3人はその女性の変体に戸惑いを隠せないでいた。エドワードにしてもこんな変化をするホムンクルスは知らない。エリシアとスヴァンに至っては異形の者と出逢った事すらない。
2人にとってはそれはお伽話の中の住人だった。
まさにそれは神話の怪物である
岩磔の魔女『メドゥーサ』のそれそのものであった。
だれもが振り返る美人だった顔は無残に醜く壊れ、綺麗なストレートだった金髪は蛇を模したそれに変わり、色も黄土色になっている。
エリシアとスヴァンは状況を理解できず、足がすくむのを感じた。
「アンタも禁句を言った。私はホムンクルスじゃないって言っているでしょうが!!」
そしてそう叫んて大きく開かれた口は人の頭ほどにまで肥大化し、そこから虚空のような闇が覗く。
女の変わりようにエリシアとスヴァンは足が竦み、体は金縛りにあったかのように動けない。
「ちょっとだけ遊んであげるつもりだったけど貴方たち厄介だわ。ここで死んで頂戴」
エドはその得体の知れない何かに思いたある節があった。それは思い出したくもない記憶…。
「ちぃ!これはヤバイ!逃げろ!2人とも」
エドが叫ぶも2人は動けない。
エドは舌打ちをするともうダメかと観念する。
その脳裏に家族の顔が浮かぶ。
《流石にこれはウィンリィに怒られるな》
エドはこんな時自分が錬金術が使えたらと今更ながらに後悔し、死を覚悟した。
そしてあの時のヒューズ中佐の気持ちが分かったような気もした。家族に対して申し訳ない気持ち、自分がいなくなった後の残された彼らに対する気持ち。
そしてこの国がまた何か大変なものに巻き込まれようとしていることを仲間に伝えらない歯がゆさ。
《アルのやつなんて言うかな?》
エドは今は東方の異国にいる弟の事を思う。自分が死んだら悲しむ人が多いことにエドは改めて気がつく。
エドは全身を研ぎ澄ませる。
だが抗おうにも抗う術が頭の中に浮かばない。
「そこまでだ!」
その時、頭上から声が聞こえた。それと同時に何か風を切る音を耳が捉える。見ると金髪の女性の額に小型ナイフが突き刺さっている。
エドは屋根の上に見つけた人影に目を向けた。
「いい加減にしろ。手は出すなと言ったはずだ」
屋根上の男がそう叫ぶ。一方のエドはその声が聞き覚えのある懐かしい響きであることを悟り、身震いした。
《まさか…》
エドは心の中で自問する。エリシアの話を話半分に聞いていた訳ではない。だが、俄かに信じれなかったことも事実。
その声の主はスッと屋根の上から飛び降りるとエド達3人に向き直おる。エドは眼前に現れたその男性の姿に目を疑い、言葉を失う。
エリシアも突然の出来事に口に手を当てて驚きを隠せない。
エリシアは突然の出来事についていけないでいた。
心のどこかであの人がまた現れるのではないかとこの戦いが始まってから予感はしていた。
《でもまさか本当に現れるなんて…》
心の声が少し上ずる。この危機的状況で喜んでいる自分がいることにエリシアは驚いた。
「お前らもそんなに嗅ぎ回るなよな?早死にするぜ」
でもそれは致し方ないと自分にいい聞かせる。
そう言ってわらった顔と声
特徴的な無精髭とメガネ
人を食ったような表情
全てがーー
ーーあの人だったのだから。
「パパ!パパなの?」
エリシアが叫ぶ。
男の顔が驚きに変わった。金髪の女性に突き刺さった投げナイフを額から抜く。そして彼女の氷漬けの右手に触れると氷が瞬く間に消え去った。
「はいはい分かったわ。今日は引いてあげる」
金髪の女性はそう肩を落としながら言うと氷漬けになってる仲間を一瞥する。その顔は先ほどの淫靡なそれに戻っている。
「ニールちゃんは貴方が連れて帰ってきてね」
その言葉に男はムッとした表情を見せる。その様子を楽しむかのように金髪の女性は笑うと男の影の上に立つ。
「ばいばい。また遊んでね」
エド達3人にそう告げると女の足元が揺らぎ、彼女は影の中に吸い込まれていく。
「待て!」
