まちカド木属性   作:ミクマ

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きらわれたくない

 見渡す限りの本、本、本。

 より正確に言うならばその背表紙と、それらが収まった本棚に囲まれた空間。

 規則的に並ぶ本棚が作り出す道の中、歩みを進める人物は、視界にとあるタイトルを捉えると足を止めた。

 

「……」

 

 その本を開き、ペラペラと流し読みを始める者は葵。

 内容としては特定の体術に関する情報を編纂した書物のようで、最初の数ページにはそれが持つ歴史とやらが並べ立てられ、その後に基本的な構えから始まる手引によって構成されていた。

 正直なところ、この時点で元になった物の事実に沿っていない、眉唾なエセ指南書特有の胡散臭さが漂っていた。

 しかし葵としては何故かその内容に惹かれ、間違っている部分を含めて自身に合っているような、そんな気がする。

 今すぐにでも本の内容を試してみたい、そんな欲求が葵の脳裏に走る。が。

 

「……今更だな」

 

 パタンと本を閉じて呟く。

 既に葵は身のこなしや格闘技といった物を、恵まれた師から習うより慣れろと言わんばかりに体に叩き込まれている。

 それも葵自身が完全に受け継げたと胸を張る事は出来ないが、むしろそんな半端な状態での更なる付け焼き刃など役に立たないだろう。

 故に、本当に今更なのだ。

 もっとも、その師が文化をどうのこうのと謳う眉唾っぷりも、本の内容とどっこいどっこいであるのだが。

 

 見ていた物を本棚へと戻すと、葵は再び歩き始める。

 ある程度進むと開けた空間に出て、一画に設置されたカウンターへと別の本を置き、そこに対面する人物と会話を始めた。

 葵が居るこの場所はせいいき桜ヶ丘の図書館であり、良子の付き添いや迎えではなく、自分一人で訪れていた。

 

 ここを利用するのは年単位で間が空いていた為に、期限の過ぎていた利用者カードの更新を必要としたものの、それ以外に大きな問題はなく、葵は受付との貸し出しの手続きを済ませると設置された椅子へと座る。

 

「……せんぱい」

 

「……小倉さん」

 

 持ち出した本を机に平置きにして開くことなく、ぼんやりと周囲を眺めていた葵だったが、隣の席に誰かが座る物音と、続けて己を指す言葉を耳にした。

 使う者の極めて限られた呼称だったことで、顔をそちらに向けると同時に正体たる人物の名を呼び返せたのだが、その小倉しおんがこの場所に居ること自体には少々の驚きを見せる。

 

 葵は今日、自身が何処に向かうのかをシャミ子達に教えずに出かけた。

 少し前まで頻繁に有った呼び出しを始め、家を空ける事はそれなりにあった為にさして勘繰られず、なおかつ良子がここに来る予定の無い日を選んだのであるが、絶対に知られたくないという訳ではなく。

 一応として考慮していた尾行の気配は感じ取れなかったものの、特に隠れて移動していた訳でもないので、経路として通った道沿いに建つ家の住人にでも聞き込みをすれば辿れる可能性はあるが、目の前の少女がそれを行うというのは少々イメージにそぐわない。

 

 そんな考えを何処まで察したのかは不明だが、しおんはおずおずとした様子で葵の左腕に視線を送る。

 

「前にせんぱいが気絶してた時、その蛇さんにちょーっと細工して……居場所を知れるようにしたんだ」

 

「気絶……ああ。あの時ね」

 

「……怒らないの?」

 

「どうして?」

 

「だって……前にせんぱいの家にスイッチ付けた時、すごい嫌そうだったしぃ……」

 

 葵の認識の上での、目標を見つけたら一直線という彼女の性格とはあまり合致しない、珍しく己の行動に確信を持っていないかのようなしおんの反応。

 

