、私より前に葵が誰かの配下になっていたなんて……っ!」

 

「……シャミ子?」

 

 戦々恐々といった雰囲気で、たどたどしく言葉を漏らしたシャミ子。

 ただ、その尋常でない様子に戸惑った桃に名前を呼ばれると、わなわなとした震えは止まる。

 桃と、そして僅かに口角を上げたタマに見つめられている中、シャミ子はしばらくの間深呼吸をして息を整えると、タマを見つめ返す。

 

「……葵は、私のものです。絶対に渡しません」

 

「……強い子ねぇ。ちょっとからおうかと思ったけど……この程度じゃ崩せそうにないわぁ」

 

「あんまり優子に変なちょっかい出さないで下さいよ」

 

 コトリ、とテーブルにプレートとカップの置かれる音。

 意図して低くした声の主である葵は、一瞬だけタマに鋭い視線を向けて、またすぐに身を翻しキッチンへ戻ろうとする。

 その行為はシャミ子に対する競争心でありながらも、義理立ての面も有る。

 そしてもう一つの理由は──

 

「死ぬほど似合ってないから、そう言う方向での照れ隠し止したほうが良いわよぉ」

 

「……わざわざバラすにしても、少しくらい躊躇ってくれませんかね」

 

 背を向けながら、頬を染めた葵は深く肩を落として息を吐いた。

 葵のボヤキに耳を貸す素振りも見せず、タマは極めて真剣な表情で更に言い放つ。

 

「喬木。この後顔貸しなさい」

 

 ■

 

 桃が普段使いしている物と似たような色合いの、財布から取り出されたカードを見たシャミ子がまたも狼狽するという光景を挟みつつもタマは会計を終え、葵はピークタイムが過ぎたから問題はないという旨の許可をリコから取り、タマの要求を受諾した。

 

 “面倒事”の予感がしたが故に、制服から普段着へ着替えた上で道を歩く葵。

 その数歩前を進むタマは町中の土地勘が有るらしく、その足取りに迷いはない。

 大抵、こういう時には何をしようとも無駄であると先の一年間で身に沁みている葵は黙ってタマを追い、言葉を待つ。

 

「……ここ、良い町よねぇ」

 

 タマは足を止め、呟く。

 この場所は多魔川の河川敷。

 より詳細に言えば、奇しくも葵がシャミ子と桃に告白を行った地点だ。

 それが意図したものかどうかは葵に読む事は出来ず、再び沈黙が落ちる中、タマは遠く離れた高台にそびえ立つサクラの大木を見る。

 

「この環境を作るのに、どれだけの道のりがあったのかしらぁ」

 

「……先輩は、何を……。俺……達の事を何処まで知って……」

 

「別に、大した事は知らないわよぉ。貴方に接触を試みたのも単純な理由。

 体格的に劣る人間が一人で長沼を運んだって所にきな臭さを感じただけ。

 ……もっとも、実際に対面したら想定してた程でも無かった訳だけれどぉ」

 

「……手厳しい事で」

 

 葵は軽口を叩くも、言うまでなくそれは虚勢。

 そもそも大前提からして、自分の無力さを痛感していた事が、未知の環境に身を投じるという一種の“賭け”に出た理由なのだから。

 

「その点では、貴方よりシャミ子ちゃんへの興味のほうが強いわねぇ。

 あの子は運悪く機会に恵まれなかったって感じがするわぁ」

 

 割と唐突に出たその名に葵は目を丸くするが、とはいえ葵自身タマの言った言葉には心当たりがある。

 何処から湧いてくるのかわからない謎の語彙力などが良い例だ。

 清子は極めて多忙で、ヨシュアは封印されている状況においてその“機会”を作るべきだったのは自分だと、シャミ子が殆ど寝ていたにしても、もう少し遣り様はあったのではないかと言う後悔が葵にはあった。

 

「ああ、私に愚痴ったりしないでよねぇ。

 妹ちゃんの才能を棒に振るような真似をしなかった事は評価するけど、貴方の失策を肯定してあげる義理もないのよぉ」

 

「……」

 

 痛い所を突かれ、葵は口を開けない。

 

「……まあでも、あの子の一番の力は……人を惹き付けるあの強い輝きよねぇ。

 どれだけ近い存在でも、あればかりは本人にしか揮えないわ。

 ……私も、堅次くんに先に会ってなかったらコロッと落とされてたかもしれないわねぇ」

 

「……? ……カリスマ性ってことですか? それは先輩も同じようなものでは……」

 

「私の場合は自分に“ソレ”があるって自覚をしてるのよぉ。

 ソレをどう扱えば良いのか把握した上で、人を顎でこき使えるように立ち回ってるのよ」

 

 己にそれだけの能力、技量があることを欠片も疑っていない様子の発言。

 ともすれば嫌味のように聞こえるのかもしれないが、そう感じるようなら葵は一年以上もパシリなどやっていないだろう。

 そしてこの言葉はタマにとって本題ではない。

 

