まちカド木属性   作:ミクマ

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ここにいるよね

「葵、起きて」

 

「ん……?」

 

 揺さぶられつつ声をかけられた葵は、呆けた声を出す。

 差し込む光に眩みながらも瞼を開けば、そこには桃の顔。

 

「……桃。……おはよう」

 

「……おはよう」

 

 挨拶を返す桃を見て、葵は寝起き故の物にも増して脳の働きが停滞するような感覚を得ていたが、ふと気づく。

 葵が桃に起こされたという現状に。

 

「……寝坊っ!?」

 

「大丈夫。私が早く起きただけ」

 

「……あ、ああ。そっか……」

 

 思わず飛び起きた葵は桃によるフォローの言葉を聞き、部屋に設置された時計を見ると、それが指し示しているのはアラームを設定しているより若干前の時刻。

 安堵の息を吐きつつ、目元を手で覆って瞳孔を光に慣らそうとしていた葵だったが、少々強めの力がその体にかかる。

 

「桃……?」

 

 葵が視線をやや下に向ければ、桃がその顔を葵の胸に埋めていた。

 直前に交わした会話の時には、表情等から昨晩の悲痛さは読み取れなかったのだが、それが空目であったかのように、今の桃は揺らいでいる。

 

「……葵は、ここにいるよね」

 

「……」

 

 葵は何も言葉を返せない。

 日付を跨いで以降も活動しており、さほどの時間が経っていないという事も関わっているのかもしれないが、やはり昨日あった出来事の衝撃は大きいもの。

 にも関わらず、桃に対して葵は一切の説明が出来なかった。

 

 喉を震わせるのみで、音として成立させられない息を吐く葵。

 お互いに顔を向き合わせる事もなければ、動きを見せることもなく、そんな状況の中で設定された時刻通りのアラームが鳴り始める。

 

「……怖いよ」

 

「……俺が、強くなったら……桃は安心してくれるかな」

 

 桃による小声での言葉に、葵は問いを出す。

 弱体化している事を匂わせながら、その上でも圧倒的な彼の力を昨晩に観た葵は、それだけの実力があれば桃達に心配を抱かせずに済むのではと、一つの道筋を思い浮かべていた。

 

「……夏休みにも言ったけど……やっぱり私は、葵に戦って欲しくない」

 

「それは……」

 

「……葵が、側にいてくれたら……強くならなくてもいい。

 昨日みたいな事になるくらいなら……そっちの方が、私は……」

 

 時間が経つにつれ大きくなるアラームの音と反比例するように、桃の声は更に弱々しくなってゆく。

 葵は桃の要求を一方的に跳ね除けられない。

 それを行えるだけの力など、少なくとも今の葵にはないのだから。

 

「……ごめん。シャミ子も強くなってるのに、葵にだけ言うことじゃなかった」

 

 そう言うと、桃は葵から離れる。

 やり取りの内に、ぼやけた頭が急激に冷やされるような感覚を葵は得ていたが、それでも今何をすべきかは思いつかなかった。

 

(俺は……)

 

 得たものは多かったが、それ以上に新たな迷いも増えた。

 グシオンの言葉を受けた上で、進むべき道とは。

 

 ■

 

「歩きケータイまぞく」

 

「にょわ!?」

 

 波乱を経ようとも、平日には登校をしなければいけない立場である葵達。

 結局何も聞かれることはなく、気後れの感情を持ちながら前を歩くシャミ子と桃のやり取りを眺めていた葵だったが、シャミ子と目が合ったことで息を詰まらせる。

 

「……葵、大丈夫ですか?」

 

「……うん。この通り元気だよ」

 

 手をヒラヒラと軽く振りつつ、葵はそう返す。

 しかしそれだけで納得などはさせられないようであり、シャミ子と、そして桃との間にも穏やかでない空気が流れ始めようとしていたのだが、そこで狙ったかの様に葵の肩に手が置かれる。

 

「葵、遅刻するわよ」

 

「っ……と。……ミカン」

 

 思わず背筋を伸ばしつつ、葵は名を呼んで振り返る。

 そこにいたミカンと目が合うが、彼女が何を思っているのかは葵には読み取れず。

 

「電車遅れるわよ?」

 