 確かに葵はしおんの行ったそれに顔を顰めた訳だが、2ヶ月前程度ながら遥か昔の些細な出来事と思ってしまう程に、今の意識は変わっていた。

 とはいえ、使うかどうかが一応は任意である呼び出しと、四六時中行動を把握されるソレを比べれば、通常ならば嫌悪感は後者のほうが大きいだろう。

 ただ、そもそも葵自身、シャミ子のスマホに追跡アプリを仕込んでその軌跡を桃共々監視しているのだ。あまり人のことを言える立場でもない。

 

「もう今更だよ。

 ていうか別に、わざわざそんな事しなくても俺のスマホにそういうアプリとか入れてもいいよ?」

 

「それも考えたけど、桃ちゃん辺りにはバレちゃいそうだからぁ……。

 発信器とか取り付けるにしても、結局はバッテリーが必要だし……ならせんぱいの魔力で補うのがいいかもって……」

 

「まあなんでもいいけど、言ってくれれば普通に協力したのに。

 この子に仕込む必要あるなら、俺が蛟様を説得してたよ」

 

 葵に取り付く白蛇に細工をするというのは、本体である蛟の逆鱗に触れかねないリスクがある。

 より多くの魔力を恒常的に扱える様になるという、葵にとっての修行の一つを考えれば、しおんが作った何かに加えて供給するのも吝かではない。

 ただし、しおんがそれを行ったのは葵が目標を立てる前のことであり、蛟とのリンクが絶たれていたタイミングを好機としたのもわかる。

 実際、今の今まで葵は気づいていなかった上、蛟からの叱責を受けることもなかった以上、その狙いは間違いではなかったのだろう。

 

 ……と、そんな理屈でもぶつけてくるのだろうかと考えた葵だったものの、しおんは俯き何か整理のつかない感情をぶつぶつと漏らしているように見える。

 

「……せんぱいは、私に居なくなられたら……」

 

「小倉さん……?」

 

「……。せんぱいがここに来たのって、桃ちゃんのアレを見たから……だよね」

 

 途中まで言いかけた、葵が以前にしおんへと投げかけた言葉。

 それを葵はすぐに脳裏に浮かべられたのだが、名を呼ぶとしおんは無理矢理に話題を飛ばす。

 

「……小倉さんも見てたんだ」

 

 部屋に居なかったしおんも桃の記憶を見ていたという事に驚いた葵ではあるが、よくよく考えてみれば、シャミ子の力で再現した映像を現実に映せるようにしたのはしおんであるのだから、それを自身の所へ通知をしたり、あるいは更に転送する機能も同時に実装していて然るべきだ。

 ただ、それはそれで別の疑問が浮かぶ。

 過去に桃が遭遇した、あからさまに怪しい黒ずくめのまぞくについてしおんが触れる様子はない。

 筋肉痛でダウンしていたしおんが見たのは、二度目の図書館への訪問のみだったのか、それとも一度目も見た上で気が付かなかったのか。

 ……もしくは、しおんの思考に何かしらのプロテクトの様なものでも掛かっているのか。

 

 常識で測れぬ存在故にそんな可能性すら思い浮かぶが、葵にとってはそのどれだろうがさして構わず、しおんが“彼女”の存在を重要視していないことに安堵してしまった。

 

「手掛かりか何か、見つけられたりした?」

 

「……」

 

「せんぱい?」

 

「──ああ、いや。特に何も……かな」

 

 しおんからの問いに間を開けて気が付き、テーブルへと視線を移して答える葵。

 

 桃の記憶をきっかけとして訪れ、そして己の記憶の奥底から訴えかけるものを頼りにして葵はこの場所に座っているのだが、そもそも何を探すべきなのかが分からない。

 那由多誰何が痕跡を消したことに加え、あの過去を見た限りでは椅子共々撤去されて別の物になっているのだろうし、更に言えば時間の経過で多くの設備が一新されている可能性が高い。

 

「まだ探すつもりはあるの?」

 

「どうしようか……」

 

