一三
銀河のある一点でフェリックス・ミッターマイヤーという偉大な才能が開花したいっぽう、その反対側ではあるふたりの幼子が、にわかに勢力を拡大した寒気のなかでじゃれあっていた。
女の子のほうはもうひとりの手をひっぱって砂場に連れていこうとし、男の子のほうは手をとられながらもかたくなにベンチに座って本を読もうとしている。時おりかれらのすぐそばを人が通りかかっていたのだが、その全員に、ふたりはだいたい同じ歳くらいの子に見えただろう。その予想はあたっていて、ふたりは全く同じ歳であるばかりか、生まれた日、場所、時間がすべて一致する。女の子のほうがわずかにはやく生まれたが。かれらは二卵性の双子だった。
「あなたって、どうしてそんなに本ばかりをよむの?」
「とってもおもしろいから」
「あっちのほうがおもしろいわよ! ほら、いきましょう!」
「ここは自由の国だよ。ぼくは本をよむ自由をつかっているだけ」
「じゆう? じゆうってなに?」
「パパがいつもいってるじゃないか」
「なによ、パパなんて。あんなにひよわで、むずかしそうな顔ばっかりして!」
まわりからはほほ笑ましい日常の一ページに見えるが、本人たちにとっては、あるいは宇宙の存亡よりも真剣で向かい合うべき問題であった。生まれたときも場所も、生活するときも場所も同一なかれらは、しかし行動までは一致しないのである。
数分ちかくつづくその問題をようやく解決に導いたのは、ひとりの女性だった。
「ロミー、ウェンリー、どこにいるの?」
ひとりの女性――かれらにとっての母の声が聞こえ、ふたりが同時に振りむいた。ロミーと呼ばれた女の子が、ウェンリーと呼ばれた男の子の手をはなし、声のほうにむかって駆け出していく。
「ママ、おしごとおわったの?」
「ええ。さあ、早く帰りましょう。今日はパパもすぐに帰ってくるみたいだから」
「ほんとう⁉」
今度は男の子が駆け出していく番だった。赤い髪をしたかれらの母親――カーテローゼ・フォン・クロイツェルは、右手にウェンリー・ミンツの左手を、左手にローゼマリー・フォン・クロイツェルの右手をとって、やや暮れかけた陽ざしのなかを、みっつの影をつくって歩いていく。
女の子がひよわと言い、男の子がほんとうと言ったその父の名は、ユリアン・ミンツと言った。
惑星ハイネセンをふくむバーラト星系が、旧イゼルローン共和政府に返還されたのは、宇宙暦八〇二年、新帝国暦四年のことである。惑星ハイネセンは、その前年に発生した“ルビンスキーの火祭り”と呼ばれる爆破テロからの再建の最中であって、新銀河帝国からの支援金を元手に都市のリデザインをはかった。結果としては、まだ銀河の半分が自由惑星同盟と呼ばれていたころの首都のすがたを取り戻しただけであったが、それでもひとつの星系の中心都市としてふさわしい景観を得るに至った。宇宙暦八○三年のことである。
フレデリカ・グリーンヒル・ヤンを主席とし、テルヌーゼンにおかれていた共和自治臨時政府は、政治機能をハイネセンへうつし、ここに正式な共和自治政府をひらいた。宇宙暦八〇三年十一月である。その移転宣言ののちに、フレデリカは国家主席を退くことを表明し、総選挙の結果が公表され、次期主席が決定しだい、ひとりの市民へと戻ったのである。
第一回議会が招集され、議員の顔ぶれのなかには、かつての統帥作戦本部長シドニー・シトレや、自由惑星同盟最期の瞬間まで良心的な官僚であり続けたホアン・ルイの姿もあった。
はじめの主な論題は、憲法の制定にあった。むろん、臨時政府が運営されていたときから憲法は施行されていたが、それは自由惑星同盟時代のものをそのまま使用していただけだったのである。
