まちカド木属性 作:ミクマ
分かってるじゃないか
口の中のモノを飲み込み、息を吐く。
手のひらに乗る、独特の弾力を返すソレの断面からは鮮やかな赤色をした粘体が姿を覗かせており、見る者の欲をかき立てる。
それに逆らうこと無く、包み込んでいる粘体とは対照的に色味の薄く白い外皮へと鋭い歯を突き立て、中身ごと豪快に毟って口に含む。
幾度と無く咀嚼を繰り替えせば、粘体が口内に撒き散らされることでそれが持つ暴力的なまでの主張が味覚を支配して征く。
「……甘っ」
「いちごジャムなんだから甘いに決まっているだろう」
二度目の嚥下を完了した葵が思わず漏らした感想に、呆れたように返した者は隣に立つ長沼。
ここは府上学園の校舎裏。
今は昼休みであり、葵が行っていることは、単にいちごジャムの菓子パンを昼食として食べているだけに過ぎない。
「そりゃそうですけど。でも普通のやつよりなんか甘くないですかこれ?」
「俺的には、製造ラインの使い回しじゃないのが好印象だったりするぞ」
何故か誇らしげに、自らも持っているパンへの品評を長沼は語る。
葵が『普通のやつではない』と示しているそのパンであるが、決して特別なものではなく、言ってしまえばタダの大量生産品でしかない。
しかし長沼にとっては、ある点に於いてこれを選ばざるを得ない理由が存在していた。
「終わったなら次を頼む。横に切るなよ」
「はいはい」
長沼は腕にぶら下げた袋から、更にパンを取り出して葵に渡す。
そのパッケージには特徴的なキャラクターが印刷されており、つまるところ、葵と長沼が食べているのは特定の作品に関するオマケの付いた商品なのである。
「聞きたいんですけど、結局あの荷物なんなんですか?」
封入されている銀色の光沢を放つ薄い小袋を渡し、それを開いている長沼に葵は疑問をぶつける。
数日前に長沼から押し付けられた“荷物”。
葵は中身をその翌日には確認をしていたのだが、それが意味する所は分からずにいた。
こうして長沼本人に聞くまでに日が空いたのは、大恥をかいたが故に直接会う気になれず、入れ替わっていた荷物を長沼の下駄箱に詰め込むだけに留めていたのが理由だ。
「まあ今は持っておけ。その時が来れば分かる」
「まーた黒幕みたいなこと言ってますね」
意味深に笑う長沼に、葵も深く踏み込もうとはしない。
急ぎの用という雰囲気を出しながらも、今日この場に呼び出されるまで接触が無かったことから、長沼の答えはある程度予測できていた。
そして本日の用件というのも、『このパンの処理を手伝ってほしい』という物でしか無く、本命の目的を持っているのはどちらかといえば葵である。
「……
「何だ?」
「大好きな人間がいて、その相手も自分を好いていてくれてるんですけど。
もしかしたらそれが……超常的な力で誘導されたものなんじゃないかって疑いを捨てられないんですよ。
……そのキャラは」
葵が最後にそう付け加えると、長沼は薄く開かれている瞼を僅かに動かす。
少々わざとらしすぎたかとも思ったものの、葵は説明を続ける。
「で。いろんな状況からしてそれが……スッキリするオチになるとは思えなくて。
先輩的には邪道かもしれませんが、参考までにどんなパターンがあるか御教示願いたいです」
「……今期にはその手の作品はなかったな。どんなタイトルだ?」
「先輩のお眼鏡に叶うかわからないんで」
「……そうか」
そうして長沼が思考を始める中、葵はまたパンを一口放り込んで黙々と噛み始める。
なぜ長沼に対してこのような話題を投げかけたのかは、葵にもわからない。
言葉の端々に妙な説得力を持つ“先輩”への期待か、それとも一切の関係を持たないが故の八つ当たりなのか。
「そのキャラは、どういった状況でその超常的な力に手を出したんだ?」
「……元々は他の目的の為なんですが、どれだけの範囲に力が及んでいるのか分からずに、大切な人の人生を歪める事がその目的への一番の近道だったのかもしれないと……怯えているように見えます」
言った後で、最後の表現が状況に相応しくないと感じた葵だが、もはや構うことはない。
「……そうだな。穏便に済む場合だと、干渉されたのは出会いだけだったとか、本来有る運命に便乗するだけだったとかはよく見る」
その可能性は、葵にもおぼろげながら浮かんでいた。
まさか、彼女が那由多誰何のように湯水の如くご褒美を消費できたとも思えない。
『結界に逆らって魔法少女が魔族に遭遇する』という物にも3枚も使う必要があり、1枚の力は対象を自身のもとに引き寄せる程度。
それすらも、強制的に不信感を拭わせる等という効力は無かった。
「俺の好きな奴だと、『相手の本心からの感情を後押しするものであり、強制力は無かった』……なんてのが有るが、お前の言っている物とは関係なさそうだ」
そして、直前の休日の邂逅すら捻じ曲げられた物だとすると。
辿ってきた道筋を遡れば、今目の前に居る長沼との初対面ですら仕組まれてきた物という可能性が出てしまう。
「……それ、面白そうですね」
「興味が湧いたなら1巻……いや、2巻まで貸してやろう。