 しおんの問いは本心から答えを求めての物ではなかったようで、返答が遅れても追求はなく、侘しさに近い感情を突かれた葵は素振りだけは悩んでいるものの、実際には打ち切ることを考えている。

 シャミ子がヨシュアの杖を見つけた時のような、『自分とは何かが噛み合っていない』という不思議な勘から来る諦めが、先程の何をするでもなく座っていた理由だ。

 

 しかし、このまま帰るというのもどこか納得がいかずにおり、それはしおんと対面してから更に強まっていた。

 

「……小倉さん。桃の記憶を見た少し前に、ミカンの部屋で話してた事を聞いてたんだよね。

 俺が、優子の家の結界の裏側で何をしてたのかも」

 

 結果、葵はそれを自らしおんに聞く。

 

 小倉しおんとの会話を長引かせろ、彼女をここに引き止めろと。

 どこまでを聞いていたのか、どこまでを察しているのかと確認する以上に、不純な動機に満ちた脳内が思考を突き動かす。

 それによって紡がれた質問ではあるが、しおんはどこか待望していたかのような表情を見せる。

 

「……うん。私も、今は桃ちゃんにそれを話さないほうがいいと思う。そんな気がする」

 

「……ありがとう」

 

「それで……せんぱい、強くなりたいんだよね。

 私、せんぱいがやってた事見てて色々思いついたんだぁ……」

 

 それは、葵が欲していた返答。

 話を引き伸ばしたいと思うにも関わらず、今の話題を深く堀り下げてくれるなという矛盾した望みに完全に合致していた。

 誘導されているかのような不自然さすら覚えるが、それに乗る事が喜びに繋がる筈だという確証が心のどこかにある。

 

「具体的には……どんな事?」

 

「やっぱりぃ、一番に好奇心奮わせてくれたのは脱出する時にやってたやつだよねぇ。

 辺り一帯の足場を魔力で満たして、桃ちゃんに遠隔で渡して……。

 アレは今できるの?」

 

「……無理だね」

 

「……そう」

 

 突っぱねるような葵の否定だが、しおんからの追求はない。

 何を、どう探ってよいのかと、それ自体を探っているかのような慎重さを見せるしおんに、葵は閉じている唇を微かに歪ませ歯を軋ませる。

 

「……でも、将来的に出来たらいいなとは思う。

 戦いの時にああやって皆に魔力を渡せたら、間違いなく力になれる」

 

 それはそれとして、平時において手渡しで魔力を流すという行為を楽しんでいる節もあるのだが、漏らした展望は紛れもない本心。

 

「それだけじゃないよ。

 アレはせんぱいが霊脈の役割を担って、あの場所を……そう、占有してた。

 支配って言ってもいい。幾らでも、()()()()()は思いつくよねぇ……」

 

 そんな葵による誘導を聞いたしおんは表情を緩ませ、開いた口は饒舌になり始める。

 

「例えば陽夏木さんと組むのなら、霊脈を道筋にすることで狙撃のアシストが出来る。

 陽夏木さんは毒矢だとか絨毯爆撃みたいな強烈な攻撃を持ってるみたいだけど、それはマーキングに依存する部分が大きいし、そうでなくても物理的あるいは魔力的に視認しなければ精度に影響が出ちゃう。

 周りに何もないのなら広域殲滅が楽だけれど、その手が取れない事もあるはず。

 そんな状況で、居所すら正確に掴めてない小さな目標を射抜く為に、せんぱいがレーダー、観測手になってあげるの」

 

 早口になっていったが為に飲み込むには少々の時間を要したものの、葵はどうにか理解が出来た。

 夏休みに桃とミカンがあすらへと初訪問(カチコミ)した(仕掛けた)際、結界を書き換える必要があり、まずそれを探知するために高台公園から霊脈を辿ったと聞いていたが、それと同じ手法がどんな場所でも出来るという事だろうか。

 

「……面白いね。他には?」

 

