大陸暦1930年11月24日
セントラルシティ 中央司令部 大総統官邸
「ふむ」
マスタングは自身の執務室で難しい顔をしている。その正面には長身筋肉質にヒゲを生やした男性が立っている。
男は黙ったままマスタングの次の句を探している。
「少しは距離を取ってくれんか、大将」
その空気に負けたマスタングが口を開く。すると長身筋肉質にヒゲを生やした男性、アレックス・ルイ・アームストロング大将は敬礼をすると一歩だけ下がった。
「で、閣下はどうお考えなんですか?」
すると壁際に立つアームストロング程ではないが締まった体にタンクトップ姿の男性が口を開く。
「あぁ、今それを考えているのだハボック大尉」
マスタングは苛立った様子でハボックにそう告げる。彼の不機嫌の原因は今朝セントラルに戻ったばかりの彼にかかってきた一本の電話だった。
「エドワード・エルリックが一緒とはまた閣下も思い切ったことをなされます」
アームストロングの言葉にマスタングは目を細め彼を見る。するとまたハボックが口を挟んだ。
「今この国で鋼の旦那ほど頼りになる奴はいませんからね。それだけまぁ、緊急事態ってことですかね」
そう言いハボックはズボンのポケットから煙草とジッポライターを取り出す。
「ここは禁煙だ」
マスタングはそうハボックを制すると彼は「へいへい」と苦笑いを浮かべ、それらをポケットに戻す。
「冗談はさておき、東方の情報屋がこの件からは手を引きたいと言ってきた。これをどう見るかね?大将」
アームストロングは話を振られ、一瞬びくつくが、マスタングが不機嫌になっている理由も理解した。
「あのお方がそう簡単に尻込みするとは思えません。やはり、例の件には何やらキナ臭いものが潜んでいると考えるべきでしょうか」
アームストロングの返答に少し不服そうな顔を見せたハボックに向き直る。
「あぁ、かなりキナ臭い。だが、15年前の戦いでかのホムンクルスは壊滅した。唯一残ったセリム・ブラッドレイも夫人と一緒に西部で問題なく育っている。スム・ダムの背後に何かいると踏むのが確かではあろうが、まだ何も分かっていない。ただ、何かとんでもないものが動きだそうとしている事は確かだ。一刻も早くその尻尾をまず掴まなければならん」
ハボックは憶測ばかりで物を言うその様子にマスタングらしくないと思った。
だが、そんなマスタングもまだ何か光明を見つけている訳ではない。全ては手探りの状態なのである。
「我々に何かできることはありませんか?閣下」
アームストロングの問いにマスタングは「うむ」と呟く。
「大将には西へ行ってもらいたい。君にしか頼めない事だ。その間の隊の指揮はブレダ中佐に任せると良い。私からも彼に言っておく」
アームストロングはマスタングの言わんとする意図を理解すると敬礼で応える。するとマスタングは徐に立ち上がる。それはこのお昼の茶会の終了を意味している。
「あの、俺は?」
するとハボックが慌てて疑問の声を出す。
「あ、すまぬ。忘れていた。大尉には引き続きカインズ准将の補佐を頼みたい。准将からヒューズ少佐が戻ってくるまでの代わりは大尉にと頼まれてな」
そう言って笑うマスタングをハボック訝しむような瞳で見る。
「そんな目で見るな。それもこれも大事な任務だ。さて、私は午後の実務がある故、大総統府に戻る。2人はもう軍務に戻っていいぞ」
そう言われハボック大尉は不服そうに敬礼をすると先に執務室の扉に手をかけたアームストロングに続きマスタングの執務室を後にした。
「はぁ、閣下は何を考えてるんですかねぇ。学のない俺にカインズ准将の補佐なんて」
そう言って愚痴るハボックをアームストロングがなだめる。
「まぁ、閣下にもお考えがあるんだろう。今は従っておくと良いと思いますぞ」
ハボックはアームストロングの慰めにも不服そうな顔を崩さない。彼自身頭の中では分かっている。マスタングが無意味な指示を自分に出さないこと、彼の指示をには何か意味があること。
だが、その意図が理解できない自分の不甲斐なさが少し腹立たしかったのだ。
「にしても、エリシアちゃんもとんでもない事にまきこまれちゃいましたね?」
「あぁ、そうだな」
ハボックの率直な感想に素直に同意するアームストロング。彼にとってもエリシアは亡き戦友の忘れ形見で娘のような感情を抱いている。故に今回のきな臭い何かに巻き込まれてしまった現状にはかなり同情している。
2人が階下に降りると玄関口で赤ちゃんを抱いた女性が見送りに出てきている。
「おぉ!これは、ご婦人。今日はよき昼食を閣下と取らせて頂きました」
リザはそう声をかけてきた2人に笑顔を向ける。完全に大総統夫人、幼き赤子の母という風格が出てきている。