新憲法は、旧自由惑星同盟のものをベースとしながら、細部に調整をくわえるだけで終わった。だが、時間を費やしてひとつひとつの条文が討議され、議事録に記されたことは大きな一歩である、とユリアン・ミンツは考えた。彼は武官であり、議会には参加できても正式な発言権はない。文民から求められる意見を、軍事の専門家として回答するのみである。だが、うまれてはじめて、憲法というものが生まれていく過程を目撃したのである。皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムにむかって、憲法をつくれと言いながら、自分ではそれをつくったことも、その作業現場を見たこともなかったのである。
こうして新政府が少しずつ安定を取り戻していく間に、ユリアンは今後の共和自治政府のあり方を考えなければならなかった。バーラト星系は、帝国の支配にあった、たった三年間のうちに、にわかに専制政治の無批判な信奉者になりつつあったのである。かれらは専制政治の迅速さ、そして楽さに慣れてしまっていた。第一回選挙の投票率は約六〇パーセントであり、しかも全市民がイゼルローン共和政府の参入をよろこんだわけではない。多くの市民にとっては、たった四、五年のうちに二回も政治政体の変化を経験しなければならなく、しかもその一回目は劇的で、民主主義があえて取り除こうとしなかった国家の腫瘍を、すべて迅速な決定のうちに消し去ってしまったのである。これが専制政治の美点でもあり、同時に陥穽でもあった。オスカー・フォン・ロイエンタールと、アウグスト・ザムエル・ワーレンと、そしてパウル・フォン・オーベルシュタイン。それぞれ有能な総督で、彼らがハイネセンにあったとき、政治はいっさいの遅滞と後退を経験しなかった。
あるいは、それがはじめの試練であるかもしれない。民主主義を普遍なものにするには、専制政治がもたらしたものを超克し、相対化していかなければならない。ラインハルト・フォン・ローエングラムは難儀な宿題を押し付けたものだ……。
そう考えている間に、宇宙暦八〇四年、新憲法が公布された。その序文を見て、ユリアンは自分の眼が熱を帯びたことを悟った。
「……われわれは、切に平和を希求し、その価値を永遠に普遍なものにすべく努力していくことを誓い、ここに憲法を制定する。われわれの使命と意志は、つねにアーレ・ハイネセンとヤン・ウェンリーの魂ともに、自由・自主・自律・自尊の精神をたっとぶところにあるのだ。」
国家の大きな潮流が、名もなき小さな市民に移譲されつつある折、ユリアン・ミンツは惑星フェザーンへと招待された。宇宙暦八〇六年、新帝国暦八年である。軍事顧問として二度ほどフェザーンへは行っていたが、先帝皇妃と皇帝から私的に招待されたのははじめてだった。ユリアンは、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンと、カーテローゼ・フォン・クロイツェルと数名の付き添いのもと、フェザーンをおとずれた。
「ユリアンが、遠い異国の地でハーレムを築こうとしている」
と毒づいたのは、自治政府において元帥の地位を獲得したダスティ・アッテンボローであったが、あるいは付き添いに選ばれなかったことにたいしてすねているのかもしれない。
「まあ、浮気はせんだろう。なんたって恋人をおつれだ」
このところもともと低かった冗談の水準がさらに低下をみせたのは、アレックス・キャゼルヌである。彼の舌鋒は、ほかのだれかに向けられ、しかも向けられた側もするどい舌鋒をもち、お互いに渡り合わない限り、研がれることがないらしい。彼は、臨時政府の移転後に退役届を出し、称号は退役大将となっている。デスクワークだけで大将にまでのぼりつめた彼に、後ろ指をさすものはだれもいない。だれしもが、彼がいなくなって彼の才覚を悟ったからである。
