大陸歴1930年11月10日
アメストリス東方地区 ドラン近郊
アメストリス東方地区ではここ数ヶ月の間で過激派組織によるテロの件数が増え続けており、マイルズはじめ東方司令部上層部の悩みの種となっている。
過激派組織はその名をスム・ダムと名乗り、今のアメストリス軍政府が掲げている軍民分割思想、所謂民主主義への傾聴に反目、各地でテロを繰り返しており、現大総統のロイ・マスタングの絶対可否の功績である再興したイシュヴァールが格好の標的となっている。
またこれはセントラルでも同様に現国家体制を揺るがす大問題として認識されており、密偵の結果、彼らの本拠地がこの東方地区ドラン近郊にあることが分かった。
それ故中央からは豪腕の錬金術師アレックス・ルイ・アームストロング大将、月華の剣舞の異名を取るライオネット・ブラックフィールド大将を始めとしたかなりの数の兵、錬金術師がこの東方司令部に召集されている。
そんな中でエリシアとスヴァンが所属する第2連隊は他の部隊から半日遅れて作戦行動を開始する手筈になっている。
アレックス・ルイ・アームストロング大将率いる第1連隊とライオネット・ブラックフィールド大将率いる第3連隊は本隊である第2連隊の陽動部隊としてスム・ダムの拠点であるマリエッサ、ハートバンへ先制攻撃を既に開始している。
「エリシア・ヒューズ少佐入ります」
そんな中でエリシアは単身彼らの指揮官であるスガサ・マークインの幕舎へと呼ばれた。
「こうして話すのははじめてだな。蒼氷の錬金術師エリシア・ヒューズ少佐。まぁ、掛けたまえ」
第2連隊指揮官スガサ・マークイン中佐。
黒髪色黒、中肉中背の出で立ちからは想像もできない威圧感と落ち着きを与えるその印象にエリシアは一瞬で取り込まれてしまった。
「単刀直入に話そう。あまり前置きが長いのは好きじゃないんでね。作戦前夜に申し訳ないが、君にも前線の指揮を頼みたいと思っている」
そのマークインが発した言葉にエリシアの思考が一瞬固まる。彼の言った言葉を反芻する中でその意味を介し、驚きの声をあげる。
「なっ、私は医療班として本作戦に帯同することになっているはずです 。それに前線の指揮の経験もありませんし」
突如言い渡された命令にエリシアは戸惑い、異議を唱える。彼女は本来医療班として召集されていたのである。
「スヴァンの班を補佐に付ける」
「しかし!」
エリシアは更に異議を唱えようとしたが、マークインの威圧感に気圧され次の言葉を発することが出来ない。
「これは決定事項だ。異議は認めん。従ってもらうぞ。ヒューズ少佐、自身の肩書きに見合う功績を期待する。作戦内容が分かったならもう下がってよいぞ」
エリシアは言われるがままマークインの幕舎を後にする。
《大変な事になった》
自身の幕舎へと戻る道中でそうエリシアは心の中で嘆く。まさか初陣の自分が部下を持ってしまうことなんて想像もしていなかった。
大総統はこうなる事を見越して自分をこの戦地に行かせたのだろうか。何にせよ、誰も死なせるわけにはいかない。
《今夜は眠れないだろうな》
エリシアは眠れない夜になる事を覚悟し、彼女の行く末を暗示するかのような満月の空をただ呆然と見上げた。
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同日
セントラルシティ 大総統官邸
「そろそろ掃討作戦が開始される時間か」
ロイ・マスタングは朝食後のコーヒーに舌鼓を打ちながら時計を気にする。
「彼女の事が気になるの?」
そこに金髪ショートカットの女性がマスタングに話かける。彼女の腕には生まれたばかりの赤子が抱かれていた。
「中尉、いやリザか。あぁ、情報では彼女が医療班としてではなく、現場指揮に回されたとの事だ。少々心配でね」
鷹の目と呼ばれ、マスタングあるところに彼女ありと言われたリザ・ホークアイはマスタングが大総統になった後、彼と結婚、軍を退役し、名をリザ・マスタングと改めた。今は3人の子どもを育てる立派な大総統夫人となっている。