「……まだ、大丈夫でしょ」

 

 葵の通う高校が多少の距離があることを考慮したミカンの言葉。

 二学期に入り、ミカンが転校して日が浅かった頃でこそ、葵が時間を“合わせる側”であったものの、それを見抜かれた今ではすっかり葵の方が“合わせられる側”と化していた。

 実際の所、ちょっとした()()のある葵には然程遅刻の懸念は無いのだが、今ミカンがこの話題を投げて来たという事に、葵は作為的なものを感じる。

 

「あのー……ミカンさん、その自転車は一体……?」

 

 やや呆けた様子のシャミ子による問いは、ミカンが横に並べ歩いている、ハンドル部にチャイルドシートの取り付けられたソレを指してのもの。

 

「さっきウガルルを保育園に送ってきたのよ」

 

「お疲れ様、ミカン」

 

「葵は知ってたんですか?」

 

「自分達の分のお昼作る日と、交代でやってるよ。

 ……ああ、そうだ。これ、今日のお弁当ね」

 

 今日が丁度、その分担であったことは幸運なのか。

 弁当箱を手渡しながら、葵はそんな事を考えて安堵を感じていた。

 

 道すがら、いつものようにゴミを集めているリリスに遭遇しても何も言われず、テレパシーが飛んでくることもない。

 動物園のメスバクと“散歩”を行っていた白澤からは、葵に対してこっそりとすれ違いざまに感謝の言葉を伝えられる。

 

「なんだか……久しぶりに日常に戻ってきた気がします……! 頑張って良かった……」

 

「日常……。……まあ、平和ではあるかな。店長もいつも通りだし──」

 

「……あの泥棒バク!!」

 

 中々にシュールな状況にありながらも、シャミ子は妙な感動を覚えているようであったのだが、それを劈くかのような怒声が響く。

 驚いた一行がその声が聞こえた方を見れば、長い包丁を片手に走るリコと、それを止めようとする紅玉がいた。

 リコの向かおうとしている先は、どうやら白澤とメスバクの歩いて行った方向であるらしい。

 

「ウチじゃ止められん……! ポリス呼んでっ!」

 

「──俺が止めてくるよ。行ってらっしゃい」

 

「……ほんとに電車危ないんじゃない?」

 

「あー……まあ今日はちょっとズルするよ。遅刻はしないだろうから」

 

「ズル?」

 

「いいから、早く」

 

 そう言うと、葵は力を軽く使った上で駆け出してリコ達の元へと向かう。

 疑問を振り切るかのようなその行為をした結果である、シャミ子達の反応は葵には見えることはない。

 

「リコさん」

 

「ぁ……葵はん……」

 

 前方に立ち塞がるように降り立った人影に、警戒の色をみせて包丁を構えていたリコであったが、名を呼ぶその正体を把握した彼女は脱力して呼び返す。

 

「あまり朝から騒ぐとお店の評判に関わりますよ」

 

「……」

 

 ある意味で白澤の身を人質にするかのような言葉を葵が吐くと、リコは眉をひそめる。

 葵自身も流石に言い過ぎたかと口をまごつかせ、そんな二人に紅玉はハラハラした様子だ。

 

「お店の、評判。……葵はんも、下がったら困るん?」

 

「高くて悪いことはないでしょう」

 

「……ウチ()の料理に、沢山ヒト群がっとる方が……葵はんの好みなん?」

 

 リコによる、どうにも捉えにくい問い。

 数日前に遠くの店で酔い潰れたリコを葵が迎えに行った際、葵に背負われている状況でリコが目を覚ました時から、彼女はこの様な態度を取るようになっていた。

 

「……まあ、そうなりますかね。料理を喜んで貰える人が増えるのは良いと思います」

 

「ほ〜ん……」

 

 探るような反応をするリコ。

 怪訝な様子はリコだけには留まらずに、紅玉も合わせて表情を変えるが、葵はそれに対してどうにか無表情を貫く。

 

「……なんかもうええわ。葵はんが高校遅れたらアカンしな」

 

 ため息を付いてリコはそう言い、片手の包丁を振り回しながらばんだ荘へと続く道を歩いて戻って行く。

 あまりにも危ない行動を、リコは何故か鼻歌を奏でながら行っており、そんな彼女の背中からはまるで──。

 