ともかく、新帝国暦八年五月末日、フェザーンに着到したユリアンらは、摂政となっていたヒルデガルド・フォン・ローエングラムから直々の出迎えを受けた。そばには、もはや銀河に並びなき驍将となったウォルフガング・ミッターマイヤー主席元帥と、ユリアンらの知己と言っても良いナイトハルト・ミュラーの姿があった。彼を呼び寄せたのは、ヒルダの好意であったかもしれない。
そして――ユリアンは忘れることができない。ラインハルト・フォン・ローエングラムの面影を濃く残した、ひとりの少年の姿を。アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムはいまだ五歳であった。彼の蒼氷色の瞳が、じっとこちらを見つめている。その姿に、ユリアンは身がふるえる思いがし、幼いからといって皇帝をあなどることはできそうにないと確信した。もっとも、ユリアンは自身がかの皇帝の子孫をあなどるとは微塵も想定していなかったが。
ユリアンらの滞在するホテルに客人が訪れたのは、新帝国の主だった面々との会食を済ませた夜である。
ドアを開けると、新帝国の軍服に身をつつんだふたりの青年が立っていた。階級は、大佐と大尉である。ふたりは、ユリアンを見て、美しいほどの敬礼をした。
新帝国軍の将校が来たとあって、一行に一時緊張が走った。ユリアンとしては、聡明な先帝皇妃を信頼していたから、なにか特別な用事があるのだと見抜いていた。
「アロイス・フォン・リリエンクローン大佐です、閣下」
「閣下はよしてください。ぼくはいま軍服を着ていませんし、その呼び方に慣れることができそうもありません」
「では、ヘル・ミンツとお呼びいたしても?」
ユリアンはほほえみ、頷いた。そういえば、ミュラーも同じ呼び方をする。そのほうが、ユリアンとしても親しみがあった。
「こちらのかたは?」
敬礼したままの大尉に向かって、ユリアンは言った。
「申し遅れました。クルト・ジングフーベル大尉です。実は……」
クルトと名乗った大尉は、わずかに言いづらそうに声をくぐもらせた。
「どうされたのですか?」
「実は、フロイライン・カーテローゼ・フォン・クロイツェルに御用があって参ったのです」
「フロイラインはよしてください。私だって軍人で、中尉の階級をいただいています」
歩きながら、カリンはそう言いはなった。突き放すような言い方だが、あまり親しくない相手に対する機先の制し方なのだ。クルト大尉は、まだかなり若かったが、時折見える肌には傷があり、なかなかの戦場を潜り抜けてきたように思える。
ホテルを出て地上車に乗り込むと、クルト大尉はなぜカリンを呼んだかを語り始めた。彼は、シヴァ星域会戦においてワルター・フォン・シェーンコップに戦斧による傷を与え、彼の死の直接の原因をつくったというのだ。その話を聞いたとき、ユリアンはカリンの顔をちらりと覗き込んだ。カリンは、無表情を貫いており、ただいくつかの質問をするだけだった。
「なぜ、ワルター・フォン・シェーンコップが私の父だと、お知りになったのですか?」
「シェーンコップ殿は、装甲服の内側に、このようなブロマイドを貼っておいででした。故人の遺品を持ち出すわけにはまいらず、小官が勝手に撮影したものになりますが……」
クルト大尉が、軍服のポケットから取り出した写真には、血の付いた装甲服と、その真ん中にブロマイドが移っている。そのなかにいたふたりに、ユリアンは見覚えがあった。オリヴィエ・ポプランの髪には、新年を祝うクラッカーのごみがついている。空戦隊の仲のいい者どうしが集まって、いつかの新年のパーティーで撮影したものらしい。カリンはそこにちょっと不機嫌なようすで立っていた。
カリンは何も言わず、その写真を凝視している。
「それで……この女性が、すこしシェーンコップ殿に似ておいででしたので、もしかするとご子女ではないかと思ったのです」
「似ている? 私が、ワルター・フォン・シェーンコップと?」