「可愛い子には旅をさせろと言ったのは貴方でしょ?私はハナから反対でした。ヒューズ准将の忘れ形見をわざわざ死地に追いやる必要はないと思いますけど?」
愛する夫人から正論を突きつけられたマスタングはひとつ咳払いをすると新聞を拡げる。その様子にリザは小さく溜息を吐いた。
「しかしだな。俺は彼女には現場を見てこいと言った。人殺しをして来いとは言ってない」
半ば駄々っ子に似たような声を出す夫にリザはクスッと笑みを浮かべるとマスタングを後ろか抱きしめる。
「貴方はいつでもそう。本当は彼女なら大丈夫と思ってるんでしょ?貴方の判断は間違ってない。彼女なら大丈夫。あのヒューズ准将の娘で私や貴方がしっかりと支えてきた子なんだから」
リザの言葉にマスタングは自身の不安をかき消すように「そうだな」と呟いた。
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同刻
アメストリス東方地区 ドラン近郊トロント遺跡
「突入!」
第2連隊司令部のマークインの号令によりスム・ダムの本拠地と目されたトロント遺跡の四方の入口からアメストリス軍がなだれ込んで行く。
エリシアとスヴァンの小隊も東側の入口から一気に突入し、分岐に従い、他の小隊と別れまるでアリの巣のような遺跡内部を進んで行く。
「前方注意して進め!」
スヴァンが叫んだ時曲がり角の先から銃声が響く。
咄嗟に兵たちは壁際に戻り隠れるが数人が足や肩を撃たれ負傷する。
「大丈夫?」
エリシアは引き戻された負傷兵に駆け寄り、錬金術の処方をしようとする。だがその時襟首を誰かに引っ張られた。
「何やってんだ!致命傷じゃない。まずは敵を片付けるのが先だ!」
スヴァンはそう言うと曲がり角の先に出て手を地面に置く。青白い火花とともに真赤な無数の槍が生成され敵に向かって飛んで行く。
数秒後、敵からの銃声はやみ、静寂が広がる。
「先に進むぞ!エリシアは2人の手当てをしてから追いついてこい」
スヴァンの剣幕に圧倒され頷く事しかできないエリシアを追いてスヴァンは彼女の小隊も率いて先に進む。
「あ、手当てを」
エリシアが負傷した兵の手当てをしようと2人に駆け寄る。そしてその2人の冷たい視線に気づく。
「少佐。我々は置いて先に行ってください」
「こんな傷かすり傷です。自分たち自力で外に出られます。早く先に行ってください」
将兵の言葉にエリシアははっと我に返る。初めての戦闘、目の前の負傷兵に気が動転し、部隊の規律を乱した。だからスヴァンは自分を置いて先に進んだのだと理解する。
気をとりなおしたエリシアは負傷兵たちの傷を見た。よく見れば致命傷でもなく、彼女の医療錬金術で治せないほどの物ではない。
「貴方達も一緒に行くの!戦力は多い方がいいわ」
そういうとエリシアは自身の左手に医療錬成陣の施された灰色の手袋を装着した。
「私の医療錬金術をなめないでよ。こんなかすり傷くらいで戦線離脱される方が小隊としては痛手だわ」
それぞれの患部に手を当てると見る見るうちに出血は止まり、体内に残っていた弾丸は組織細胞として再構築され傷口を再生して行く。
ものの数秒で2人の将兵の傷は完全に元通りにになった。
「すごい」
「これが国家錬金術師の力か」
2人は自分たち撃たれた場所の痛みがなく問題なく動く事を確認するとエリシアの力に感嘆の意を漏らした。
「さぁ、行くわよ」
そうしてエリシア立ち上がると先に向かったスヴァン達の元へ駆け出した。
その頃スヴァンは敵の足止めに合っていた。
無数の弾丸が錬金術で作った壁に吸い込まれて行く。スヴァンが壁を作り、将兵達は銃撃戦を繰り広げている。今壁を解いて他の武器を錬成すれば、確実に自分たちは蜂の巣になる。
「くそ!これじゃ血液がいくらあっても足りない」
元来スヴァンの錬金術は自身の血を媒介し、強固な武器を多数錬成し敵を攻撃するものである。同時に体内細胞を血液に錬成する術も心得てはいるが、消費量に間に合うものでもない。
「このままじゃ壁がもたな…」
その時丸い球形の物体が飛んでくるのをスヴァンは見た。それが手榴弾とわかった時、スヴァンは叫んだ。
「下がれ!」
「いえ、大丈夫よ」
