「もしかして、神無月...?」
諏訪からの報告を受けた若葉の話を聞き、杏が呟いた言葉が教室で静かに響いた。
「確か、10月の古い名前で神様が出雲、島根県に集まることで神がいなくなる。だから神無月...だったかしら?」
「はい...だけど、人間を滅ぼしかけてるこのタイミングで神様が集まるのに意味があるのかな?でも、そもそも神無月だって決まったわけじゃないし...」
1人で思考に没頭し始めた杏に、球子は手を振って見るが杏の目は既に目の前の景色を見ていない。
「こうなると杏は長いからなーどうする若葉?」
「伊予島さんの情報は頼りになる。私はそもそも神無月のことを知らなかった。」
「タマも知らなかった!」
「ワタシも、ワタシも!」
「何で無知を堂々とした態度で口にできるのかしら?」
3人の言葉に千景は額を押さえるように、溜め息を吐いた。
千景とて、ゲームの知識や神社でも知識でかじっていただけで、杏のように本を読んで自分で調べた訳ではない。
そもそも、杏の小学生離れした知識量が凄まじいだけで、普通の少女は旧暦など偶々知るくらいが当たり前である。
「まぁ、伊予島さんは置いておいて、星屑がいない場所が何処までなのかは気になるわね。諏訪から四国、逆に四国から諏訪への移動を行える最後の機会かもしれないし...」
「結界外の調査をしようにも、諏訪で不測の事態に対応可能なのは、白鳥さんだけ。周辺には星屑がいないことしかわからないらしい。」
「じゃあタマ達が行くのはどうだ?」
球子の言葉に杏以外の全員が視線を向けた。
「現実的だけど、諏訪まで途中の道で寄り道はできないわよ。何があっても...」
「ッ...千景さんの言う通りだ土居さん。もし、作戦を行うなら伊予島さんと千景さんが適任だと私は思う。星屑のこと以上に、判断力が必要になる。撤退のタイミングも含めて...」
「だけど、若ちゃん!けいちゃんとアンちゃんだけじゃ!」
勇者の力を使えると言っても、子供が5人。
心身の限界を知らない子供が危機的状況に陥れば、待っているのは破滅である。
千景の言葉の裏には、道中で救助できる人間が見つかっても何もしない。
してはいけないとの意味があった。
この場で正確に意味を察することができるのは若葉と杏のみ。
受け入れがたい言葉をあえて口にすることで悪者になろうとするのはどうかと思ってはいるが、千景が、誰よりも冷静で現実的であり、優しく厳しいことを若葉は理解している。
だが、それでも助けられるのなら助けたい。
それが、乃木若葉の本音だった。
言い争いが起こりそうな瞬間にその声が響いた。
「私と若葉さんで諏訪に行きましょう。」
普段より少しだけ凛とした声が、部屋に響いた。
「なぜ、私と伊予島さんが良いと?」
「実力的に若葉さんなら不測の事態に対応できます。私と千景さんが出向いてしまえば…その、あの…」
ぎこちなくなる杏に、若葉、友奈、球子の3人は首を傾げる。
ただ1人、千景だけは納得したように、杏を見ていた。
「私も伊予島さんに賛成よ。もしもの時、どちらにも無茶を止められる人はいた方がいいもの。」
「でも、一番無茶なことするの千景だろ…」
「なにか言ったかしら?土居さん?」
「いっえふぁい!わるゅかったよ!」
余計なことを口走った球子の頬を引っ張る千景に、直ぐに謝る球子。
いつも通りの2人に安心したように、3人は笑う。
そこから杏は、いくつかの説明を始めた。
「まず、本来の神無月の期間を考えたときに、今回の星屑の動きそのものが不測の事態です。」
「…本来の神無月?」
「さっき10月のことを、古い呼び名で神無月と言ってなかったか?」
「すみません!少し間違ってました。旧暦の10月を神無月と呼ぶのは間違いではないんですが...」
本来、旧暦の神無月を現在の暦に当てはめた際、10月の下旬から12月の上旬までの間に当てはまることが多い。
「なるほど。つまり今回の件は、期間が早まっている可能性がある…と。」
「はい。付け加えると、神無月の伝承はあくまで後付けの部分も多くて信憑性は薄いんです。神様が人間の創った話に合わせるのもおかしな話ですし...」
さらに神無月の間に、ずっと神が1ヶ所に集まる訳ではなく、一定の期間が存在し、その間のみ神は出雲におり、星屑も現れなくなると仮定できる材料もない。