「なあ、あんた。これワザとやっとるんか?」

 

「……」

 

「……あんなにリコのテンション上げて……どうなっても知らんからな」

 

 葵の思考を遮るように言葉を吐き捨てると、紅玉はリコを追って去って行った。

 

「……だめだ。考えが纏まらない」

 

 結界の裏側にてあのようなものを見せられれば、意識を持つことは避けられない。

 あまりにも多すぎる情報量故に葵はそう呟くものの、しかしそれだけが答えを得られぬ原因という訳でもなく。

 

 ■

 

 遅刻することもなく無事に登校をして授業を受け、そして昼休み。

 腹部を抑えながら学校の廊下を歩く葵は、幽鬼の如き様態であった。

 

 “全力”を出して戻った後の反動。

 ウガルルを召喚した翌日のような極度の疲労感こそなかったものの、その代わりであるのか著しくすり減ったものがある。

 

「腹が減った……」

 

 異様なまでの飢え渇きから、喉を鳴らす葵。

 行った無茶の代償と言わんばかりに多量の“エネルギー”を消耗したらしく、今にも倒れそうなほどに葵の体は空腹を訴えていた。

 

 既に弁当は食べている。昼よりも前の行間に早弁をしていたのだ。

 現在進行形で桃達に負担を掛けている中で、多大なる罪悪感を得ながら手を出した行為だが、それでも葵の腹は満たされなかった。

 せめてもの救いは、本日のソレが味わって食べるべきであるシャミ子による弁当ではなく、以前偶に行っていた時の様に己が用意したものであった事だろうか。

 

「……喬木君。ドウサレマシタカ?」

 

 壁に手を当てて深呼吸をしていた葵に、片言の日本語による声が掛けられる。

 葵が顔を上げれば、そこに居たのはこの学園の古文教師であるショーン・コネコネであった。

 

「……コネコネ先生。……少し、お腹が減ってまして……」

 

 とぎれとぎれの言葉で葵はそう返す。

 しかしどう見ても“少し”と言った様子ではない葵を見て、コネコネは懐から小さな紙箱を取り出した。

 

「宜シケレバ、此方ヲドウゾ」

 

「……良いんですか?」

 

 頷くコネコネが差し出すものは、ブロックタイプの栄養補助食品。

 海外製であるらしいソレを葵は受け取り、すぐに中袋を裂いて口に放り込む。

 咀嚼する中で、パッケージの裏面に英語で書かれていた成分表記の中のカロリー表示を見て軽く驚きつつ、口の中のものを飲み込んだ。

 

「ありがとうございます。……どうしてこんな物を……?」

 

「トレジャーハンタートシテ、簡易ニ栄養補給ノ出来ル物ハ必携デスカラ」

 

「……なるほど」

 

「代ワリト言ッテハ何デスガ、少々オ話を宜シイデショウカ?」

 

「なんでしょう?」

 

 肯定しながらも、葵には要件の心当たりはない。

 コネコネは周囲を見渡し、昼休み故に廊下を通る生徒たちを視認すると少し動きを止める。

 そして葵の方に顔を戻すと、両手で自身の側頭部を指差した。

 

「……夏休ミニ、聖立川女学院デオ連レシテイタ……コノ辺リニ()()()ヲ付ケタ女性ノ事デス」

 

「……!? ……優子に、何か……?」

 

 場所を考えて言葉を選んだらしいコネコネ。

 何処までを知っているのかと、葵は思わず警戒を顕にする。

 

「正確ニハ、彼女ノ持ッテイタ石像ニツイテデス。

 最近マデ確証ハ有リマセンデシタガ、アレハ古代メソポタミアデ造ラレ、数千年間世界ヲ転々トシテイタ記録ノ残ル物品デス」

 

「……」

 

「ソノ様子ダト、存ジテイタ様デスネ。

 御心配無ク。私ハ持ツベキ者ノ所に在ルノナラバ、ソレデ良イノデス。

 トテモ貴重ナ物デスカラ、大切ニシテ下サイ」

 

「あー……はい」

 

