大陸暦1930年11月19日
アメストリス東方地区 リオール市内 某所
かつての宗教上の対立による暴動勃発後、人口の流出と産業に衰退の危機に晒されているこのリオールでも夜の酒場の賑わいは昔と変わらない。
それは今男性2人と女性1人が卓を囲んでいるこの酒場も同様でこの喧騒は彼らのような道ならぬ者を隠すには最適な場所である。
「なんで追って来ちゃうかなー。そんなに俺がいい男ってことかな?アメンダちゃん」
黒髪短髪に無精髭とメガネがトレードマークの男、ヴァルニスはそう眼前のブロンドの髪に抜群のプロポーションを持つ美女アメンダにそう問いかける。
「さぁ、たまたまじゃないの?」
アメンダのそっけない態度に彼女の右隣、ちょうどヴァルニスの対面に座る男がニヤリと笑う。
「ニールは酒ばっか飲んでないで喋れよ」
ヴァルニスにニールと呼ばれた白髪痩躯の男性は鋭い青紫の瞳でヴァルニスを睨んだ。切れ長な瞳から覗くその眼光は今にも自分を貫きそうだとヴァルニスは一瞬身構えた。
「お前…殺していいか?監視任務は飽きた」
ヴァルニスにとっては予想通りのその台詞に顔をひきつらせる。
一方アメンダが飲みかけの葡萄酒を吹き出した。
「あははは。なかなか切れ切れ冗談言うじゃん」
アメルダはそう言って高笑いをする。そんな2人の様子にヴァルニスは小さく溜息を吐く。
「おいおい。そう簡単に殺すなよ?俺だってこうやって先生のおかげでこの世に存在してんだからよ」
ヴァルニスはそう言うと手に持っていた葡萄酒を一気に飲み干す。そしてニールの前に置かれたグラスにも手をかけようとする。
刹那、そのヴァルニスの手をニールが払いのける。
そして青紫色の鋭い眼光をヴァルニスに向けるとその瞳の色に淡い朱色が混じり始める。
「ニール、ダメよ」
そこにがアメンダが静止に入る。今までとは打って変わって低い殺気のこもったその声にニールはアメンダを一瞥する。そして再びヴァルニスを睨んだ。
瞳の色は既にもとの青紫色へと戻っている。
「さて、私は今からいい男を漁りにでも行ってこようかしら。あんた達も喧嘩ばっかりせずに仲良くしなさいよ」
場が収まった事を確認したアメンダはそう言って席を立つ。
「まーた男漁りかよ?飽きないねーアメンダ姉さんも!ま、入れ食いには注意しなってな」
そう言ってヴァルニスは酒場から出て行くアメンダを見送る。
そして依然として自分を睨んでいるニールに視線を戻すと大きく溜息を吐いた。
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男は焦っていた。
自分の存在がバレたのかもしれないと。
また葡萄酒は半分ほど残っていたが、そそくさと酒場を後にした。
人気のない道を足早に歩く。
早く安全な場所へ行かなければならない。
あの連中は危険だと皆に伝えないといけない。
だか、彼の想いは虚しく、その背後に殺気に似た気配を感じる。
「ちょっとそこのお兄さん」
アメンダは酒場を出てしばらく歩くと路地を曲がったところで、目の前を歩く男性に声をかけた。だが、男は彼女の呼びかけに止まることなく歩を進める。
既に酒場の喧騒はなく、夜の闇と昼間とは正反対の静寂が辺りを包んでいる。
「ちょっとーこんないい女からの誘いを断るの?さっきあの酒場で私のことずっと見てたじゃない?」
アメンダは少し小走り気味に男に追いつくと男が被っているフードにに手をかける。フードの下からは刹那銀髪に赤い瞳が夜の闇に煌めいた。
「あら、すごい!あなた素敵な髪と目の色!是非遊んで頂きたいわ。ふふふふふ」
男は自身の運命を呪い、不敵な笑みを浮かべるアメンダから咄嗟に跳躍して離れると拳を前に突き出し構えを取る。
改めて男はアメンダを見る。金髪色白、濃いめのルージュにタイトなドレス、スタイル抜群なボディライン、妖美な雰囲気漂う大人の女性から誘われていい気にならない男はいない。