「シャミ子ちゃんみたいな場合は自覚とかそう言う話じゃないわ。

 当人にそのつもりはなく、ただひたすら必死にしている行動が人を魅了する……たまに居るのよ、そう言う人間がね。

 貴方もそんな経験があるからあの子に拘ってるんでしょう」

 

「……ええ」

 

 幼き葵が立ち直ったのも、それ以降に致命的に折れる事がなかったのも、全てシャミ子がいたからこそ。

 大きく動き出した物事の中心にいるのも、間違いなくシャミ子だ。

 

「……でも、気を付けなさい。

 ああいう才覚は……害のある存在も呼び寄せかねないわ。

 当人にはそれを止められない。無意識だから。

 守れるのは近くにいる人間よ。……貴方みたいなね」

 

「……肝に、命じておきます」

 

「だから、問題は貴方なのよ。

 そろそろ思い出せたかしらぁ。誰が貴方に諸々を教えたのかを」

 

 続けて出されたタマの問い。

 それは以前、タマに出会って少しした頃にされた物と似ている。

 タマ曰く、葵の行う事には妙な“癖”が付いていると評されたことがあった。

 それ自体は悪い物ではなく、むしろ葵に合致している物のようだが、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような、そんな不整合さをタマは感じているらしい。

 

「……いえ。まだですね」

 

 以前に問われた時、葵は『その様な存在は居なかった』と否定した。

 しかし、今改めて考えてみればまた違うものが見えてくる。

 

 特に不自然なのは戦闘と、魔力に関する技能。

 葵の格闘スタイルは『上辺だけの見様見真似』とボロクソに貶されたことがある。

 しかし、そもそも“見様見真似”の元になった物が何なのか、葵は思い出せない。

 

 タマに教えを乞うていない魔力に関してはもっと異様だ。

 参考になるものなど、千代田桜からの非戦闘的な指導と紐の術式程度だったはず。

 喬木葵という人間は、その程度の要素で技能を修められるほど器用な人間ではない。

 

 手厚く教えてくれる存在がすぐ近くに居た家事についてはともかくとして、その他を指導した何者かを葵は忘れているのだ。

 

「ですが、先輩方のおかげで手がかりは掴めました」

 

「……貴方の扱いは特に面倒だったわぁ。

 誰が教えたのか知らないけどぉ、随分と中途半端なことしてくれたものねぇ」

 

「……本当に、ありがとうございました」

 

 そう言って、葵は深く頭を下げた。

 

「私はもうすぐ卒業だけれどぉ……気が向いたらまた“仕事”持ってきてあげるわ。

 だから面倒事はとっとと片付けておきなさい。

 もしも私が教えたことを無駄にするような真似でもしたら……わざわざ時間を割いてあげた、私への裏切りと見なすわよ」

 

「……それは、恐ろしいですね」

 

 肩をすくめて葵はそう返す。

 しかしてタマの眼光は鋭く、それに射抜かれた葵は思わず背筋を伸ばして、改めて言葉を紡ぐ。

 

「……とっとと、は無理かもしれませんが……はい。

 必ず生き残りますよ。俺の持つ全てを賭けます」

 

「……そう。ならぁ……」

 

 返答をし、深呼吸をしようと考えた葵。

 だがそんな暇もなく、タマの長い片腕が葵に向かって伸びる。

 

「な、んっ……!?」

 

 一瞬の内に葵は宙へと投げ出され、先程まで立っていた堤防の頂点に張られた道から、一段下がった高水敷へと落ちてゆく。

 どうにか体勢を整えて着地をした葵が正面を見ると、そこには同じく降りてきたタマが立っていた。

 

「何の、つもりで」

 

「一つテストをしてあげるわぁ。貴方に大口を叩けるだけの力があるか。

 だけどいきなり減点ねぇ。そう簡単に警戒を解くものじゃないわよぉ」

 

 ゾクリ、と葵の体に緊張が走る。

 その威圧感は、少なくともタマからは今までに一度も感じる事はなかったような凄まじい物。

 

「……それが、先輩の本気ですか」

 

「どうかしらねぇ。でも貴方は全力で来なさい。さもないと──」

 

「……!」

 

「一発で落第(おと)すわよ」

 

 ■

 

「ん……?」

 

 葵の意識が覚醒する。

 閉じられた瞼の向こうの光を感じ、開けた視界に入って来たものは人生で五指に入るくらいには見慣れた天井と、そして──

 

「大丈夫……?」

 

「……桃」

 

 葵を心配そうに見つめる桃。

 タマからのテストにおいて、即座に意識を刈り取られる事こそ無かったものの、終始翻弄され最後には大きな一撃を受けて──そこまでが葵の記憶。

 と、なれば葵が今ここにいる理由は……。

 

「ついて、来てたんだね」

 

「……うん」

 

 少々気まずい雰囲気。

 どう二の句を次ぐべきか思考している中、葵はふと気づく。

 視界の中の桃の上半身が異様に近く、葵の頭のすぐ横にある。

 そして後頭部に掛かる、硬さと柔らかさとが適度に入り混じった心地よい感触。

 寝起き特有のぼんやり感により、いつぞやに気絶した時のようにソファーに寝ているだけの物だと勘違いしてしまったが、つまりこれは。

 