カリンの怒りの成分が多量にふくまれた声をうけ、クルト大尉がすこしひるんで見えた。ユリアンは、カリンをたしなめることもできた。だが、それをすべきではないとも思うのである。彼女は、思わぬ形であらわれた彼女の過去と対峙している。その葛藤に、口をはさむべきではないのだ。
「はい。それで、のちに思ったのですが、小官はどこか、この女性に見おぼえがあったのです。シヴァ星域会戦が終わり、先帝陛下が崩御される直前、客人としてむかえられた方々のなかに、この女性がいたはずだ、と」
クルト大尉の声は、それでもはっきりしていた。彼はちらりと、同席していたリリエンクローン大佐に目をやった。
「そして、上官にあたるリリエンクローン大佐に、この女性を見たことがないか、とうかがったのです」
沈黙をたもっていたリリエンクローン大佐が、ようやく口を開いた。
「小官は、先帝皇妃様の親衛隊長を務めさせていただいております。皇妃様に近づかれる方の顔とおなまえは常に把握させていただいており、それでカーテローゼ・フォン・クロイツェル殿を思い出したのです」
数奇にみえる運命にも、きちんとひもがついていて、それをたどればはっきりとした原因があるのだと思わざるを得ない。カリンも丁寧にそのひもをたどり、その運命に衝撃を受けながらも、感情はそれに押し流されまいと抵抗している。
地上車はいくつかのゲートをくぐった。繋留されている巨大な宇宙戦艦の間に舗装された道を、ずっとたどっているのだ。ここは、おそらく新帝国軍の軍港であることだろう。なれば、行き先は、ひょっとして……。
地上車が止まる。ユリアンとカリンは、リリエンクローン大佐にうながされて、外に出る。目の前には、夜を圧さんばかりの純白の巨鳥が、星々の光をうけて静謐に輝いていた。
「航行訓練のために、外に出されているのです。いつもは、“獅子の泉”のすぐそばにある地下軍港に置かれているのですが」
そしてユリアンは、今度は穴をうがつこともなく、正規の入り口から、新帝国軍総旗艦ブリュンヒルトに搭乗した。初の搭乗から、ちょうど五年後のことになる。
「シェーンコップ殿は、それは比類なき強さでした。小官は当時、いまだ軍曹にとどまっておりましたが」
クルト大尉は、思い出を懐かしむように語っている。ユリアンとクルトは、決して戦友などではない。敵として向かい合ったのである。ひょっとしたら、いちど戦斧をかよわせたこともあったかもしれない。しかし、あの時代、あの戦乱を生き延び、そしていまここで再会を果たしている。それも数奇な運命だが、そのひもをたどってみようとは思わない。ただ数奇な運命としてよろこびたかったのである。
やがて、クルト大尉の足が止まった。上階へとつながる階段の前である。
「ここに、ワルター・フォン・シェーンコップ殿は座っておいででした。われわれを見下ろすように……」
見下ろす! ユリアンは、内心でシェーンコップに喝采を送った。あの男に、地に伏して死ぬということは似合わない。彼はいつだってなにかを見上げるということをしなかった。だから彼はだれにも膝を屈しないし、なにかを手に入れるときも実力によって達成してきたはずだ。最期まで、ワルター・フォン・シェーンコップはワルター・フォン・シェーンコップ以外の何者でもなかった。――ただひとつ彼らしくなかったのは、彼が最後に死神の誘惑を受け入れたことだ。きっと、たいそう美人な死神だったのだろう。
「そう……。ここで、あの男が眠ったのね。あの男が眠るのは、どこか知らない女のベッドの上だけだと思っていたのに」
カリンは、目の前のきざはしの一段を凝視していた。そこに、自分の父の姿を見たのだろう。傲然と座る、憎らしいまでの父の姿を。
「ワルター・フォン・シェーンコップが、最期に何と言ったか、お聞きになりましたか?」
「……いえ、残念ながら」
カリンが、ユリアンの服の袖をきゅっとつかんだ。
「リリエンクローン大佐、クルト大尉。すこし席を外していただけませんか?」
