それは優しい呪霊と少女の昔話

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徒花

 少女は静かに、その樹を見つめていた。

 

 曙に照らされる、年老いた桜の樹。樹皮はひび割れ、地衣は幹を覆い、それでも、重ねた年月の分だけ強く伸びた枝葉と幹により威容を誇った古木。

 

 少女の見上げる先、桜は紅花を満開に咲き誇り、はらはらと、少しずつ雪のように花弁を散らしていた。『春の雪』と、歌人なら表現するだろう景色。

 

 私はそれを見て、らしくなく陶然(とうぜん)という感傷を抱いた。

 

 少女と古木。彼等の共存する眼前は、絵巻物として記録されるほどに、何より、人ではない私という存在が見惚れるほどに『様』となっていたから。

 

 それは、所在なく木々の叫びを聞く旅の途上で、偶々に見つけた光景。

 

(けれど……)

 

 ふと抱いたのは疑問。持って生まれた性として、私たちは堪え性という物がなく、一度欲求を抱いた以上、尋ねることを止めるのは容易ではない。私は、彼等の時間を壊すかもしれないと知りつつ、音なく少女へと近づき、小さく声をかけた。

 

『貴女は、なにを楽しんでいるのですか?』

 

 背後から聞こえた突然の声に、少女は微かに肩を震わせたが、走り去ろうとはしなかった。

 

「……どなたですか?」

 

『私の声は、聞こえるのですね?』

 

 少女の声は、秋の虫の音のように涼やかで、凛とした意志と、たおやかさを示している。そして、私の種としての直感は正しく、彼女は『感じる』側にいた。常人ならば見ることが叶わない私の姿を、彼女は知り、言葉を交わすこともできる。

 

 だが、一目見れば、万人が恐怖するであろう、異形の私が傍にいても、少女は動かない。どころか、突然の質問に驚いたくらいで、恐れる様子もなかった。

 

 その理由は簡単。少女は(めしい)でいた。

 

 おぼつかない手には杖を持ち、目は開けているが、焦点は定まっていない。少女からは私の異形を見ることができず、奇妙な声の存在としか認識しない。

 

 であるからこそ、私は先の尋ねごとをした。

 

『少女はなにを楽しんでいるのか』

 

 桜の彩る荘厳な景色を目にすることができない少女が、うっとりと、花を見上げていたのだから。少女が何をこの樹から感じ取っているのかを知りたいと思ってしまったのだ。

 

 少女は、声のする方は分かるようだ。私をじっと見上げると、答えを返す前に、逆に問うてくる。

 

「……貴方様は、神様ですか?」

 

『なぜ?』

 

「父様とも、母様とも……。いいえ、人様のどなたとも違う言葉を発されます。けれども、不思議と、私には意味が通るのでございます。

 そのような方は、……人ならぬ、神様であろうかと」

 

 言って、少女は小さな頭を下げた。

 

 その声には、確かな畏れが内在している。かつて、自然と共に生きていた人間たちが抱いた、自然に対する素朴な畏敬。それは、正しく私という存在が生まれた胎であり、であるからこそ、私には心地よく、野原をそよぐ春風のようにも感じられた。

 

 私は背を屈め、少女へと答える。

 

『私は神ではありません。……どちらかと言えば、貴女達の言う、妖に近いでしょう』

 

 私は『呪霊』。人が人であるがゆえに、心から零れる負の情動、恐れ、怒り、妬み。それらの淀みの中から形作られ、生まれ出た異形。神様のような、人に都合の良い存在ではなく、むしろ、人を害することを定められた者。

 

 けれど、少女は怖がるどころか、不思議そうに首を傾げるのみだった。

 

「妖、ですか? でも、不思議ですね。貴方様は怖くないのです」

 

『それは、私の姿が見えないからでしょう?』

 

「いいえ。私は、このような体ですが、人を測り間違えたことはありません。貴方様のお声は、とてもやさしくて、穏やかで。父様とも、町の人とも違います。……山の神様のようでございます」

 

『ほう……』

 

 確かに、私は世に数多ある同類と比べれば、はるかに純な存在であり、人間が呼ぶ『精霊』に近しいかもしれないが……。断言までされるとは思わなかった。

 

 更に言い募り、自身がいかなる者かを少女に理解させようとも思ったが、口先に言葉が出る前に止めることにする。私の目的は少女への尋ねごとであり、私へ無用な恐怖を抱かせることではない。ここで意固地となって論を交わすことは、無駄であった。

 

『では、神様からの尋ねごととして……』

 