エドが彼女に向けて折れた刀身を投げようとした時彼の足元に投げナイフが突き刺さる。
「やめときな。あいつをこれ以上刺激するな」
男が、少しドスの効いた低い声でエドをけん制する。エドはその表情に得体の知れない何かを悟り、投げかけた手を止め、折れた刀身を脇に捨てた。
「よしよし、素直なことはいいことだ」
男はそういって笑う。その様子に懐かしさがこみ上げて来て、胸の奥を抉る。
今ならエリシアの気持ちがわかる。
顔も表情も声も仕草もあの男そのままだとエドもそう思ってしまったのだから。
「あんた、ヒューズ中佐なのか?」
エドはこの男の名として認識している名前を呼ぶ。
だが、彼は首をかしげると笑みを浮かべた。
その人を食ったような笑みも今は亡きヒューズ中佐そのままだとエドは思う。
「ヒューズ?俺はそんな名前ではないよ。俺の名はヴァルニス。まぁ、ならず者ってとこだ。確かそこのお嬢ちゃんは俺をパパって呼んだな?あいにく俺には娘はいない」
その言葉にエリシアの膝がガクンっと落ちる。それを支えるスヴァンはヴァルニスを睨む。
「おいおい。怖いな。俺はお前達を助けたんだぞ?感謝されても恨まれる筋合いはねぇよ」
そう吐き捨てるように言うヴァルニスは氷漬けになっている仲間、女がニールと呼んだその氷像に手を向ける。
「悪いな。こいつをまだお前達に渡すわけにはいかないんでな。返してもらうぜ」
ヴァルニスはそう言うと氷の表面に手を置く。するとニールを覆っていた氷が瞬時になくなり、獰猛な獣が姿をあらわす。
「グルルルル…お前殺す」
ニールがエリシアに向かって怒りの咆哮を上げた。その声に身を竦ませるエリシア。だが、ヴァルニスがニールの額に手を当てると先ほどまで暴れまわっていた猛獣とは思えないほど大人しくなった。
「ヴァルニス…お前…」
ニールの自分を恨めしげに見るその瞳にヴァルニスは困ったように眉をひそめる。
「お前、また命令無視してこいつら襲っただろ?先生に言いつけてもいいんだぜ」
その言葉にニールは大人しくなる。
そのやり取りの間、3人はなんとか一矢報いようとしていた。だが、体が金縛りにあったように動かない。
先ほどの恐怖で体が竦んだのではない。
ヴァルニスという男に睨まれた瞬間、ただ動かなくなったのだ。
《間違いない。あの時の人…近くにいるのに。動け!動いて!私の身体…》
エリシアは動かない自分の体に何度もいい聞かせる。
何度も…何度も
「君達。今日はこの辺で引いてやるけどこれ以上首を突っ込むな?今日は助けてやったが、お前らの命、次は保証しねぇぞ」
そう3人を見回すとヴァルニスは凍傷がひどく体を動かせないニールの体を肩に担ぐ。その時、袖を誰かに引っ張られた。
「な…に?」
ヴァルニスは思わず驚きの声をあげる。
この状況で動けるものなんていない。
そう思っていたのだ。
「お前…」
そこには顔を蒸気させ、やっとのことでヴァルニスの袖を掴んだのだろうエリシアの姿があった。
「エリシアやめろ!そいつはヤバイ」
エドが叫ぶ。だが、エリシアは首を左右に振るとヴァルニスを見上げる。
その瞳には泪で溢れていた。
「そっくりなの…ううん、全く同じなの。喋り方も仕草も顔も声も手の大きさも暖かさも…」
そう呟くエリシア。
当のヴァルニスですら彼女の様子に目を見開き驚き、彼女の次の行動を呆然と見ている。
「何もかも…」
「何もかも!見れば見るほど!貴方はパパなの!貴方は一体誰?どうしてそんななの?私の…私の1番会いたい人…パパと同じなのよ!」
エリシアの叫びが静寂の街にこだまする。
「そうか。なるほど」
ヴァルニスは何かを悟ったように頷くとエリシアの頭を撫でる。そして悲しそうな瞳をエリシアに向けた。
「悪かったな。俺はお前のパパじゃない。だから忘れてくれ。お前にはそれが1番の幸せだ。俺にはこれ以上もうかかわるな」
ヴァルニスはそう優しくエリシアに語りかけ、手刀を彼女の首筋に見舞った。
エリシアの体がビクンッと跳ね上がり、
その場に崩れ落ちた。