で、だ。お前のそれに予測はついたか?」
「……どうでしょうね。まあ、いい感じに落ち着いたら先輩に教えますよ。
バッドエンドだったら……その手のネタバレは先輩は怒るでしょう?」
「分かってるじゃないか。自分で探し出すさ」
なんだかんだで年単位となっている彼との関係が歪みの結果であるとは、葵は思いたくない。
それなりの確信を取り戻した葵は、寄りかかっていた校舎から離れ、長沼に背を向ける。
「……じゃあ、俺弁当有るんで。そろそろ行きますね」
「ここで食えばいいだろう」
「あっまいジャムも嫌いじゃないですけど、それはそれとして口すすぎたいんですよ。
箸休めして一人で落ち着きたいです」
「……ああ、なるほど。今日は愛妻弁当の日か」
葵から見えはしないものの、その声だけで長沼の表情が手に取るように分かってしまう。
最近増えてきた、ある程度の事情を知る者達からのこの手のからかいではあるが、それを葵は不快だとは思っていないし、なんなら有る意味で心地よくさえ思えるものだ。
「別に俺は一日程度ずらしても良かったんだぞ?
消費期限もギリギリ保つからな」
「わざわざ見切り品じゃない物買ってるのに待たせるのも悪いでしょう」
「……お前にとってはそこまでスケジュールを詰める程の物、ということか」
小さく笑い声を漏らす長沼。
そのあたりの優先度が相応に高くなっている事を葵は否定しない。
「……ああ、そうだ。さっきの話だがな、もう一つ俺の好きなパターンがあったぞ。
“疑いがきっかけで痴話喧嘩になって、半ギレ状態でお互いの好きな部分を言い合って仲直り”。
あれもあれで良いものだ」
「……」
一月ほど前に経験した、これまでの話題とはまた別件である疑いと、その否定。
喧嘩と呼ぶには少々遠くはあるものの、思いの丈をあるがままに打ち明けるという意味では似たようなものだろう。
特に重要と言えるのは葵ではなく桃による説得であり、その中には先程長沼が語っていたものと近い理屈もあった。
そしてその後の、前向きな開き直りとも取れるあの言葉。
彼女には……どうにか、ギリギリで、それが出来ないだろうか。
二つの疑いの決定的な違いは、それを起こした者が明確に自我を持っているかどうかだ。
善意からの改善と、そもそも意識と呼べるものが存在するかどうかも怪しいモノによる力の差。
システマチックなソレが、“効率的”な必要最低限の干渉であったならば、彼女の疑心を晴らせられるかもしれない。
無論、葵よりも長く悩んでいた以上、ずっと前にそれにたどり着いていた上で更なる否定を返されてしまう可能性はある。
仮に答えを見つけられたとしても、葵がそのまま伝えれば激情を煽るだけだろう。
「……ああ、本当にもう弁当食べないと」
「そうか。じゃあな」
なんにせよ、ご褒美の力の程を計らねばならない。
身の回りでは手掛かりとなりそうな物が思い当たらず、であるならば、それを使いこなしていた那由多誰何への対策こそが現状の道ではないかと。
そう考えながら、葵はこの場を後にした。
「説得されるところまで含めての“誘導”。
……そういうパターンも有るがな」
一人残った長沼による呟きは、誰の耳にも届くことはなく、風に乗せられて消えて行く。
■
「……喬木か。こっちに来るの久々じゃねえか?」
放課後。葵は己が所属している身である、ゲーム制作部(仮)の部室へと足を踏み入れる。
そこにいたツンツン髪の男子生徒、風間堅次は葵の姿に若干驚いたような様子を見せた。
「そうだね、色々と用事が一段落したから顔出しに来たんだ。一応俺も部員だし」
「んな義理立てて来るような場所じゃねえと思うけどな……」
「……ところで、今風間くん一人?」
「あん? まあそうだが……前にもこんな事あったな」
椅子に座り、分厚い
そんな中、葵は部室の入り口から顔だけを廊下に出して、キョロキョロと周囲を見渡している。
「……何してんだ?」
眉をひそめている堅次からの問い。
しかし葵はすぐさま言葉では答えずに、静かに扉を閉めると再び堅次に向き直す。
そしてその場で膝を折り、上半身を前に倒して両掌を付き、額を床に擦り付けた。
「すみませんでした」
「……んだよ、いきなり」
滑らかな動きで土下座へと移行し、謝罪を口にする葵。
だが、目の前で唐突に行われた奇行に対して堅次が最初に見せた表情は、あからさまに面倒臭そうな感情を隠そうともしないもの。
「とりあえず顔上げろ。夏休み前の時といい適当にしか掃除してねえんだから」
「……」
「何あったのか話してみろよ」
とはいえ、彼が元来から持つ面倒見の良さ故か、気怠げながらも声をかける堅次。
葵はそれを聞き、スッと体を起こすと話を切り出す。
「風間くんが夏休みに女装したこと笑って申し訳有りませんでしたッ!」
「やっぱお前口閉じてろ!」
ダァン! とアイラブをテーブルに叩き付けながら堅次は叫ぶ。
葵が口にしたソレは堅次にとって、勢いのままに思わず立ち上がってしまう程に聞き捨てならない話題である。
「最近になってようやく忘れられそうになって来てたってのによ……!