「桃ちゃんのアシストならもっと単純。

 基本的に近接で戦うことになるだろうから、その相手の妨害をする。

 泥沼や段差を作れば足を取れるし、なんなら小石を飛ばして小突くだけでもいい。

 1秒にも満たない隙だったとしても、それがどれだけ大きな事なのかは……せんぱいならわかるよね?」

 

 確かに、これまでにあった格上との、ほとんど遊ばれているような“特訓”。

 すなわち命に関わらない対峙だろうと、一瞬の判断ミスから叩きのめされた経験が幾度となく葵にはある。

 実戦ともなればその価値は更に跳ね上がるだろう。

 

「防御にも活用出来るね。距離が離れていたとしても……せんぱいなら、攻撃を確実に止めるまで、何度でも、何枚でも盾を出せる」

 

「でもそれは、俺が認識して反応できなきゃ意味がないんじゃない?」

 

「そもそも、せんぱいが支配するべきなのは“地面”じゃない。

 前後上下左右、360度全方位に満遍なく過密に魔力を伝播させて天も地も関係なく掌握するの。

 罠だらけの敵の陣地だろうと乗っ取って塗り替えられるし、中に入ってきた“異物”に対して半オートで反応できる……かもしれない。

 ちょっと桜さんの結界と似た感じかもねぇ。そこにせんぱいの意識を()()べきかは迷いどころだけど」

 

 どんどん話の規模が大きくなってやはり飲み込むのに時間がかかり、そんな中で葵が想起したのは千代田葵が見せた技。

 水や空気を操るような攻撃も、今しおんが話した理論の一部、通過点として扱えるようになれれば……とはいえ。

 

「……それ全部出来たらとても良いけど、そもそも今は大前提がね……。

 感覚はなんとなく覚えてるけど、足場が魔力で出来てたってのもあるだろうし、何より()()を多大に受けてた」

 

「それなんだけどねぇ。せんぱい……武器、作ってみる気はないかな。

 あの時せんぱいは杖を突き刺してたけど、あれはせんぱいの『霊脈は地中を走ってる』とか、『植物は地面から生えてる』みたいな認識が干渉しやすくしてたんだと思う。

 さっき言ったことは遠い目標だとしても、取っ掛かりとして形から入るのも手。

 あの杖自体はなくなっちゃったけど、確かせんぱい、もう一本杖持ってたよね?」

 

「……たしかに持ってるけど……アレが……?」

 

 ひなつきの廃工場で桃の新フォームをお披露目された時の帰り、確かに葵は二本目の杖を作って使用していた。

 一本目を結界の裏側へと持ち込みもしたが、それを経験したからこそアレを本格的に武器にしろと言われると首を傾げざるを得ない。

 精々、観光地で販売されているような土産物としての木刀よりはマシ、といった所だろう。

 

「桃の刀みたいに、魔力外装の一部として何か欲しいとは思ってるけど……」

 

「でもせんぱい、今はまだ外装自体が試行錯誤中だよね。

 それに合わせてコロコロ武器変えるよりは、最初から一つに絞ったほうが調整しやすいと思うんだぁ……」

 

「……一理あるけど、アレでいいの? 

 元はどこにでも売ってるような爪楊枝だし……それこそ俺の家のサクラの樹とかを素材にしたほうが……」

 

「私が考えてるのは、武器を育てること。

 それが本当に出来たら……10年程度のアドバンテージは目じゃない。

 一度武器として形が作られた物を軸にして、あの樹を使うにしても継ぎ足す形が良いと思う」

 

「……?」

 

「ヨシュアさんの杖、あるよね。

 永い時間と数多の場所を渡り歩いてきた、伝説級の神器」

 

 シャミ子が受け継いだ、ナントカの杖。

 今の時点においても葵の理解の範囲を超えた働きをしているし、ヨシュアが大道芸の小道具が如く扱っていた光景は記憶に染み付いている。

 あの杖の名前や持っている謂れ等を知らずとも、相応の代物であることは分かるが……まさかそんな物を作れとでも言うのだろうかと葵は訝しむ。

 