ふたりの青年は敬礼して、その通路から出ていった。新帝国総旗艦の通路に、異国からの旅行者だけが残された。
ユリアンのとなりで、カリンは肩をふるわせていた。その肩を、ユリアンはそっと支えた。ひとつ、ふたつとそろって階段をのぼる。
「ずるいわ、そんなの」
青紫色の瞳に、さざ波が起こった。カリンの目に満ちたそれは海となり、ちいさなしずくをあふれさせる。しずくはほおを伝い、形のいいあごの先から、そのきざはしへと落ちた。――ふたりは、ワルター・フォン・シェーンコップが最期に望んだものを知らない。だが、カリンの瞳の海から落ちたしずくは、彼女の父の願いにじゅうぶんにこたえるものだった。
「ユリアン、ペンを持ってない?」
ポケットからペンを取り出し、カリンに渡した。どんな媒体にも書くことができる、特殊なインクのペンだった。
「銘を、刻んであげなくちゃ」
カリンは彼の父が眠りについたそばにしゃがみこみ、そしてペンを走らせた。彼女がそこに残した言葉は、あるいはワルター・フォン・シェーンコップが、なによりも望んだものだったかもしれない。
それは、いまもブリュンヒルトにおける唯一の同盟語として、ふたりの士官の努力によってたいせつに保存されている。――“くそ親父”と。
ブリュンヒルトを出て、宿泊先のホテルに戻ったふたりは、部屋のベランダから星々をながめた。帝国の信仰では、死者はワルキューレによって天上へ運ばれるらしい。それに類する信仰は歴史に数多く、空を見上げるという行為は、死者に思いをはせることと同一と言っていい。いまのふたりは、なにか目的があって空を見上げているわけではない。ただそこに、無意識的にふたりの父親たちの姿を認めようとしていたのかもしれない。
「カリン」
「なに、ユリアン?」
その名で呼び合うことについて、疑問をもつことはなくなった。むしろ、それ以外の呼び方は、永遠にすることはないだろう。
「結婚しよう」
すこし遠回りをしすぎたかもしれない。けれど、いまこうして、ふたりの父親たちの同意をえたのだ。
カリンは頷き、ユリアンに身を寄せた。
夜は更け、星々はその輝きを増していた。日付が変わる。六月一日。ふたりの新たなスタートは、いつもこの日だった。
惑星ハイネセンで結婚式をおこなった二人は、夫婦で別の姓を名乗ることにした。ユリアン・ミンツはユリアン・ミンツであったし、カーテローゼ・フォン・クロイツェルはカーテローゼ・フォン・クロイツェル以外の何者でもないからである。
「男の子が生まれたら、ミンツの姓を名乗らせましょう。女の子が生まれたら、クロイツェルを名乗らせるから」
それはカリンの提案だった。
「シェーンコップじゃなくていいのかい?」
「ばかね、ユリアン。どうしてミンツとクロイツェルのあいだに、シェーンコップが生まれるの?」
そうしてふたりは笑った。カリンの懐妊が判明するのは、そこから少し時を待たねばならない。男女の双子が生まれたのは、宇宙暦八一〇年のことである。
ユリアンとカリンの子孫が残ることを最も喜んだのは、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンであったかもしれない。彼女は他薦による選挙のすえに議員に当選し、次期共和政府主席の有力者と目されるいそがしい身でありながら、子どもの誕生にたいし手紙を送ってくれたのだ。
こうして、ユリアンとカリンのもとにふたりの男女が誕生した。男の子のほうは、父譲りの亜麻色の髪をもって生まれ、女の子は、母方の隔世遺伝によるのだろうか、灰と茶のあいだの色をした髪をもっていた。子どもたちの両親は、すでに名前を考えていて、迷うことがなかった。両親はおたがいの腹案をのべると、議論の余地もなくそれに決定されたのである。
