まちカド木属性 作:ミクマ
「呪い……ですか?」
現出させていたクロスボウを光の粒子と化させて消し去った後、咄嗟に取っていた行動を誤魔化すように、ミカンは己の呪いの事を芦花へと打ち明けた。
「近くに住む事になるから、迷惑をかけてしまうかも知れないけれど……」
その呪いは自身の緊張や気の動転をキーとして発動し、周囲へとささやかな不幸をもたらしてしまうことを説明すると、ミカンはおずおずとそう話を締める。
「……それは、大変ですね。
……でも、私もしょっちゅうトラブル持ち込むと言われてるのでおあいこだと思いますよ!」
それを自称するのか、と隣で聞いていた葵は思わないでもないが、芦花なりのフォローなのだろうと結論づける。
ふんすと胸を張る芦花の様子に、ミカンは覗かせていた緊張が解かれたようで軽く息を吐いていた。
「……ちょっと安心したわ。シャミ子の学校でもこう行くと良いんだけど」
「大丈夫だと思いますよ、ミカンさん。私のこの角が生えたときも、みんなに少し驚かれたくらいでしたから」
「柴崎さんと俺は別のところだけど、この町の人もだいたい似たような感じだしね」
「それはそれで心配になるわね……」
「まあ、一月以上後の事だし今から心配しすぎるのも良くないと思うよ」
と、続けてシャミ子と葵もそんな励ましをかけると、今度は芦花が問いを出す。
「話を聞く限り、陽夏木さんはシャミ子さんの高校への転校生のようですが……お一人、なんですよね?」
「……そういえば、言ってなかったわね。えーっと……」
「話しても大丈夫だよ。優子の事情知ってるし、柴崎さん自身も闇属性だから」
「……そうなの?」
葵が後押しの言葉をかけると、誇らしそうにしている芦花を眺めながらミカンは呆けた声を漏らすと、小さく『通りで……』と呟く。
そしてミカンは自身が魔法少女であり、他の土地で暮らしていた所をこの町の魔法少女に呼ばれ、町とシャミ子を守るために引っ越してきたと話した。
「だから、シャミ子とか柴崎さんを狩りに来たわけじゃないの」
「……“安全”、とはそういう意味ですか……」
「柴崎さん?」
「いえ。……ところで、その……町の魔法少女さんの家には住めないんですか?」
「あ、そこ私も気になってるんです。桃のお願いで来たんですし、別に部屋を借りなくても……」
「うん……でもちょっと一人で考えたいこともあって……」
ミカンにとって桃と千代田桜は恩人であり、しかし桜が失踪している現状と、なによりそれを桃に隠されていたことに思う点があるようだ。
「……あ、ごめんなさい柴崎さん。いきなり知らない人の話をして」
「喬木さんに説明して頂いてるので問題ないですよ。
陽夏木さんのお話は喬木さんとシャミ子さんにとって重要みたいですし、どうぞ続けて下さい」
さして気に留めていない様子で、芦花はミカンによる話の続きを勧める。
芦花の主張が割と激しいことを知っている身として、彼女のこのような態度を少し意外に思った葵だが、口には出せず。
ミカンが具体的にどう桜に世話になったのかを語ると、葵と桜の関係をシャミ子が聞き、そして畳に転がる邪神像からの疑問にも答える。
「千代田桜さん、立派な方のようですね。機会があればお会いしてみたいです」
ミカンと葵による、桜の人となりの説明を聞いた芦花はそんな感想を漏らす。
この時点で、葵が芦花に対して聞くべきかどうか迷っていた事の答えはほぼ確定したようなものだろう。
「とにかく……格安でいい感じの物件も見つけたことだし、それなりに頑張るわよ。
多少古いのが気になるけど壁紙を補修して……」
葵が考えている中、ミカンが今後の方針を口にすると同時に壁紙が剥がれ、中から謎のお札が姿を現す。
それを見て絶句した後に震えだすミカンだったが、芦花はそんな状況においても聞き役のような態度を、ミカンに対する労いを見せつつも崩さない。
「今日お会いしたばかりですし、シャミ子さんや喬木さんのほうが頼りやすいかも知れませんが、何かあればおっしゃって下さい」
と、芦花からそんな言葉をかけられ、ミカンは深呼吸をして気持ちを整えようとしていたものの、あることに気がつく。