彼の叫びと同時に女性の声が聞こえ、彼らの後方で青白い火花が散る。すると途端に周囲の温度が下がり始め壁一面が氷始める。
敵が投げてきた手榴弾は完全に凍りつき、スヴァンの血の壁に当たり地に落ちる。
その機能は完全に失われている。
「エリシア!」
スヴァンがこの氷漬けの主の名を呼ぶ。
「ほんっと戦闘用錬金術は専門外なんだけど」
エリシアはそう悪態をつきながら右手にはめた白い手袋を頭上に掲げ、指を鳴らす。
刹那エリシアの周りに無数の氷の槍が現れ、彼女が手を振るのと同時に敵に向かって突っ込んで行く。
雨のように浴びせられる銃弾をも吸い込み氷の槍が敵部隊に当たると、一瞬にしてその周囲が氷漬けになる。
「おぉ!すごい」
兵達から感嘆の声があがる。初めてエリシアの錬金術を見たのだ。マスタング大佐仕込みの錬成陣の書かれた麻手袋をはめた右手をパチンと鳴らすだけで、ここが北方のブリックスかと思われるように周囲の温度を奪う。
それは動の焔の錬金術に対して静の芸術と呼ばれる氷の錬金術所以である。錬金術にあまり馴染みのない一般兵を魅了するには十分過ぎた。
「お前ら覚えとけ?これが今やセントラルが誇る蒼氷の錬金術師エリシア・ヒューズ少佐の力だ」
なぜかスヴァンが誇らしげに熱弁を振るう。
「さぁ、先に進むわよ!地図によると多分もうすぐ中心部だわ。敵の首魁を早々に捕まえてこんな戦いは早期に終わらせるのよ」
エリシアはそんなスヴァンの熱弁を無視し、部隊を鼓舞する。先ほどまでおどおどしていたエリシアの変わりように兵達は驚くも、見せつけられた彼女の力にも感服し、素直に彼女の後に続く。
「スヴァンも早く」
その様子にあっけに 取られたスヴァンは先ほどと立場が逆転したことを認めつつも彼女の実力を隊のものが認めたことが喜ばしく目を細める。
部隊の先頭をいくエリシアの後ろ姿を誇らしげに見つめ、自身は部隊の最後尾につくことにした。
スム・ダムの拠点であるマリエッサとハートバンへの第1、第3連隊の侵攻が功を奏しここトロント遺跡守備隊も分散されたか、そもそもこの場所が国軍の攻撃目標になっていると想定していなかったのか、第2連隊の半分の兵力しかいなかった。
エリシアの心配をよそにトロント遺跡中枢部の制圧と組織幹部の逮捕は事速やかに完遂される。
だが、彼らの首魁であるガーサス・ロズワイドの姿はどこにもなかった。
「なんか呆気ない」
拠点制圧から残存勢力の探索にその任務を移行させた第2連隊は遺跡の中の探索を行っている。エリシアとスヴァンの班もまた共同で遺跡探索を行っている。そんな中で発せられたスヴァンの言葉にエリシアも同調する。
「えぇ。確かに組織幹部は一網打尽にできたけど組織のトップには逃げられた後だったし」
彼らは地下へと続く階段を降りていた。
すると次第に灯りが見え、おそらく最下層であろう場所に到着する。
そこには二つの石の扉がある。
「俺はこっちに行く。エリシアはあっちを頼む」
銃を構えたスヴァンは片方の扉を部下に開けさせ中に飛び込む。一方のエリシアももう片方の扉に近く。そこには見たこともない言語だろう文字の羅列があった。
《何だろうこれ…なんか見たことあるような気もするけど嫌な予感がする》
ふとエリシアは中に突入するのを躊躇する。
「少佐!」
その時、部下の1人がエリシアを呼ぶ。その声に我に返ったエリシアは部下に向かって頷く。
「私たちも行くわよ!」
彼に石の扉を開けさせ、中へと飛び込んだ。
「何これ?」
そこは東方司令部の中央広場ほどの大きさ。2万人は収容できるであろう広大な部屋であった。だが、殺風景な石畳調の床と中央にある祭壇以外は何もない。
エリシアはとりあえず中央の祭壇に足を向ける。その後ろには彼女の小隊メンバーが周囲を警戒しながら続く。
「エリシア!戻れ!それに近づいたらダメだ」
刹那、扉の外からスヴァンの叫び声が聞こえる。刹那灯りが消え、殺風景な石畳調の床に六芒星が浮かぶ。
「え?錬成陣?」
エリシアは状況が飲み込めず立ち尽くす。
「エリシア早く戻れ!全部持っていかれるぞ!」
「「「うわぁぁぁぁぁ!!」」」
その時、部屋中に部下達の絶叫が響き渡った。