女の子は、祖父の矜持をとって“ローゼ”を含むローゼマリー。男の子のほうは、ある小市民の名前をとってウェンリー。こうして、ローゼマリー・フォン・クロイツェルとウェンリー・ミンツは銀河にもたらされ、運動を好む活発な女の子と、読書を好む物静かな男の子が、日々惑星ハイネセンをにぎやかにしているのである。
一四
ユリアンの結婚に関して、もっとも大きな喜びを見せたのはフレデリカ・グリーンヒル・ヤンであるが、かつてほのかな悪意とともに“ヤン・ファミリー”と呼ばれた者たちも、同様に喜んでくれた。むろん、かれらは無制限で無屈折な歓迎をしたわけではない。
「夫婦というのはな、ユリアン」
披露宴のパーティーにおいて、もっともらしく高説をたれたのは、すでに軍を退役し、ふたりの娘の成長を見守るだけになったアレックス・キャゼルヌである。
「ささいなことからけんかになる。うちの場合は、まあ、だいたいはおれが悪い。だがたまに、責任がどちらに帰するかわからない水掛け論的なけんかになることもある。そうなっちまえば、勝つのは先に声をあらげたほうだ。これもだいたいは妻の勝利に帰するのだが、これに男が勝ったところで野暮というものさ」
「ははあ、なるほど」
後半は負け惜しみのカテゴリーに類するものかもしれない。しかし、人生経験の面でも、夫婦という共同体経験の面でも先輩であるキャゼルヌの言葉は、胸の中心にはなくとも片隅にはおいておこうとも思うのである。
「ユリアン、あなたたちなら、きっとそうはならないわ」
ふたりの娘をつれたキャゼルヌ夫人が、亭主のわきを小突きながら言う。
「おい、オルタンス。おまえこのところ、おれにたいするあたりが強いんじゃないか?」
「いつも後方でデスクワークばかりしていた人が、家庭では前線にでてこようとするんですもの。それまでの前線指揮官との衝突はさけられませんわ」
ふたりの言い合いを見ながら、このふたりのように仲良くやれたらな、とユリアンは思う。もっとも、カリンとの間に戦端をひらいたら、ユリアンの戦略家としての資質がうたがわれるであろうが。
披露宴の会場で、ユリアンはかつてのヤン・ウェンリーの僚友たちを探していた。シェーンコップ、フィッシャー、パトリチェフ、メルカッツ……。たとえ生存者のリストから名を消したとしても、ユリアンの記憶からは姿が消えることはない。彼らなら、どのような祝い方をしてくれるのだろうか。
「辛気くさい顔をしているな、ユリアン」
この瀟洒な声は――と振り返る。彼は、もはやアイボリーホワイトのスラックスに深緑の軍服をまとってはおらず、したがってスカーフも巻き付けてはいない。かつてはこの人のスカーフの巻き方が、自由惑星同盟のファッション・トレンドとなり、軍内でささやかな問題になったものだ。
「そんなんじゃ、女はひとりしか寄ってこないぜ?」
「ええ。ぼくはそのひとりと歩み続ける決心をしたんですから」
にかりと笑った顔は、記憶にある最後の姿とあざやかに一致する。紺色のシャツの肩に白いジャケットをかけた、オレンジの髪にグリーンの瞳。オリビエ・ポプランそのひとであった。
「やっぱりおまえは、不肖の弟子だ」
「理想的な反面教師がたくさんいましたからね」
「ああ、とくにヤン・ウェンリーとワルター・フォン・シェーンコップはひどかったな」
こっそりと自分の名を外すあたりが、この男らしい。苦笑いのような顔を浮かべていると、ポプランがどこからかシャンペンをとってきて、ユリアンを促した。
パーティーの隅にふたつの椅子を置いて座りながら、ユリアンはさまざまなことを話した。ポプランは、宇宙を浦々に旅をしながら、サイオキシン麻薬のグループを追っているらしい。個人の活動には限界があるが、個人だからこそできることもあるようだ。
「世のご婦人がたに愛をささやくのは、おやめになったんですか?」
「わからんのか。そっちが本業だよ」
「軍人のころから、やはりお変わりがないですね」