「ひざ……」

 

 言葉にしようとした所で葵の口が桃の手によって押さえられた。

 桃の顔は赤く染まっており、それを直視したことと、改めて現状を認識したことで葵も体の底から熱くなるのを感じる。

 顔を逸らし、もう片方の手で自らの前髪を弄る様子を葵に眺められ、桃はしばらくの後に口を開く。

 

「……あの人、強いんだね」

 

「うん。本当に強いんだ。理不尽な……いや」

 

『理不尽なくらいに』

 そう言おうとして、葵は己の言葉を止めて否定する。

 

「あの人の強さは理不尽じゃない。

 何をやっているのか理解できるし、言葉で説明が出来る。

 なのに追いつけなくて、勝てない。

 だから俺は……()()に憧れた。

 あれくらい強くなって、自分に自信を持てるようになりたかった」

 

 嫉妬の感情すら湧かない様な、そんな超越した存在と奇妙な縁で葵は引き寄せられた。

 そうなるように意図して振る舞われた物だろうと、葵の望みは偽物ではない。

 

「……ああそうか。自信か」

 

「葵……?」

 

「会長の一番強い所は……芯なんだ。

 確かな実力を自覚して、それに裏付けられた絶対的な自信を持っていて……()()()()()()()()()()()()んだ」

 

「……それは」

 

 葵の言葉に引っかかる所が有ったようで、桃は“何か”についての言葉を言い淀む。

 

「だけどね、人の事を信じないわけじゃない。

 あの人は理不尽な無茶振りばかり通して来ると思っていたけど……違う。

 自分が下した他人の評価を疑わず、それがこなせるって確信してる。

 今ようやく分かった。

 その上、予測を超えてきた時には……本当に楽しそうなんだ」

 

 河川敷で投げ飛ばされる直前。

 自身に向かって迫る手と共に、葵は釣り上がる彼女の口角を見た。

 それだけではなく、葵の脳裏には一年間の事が浮かぶ。

 

「……楽しそうだね」

 

「ん……あぁ……」

 

 語っている内、無意識に葵は天へと向かって左手を伸ばしており、それを桃に右手で握られた事でハッとなる。

 

「河川敷で戦ってた時も、とっても楽しそうで……それを見てたら、葵が取られるんじゃないかって寂しくなった」

 

 葵の手に指を一本ずつ絡めて行きながら、ゆっくりとそんな言葉を桃は吐露した。

 寂しさ、と言われると葵の心にも思い当たるものはある。

 夏休みの初頭に桃がばんだ荘に引っ越してきたその日以降、桃との会話を欠かした日など……それこそ、2日程の筈。

 であるのに、なぜか何ヶ月間も会話を交わしていなかったような、そんな錯覚に陥る。

 ……具体的に言えば3ヶ月か、それ以上。

 

「前にも同じような事言ったけど……やっぱり、怖いよ」

 

「桃……」

 

 手は更に強く握られる。

 桃が何度もこの様な感傷に至るのも、葵が中途半端に力を持っているせいなのだろう。

 圧倒的に強ければ、そもそも心配を抱かせない。

 逆に守られる側だったのならば、それはそれとして専念出来ることはある。

 そのどちらでもないからこそ、桃は心配を捨てきれない。

 

「……俺は、一人で何でも出来る人間じゃない。

 俺も、皆の……桃の為じゃないと強くなれないんだ。

 強くなれても……一人になったらまた何かを間違えるかもしれない。

 だから……この手を振り解いたりは絶対にしないよ」

 

「……うん」

 

 右手で頬を撫で、微笑みかける。

 葵にとっては辛い体勢ではあるが、それを気にする訳もなく。

 桃が左手で葵の右手を上から抑えると同時に、その表情は和らいだ。

 

「……俺が起きる前からずっとこうしてくれてたんでしょ? 

 脚、辛くない? 俺、もう大丈夫だよ」

 

 少しの後、照れ隠しの念も込めて葵は桃にそう問うも、しかし桃は首を振る。

 

「ダメ。普通ならもっとボロボロになっててもおかしくないくらいだったんだよ。

 だから今日はゆっくり休んで。……頭がゴツゴツするなら退くけど

 

 小声での提案とともに、心底残念そうな暗い表情へと変わるのを見て、葵の心拍数は一気に上昇する。

 

「いや! このままでいい! このまま!」

 

「……そう?」

 

「そうだよ! 脚は柔らかいし、良い香りがしてとっても落ち着く!」

 

「……シャミ子みたいな事言うね。その内しょっちゅうお腹触りたがる様になったりしないよね?」

 

「ッ……!」

 

 完全な自爆により葵の顔は真っ赤に染まった。

 桃はジトッとした目でそれを見つめ……そして葵の額を撫でる。

 

「も、も……」

 

「……おやすみなさい」

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