「付喪神みたいな伝承があるように、年季っていうのはすごい重要。

 血を啜る魔剣や妖刀なんて話も、戦いの経験を積んでただの鉄剣が変容したとも言い換えられる。

 と言っても、ヨシュアさんの杖がシャミ子ちゃんにしか使えないみたいに、そういったモノは使う人との相性に著しく左右されちゃう。

 せんぱいには代々連なる系譜みたいな縁は無いし、仮に相性のいい武器があったとしても探し出すのは無茶。

 ……だけど、せんぱいなら自分と完璧に同調する()()を作れるかもしれない」

 

「……どういう意味?」

 

「せんぱいは、植物を強制的に成長させて武器にしてる。

 普通なら使い捨てにされるようなものだけど、それを途切れさせず、劣化も衰退もさせず、魔力の重圧に曝して堪え続けさせれば……それはきっと、10年や100年どころじゃない深みになる」

 

 それでも、本当の意味で年季を積んだ代物には敵わないのだろうが……葵が扱う物としては並び立つ物など無いくらいの、まさに葵の葵による葵のための武器となるはずだ。

 

「もっと言うと、そういった物を量産できるようになれば魔術の触媒として扱いやすくなるしぃ……戦いの幅が広がると思うなぁ……」

 

「……にしても……杖。杖か……。上手く扱えればいいけど……」

 

「杖は良いよ。棒術は汎用性が高くてリーチもあるし、石突を槍としても扱える」

 

 先程までにも輪をかけて、舌を回らせるしおん。

 自身の提案に対して葵が乗り気を見せたことが嬉しいようで、杖術とやらのメリットや歴史がどうのこうのと並べ立て始める。

 少し前に読んだ本など比べ物にならないほど興味を掻き立てる語りではあるが、それ以上に葵は彼女そのものに注視をしていた。

 

「刺突っていうのは得物が尖ってなくても威力が期待できるし、突くという行為自体を儀式の一部にするなら物理的な鋭さはあまり関係ないからねぇ……」

 

 今、葵は確信を得た。己が求めていたのはこれだったのだと。

 那由多誰何の痕跡を探るでもなく、あるいは自身のためになる本を借りるのでもなく。

 この図書館で、このテーブルで、この椅子において。

 このような彼女との会話に、葵は飢えていたのだ。

 

「……せんぱい?」

 

「……え?」

 

「泣いてるの……?」

 

 言葉を止め、困惑したようなしおんからの指摘。

 呆然としながらも自身の顔に手を当てると、確かに雫が頬を伝っており、それに気が付いた葵は必死に顔を拭い始める。

 

「ち……がう……っ! 泣いて、なんか……!」

 

「せんぱいが泣き虫なことなんてもう知ってるんだから……そんなに隠さなくてもいいのにぃ……」

 

「違う……! 泣いて人の同情を誘うような真似、俺は二度と……」

 

「……人は、ずっと昔から他の人間を懐柔して、そうやって生息域を広げてきたんだよ。

 せんぱいのそれだって、懐柔の手段の一つってだけで……」

 

 因縁の再開を果たしたあの日、それをしてはいけないと思ったというのに、どういう訳かそれを見透かしているかのようなしおん。

 葵に対して全肯定を見せた彼女が、一転して恐ろしく感じる。

 

「……せんぱい。さっき、私はせんぱいの居場所を探れるって言ったよね。

 だから、あの夜も……せんぱいが変なところで立ち止まってるって思ったから、そこに行ってみたんだよ」

 

 そう言って、しおんは自身のスマホを取り出して操作を始め、何度か指を動かした後に葵へと画面を見せつける。

 

「ッ……!?」

 

 そこに映っていたもの。

 それは夜の道端において、葵が首元に()()を突きつけられている場面そのもの写真だった。

 

「この人が、せんぱいが見せてくれた昔の話に出てきた魔法少女なんだよね?」

 