「仮定を立てたとして、前提が神無月の元になった祭りが神の間で行われている。その祭りは人間を滅ぼす気まぐれな前祝いである可能性と、人間を滅ぼすことが神の間で決まっていない会議のようなものである可能性、2つが考えられます。」
その後、言葉を切り、前提が間違っており、まったく別の理由で星屑を退かせた可能性、罠である可能性もありますが…と自信無さげに杏は付け加えた。
そのすべてを考えた上で、杏が最終的に口にしたのが行動することだった。
「神無月であるかどうかが不明という点を除けば、好機ではあるわね。」
「賭けではありますけど、星屑がいないなら私逹が動けば諏訪には直ぐに着けます。往復も1週間あれば可能です。勇者の力なら!」
「問題は大社と社会の方ね…」
千景の言葉に杏は俯く。
星屑が襲来しておらずとも、星屑を恐れる声は多い。
その証拠が天恐…正式名称「天空恐怖症」という新たな病の発生である。
空、すなわち天を見ることができなくなる病、発症者には星屑が天から降り注ぎ人を喰らった光景を直視した者が多く、外に出れないため家に籠りきりになる。
勇者はまだまだ人々の支えになる程の知名度はないが、星屑に対抗できる力だけは7月30日、星屑が降り注いだ日に既に証明されている。
千景や杏の懸念は、現段階で大社が勇者を壁の外に出ることを許可するかどうかであった。
「それでも大社には私達の考えを伝えよう!白鳥さんが四国に来てくれれば、今後への安心にもなる筈だ!」
若葉の真っ直ぐな言葉に、千景は内心で切り捨てられる人々のことを考えた。
諏訪にも生存者はいる筈だ。正確な人数はともかく、勇者が数人で守りながら四国に送り届けるのは難しい人数であることは間違いない。
おそらく、杏も気づいている。その上で、若葉に伝えるかを決めかねているのだ。
この決断は、勇者同士の関係にヒビをいれかねない。
千景が悩みつつも、その日の話し合いは最終的に大社の上層部に意見を伝え、早めに動けるように準備をしておくことが決まった……
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伊予島杏は純粋な戦闘能力は勇者の中で最も低い。
だが、その知識量と思考は周りの大人に非凡さを感じさせる程に成熟していた。
杏本人は、千景と比べると大したことはないと言って憚らないが、千景から言わせれば杏は選ばれた人間の1人だと断言できる。
例えそれが、本人が望んでいない才であったとしても……
「千景さんはどう思いますか?もし、大社が作戦を了承した時、他の人に話すべきだと思いますか?」
「………私の答えを聞く前に、貴女はどうなの伊予島さん?」
杏の部屋、杏と千景は2人だけで、顔を見合わせていた。杏が千景を呼び出したためだ。
「私は、話すべきではないと思います。若葉さん逹は、すべて救うつもりです。
「そうね。勇者らしいわ。」
「だけど私は、全部救えると言えません。責任を持てません…」
そう言って俯く杏は、見た目道理の子どもだった。
いくら大人っぽい話し方で隠しても、杏も千景も子どもでしかない。
どれだけ小学生離れした思考力と価値観を確立させていても、他の生命に対しての決断に責任も覚悟も持てない。
彼女逹は中身が無いままに、立場という器だけを持ってしまった。
杏は勇者になった日に、球子に勇気を貰ったが、それは救う生命を切り捨てるための勇気などではなく、ただ立ち上がる為だけのモノだった。
「私は伝えるべきだと思うわ。」
「…千景さん?」
頭を撫でられた杏は、千景の目を見た。
ソコに合ったのは慈愛と心配。
「1人で考えすぎよ伊予島さん。私達は子供だもの、できないことの方が多いのは当然よ。」
「だけど…!」
「救えなかったら、その時に皆で落ち込みましょう。救えたら、皆で喜びましょう。責められるなら…皆でよ。3人ともお人好しだもの、大丈夫よ。一緒に怒られてくれるわ。だから…1人で泣くのは止めなさい。」
「あ…」
杏の頬を温かいものが流れていく。
「…ぐっす…えっぐ…ち、がげさん!」
「大丈夫よ。大丈夫。」
「…う…えっぐ…うぁぁーんっ!!」
「今の世界で、頭が良いと損をするわね…」
皮肉げに呟く千景は、泣きつかれて眠る杏の頭をソッと優しく撫でた。
その日、伊予島杏は望んでいない才に苦しめられつつも、1歩前に踏み出し、最も望んでいたモノを手にした。
彼女の才は更に高められていくことになる。最愛の仲間逹のために………