「……おかしいわ。ここまで取り乱したら呪いが出るはずなのに……」
かえって冷静になったようで、自己分析を始めるミカン。
そう。ミカンは壁の内側を見て相当に動揺していたというのに、どこからともなく植物であったり蜘蛛や大蛇のような野生動物などが出てくることはなく、何故か“呪い”らしき兆候は見られない。
「そういえば、さっき隕石の話を聞いた時にも何もなかったわね……」
自問をするが答えには至らず、それを求めたミカンは根拠もなく葵とシャミ子を見るが、二人のリアクションも似たようなもの。
「……あの、陽夏木さん。私はあまり事情を知りませんが……知り合いがいて落ち着いてるという事ではないのでしょうか?」
「……」
芦花による推察にミカンは沈黙する。
そのままの状態で巡る思考で最も大きいのは、やはり『その程度で収まってしまうものなのか』というもの。
しかし呪いと最も長く付き合ってきたミカン自身をして、それを明確に否定できる気もしなかった。
「……ミカンが10年前にはこの町に住んでたっていうならさ、戻ってきて少し経ったから昔を思い出して慣れてきた……とかもあるんじゃないかな」
「葵、もしかして照れてます?」
対して、自分が関係している可能性を極力薄めた説を口にすると、それをシャミ子からかう。
二人のやり取りにミカンは少々の間シャミ子と葵を順に眺めると、軽くうなずく。
葵の方を僅かに長く見つめていた中で、視界の外の芦花が複雑な表情をしていた事には気づかずに。
「……柴崎さんが言ってくれた事が合ってたら嬉しいわ、本当に」
「これから色々調べていきましょう、ミカンさん。葵も協力してくれますよね!」
「もちろん」
『……この前の桃との顛末を聞いてから考えておったのだが、余は千代田桜の捜索を最優先にすべきだと思うぞ』
ミカン達が和らいだ雰囲気の中で共同戦線を張ろうとしていると、そこで再びリリスが口を挟む。
曰く、吉田家及びヨシュアの封印も、ミカンの呪いについても最も知識を持っていると思われるのは桜であり、彼女を見つけ出してしまえば全てが同時に進行するだろうと。
例によって裏での企みこそあれど、その意見自体は紛れもなく正論にして巧妙であり、場の面々は像に詰め寄って次々とリリスへの称賛を始める。
「ご先祖様なだけあって、さすがの知恵袋ですね。
これだけ博識な方がいて、シャミ子さんが羨ましいです」
『とっ……当然であろう! なんたって余は闇の始祖だからな!』
羨望の言葉に言葉を震わせつつも鼻が高そうなリリス。
芦花のそれがどこまでが場のノリに合わせたものなのかは不明ではあるが、輝かせている瞳自体は本心だろう。
そうして上がったテンションのまま、シャミ子とミカンに芦花は新生活に胸を躍らせ、今後の算段を立て始める。
特に芦花の表情は、高校の部活動の時によく見る雰囲気を纏わせており、何か他の思惑が混じっている等と疑う余地もない。
「柴崎さんも、いっしょに桃に挨拶に行きましょう!」
「是非ご一緒させて下さい! ……おや? 喬木さんは……?」
ようやく平静を取り戻した三人だが、そこで葵が部屋におらずに何故か廊下に移動していたことに気がつく。
そして隣には、噂をすればと言うべきなのか、モ゛━━ンと重い圧を自らに落とした桃がいた。
清子に挨拶をするための品を相談に来たようだが、実に楽しそうな空気を感じ取ってこのような事になってしまったらしい。
が、そこで更なる乱入者。
薄い壁を挟んで全ての会話を聞いていた清子が勢いよく割り込み、それを追ってつつじまでもが狭い廊下にギッチギチに詰め込むことになった。
「……おかーさん、それなんですか?」
そしてシャミ子が目を留めたのは清子の手に乗っていたモノ。
掃除用のはたき……ではなく、何かが盛り付けられた皿を清子は持っている。
「つつじさんがお昼として作ってくれたんです。美味しかったですよ」
「……シャミ子……ちゃんもよかったら……フレンチトーストなんだけど」
「ふれんちとーすと!? 何ですかその名前だけでスンゴイおしゃれそうな食べ物は!?」
差し出された物に、天井を貫きそうなほど勢いよく尻尾を立たせて叫ぶシャミ子。