古傷抉るような真似しやがってどォいうつもりだコラァ……」
唇の端をひくつかせている堅次は、関節の曲げられたそれぞれの指々を今にも完全に握り締めそうになっているものの、それでもまだ話を聞くべきだと、己を留めているようだ。
そんな彼の鋭い睨みに射抜かれた葵は背筋を伸ばし、深呼吸を1セット行う。
「……高尾さんが家に帰る時に荷物持ちでついて行ったけどお父さんと鉢合わせそうになって男子の家に泊まっていた事がバレないようにやむを得ず風間くんが女装することになって──
「ケンカ売ってんのかテメェーッ!」
■
「……つまり、なんだ?」
“自身が聞いた一部始終を余すことなく言葉に起こし、それらの出来事を逐一明確に回想させる”という、古傷を抉るどころか突き立てた刃物で前後左右に掻き回すような、地獄の責め苦で神経を逆なでされた堅次は一度完全にブチ切れたものの、平謝りをする葵を見て一周回ったかのように動きを止めて椅子に座っていた。
ただ、未だ青筋を浮かべた額を手で押さえている辺り、一周した上でまた半周程度回っているようにも見える。
「お前が女装することになったから、俺を笑った事を謝りたくなった……てか?」
葵が必死に伝えた弁解を、堅次が脳内で整理して確認を返す。
それを聞いた、正座した状態の葵はただひたすらに何度も首を縦に降って肯定を堅次へと示している。
こうして、アレな状況ながらも堅次に謝意を表明している葵であるが、その感情を抱いた瞬間からは当然すでに数日が経過していた。
すぐに伝えようとしなかった理由としては、まず携帯越しでは誠意に欠けると考え、かと言って教室で広める話ではなく、堅次の幼馴染達との集まりで切り出すのも抵抗が有る。
忙しかったというのも有るには有るが、仮部の部室に複数人が居る気配の無い日を狙った結果がこれだ。
それすらも、葵のワガママでありお得意の引き伸ばしなのだろうが。
「風間くんが……思い出すだけで過呼吸になる位嫌ってることを……! 腹抱えて笑ったのが本当に……申し訳なくなってぇ……」
しどろもどろになりながらも、そんな感情を吐露する葵。
著しく体調を崩す程のトラウマを持つ葵が、要因が異なるとはいえ似た症状を訴えていた者を笑う、という行為をしてしまった意味を数ヶ月経過してようやく理解したのだ。
「……もういいから忘れろ。話題に出すな。思い出させんな」
シッシッと、片手を払う動作をしながら、堅次はそう言って更に言葉を続けそうな葵を制止する。
やはりまだキレ気味には見えるものの、それ以上に早急に記憶から抹消したいという思いが強いのだろう。
「あー……しっかしお前も大変なんだな」
「え……?」
「状況で言葉封殺されて周りに無理矢理女装させらされたんだろ?」
「……無理、矢理……」
天を仰いでいる堅次による、自身の経験を元にしているらしい問いを聞いた葵は、その言葉を反芻し、返答を考えようとしていた。
の、だが。
「……ちょっ……ちょっと待ってくださいよ……!」
その思考は入り口の引き戸が勢い良く開け放たれる音によって遮断される。
部室に入ってきた人物は仮部の部員達……ではなく──
「稲田?」
「稲田さん?」
──本当のゲーム制作部の部員である、メガネの女生徒、稲田。
彼女は戸の端を片手で掴んで己の体を支え、飢えた獣の如き眼光で葵を見つめている。
「喬木先輩が女装したってマジっすかァッ!?」
「ッ──!?」
それを叫ばれ、葵は盛大に吹き出す。
稲田はワナワナと震えたかと思えば、先程とは一転して調子の良さそうな、あたかも大好物を目の当たりにした子供のような雰囲気を醸し出し始めた。
「喬木先輩は長沼先輩攻めしか有り得ないと思ってたけどそんな可能性出されたら考えざるを得ない風間子ちゃん×アオイちゃん……いやリバも捨てがたいポテンシャルがありすぎて困る……薔薇で作った百合の造花ァ……ッ!」