 私は再度、少女へと訊く。なぜ、見えることない桜の花を、あのように楽しそうに見つめていたのだろうか、と。

 

 すると、少女は頬を桜と同じ色に染め、うつむき、蕾のような唇を開いた。

 

「おかしいでしょうか? 私のような身が、花を楽しむというのは」

 

『いいえ。ですが、貴女がどのように、姿の見えない彼の木を愛でていたのか。それだけは気になりました』

 

「……神様がお気になさるような、大層な訳はございません。私の眼は、ほんの少しだけですが色を知ることはでき、耳や香りで花の咲きようを浮かべることができ。……幼いころに見た、満開の桜が、今も記憶に残っているだけでございます」

 

 少女は続けて言う。この木は、彼女の一族が代々、大切に育ててきたものだと。

 

 なるほど、彼女の住まう屋敷は大きく、素朴な一帯の中でも、崇敬を集めていることは分かる。だが、齢が数百にも上る桜は、一族の根付きよりも古いだろう。彼女の先祖が、この地をと定めた時に、桜の巨木に目をつけ、繁栄の象徴とでもしたに違いない。

 

(相も変わらず、人とは勝手なものですが……)

 

 少女にそのような事情を知るすべはなく、桜を愛する気持ちはあくまで純朴だ。

 

 そんな一族に生まれた少女にとって、桜は幼いころより見守られてきたと感じ、母を亡くしてからは、自然と愛着が増していた存在。だからこそ、病を得て視力を失った後でも、強く思い返すことができた。

 

 少女は頼りない細い指をおそるおそると伸ばし、樹の幹を撫でる。

 

「このようにお家の役には立てぬ身なれど。こうしていると、桜に見守られている心地がするのです。春が来るたび、今年も咲き誇ってくださり、ありがとうございます、と。お礼を言いたくなるのです」

 

 けど、と。そこで少女は言葉を濁らせた。

 

 少女の指は、朽ちかけた樹皮を一擦り、二擦り。

 

「近頃は、お元気がなさそうで……」

 

 湿りを帯びた声を聞くと、私は少女から目を離して、桜を見上げた。

 

 確かに少女が言う通り、この老木は命を終えようとしている。

 

 人である少女が感じ取れるくらいなのだ、草木と近しい私にはより強く、命の終焉が間近であることを感じられる。原因を上げるとすれば、それは寿命という他ないだろう。大自然の巡りの中で、ごく当然に訪れる期限。それが、この樹にとっても近しいだけのこと。

 

 と、そこで、少女がおずおずと尋ねてきた。

 

「神様にお願いなど、烏滸(おこ)がましいと分かっておりますが……。貴方様は、樹を癒す術はお持ちではないでしょうか? 代々、大切に守り慈しんだ樹です。私の代で、朽ちさせるのは寂しゅうございます……。せめて、私が旅立つまでは、このままで」

 

『それは……』

 

 純粋で、悪意はない。けれど、少女は少し思い違いをしている。

 

 桜はただ偶然に根付いただけの、外の草木と変わらぬ一つの命。それが立派だからと、手を加え、周りの同類を除き、神木などと勝手に名付けているのは人だけ。

 

 桜はあるがままに咲き誇り、同様に自然のままの寿命を迎えようとしているのだ。

 

 それを永らえさせたいというのは、人間のどうしようもない傲慢さ。

 

 ただ、

 

『それでも、貴方は』

 

 私が少女と同様に桜の幹に手を添えると、応えるような、脈打つ音が、しかりと聞こえた。

 

『……この地域は冷えるのでしょう。冬毎、幹に衣を着せてあげなさい。そして、肥やしを根の伸びるところへ。……あとは、静かに見守るのが良い。彼は、貴女を気に入っているようだから』

 

 言いつつ、らしくないことをしたと思う。

 

 自然のまま、命の輪廻が巡るままに。それが世界のあるべき自然の姿だと、私は知っている。だから、散り行くものを永らえさせようという助言は、私らしくない行動。

 

 それでも、こんな力を貸す真似をしたのは、少女と桜の関係性に、昔を懐かしんだからだろうか。

 

 かつては互いの領分を弁え、慈愛と畏敬で支えあっていた人と自然。私は人間の悪意というよりも、その崇拝の中から生まれた存在。

 

 けれど、時代は移り替わり、近頃は産業革命などという壮大な虐殺に勤しみ、熱狂する人間を見るばかり。植物からも、星からも、苦痛と怨嗟と、健気な忍耐の声を聞くだけ。

 

 そんな、気の滅入る日々の中、少しくらいは優しい児へと、知恵を授けるのも良いと思った。

 