つつじは少々戸惑ったようではあるが、興味津々なシャミ子の様子に笑みをこぼす。
そんな二人のやり取りに、ミカンは察したように葵を見る。
「あれがさっき渡したもの?」
「冷蔵庫とタッパー貸しただけだよ。
……食べてみたいなら貰えると思うけど。
結構な量浸してたし、何なら俺、起きて軽く腹に物入れたからその分あげるよ」
「そういう意味じゃないんだけど……」
貸し借りを作りたくないだとか、そういった意図なのかも知れないが、それでもさらりと“人数分”のカウントに葵が入っている事にミカンは思うところがないでもないようだ。
とはいえ、堂々と口にすることもなく、ミカンはつつじへと近づき改めて挨拶をすると、交渉を始める。
「……葵」
と、そこまで硬直していた桃がようやく動き出して葵を呼ぶ。
桃が見せている困惑は当然、二人の見知らぬ人物が要因だろう。
「ああ、ごめん。紹介してなかったね。
柴崎芦花さんとつつじさんって言って、昨日姉妹で引っ越してきたんだ。
……で、その……」
「葵?」
「……闇属性の家系なんだ、柴崎さんたち」
「……!」
言い淀んだその紹介に、桃は強い驚愕を表す。
葵はその反応が『知っていて隠していたのか』といったような、自身の過失に関するものだろうと思い、何を言われても受け入れるべきだと考えていたのだが……桃はまた別の何かに気を取られているように見える。
「……あの、柴崎さん」
そうして葵から離れて声をかけた対象は、芦花ではなくつつじ。
葵は桃にどちらが姉とは言っておらず、容姿から年長っぽい方に目をつけたのだろう。
「闇属性……なんですか?」
「……そういうのは、私じゃなくてお姉ちゃんの方が……」
「そうですよ! 私のほうがお姉ちゃんですよ!」
ただならぬ様子の桃に気圧されたつつじが姉の方を見ると、芦花は小さい体をぴょんぴょんと弾ませて目一杯のアピールをかます。
「あー……柴崎さん。今更聞くけど……桜さんのこと知ってたりしないよね」
それを聞いたのは桃ではなく葵。
再び固まってしまった桃に代わろうという思いなのだが、桃が実際に考えている事とはズレが生じていることには気がついていない。
「最強の魔法少女だという噂は耳にしたことがありますが、後の知識は先程聞いたお話くらいです。
もしかしたらお母様が何か知っているかも知れませんが……今お母様はあちこちを飛び回っていて忙しいので、自由な連絡が取れないんですよね。
返答が遅くなってしまうと思いますけど、聞いてみます」
「……ありがとう、柴崎さん」
あっさりと出された提案に、ばつの悪い感情を隠しながら礼を返す葵。
こんな簡潔に済むやり取りにどれだけの時間をかけていたのかと、葵の脳裏に過去一年ほどの行動が思い浮かぶ。
「……柴崎さんのお母さんは、姉を知っているんですか?」
続けて出された、声を震わせた桃による問い。
動揺を隠せていない彼女の様子を、自身の家族の手がかりを得られるかも知れないという予感からのものだと、そう葵たちは受け取っている。
「ごめんなさい。私はお母様から直接聞いたことはありません。
ただ、この物件を用意してくださったのがお母様で、先程お姉さんが関わっているかもしれないと、そう聞いたものですから……」
「……お母さんがここを知っていて、それで……」
「……千代田さん?」
「ッ……闇属性の
先程葵から聞いたその情報を、本人へと確認を取る桃。
その言動は何かに怯えているようにも見えるが、芦花は天然なのか重い空気を正すためなのか、胸を張って答えを返す。
「はい! 代々闇の力を継承する一族です!
祖先からの家業を受け持つ偉大なるお母様の後を継ぐため、私も生まれた時から闇の力を鍛え続けています!」
「生まれた時、から……」
本当に堂々と、誇らしげに。
お母様とやらも祖先とやらも、受け継ぎ鍛えている闇の力とやらも、芦花の自己紹介に対して嘘であるという疑いは欠片も持てない。
そして『生まれた時から』という言葉についても、いくら芦花の見た目が幼くとも、ギリギリ二桁に届くかどうかと言う程の物でもない。
「私の歳、気になりますか?
ふふふ……私は4月10日生まれの17歳! 高校二年生!