そして、かつてのようにユリアンは笑った。こうしていると、昔に戻ったような気さえしてくる。足りないのは、ユリアンにとって大切な何人かだけであるのだ。
「結婚おめでとう、ユリアン」
「ありがとうございます、ポプラン中佐」
「中佐か、それもいい」
呟いて、ポプランはシャンペンを飲み干した。わずかに、グリーンの瞳が、とかされたような光彩をおびる。この光を、ユリアンは知っていた。
「ユリアンもカリンも、優秀なパイロットさ。もし子どもが生まれたら、おそらくはそうなるだろう。だが、宇宙第一のパイロットにはなれん」
「世界第二のパイロットに師事しても、ですか?」
ポプランが、声をあげて笑う。口だけは立派になったものだ、と前置きをして、宇宙で並び無きパイロットは、瞳にそのままの光彩をたたえたまま、言った。
「宇宙第一のパイロットは、戦死して墓のなかだからな」
そうだ――ポプランのこの瞳は、けしてアルコールによってとかされたものではない。それ以上に豊かで美しくたいせつな、騒々しい記憶によってとかされたものであるのだ。
時は戻らず、いまを生きる者たちは、いつまでも歩み続けなければならない。だが、ときおりこうやって立ち止まってもいいだろう。記憶は呼吸せぬ石板に刻まれるものではない。その人たちはたしかに生きていて、ユリアンたちのまえにさまざまな姿で立ち現れるのだ。
今夜は、しばしその人たちと対話をしていよう。そういう夜が、一度だけあってもいい。
一五
ユリアン・ミンツは、カーテローゼ・フォン・クロイツェルとローゼマリー・フォン・クロイツェル、ウェンリー・ミンツがハイネセンポリス市内の官舎に帰った一時間後にそこへ合流した。まだ夕方の入り口であり、このような時間帯に帰宅できたとき、ユリアンはかつて保護者にコックへなることを嘱望された腕をふるうのである。
アイリッシュ・シチューの仕上げのスパイスをふりかけながら、ユリアンはかつての保護者のことばを思い出す。軍人よりも、コックになったほうがよほど社会の役に立つ。あの人は、いつもそう言っていた。
ぼくは、社会の役に立ちたいわけではありませんよ――それが、自分の器をはるかにこえた願いであることはわかっていた。自分は、社会の役に立ちたかったのではない。たったひとりのために、役に立ちたいと思っていたのだ。ただひとり、自らの料理をほめ、紅茶をたのしみ、存在価値を認めてゆたかに育ててくれた、ヤン・ウェンリーのために。
だが今は、この腕は家族のために役立っている。それだけでも、うれしいと思えた。
鍋ごとリビングへもっていくと、すでにロミーとウェンリーは席につき、カリンは食器の用意を終えていた。
ロミーは鍋からたちのぼる香気をいっぱいに吸い込み、母親にそっくりの顔で、満面の笑みをつくった。ウェンリーのほうは、じっと鍋を見つめている。このふたりの一番の好物なのだ。ユリアンのつくったアイリッシュ・シチューに、近所に最近できたパン屋のバゲット。これが、ユリアンとカリンの家の一番の贅沢だった。
「そういえば、カリン」
食事の途中で、ユリアンはロミーの頬についたシチューをふき取っていたカリンに声をかけた。
「なに、ユリアン?」
「そろそろ、フェザーンに行く準備をしなくちゃ」
「ああ、先帝皇妃と皇帝に新年のごあいさつね」
「政府と軍の上層部は、全員が行くことになっているからね。そのあいだ、家のことは頼むよ」
「言われなくても、キャゼルヌ夫妻と一緒に遊んだりするから、大丈夫よ」
「それなら、よかった」
キャゼルヌ家のふたりの令嬢は、すでにどちらも家を出ている。姉はハイネセンポリス市内で働き、妹のほうはテルヌーゼンの大学に通うために下宿している。夫妻は、イゼルローンへの移住前と変わらぬ家に住み続けていた。キャゼルヌ邸は、“ルビンスキーの火祭り”の影響はなんとか逃れており、イゼルローンに住んでいた間も他人の手にも渡っていなかったために、ほとんどそのままの状態で残っていたようだ。