 邪神像が桃によってエポキシを塗られ削られたり、しおんによって数多の改造が成されている事を知っている葵だが、それを言えば凄まじくマズい事になる予感がしたので、それだけに留める。

 

「後一ツ、噂ニツイテデス」

 

「噂……?」

 

「最近、此処ノ近辺ノ路地裏ヲ凄マジイ速度デ走ル生徒イルト言ウ話ガ上ガッテイマス」

 

「……!」

 

 その噂の正体とは、おそらく今狼狽している葵その人だ。

 今日のようにどうしても遅刻をしてしまいそうな日、葵は“力”を使って電車より早く移動する事がある。

 昨年に仕込まれた隠密的な技術を利用はしていたものの、付け焼き刃程度のそれでは不足していたらしい。

 

「……余リ、無茶ハ為サラナイ様ニ。

 昨年ノ活動ノ積ミ重ネガ有リマスカラ、焦ル事はアリマセン」

 

「……はい」

 

「君ハ未ダ高校生ナノデス。大人ニ頼レル所ハ頼リナサイ。

 私ハ担任デハアリマセンガ、何カ有レバ相談ニ乗リマショウ」

 

「ありがとう、ございます……」

 

 葵は深く頭を下げる。

 そのままの体勢で途轍もない懐の深さに感慨を覚えていた葵だったが、その体から音が響く。

 腹の音だ。

 

「……シッカリ、食事ハ採ッテ居ルノデスカ?」

 

「朝もお弁当も食べました。今日は、その……」

 

「……フム」

 

 赤く染まった顔を上げて言い淀む葵を眺めていたコネコネだったが、彼は次に腕時計を見て思考している様子だ。

 

「……君ノクラス、次ノ授業ハ私ノ古文ダネ」

 

「……そうですね」

 

「私トシタ事ガ、準備ヲ完全ニ忘レテシマッテイタ。

 コレデハ、今カラデモ誰カガ購買ヘ行キ、何カヲ食ベテ戻レル位ノ時間ガ掛カッテシマウカモシレナイ」

 

「……いや、他の生徒も居ますしいくら何でもそこまでしていただくのは……」

 

「急グノデ、失礼スルヨ」

 

 一方的にそう言うと、コネコネは葵にもう一つ紙箱を手渡し、ウィンクをするとその場を去っていった。

 

「……ヨシュアさんと同じくらいカッコいいな」

 

 ■

 

『お話があるので、今日はすぐに帰ってきて下さい』

 

 葵のスマホに届いていた、シャミ子からのそんなメッセージ。

 元より、昨日の今日故にそのつもりであった葵だが、文章を呼んで違和感を覚えていた。

 昨晩あった事を話すのかとも考えたものの、どうにも雰囲気が違う。

 ただの文字の羅列に何を言っているのかと思われるかもしれないが、葵にはなんとなくそれが感じ取れる。

 

「喬木、探したぞ。荷物だ」

 

 放課後に急いで下校しようとしていた葵。

 下駄箱で声を掛けてきたその人物は、片手に袋を持った長沼だ。

 

「また布教ですか?」

 

「いや、これは真面目なヤツだ。もう帰るのか?」

 

「用があるんで」

 

「そうか。まあ早めに確認しておけよ」

 

 そんな簡潔な会話のみで荷物を受け取り、葵は帰路を急ぐ。

 電車に乗っている最中にした事は、空腹に支配されていた思考の再試行。

 それでも纏まることはなく、そして荷物の確認をしなかったことに後悔するとは考えず、葵は家に辿りつく。

 

「──と言う事で、これからケーキバイキングに行くんですよ」

 

「へえ、そうなんだ。楽しんできてね」

 

 葵の予想通り、シャミ子による話とは緊急の案件というわけではなかった。

 桜ヶ丘高校における体育祭実行委員の一年メンバー、その打ち上げに誘われたらしいシャミ子達はこれからそこへと向かうらしい。

 何故呼ばれたのかが分からなかったものの、葵は見送りの言葉をかける。

 

「何言ってるの? あなたも来るのよ」

 

「……は?」

 

 思わず、呆けた声を出す葵。

 その原因であるミカンに限らず、シャミ子も桃もそれが当然であるかのような表情をしている。

 

「……聞きたいんだけど、何の集まりだっけ?」

 