 嘘をついて『違う』と否定しようと、なんの意味もないことは明白。

 かといって素直に肯定を返せば、何がどう転ぶのかわからない。

 

「せんぱいが、今すぐにでも問題を解決したいのなら……私は何でもする」

 

 無意識なのか、見せつけているスマホを固定している指に力を込めるしおん。

 写真の中の人物の顔は、夜というロケーションながらも個人の判別が可能な程鮮明に顔が写っており、加えて念入りなことに車のナンバープレートまでもがはっきりと含まれていた。

 なるほど確かに、その写真は使おうと思えば何かしらの()()になりうるのだろうし、しおんの口ぶりは他にも何かを掴んでいるように見える。

 

「法律なんてどうでも良いけど、最低限の手間で手を汚さず合法的に、こっちが痛手を負わずに脅威を排除出来るなら……いくらでも利用するべきだよ」

 

「……駄目だよ。きっと、そういう方法で解決しちゃいけないんだ。

 過去を、清算しろって……そう言われたから」

 

「言われたって、誰に……?」

 

「……」

 

「……わかった。せんぱいが駄目って言うならそうする」

 

 うっかりと余計な言葉を口走ってしまったことに気が付き沈黙した葵だが、しおんからそれ以上の追求はなく、更には強硬手段に出るのかと思っていた提案も、断腸の思いを見せながらも本当に諦めたようにスマホをしまう。

 

「……どうして、小倉さんはそこまで……?」

 

「……私は、消えたくない。生き残りたい。

 せんぱいやシャミ子ちゃんを強化したり、危険を取り除くことが私の安全に繋がるはずだって思ってる。

 だから私は人に取り入って、媚を売って……! 

 みんなに、私の存在が得になるって思ってもらえるように立ち回ってた。

 これまでの事が……全部自分のための行動だったって言ったら……せんぱいは怒る……?」

 

「そんな事、ないよ」

 

 徐々に震えていく声で絞り出したしおんのその言葉が本音かどうかなど、疑う余地もない。

 出会った当初の印象で言えば大部分が不信感であったものの、彼女によってもたらされた物は、結果を見ればいずれも利となって収まっていた。

 それがコミュニケーションの苦手なしおんによる、精一杯の友好の証だったのだろう。

 それをある程度察せたからこその葵の否定だったのだが、しおんの反応は芳しくないものだった。

 

「……本当に、怒ってない……?」

 

「……どうしたの?」

 

「前にも言ったよね。私は、知らないことがあると不安。

 ……気がついた時には、何も無かった。

 分かってることなんて殆ど無くて、何をすれば良いのかわからなくて、それを直視する度に怖くなった。

 だけど……せんぱいを初めて見た時、自分のやるべきことは間違ってないって分かった。

 せんぱいに会う度、次に何をすれば良いのかがどんどん思いついて、せんぱいの事も知りたくなった」

 

 暗い口調のしおんだったものの、話が進むにつれそれは明るくなってゆく。

 葵についてを語りながら葵のことを見つめる彼女の瞳は、まるで悪夢をみて飛び起きた子供が親を見つけて安堵したかのようであったが、最後にはまた俯いてしまう。

 

「……だけど、今のせんぱいは私に何かを知られる事を恐れてる」

 

「……!」

 

「私がそれを知ったら、せんぱいはただじゃ居られない。そんな気がする。

 だから、せんぱいが嫌に思うなら私は何も知りたくない。私は……」

 

 そこで言葉を途切れさせると、しおんは葵の胸元にすがりつく。

 

「……私は、せんぱいにきらわれたくない……!」

 

「……小倉さん……」

 

 悲鳴のように吐き出された願望に、葵は何も出来ず。

 言葉に迷った結果そう名前を呼ぶと、しおんは顔を上げる。

 

「……せんぱい。まだ、名前で呼んでくれないよねぇ……」

 

「それは……」

 