「……神様、ありがとうございます。精一杯、務めさせていただきます」

 

 一方で、そんな私や自然の心中を知らない少女は、伝えた言葉を零さぬよう、一生懸命に首を縦に振っている。

 

 教えた手入れの方法は、目が見えず、言葉の端を聞くに、寄る辺も少ない少女にとっては困難極まるものであろうが、それでも、真剣に。

 

 私は、それを見届けて、踵を返すことにした。

 

『……また次の春も、この地を訪れることにしましょう。その時に、再び、美しさと出会えるように』

 

 

 

 

 言葉の通り、次の年にも、私は足を運ぶ。

 

 そして、少女は変わらず桜と共にあり、不器用ながらも蓑を巻かれた老木は、見事な桜吹雪を振りまきながら、私を迎えてくれた。

 

 約束を違えることは、互いになかったのだ。

 

 恭しく頭を下げた少女は、少しだけ背が伸び、手足に微かな傷跡が残っている。

 

 目の見えない少女にとって、樹の世話というのは、それだけで重労働だ。蓑を巻くにも、躓き、枝葉に切られ、生傷が絶えないのだろう。けれど、少女は健気にも、諦めるということをしなかったのだと、その身体が教えてくれた。

 

『今年も見事に咲きましたね』

 

「神様のおかげで御座います」

 

『それは……』

 

 貴女の努力の結果だ、とは、私は言えなかった。

 

 この一年、私は各地を回り、多くの木々の声を聞き、変わりゆく人を見続けてきた。

 

 路を作るだけに飽き足らず、他の生物を寄せ付けないと塗装を敷き詰め、山は拓いても作るのは、火と土にまみれた工場に採掘場。生活の場である家々からも自然は遠のき、石づくりへと変わっていく。

 

 その日々で、私の力も弱っていく。

 

 かつては、都一つを木々で覆うこともできたのに。遠くない将来、一世紀も絶たないうちに、私が生み出せる森は僅かなものとなるだろう。人が、自然への怖れを忘れている証。それを、私は身をもって感じるのだ。

 

『健気な児よ。変わらず、世話を続けなさい。そうすれば、樹も応えてくれるでしょう』

 

 少女に言いつつ、私は迷っている。

 

 人をどのように捉えるべきか。

 

 古い知人は燻ぶっている。偽りないヒトの思念から生まれた自らこそが、真なる人間であると彼は言った。これ以上に文明が醜悪となれば、憎悪が噴火し、人を間引こうと動くに違いない。

 

 一方で私は、作られつつある新文明に嫌悪を抱きつつ、それでも、人を憎みきれてはいない。どうしても、私は人間から生まれた。まだ、人が自然との関係性を見直すことができるのではと、希望を捨てきれないでいる。

 

「神様?」

 

 少女のように、優しい児も、まだいる。

 

『いえ。……それでは、また来年に』

 

 願わくば、この児が花咲き、実を結ぶように。

 

 呪いらしくない願い事を、少女へと向けながら、私は一瞬の来訪を続けていった。

 

 

 

 月日は廻る。

 

 人は、ますます近代化という楽天主義に呑み込まれ、星を貪り、機械を作り、自然を忘れていく。

 

 それでも、

 

「神様、今年も桜が咲きました」

 

 声は、涼風の鳴くように。

 

 少女が娘になり、女性となっても、彼女自身の人生に変化が訪れても、少女と桜と出会う一日だけは、時代に取り残されているように。いつまでも。

 

「今年、良縁を得たのです」

 

「神様、娘も桜が好きだと言っています」

 

「あの子が約束してくれました。桜を守ってくれるって」

 

 そして、

 

「はじめまして、優しい神様。お母様がお世話になっています」

 

 二十年が経った頃、少女は、いや、彼女は娘を私の前に連れてきた。

 

 幼いころの彼女にそっくりで、けれども、目で私を見ることができ、母と同じく私の異形を怖がることはしなかった。訊くと、母から随分と私のことを良い者だと言われていたのだと。結局、母親が私を呪いと認識することはなかったのだ。

 

 私は、親子と並び、桜を見上げる。

 

 かつて、死にかけていた老木。二十年も経てば、とうに朽ち果てていたはずの桜。それは今も、咲き誇っている。彼女が変わらず世話をして、今では親子揃って慈しんだ結果。

 

 命である以上、いつか桜は朽ちるだろうが。

 

『桜は、既につながっています』

 

 私は、二人へと語り掛けながら、桜を指さした。

 