「……コイツ何言ってんだ?」
「半分くらいわかるけどわかりたくないなあ……」
完全に自分の世界へとトリップしてしまった稲田を、白い目で眺める堅次。
そして葵は半端に溜め込んだ知識のせいで、目の前の彼女が自身をそんな風に見ていた事が分かってしまい意気消沈したようにため息をつく。
「風間子ちゃんは服とカツラである程度想像ついたけど喬木先輩のイメージが定まらない……。
喬木先輩はどんな格好したんですか!?」
「いや教えないけど……」
「ならばその望み、俺が叶えよう」
「──長沼先輩!?」
鼻息を荒くして近寄る稲田の詰問に、葵は当然証言を拒否したものの、そこで更なる人物が現れた。
入り口に立ち、キメ顔でサムズアップをしている長沼に、葵よりも素早く稲田が反応して振り返る。
「……このスマホに喬木の女装写真が入っている。見るか?」
「是非に!」
「は!? いつの間に写真なんて……ていうか内緒にしてくれるんじゃなかったんですか……!」
狼狽し、長沼に詰め寄る葵。
特に口約束をしていたわけではなかったが、町中で遭遇したときにわざわざメッセージで確認をしてきた事と、高校内には広まっていなかった事から葵はそんな判断をしていた。
「俺から広める気はなかったが、お前が自爆したとなれば話は別だ」
「……!」
「……これ本当に喬木先輩ですか?」
「ああ、こいつ声まで作っていたぞ。
生徒会の活動で紙芝居のボランティアに行った時に初めて聞いてから才能有るとは思っていたが、まさかあそこまでハマるとはな……」
いつの間にか受け取ったスマホを凝視している稲田による質問に、長沼は感慨深そうに語る。
それらを聞いて戦慄していた葵だったが、ディスプレイに映る写真が目に入って再び固まってしまう。
写っている葵がカメラに対して視線を寄越していないのはまだいい。
気になるのは背景だ。
葵にピントが合っているが為にボヤけてはいるものの、非常に既視感の有る台所が見え、更に冷蔵庫の機種などを見ればそれが何処であるかは明白。
葵としては撮られた事自体は構わないのだが、今度は何故それを長沼が持っているのかという問題が浮上する。
彼女と長沼に接点はないはずで、だとすれば写真の転送を仲介した人物が居るのだろう。
そしてその仲介者も葵が女装をした事実を把握しているということであり、撮影者と長沼を繋ぎ得る唯一の存在とは──。
「あ゛あ゛あ゛ア゛ッ゛!?」
絶叫。その場に崩れ落ちる葵。
虚ろな笑みで感情の籠もっていない笑い声を漏らし始めた葵に、堅次は心からの哀れみの目を向けた。
「大丈夫かお前……」
堅次によるそんな言葉は耳に入る事は無く、葵は得意技たる現実逃避を始める。
思考はどんどん巻き戻り、止まったのは稲田が部室に入ってくる直前、その時に投げ掛けられた堅次の問い。
『周りに無理矢理女装をさせられたのか』という旨のそれでは有るが、葵はその場で頷けなかった。
確かに状況によって封殺されたという面はあるが、しかし葵が本気で拒否を示していたら彼女達は諦めていただろうし、なんなら絆される所まで読んで提案をした節は感じ取れる。
さらに言えば、今は葵自身『今後何かしらの武器として使えるならば、再び行うこともやぶさかではない』などと考えている部分はある上に、何だかんだで『かわいい』と褒められた気分は悪いものではなかった。
結論を言えば、以前に別の人物に語ったように、“無理矢理”振り回される事を葵は悪くは思っていないし、むしろ、やはり嬉しくも感じるのだ。
「……なんかお前
漏れる微笑の意味が変わったことを察知した堅次に、葵は胡乱な目を向けられる。
……対象は限定されるが、割とそっちのケはあるのかもしれない。