「体育祭のお疲れ交流会」

 

「……俺関係ないよね」

 

「……」「……」「……」

 

 返答はない。

 三人はジリジリと葵に向かって歩を進め、葵は引く。

 膠着する中、背を向けて一気に逃げ出そうとした葵だったが、一瞬の内に桃によって組伏せられた。

 

「何でそんなに俺を行かせたいの!?」

 

「そろそろはっきり紹介したいじゃない。

 ウガルル召喚した時の事で、あなた結構変な印象持たれてるのよ?」

 

「……だからって、こんな機会じゃなくても……!」

 

「そんなに嫌なんですか……?」

 

「ぐ……」

 

 人体の要所を理解した、桃による拘束。

 ()()()()()を突いた、ミカンによる拘束。

 力は皆無だが、とにかく必死なシャミ子による拘束。

 そんな状態で暴れることも出来ずに固まる葵。

 

「そんなに女子会に行きたくないなら、良い案があるわ。

 葵が女の子になればいいのよ」

 

「……ちょっと何言ってるかわかんない」

 

 葵から離れ、指を立てて名案とばかりに声を張るミカン。

 本気で現況が理解できずに首を傾げる葵をよそに、ミカンは部屋にいつの間にか置かれていたダンボール箱から大きくやや厚手のモノを出す。

 

「こんなこともあろうかと、葵に合いそうな服を用意しておいたわ!」

 

「そ……それは……っ!?」

 

 デーンと、そんな効果音が聞こえてきそうなほどに堂々と、ミカンが見せつける服。

 それは紛れもなく、結界の裏側で発見した謎のマネキンに掛かったそれその物であった。

 

(バカなっ……! “まちがい”は回避したはずだったんじゃ……!?)

 

 掃除したアレは、服ともう一つのものがセットになっていた。

 “もう一つ”は既に回避の道筋が立っているものの、片方が単体であるならば観た“まちがい”とは食い違っているのだ。

 

 と、そんな可能性に辿り着いて戦慄していた葵だったが、気が付けば桃とシャミ子による拘束も解かれ、ミカンが葵の肌に手を沿わせている。

 

「葵、綺麗な肌してるわよねぇ……」

 

「ッ……!?」

 

「イイ反応してくれるじゃない」

 

 ツツーと滑る指に葵が悲鳴を上げると、軽く息を乱しながらも笑顔となるミカン。

 

「葵は昔からベビーパウダー使ってるんですよ」

 

「清子さんに仕込まれただけはあるわね。

 ところで、何でベビーパウダーなのかしら?」

 

「……いいじゃん、ベビーパウダー。……あの匂いが落ち着くんだよ」

 

()()……なるほどね……」

 

 羞恥からうつむいた状態での葵の呟きに、したり顔を見せるミカンだったが、次に小さなポーチから小さな何かを取り出す。

 彼女の持つソレは、ある意味でクロスボウ以上に合致した()()にも見える。

 

「肌に合ってるみたいだし、下地はそれで良さそうね」

 

「……まさか、そこまでやるの?」

 

「当たり前じゃないの」

 

 逆らう権利など、存在していない。

 

 ■

 

「……もう諦めたけどさ、この髪型は……」

 

「すごい新鮮ですし、似合ってますよ!」

 

 姿見を前に毛先を摘む葵。

 もはや弄ばれる事自体は慣れてしまっていたのだが、今の髪型には少々の懸念がある。

 

「……桃はどう思う?」

 

「良いと思うよ」

 

 その“懸念”の要因である桃に対して葵は問いを出すも、帰ってくるのはそんな言葉。

 葵のその髪型とは、完全に下ろした毛先に軽くアイロンを当てたもの。

 何が問題なのかと言えば、髪を纏めていないということだ。

 

 いつも使用しているモノが無い事に違和感を覚える葵は、桃自身が良いと言うならそれで通そうと考えていたのだが、そこにピンク色の何かが乗った手が差し出された。

 

「これ、付けて」

 

「……良いの?」

 

 桃は頷くと、葵の前髪を留める。

 そのために使われた物は、桃が夏休みの手前辺りまで使っていたヘアピンだった。

 

「……似合ってる」

 