 大木の根元近く。どうしても朽ちが酷くなってしまった幹。そこから、一本、碧い幹が伸びて、小さな花を可憐に咲かせている。大木から零れた種が、親の懐に抱かれながら、芽吹いていた。老木が朽ちたとしても、その頃には、この若い木が大きく成長しているだろう。

 

 少女はかつて、親のように桜を想っていると語ったが、なるほど、似た者親子だ。少女は娘を優しい児へと育てた。桜も、次代へと命をつないだ。

 

 死へと向かうのは命の法則であるが、親から子へ、受け継がれていくのも自然の摂理。

 

 知らず、私は彼女へと手を伸ばしていた。かつての純朴なまま、大きく花開いた女性は、触れた感触に驚きつつ、微笑み、私の手を握り返す。

 

「神様の手は、おおきくて、優しいのですね……」

 

『ありがとう、優しい児よ』

 

 人間に礼を言ったのは、初めてだった。

 

「……え?」

 

『言葉を持たぬ、あの桜から。そして私からも』 

 

 人も世界も変わっていく。残酷になっていく。軽薄になっていく。

 

 だが、それが全てではない。

 

 この優しい児は、桜を救っただけでなく、呪いという負から生まれ、だからこそ染まりそうになる私を留めてくれた。呪いとして、その在り方が正しいとは限らず、友人は火を噴いて怒るだろうが。

 

『もう、この地に訪れることはないでしょう。貴女達の元にあるなら、この桜は永遠に咲き誇る』

 

 まだ、人を見守るべきだ。健気な草木が願うように、いつかは人だって、自然と共に歩むように戻る。この親子のような人間が、残されているのだから。

 

「……いつでも、いらっしゃってくださいませ。私は、この樹の根元に、遺灰を撒いてもらうと決めております。私と会えずとも、娘も、孫も、きっと神様がいらっしゃるのを待っています」

 

『では、時折にでも。……そういえば、貴女は決して私の名前を尋ねませんでしたね』

 

「そう、でした。二十年もたちますのに、私ったら……」

 

 零れる笑顔につられて、私の変わらぬ貌からも、奇妙な音が漏れる。そして、

 

『花御。花の御子。それが、私です』

 

「素敵な、お名前。ありがとうございます、花御様。私の名前は――」

 

 優しい彼女が、その魂を保ったまま旅立ったのは、それから四十年後のことだった。

 

 

 

 彼女の死後、私はかつてほど、桜を訪れることはなくなった。

 

 けれど、酷いモノを見た時、私は桜を見て、少女のことを思い出し、自分を保とうとした。

 

 国が一面、火の海に包まれた時。

 

 灰の中から、無機質なビル群が立ち上った時。

 

 人が自然を虐げた時。

 

 そして、彼女たちは。

 

「花御様。今年も綺麗なお花が咲きました」

 

「おばあさまから話を聞いています。優しい神様だと」

 

 世界と比べればゆっくりと、

 

「……でも、お声は聞こえますが、お姿は見えないのですね」

 

 ゆっくりと、

 

「……お母さん、誰とお話しているの?」

 

「曾々ばあさんが大切にしていた桜だけど、正直、不格好だよね」

 

 変わっていった。

 

 

 

「この土地売ろうよ! 桜も汚いし、倒して、マンション建てて、そうすれば金になるじゃん!」

 

 

 

『あぁ……』

 

 

 

 ナハナハナハナハナハナハナハナハナハナハ

 

 ナハナハナハナハナハナハナハナハナハナハ

 

 

 

 今年も変わらず、桜が舞い散っている。

 

 もう、そこに少女はいない。優しい人はいない。

 

 彼女の眠る地面へと、声は届かないと知りつつ私は話しかけた。

 

『私は呪いでありながら、貴女の心根(こころね)を美しいと感じていました。貴女の娘も、孫も……』

 

 けれど、どうして。

 

 花も自然も、変わらず次代を結んでいくのに。人の善性は、これほど容易く手折れるのか。

 

『……さようなら、美しい児よ。咲き誇った優しい人々よ』

 

 けれども、貴女達は徒花(あだばな)となってしまった。

 

 優しさと、慈愛は、広がることはなかった。

 

 ならば、貴女達の面影が人から消え去る前に、徒花が世界を覆いつくす前に。

 

『私は、人を賢者へと戻しましょう』

 

 せめて、ひと時でも、文明を忘れさせよう。

 

 人々に自然の恐怖を思い出させよう。

 

 この星に、人間のいない時間を。

 

『それが私の、貴女達への(はなむけ)です』




呪術祭へと、花御を主軸に置いた短編を投稿いたしました。

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