 たかが3音。4()()に比べればまるで違う。

 名前が一致した知り合いが葵には複数おり、またその人物が同じ場所に揃っているわけでもないのだから、それよりハードルとしては低いはずだ。

 であっても、葵にはその一歩を踏み出せない。

 

「……知ってる。せんぱいは臆病で……人に引っ張ってもらえないと動けないんだよねぇ。

 だから、私から……」

 

「……何、を……」

 

「……」

 

『a──

 あ──

 

 咳払いを挟んだ後、何かを言おうとしたしおん。

 だがその最初の一音の為に彼女が口を縦長に大きく広げた瞬間、葵の世界から音が消え、時が止まったかの様に思考が高速で想起を繰り返す。

 

 唇を中程度広げ、丸く形成した口の形。

 唇をほぼ平行にし、薄く開けた口の形。

 唇をすぼめ、更に小さく開けた口の形。

 口をほぼ閉じ、鼻から音を出しているに等しい動作。

 

 しおんの発そうとしている言葉が予測でき、細かな皮膚や筋肉の動きすら明確に脳裏に浮かぶ。

 何もかもが彼女と瓜二つで、それ故に、葵は。

 

──やめろっ!

 

 この場が公共の施設である事など一切思慮に入らず、この上ない拒否感を叫んで示す。

 声を出すよりも前、空気の振動で音を作ろうとする段階で肩を跳ね上げたしおんは原因が目の前にあることをすぐには把握できなかった様子だったが、それを理解した瞬間、彼女は酷く絶望に濁った目で葵を射抜いていた。

 

「……! ち……違う。今のは……!」

 

 何も違うことなどない。葵はしおんを拒絶した。

 

「……ごめん、なさい。もう、嫌がることはしない、から……近くには、いさせて。

 お願い。……()()()()

 

 きっと、その呼び名こそが葵の中で小倉しおんを小倉しおん足らしめているものだったのだ。

 始まりがただの気まぐれだろうと。

 教える側と教わる側という実状が何ら変わらなかったとしても。

 あの彼女とはまるで正反対の関係性が、小倉しおんという人格を強く印象付けていた。

 

 似合わない言葉を使うその姿、そして身に降りかかる理不尽をやり過ごそうとする必死さからは、普段の面影など欠片もない。

 全くもって想定の範囲外だったのであろう事態に怯え、弱々しい歩調でしおんは図書館を後にする。

 葵はしおんが居なくなった後も、彼女の通った出口を呆然と眺めるしかなかった。

 

 ■

 

「ハァ……ハァ……ハ、っ……!」

 

 図書館から逃げるようにして、ただひたすらにしおんは走る。

 おおよそ運動に向いたものとは言えない、自身の肉体に強い負荷を与えれば不要な記憶を消せるのではないかと、そんな考えもあってのことでの事であったが、彼女の優秀な頭脳はそれを許さない。

 

「……せんぱい。せんぱい……せん、ぱい……っ!」

 

 やがて足は止まり、息も絶え絶えな中でしおんはソレを呼ぶも、応える声は無く。

 ふらつく体をどうにか抑えると、自身の()から一冊の分厚い本を取り出す。

 

「……『長い黒髪を紅白の紐で纏めた男の子は──』」

 

 本を開いて読み上げているのは“2ページ目”。すなわち“1枚目”の裏面に書かれた内容。

 

「『──の存在を確認し次第、接触。それ以前においては禁ずる』」

 

 それは小倉しおんの“行動指針”。

 本命たるものは表面にあるが、それを確認したのはしおんが生きてきた期間の全体からすれば最近。

 最大の鍵になりうるものを長い間発見できず、そんな中で、接触を禁じられていたとしても、頼りに出来る唯一の手がかりが誤りではないと確信できる存在を、しおんは早期の内に見つけていた。

 

「……私は、近づいて、強化して、生き残らないと」

 

 なぜなら“そう書いてあったから”。そうしなければならなかったから。

 そうしろと、()()()()()()()()()

 

()()()()……」

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