一年生の皆さんはもちろん、喬木さんよりもおねーさんだと自負してますよ!」
「いや、そりゃ俺誕生日まだだけどさあ……」
「……え?」
“後輩”が一箇所に集まっている事で舞い上がっているのか、桃の反応を妙な風に受け取った芦花は先程にも増して鼻高々と己が年齢を誇示する。
それに葵は軽くツッコミを入れようとしたのだが、続く言葉は桃の呆けた声によって途切れさせられる。
「……葵、誕生日まだなの?」
「え? ……まあそうだけど」
「……何歳、だったっけ」
「前に16って言わなかったっけ?」
と、二ヶ月ほど前の会話を思い返す葵。
それは桃もはっきりと覚えており、明確な記憶と、そして芦花がわざわざ『一年生の皆さん』と葵を分けていた事が合わさり、ちょっとした勘違いがここで解ける。
「……えっ」
■
桃は大層混乱した様子であり、しどろもどろになりつつも、自身もばんだ荘へと引っ越すというもう一つの目的を皆へと伝えたものの、挨拶品を買いに行くという理由で場を離れた。
軽い出迎えの挨拶を交わす程度の事しか出来なかった葵は、桃が動揺していた理由を考えるが、まさか年上どうのこうのが主因だと思うわけもなく、かといって姉の所在についてというのもどこか違うように思えた。
「……ミカンはどう思う? さっきの桃の様子」
結局踏み込むことは出来ず、桃が買ってきた牛肉を使ったすき焼きパーティを行うこととなり、現在葵はミカンと良子と共に買い出し……という名の隔離措置を受けてスーパーへの道を歩いている。
戻ってきた桃は表面的には平静を取り戻していたように見せていたが、当然そのままは受け取れずにおり、今いる人間で最も桃のことを知っていると思われる人物へと問うたのだが、ミカン自身、その表情は芳しくない。
「分からないわ。柴崎さんの話のどこに反応したのか……何も分からない」
芦花の話していた事は言ってみれば親自慢であり、不仲などを匂わせているのならともかく、普通に仲睦まじそうな内容そのものからは悲壮感はないだろう。
自身と比較して、というものならあり得るかも知れないが、どうにも読み取れず。
「私も、桃に初めて会ってからだと一緒にいた時期のほうがずっと短いから……」
友達だと思っていても、知らない事が多く判断材料が不足している。
「……良は、相手の懐に入り込むのが必要だと思います。
ミカンさんは桃さんに信頼されてるみたいなので、もっと深く踏み入れられれば自然と話してくれるんじゃないかと」
今まで静かにミカンの呟きを聞いていた良子が、己の意見を述べる。
それは先んじて姉へと教えていたものに近く、すでに一定の成果を得られていたからこそこの場においても発したものだ。
「お兄もおかーさんも、お姉と桃さんが自分から聞こうとしたから、おとーさんの事話そうと思ったんだよね?」
「……そうだね」
良子の言う“懐”に入られてなるものかと、葵は守りを固めていた。
それがちょっとしたきっかけで、10年秘していた物を解き放つ事となり。
「……問題は私の方ってことね。一発通り雨でもぶつければ良いのかしら」
良子と葵によるやり取りを眺めていたミカンは、憂いを見せながらも今後の展望を立て始める。
「でもやっぱり怖いわ。私にも……人に話しにくいことはあるし」
「……」
「葵はそういうの、あったりする?」
「……。……学校のことはあんまり聞かれたくないかもね」
■
「なんというか……スゴイですね」
吉田家の台所にてすき焼きの準備をしているつつじと芦花は、ある種の戦慄を覚えていた。
その感情を芽生えさせた原因となったのは、今は切り出した具材を皿へと並べている桃が主である。
「盛り付け……盛り付け……」
「きさまなぜ変身している!?」
菜箸でザルから食材を取って移す、というだけの作業であるのに、桃は凄まじい気迫を持って任務を完遂しようとしており、その心持ちが魔法少女へと変身した姿となって表れていた。