 ヘアピンの付けられた場所に葵が手を置くと、その上から桃が手を乗せてそう言う。

 

「……ねえ、葵。こっちも付けてみない?」

 

 そんな二人のやり取りを見て何を考えたのかは不明だが、今度はミカンが案を出す。

 

「……ピンクのエクステ?」

 

「……いいじゃない。私にだって形から入ろうとした時期が有ったのよ」

 

 ■

 

「……まさかここまで完璧に行くとは思わなかったわ。

 歩き方の矯正も必要無さそうだし」

 

「そんなことまで考えてたの……?」

 

 そうして、変装の済んだ葵も含めた四人は屋外の道を歩く。

 恐ろしき計画を口にするミカンに、葵は動揺を隠せない。

 

「……コート来てるのに寒い。何で肩出さなきゃいけないの……?」

 

「おしゃれは我慢よ」

 

「……下がすごいスースーする……」

 

「下にもう一枚履いてるじゃないの」

 

「そう言う問題じゃない……」

 

 葵は先程から何度も苦言を呈しているものの、軽くあしらわれている。

 『夏休みに女装したらしい友人のことを、腹を抱えて笑った罰が当たったのだろうか』と、そんな考えが葵の脳裏を巡っていた。

 

「……ていうかこの見た目で声どうすればいいの?」

 

「裏声でいいと思いますよ?」

 

「アレ、完全に女の子にしか聞こえないから」

 

「……」

 

 いつぞやに影絵芝居をした時などに使っていた葵の裏声。

 あまりにもあんまり過ぎて使うことはないものの、どこぞの先輩に強烈なデバフを掛けることが出来た等という逃避を葵はしている。

 

「む……君たちは……」

 

 そんな事を考えていたのが悪かったのか、件の先輩、長沼が目の前に立っていた。

 

(……いやおかしいでしょ。平日だよ?)

 

 休日ならばまだしも、平日の放課後と言うこのタイミングで何故わざわざこの町を訪問しているのか。

 その答えはすぐに示された。

 

「えっと……葵の先輩……ですよね?」

 

「ああ。喬木に荷物を渡したのだが、手違いで入れ替わってしまっていてな。

 メッセージを送ったのだが、既読すらつかん。

 どこに居るのか知らないか?」

 

「えっと……」

 

 長沼の問いに、葵を除く三人は目を見合わせる。

 ベビーパウダーに汗が吸収されるのを感じながら、葵は足を踏み出すと、面識のない女性に長沼が疑問符を浮かべる中、口を開く。

 

「たっ……喬木さんは少し遠い山に出かけてるみたいですわよ」

 

「……君も喬木の知り合いか?」

 

「え、ええ。ゆ……シャミ子ちゃん達程親しい訳じゃないですが……」

 

「……そうか。仕方ない、郵便受けにでも入れておくこととしよう。

 情報、ありがとう。それじゃあな」

 

 咄嗟に出た、震える裏声かつ滅茶苦茶な口調による偽証。

 それを聞いた長沼は納得したような素振りを見せ、喬木家の方へと歩いて行くが、彼が角を曲がり姿を消すまで葵の緊張は止まらなかった。

 

「……ハァ〜……」

 

「迫真の演技だったわね、葵」

 

「葵に『シャミ子ちゃん』って呼ばれるのも、何か良いかもです」

 

「そんなことより、そろそろ待ち合わせの時間」

 

 深く息を吐く葵に、各々の反応。

 そして桃の言葉に焦ったシャミ子とミカンは駆け出し、葵もそれを追おうとしたのだが、自身のスマホが震えるのを感じる。

 

『俺が一度聞いた声を忘れるわけがないだろう』

 

 と、開いたスマホの一番の新着にはそんなメッセージ。

 

「……」

 

 全身をガクガクと震わせる葵。

 しかし遠くに居るシャミ子達に呼ばれ、その動揺を誤魔化すように走り出したのだが、ふと疑問が浮かぶ。

 

(……あれ? 俺が別人装ってたら()()できないんじゃ……?)

 

 荷物をすぐに確認しなかったことと、そしてこの矛盾に突っ込まなかったこと。

 数時間後の“本題”に入る前に、二つもの後悔を葵は感じることとなる。

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