だか、今男はその妖美さから覗く殺気と先程酒場で見た狂気に似たこの女の顔を思い出すと恐怖そのものでしかない。
「お前、何者だ?なぜこのリオールに来た?」
男の問いにアメンダは何も答えず、不敵な笑みを狂気のそれに変える。
「あーら!釣れないわね。女性の誘いに暴力で答えるなんて最低ね…ってかさ、どうせ死ぬんだからその前に楽しめばいいのに。私が最高の快感で昇天させてあげるのにねぇ。愚かだわ」
アメンダはそう言うとただ悠然と男に近づく。
男の顔がその圧倒的な威圧感に徐々に歪んでいく。
「くそぉぉぉぉ」
男は雄叫びを発しながらアメンダに殴り掛かる。
その拳がアメンダの顔面を捉える。
ゴキッと骨の砕ける音がした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
と同時に男の叫び声が街中にこだまする。その彼の手首から先がありえない方向へひん曲がっている。
「ば、化け物!!ホムンクルスめ!!」
男は折れた右手を抑え、苦悶の表情を浮かべながらアメルダに背を向け走り出す。
「もう!そんなに大声をあげちゃったらみんな起きちゃうじゃない。本当に愚かな男ね」
アメンダはそう言うと一度足元を見る。
「それから…」
そしてアメンダが顔を上げるとその端正な顔の至る所に青筋が入り、目と口は釣り上がり怒りをその顔いっぱいに表現する。
瞳と瞳孔は燃えるような真紅に染まる。
「あんた今禁句を言ったね。万死に値する」
刹那、男に闇と影が迫る。男は必死に逃げようとするも足がもつれその場に倒れる。
男は後ろを振り返り、
赤色の瞳を刮目し、
自身に迫り来るそれを目に焼き付ける。
「うわぁぁぁぁぁ!」
男の雄叫びは一瞬、次の瞬間街を静寂が再び包み込んだ。
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「終わったのかい?」
ヴァルニスは部屋に戻ってきたアメンダに声をかける。アメンダはヴァルニスを睨みつけると次の瞬間吊り上がった目と口、青筋が入った額が元に戻る。
「ニールは?掃除中?」
アメンダの問いにヴァルニスは両手を広げて首を左右に振る。その反応にアメンダは溜息を吐くとヴァルニスに抱きついた。
「あの男、私のことをホムンクルスって言ったわ」
「だから殺したのか?」
「仕方ないじゃない。禁句を言っちゃったんだから。私たちをあんな下等生物と一緒にしないで欲しいわ」
アメンダはヴァルニスの肩の上に自身の顎を置き、彼の耳元でそう呟く。
「おっと!」
ヴァルニスはアメンダからの誘いを断るように立ち上がると冷蔵庫から牛乳を取り出すとバックを開け、口の中に流し込む。
「あらやっぱりだめなの?いつになったら体許してくれるのかしら?ヴァルニス、あなたは私が欲しくないの?」
アメンダの問いにヴァルニスはニヤリと笑うとメガネをくいっと上げ、窓際に立つ。
「同志には興味ないよ」
その返答にアメンダは満足したように膝を組み直すとヴァルニスに笑みを向ける。
「あなたはあの娘にご執心だものねー。柄じゃないけど妬けちゃうわね。でもね。この街の闇はあなたの想像以上に深いかもよ」
アメンダの言葉にヴァルニスは答えることなく、ただ悠然と夜の闇を見つめていた。
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あの女軍人と出会ってから変な夢を見るようになった。
俺に似た男が、2.3歳の養女と遊んでいる姿だ。
その傍らには栗色の髪の美女が優しく微笑んでいる。
その夢から醒めるといつも胸を掻き毟られるような衝動に駆られる。
今日の寝覚めも同じだ。
ヴァルニスは寝起きにも冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに入れて一気に煽った。
そして再び思いを馳せる。
お前があの少女なのか?
そして……
俺は一体何者なんだ…