結果しいたけが光りだす自体に陥り、それをシャミ子が止めることになったのだが、二人がいる机から多少離れた流し台の辺りから眺めていたつつじは意外そうな顔へと変わる。
ミカンの部屋で桃と初対面した際、つつじが感じた印象は恐れと呼ぶ以外に形容できなかった。
何かしらの並々ならぬ事情があるという事はどうにか読み取れたものの、歴戦の魔法少女が感情を抑えきれずに放った圧は、それこそ幼馴染である白髪の鬼人のそれに匹敵する物であり、ほぼ一般人なつつじを内心震え上がらせるには十分すぎた。
「桃よ、長きに渡る観察の末、きさまの弱点を一つだけ見つけたぞ!」
尊大な口調でそれを突きつけるシャミ子に桃は面食らった様子ではあるが、つつじには他に大きな感情が生まれているようにも見える。
少し前の、テキパキと準備を進める清子からの指示を受けた時もそうだ。
誰がどう見ても料理に不慣れな桃ではあるが、苦手なりに精一杯動いている彼女は先の印象を一転させるものであったし、何より今シャミ子から助言を受けている姿はつつじに強い共感を覚えさせた。
「妹属性……」
余計な単語がくっついているが、つまりはそういうことだ。
“母親”の頼みを聞こうとする点も、“姉”の手引きを握り返す様子も、大人びた雰囲気とはかけ離れた幼い子供のような振る舞いは、つつじに自身の影を重ねさせる。
「つつじさん?」
「あ……」
色々と考えているうちにぼーっとしてしまったようで、つつじは清子から心配そうな声をかけられた。
つつじは清子のそれを払拭しようと取り繕っているのだが、そこもまた桃に似ている部分があることに本人は気づいていない。
「……清子さん!」
「どうしました?」
「今から温泉卵作ってもいいですか?」
「温泉卵……いいですね。いいお肉に似合う豪華なすき焼きになりそうです。
となると……卵を多めに買ってきて貰ったほうが良さそうですね。
私は葵くんに電話をするので、火の番はつつじさんに任せます。楽しみにしてますね」
「……はい!」
つつじが元気に返事をすると、清子は微笑んで固定電話の方へと向かう。
それに代わって、大きな声に反応したシャミ子と桃がコンロの下へと寄ってくる。
「つつじちゃん、お昼のフレンチトーストも美味しかったですけど、もしかして卵料理得意なんですか?」
「よく作ってもらってますが、つつじちゃんのごはんは何でも絶品ですよ!」
「……温泉卵って、家で作れるの?」
「そこから……?」
つつじは桃の事情を一切知らないし、話の流れで知った姉の失踪についても自身が同じ状況に陥ったらどうなるかは想像もつかない。
だが、普通の妹らしい言動から、つつじは桃の事を『恐れを持つべき対象ではない』と理解できた。
自分から話しかけるのはまだ少々難しいかも知れないが、内弁慶気味なつつじとしては大きな一歩だろう。
■
準備を終えて歓迎会は始まる。
ただでさえ広いとは言えないばんだ荘で、昨日にも増した人数で一つの鍋をつつくというの窮屈ではあるが、その程度では盛り上がりを邪魔する理由にもならない。
高級肉はそれをさらにかき立て、崩れのない色味の美しい卵と合わさり芸術とまで言えるほどになる。
それらの功労者の片割れにまで上り詰めたつつじはといえば──
「……グスッ……ふぐっ……」
──座る清子に抱きよせられ、背中を擦られながら激しく泣きじゃくっていた。
「……お母さんの事はすき、大好きだけどぉ……何やってるのか訳わかんないことが何度も、なんどもあってぇ……!」
「きっと、苦労してる所を見せたくなくておどけているんだと思います。
親というのはそういうものですから。
つつじさん達のお母様は、今もお家を再建するために頑張ってらっしゃるんでしょう?