「あの人、また無茶を貴方に頼んでいませんか?」
その質問に「まさしく今…」と言いかけたハボックの尻を力一杯抓るアームストロング。その様子に全てを悟ったのか苦笑いを浮かべるリザ。
「そうですか。帰ってきたらしっかりと言っておきます」
そう言った彼女の瞳はかつての鷹の目ホークアイと揶揄され、同胞からも異形の敵からも恐れられたリザ・ホークアイのそれ、そのものであった。
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大陸暦1930年11月24日
セントラルシティ 中央司令部 第五研究所
カインズはいつもの日課で執務室から外に出て研究所内を歩いて回る。彼自身他人の研究には興味津々で、会う人会う人に声をかけてはアドバイスを送っている。
「カインズ准将お疲れ様です」
「准将お元気ですか?」
「准将、ちょっとお聞きしたい事が」
カインズが研究所内を歩くと至る所から声をかけられる。この研究所の職員も軍人から民間人までカインズを慕って集まってきたものばかりだ。
もちろんカインズもそんな彼らを無下に扱ったりはしない。一人一人に対して丁寧に応対する。
それもまた彼の人心掌握術なのだろう。
そんな中でカインズはとある部屋の前で足を止めた。表札には“第13研究室”と書かれている。
「ベティ、ちょっと」
カインズは第13研究室の中を覗くと中にいる人物に声をかける。ベティと呼ばれた緑色の眼鏡をかけ、プレートに置かれた白色の物体と格闘している人物は振り返るとカインズの存在に気がつく。
そして背筋を伸ばして敬礼の姿勢を取った。
「准将、何か御用でしょうか?」
そう言って帽子を取ると桃色の髪がばさっと肩下まで下ろされる。
ベティ・クランザ研究員。
目の下にソバカスの残るあどけない表情をした小柄な女性である。童顔な出で立ちとその桃色の髪から若輩と勘違いされがちだが、彼女はカインズの右腕として、今やもっか今年の論文発表のメインに据えられている『骨神経の再生術』の責任者である。
「何か御用でしょうか?」
ベティは眼鏡を取るとその小粒な瞳をカインズに向けた。彼女ももちろんカインズを慕ってこの研究所にやってきた研究者である。そして彼女もまたカインズやエリシアと同様にマルコーのもとで学んだ経験もある。
「国家錬金術師の試験を受ける件、考えてくれたかな?」
ベティはカインズのその質問を予想していた。
最近10回に8回はその話をしてくるからだ。
そしてベティはいつも丁重にお断りしている。
今回も例に漏れずベティは少しだけ考える素振りを見せるだけカインズに見せる。
「この研究が終わったら考えます」
そしていつも同じ回答をカインズに返していた。
カインズは予想通りのベティの反応に少し不服そうな顔を見せると再度口を開く。
「君ならエリシアにも勝る研究者になれると思うんだがな?どうだ?真剣に考えてみないか?」
いつもなら一回のやり取りで終わるところにカインズが更に食い下がった事にベティは驚く。
そして何よりエリシアより自分を評価してくれたとも取れるその言葉に耳を疑い、心の底からこみ上げる嬉しさが顔には出ないように我慢する。
エリシアは彼女にとってマルコーに師事していた時からの妹弟子にあたる。そんな彼女が国家錬金術師となり、自分で研究予算を持っていることは羨ましいし、確かに面白くはない。
「それは光栄です。ありがとうございます。しかしながらこの研究をやり遂げないと私は次には進めません。研究者とはそういうものでしょう?」
だが、ベティにはやはりこの道しかなかった。断固として取り付く術もないベティの様子にカインズは苦笑いを浮かべるしかできない。
「そうか。今日もダメか。邪魔したな。また明日来るよ」
今日はこれ以上言っても無駄と感じたのかカインズはそう言い残し踵を返した。
部屋の外を出るカインズに対してベティは『もう来なくていいのに』とは口にも出せずただ無言で一礼をして見送った。
カインズは廊下に出ると再び研究所内を巡回し始めた。ふと頭の中に描いているプランを推敲する。
《ベティには国家錬金術師になってもらい、私のより近くで研究をしてもらった方がいい。本当なら今の骨神経の再生術の研究も誰かに渡したいくらいだが彼女が聞き入れないだろうな》
カインズはそこまで心の中で呟くと口元を緩める。そして研究所一階の応接スペースに足を向けた。
《あと少しだ》
応接スペースの壁には人体を模した解剖図が飾られている。その大多数は赤色に染められ、あとは骨神経、脾臓、リンパ節、脊髄が白く残っている。
《あと少しだ。あと少し…》
カインズは心の中でそう自分を鼓舞するとその解剖図をじっと眺め続けていた。