同刻
リオール 歌姫の館
「うん。美味しい」
エリシアは自身の目の前に置かれた鹿肉のソテーに舌鼓を打っている。入念に下準備をしているだろう肉は予想以上に柔らかく、口に入れた瞬間に溶け出していく。更にそこに少し辛味を加えたソースが肉汁の旨みを倍増させる。
「リオールは意外と飯が美味いんだ」
そう言ったスヴァンは葡萄酒を一口飲むと同じく鹿肉を一切れ口の中に運ぶ。
「お、何か始まるみたいだぞ?」
エドの言葉に2人はステージの方に目を向けた。そこには数人の音楽家らしき面々がそれぞれの位置につき、楽器の準備を始める。
ギター呼ばれる楽器を肩からかけた男性が弦を指で弾き、音を確認している。その軽快な音階と指の動きにエリシアは耳を奪われる。
するとそこに花柄のワンピースを着た女性。顔の特徴はアメストリス人に似ているが目が吸い込まれそうな漆黒の黒。少し切れ目だが、美人の印象を与える彼女が歌を歌うのだろうとエリシアは想像した。
「なんか凄いな」
スヴァンがエリシアに囁く。エリシアは首を縦に振るとさっきまで雑多て賑わっていた店内が静寂に包まれていることに気がつく。
客は一手にその女性に視線を向け、静かに次の動向を見守っている。女性は舞台中央に立つと目を瞑り、大きく深呼吸をする。
その仕草、表情に釘付けになっている自分に気づいた。そしておそらくこの場にいるすべての客がそうなのだろう。それだけこの女性には引き込まれる何かがあった。
すると女性は腰まである黒髪を後ろで束ねる。均一の取れた輪郭、耳、うなじがその姿を現し、男性だけでなく、エリシアを含む女性までもがその妖美な仕草に魅力された。
女性は大きく息を吸い込むと口を開く。彼女の口からその容姿通りの甘い歌声が酒場の中に響く。
言葉はアメストリス語ではなかったので理解するのは容易くなかったが、その旋律と歌声はエリシア達の心を容易に射抜いた。
エリシアは目を閉じ、歌声と旋律に酔いしれる。
思わず母の顔が浮かんだ。
そして父の顔、幼少期に楽しかった思い出。
すべてが走馬灯のように駆け抜けていく。エリシアはこの安らぎの時間がいつまでも続けばいいのにと切に願った。
1時間ほとの演奏が終わるとその余韻を楽しむように客達は散々午後、席を立ち始める。エドは周囲を見渡し、小さく溜息をついた。
「今日はこなさそうだな」
エドがそう呟く。既に時間は閉店時間近くになっており、酒場内も空席が目立つようになってきた。
「そうですね。お客さんもまばらになってきましたし、今から誰か来ることはなさそうですね」
スヴァンが辺りを見回しながらそう付け加える。
「そろそろ店仕舞いだが?」
するとそこにカウンター越しにこの酒場のマスターに声をかけられ、エドが伝票を渡される。そして銀時計を出そうとポケットに手を入れたエリシアとスヴァンをエドが制した。
「ここは俺が払うよ」
エドはそう言うと飲食代を現金で支払う。
「よし、行くぞ」
不思議そうにエドを見つめる2人はエドが立ち上がり出口に向かって歩き出すと慌てて後ろに続いた。
「ごちそうさまでした」
エリシアがそういうとエドは鼻で笑う。
「馬鹿野郎。ちゃんと大総統様宛に請求させてもらうさ。それにあの場で君たちが軍の者だとバレたらまずい。明日以降の作戦にも支障をきたす」
エドの言葉に2人は納得したように頷く。
「また明日も来るか……っと!!」
エドはその時何かの気配を感じすっと2人の前に手を伸ばすと辺りを警戒し始めた。
「そこか!」
エドは懐に隠していたナイフを商店街の肉屋の屋根の方に投げる。するとその時何かの影が動いた。
「イヤっ!」
その影に気付いたエリシアがスヴァンにしがみ付く。一方のスヴァンはエリシアの様子と体の感触に苦笑いを浮かべるが、目だけはしっかりと動く影をじっと追いかけていいた。
「大丈夫。お化けじゃないよ」
スヴァンの言葉に自分の思考が読まれた気になったのかエリシアは安堵の表情とともに顔を赤らめる。
彼女が再び屋根に視線を移した時、ちょうど影は屋根から飛び上がる姿を視界が捉える。
「来るぞ!俺から離れるな!」
エドが叫んだ。
その刹那、正体不明なその影はドスンと言う音とともに地面に降り立った。
第3話『険しき茨の道』 完
【 次回予告 】
未知なるものと出会った時
人はその真理を確かめようとする。
闇なるものとの邂逅、
非現実な戦いの中で湧き上がる
彼らの思いとは
次回、鋼の錬金術師Reverse -蒼氷の錬金術師
第5話『未知なるもの』
人の想い…それは儚くもまばゆく駆け抜ける