また一緒に住めるようになったら、これまで通りに接してあげれば喜んでくれるはずです」
「うぅ……おかーさん……」
どういう経緯なのか、つつじは己の悩みを清子へと打ち明けており、巧みな話術によってどんどんと思いの丈を顕にし、最後には言葉にならない感情を嗚咽として表出させ続けるに至っていた。
「……あれ素面? 間違ってアルコール入ってたりしないよね?」
「色々あってつつじちゃんも疲れていたんだと思います。そっとしておいてあげましょう」
なんだかんだで、芦花もれっきとした姉なのだろう。
慈しみの目を向けられているつつじは、ゆっくりと俯くようにして上半身を屈めてゆき、崩れ落ちた頭部を清子は正座のために折り曲げた脚で優しく受け止める。
それとほぼ同時に脳内にリリスからのテレパシーが響き、真っ先に芦花が要望に従って冷凍庫の中のうどんを取り出すために葵から離れていった。
「葵、これ食べる?」
キッチンという部屋の奥に向かった芦花に変わり、その反対とも言えるベランダから中に戻ってきたミカンは一つの皿を葵へと差し出す。
柑橘特有の香りが微かに漂うその上には、焼いた牛肉と玉ねぎが乗っており、軽く焦げ目の付いたソレは独特の甘みの主張が下を通さずとも分かる。
「おいしい?」
「うん。……桃との話はうまくいった?」
「……どうかしら」
少し前まで良子と共に居たというのもあり、葵はミカンが交わしていた桃やシャミ子との会話には混ざっていない。
耳に入ってきた『姉』や『呪い』といった単語からある程度の内容は掴めたが、主導権を握っていたミカンをして、あまり手応えのないものだったようだ。
そんな敗北感を悟られたくないのか、ミカンはわざとらしく次の話題を振る。
「たくさんあった玉ねぎ、コレに使わせてもらったけど……葵が育てた物なのよね?」
「いくらでも使って貰っていいよ。家にもたくさんあるから」
「玉ねぎ、好きなのね」
「そりゃあ。栄養あるし、煮ても焼いても生でも美味しい。
モヤシや芋も目じゃない万能食材。
あのすき焼きにも玉ねぎ氷入れてもらってるけど、それでいて主役を邪魔しないくらい何にでも合う」
「そうね! コレも玉ねぎの甘みのおかげでレモンが際立ってるわ!」
どことなくズレた会話だが、特に葵はそこには触れない。
葵自身、高い牛肉を食べて気分が舞い上がっていると自覚しているし、宴の雰囲気に水を指すような真似になるだろうと思っている。
「玉ねぎとレモンは結構合うよね。野菜炒めに後からかけるの好きだし、生も良い」
「少し古めの玉ねぎのスライスの匂いはレモンで取れるわよ」
「ていうか、食べ物系のヤな匂いって大抵レモンでどうにかなるんじゃない?」
楽しげに知識をひけらかすミカンに、実体験で裏付けされた知識で返す葵。
なのだが、それを聞いたミカンは息を呑んでいた。
「……葵、それ清子さんに教わったの?」
「え? ……いや、それより前から知ってたような……」
「じゃあ、どこで……」
「……何だろう。料理番組かなんかかな」
『……時、来てないぞ』
もう少しで元となった記憶を掘り起こせそうな葵だったのだが、足もとから響いた渋く低い声に思考をさせられる。
そこを見ればメタ子がおり、となれば声の主は彼しかいない。
「んー? どうしたのメタ子」
「……んなぁ〜ご」
「……そういえば猫って玉ねぎもレモンも駄目なんだよねぇ……勿体ない」
喋る猫という存在に芦花は僅かに驚きを見せていたものの、あくまでそれ止まりであり、つつじは反応以前にすでに眠ってしまっている中、しゃがんでメタ子の毛並みを繕っている葵にシャミ子にミカン、そして桃の視線が全て集められる。
「玉ねぎ食べられる生き物の方がずっと少ないし、人間がそう進化してくれたのは嬉しいねぇ……。
いや、メタ子の前だと『光の一族に感謝』とか言ったほうが良いのかな?」
『……』
「どんなに働き者でも食べられない。本当に──」
何も返さないメタ子を、葵は腹側を外側に向けて抱き上げた。
「──メタ子、かわいそうに」
「──メタ子、かわいそうに」
「……………………、……………………」
「……桃?」
メタ子の腹を撫でていた葵だったが、組んでいた腕からメタ子が飛び出すと同時にシャミ子が桃を呼んだことで、意識がそちらへと向く。
見れば桃は肩を小刻みに上下させており、更に深呼吸を察知されまいと意識的に行われている鼻呼吸が震えている事にも至近距離にいれば気づけただろう。
「……どうしたの?」
「…………なんでも、ない」
ふい、と顔を逸らし、桃は歩調を合わせたメタ子とともに廊下に出てしまった。
その返答自体が『なんでもない』事はないと証明していることに桃は気がついていないようで。
桃の反応はどことなく、数日前にヨシュアについて聞かされた時の物に似ているような、そんな風に葵は感じた。