「そのままで残りすぎるのも考えものだな、ユリアン」
新帝国暦四年、宇宙暦八〇二年にハイネセンに再び帰ってきて、キャゼルヌ家の荷物整理を手伝っていたとき、形式的家主のアレックス・キャゼルヌがひとり言のように言ったものだった。
「食器も、椅子も、うちには家族の人数より多い数がそろっている。ときどき飯をたかりにくる憎らしい後輩がいたからな」
「ついに、その後輩は自分の舎弟を連れてくるようになりましたものね」
「残したままにすべきだろうか、これらは」
「ええ。家族がこれからも増えるかもしれませんし」
ユリアンの言葉に、キャゼルヌは数秒ほどあごに手をあてて考えるしぐさをした。言葉の意味をはかりかねたようである。やがて表情をほんのりとこわばらせると、
「娘たちに男ができて、そいつらが座ったり使ったりするかもしれんのか。可及的すみやかに、捨てるべきだな」
と勇ましいことを言ったのだった。しかし、まだ“可及的すみやかに”の範囲に至っているわけではないらしく、その椅子や食器類は残ったままだった。いまでは、ユリアン一家がキャゼルヌ家を訪れたときにそれらは使われ、家主は孫を見る気持ちでその光景を眺め、ときおり人生の年長者として助言を授けてくれる。育児の責任のない者は、いつもこのようなものだ。ユリアンは、ありがたく家主の妻の助言は聞くようにしていた。
キャゼルヌ家ならば、カリンたちを出迎える用意もあるだろう。実質的家主のオルタンス・キャゼルヌは、三人を歓迎して、自慢の料理をふるまってくれるかもしれない。いくら自分が料理の名手と言われようと、彼女には絶対にかなわないのだ。
カリンがふたりの子どもたちをきちんと見てくれているので、ユリアンは広大な宇宙に思いをはせることができる。バーラト星系の共和自治政府は、いくら新銀河帝国の保護下にあるとはいえ、その軍事力は量的には十分の一に満たず、質的には百分の一に達することもない。駆逐艦一隻を新造するにも、軍事顧問としての新銀河帝国の許諾が必要であり、新技術の開発も新銀河帝国と共同で行われているのである。開発資金は潤沢であっても、それを実現し、量産化をはかる資金調達は困難になるということもあった。
シヴァ星域会戦後に結ばれた講和条約は、政権はそのままに、イゼルローン要塞と引き換えにバーラト星系が共和政府側に譲渡されるという、ユリアンたちにとって最大の要望はとおすことができた。しかし、国家の運営、とくに軍隊の保有については、新銀河帝国側の要求はすさまじく苛烈だった。すこしでも抵抗を見せれば、一撃のうちにたたきのめす、ということなのだろう。いかにも、ときの軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインが考えそうなことであるが、実質上の宗主国と属国関係を示す、なによりの制度である。
共和自治政府は、形式上ひとつの独立国であるが、それを新銀河帝国と相対させた場合、属国であるということが見えてくる。その関係を端的に示しているのが、政府首脳や共和国軍が参加する新年の朝賀――すなわち、“新年のごあいさつ”だった。ユリアンたちはそう呼んでいるが、その儀式における新銀河帝国の思惑は、宇宙全域を見渡す遠眼鏡や、ブラックボックスの中身を見る透視能力をもたない者にとっても、明らかすぎるものであった
ユリアンやフレデリカ・グリーンヒル・ヤンは、けっして新銀河帝国の臣下ではない。だが、来賓として朝賀の儀に参加し、皇帝にあいさつをするということ自体が、新銀河帝国と共和自治政府の上下関係を、視覚的かつ象徴的にあらわしていた。
また、この朝賀の儀は、首脳の護衛のためと称して、軍隊も参加することから、これを事実上の軍役ととらえるものもいる。ユリアンもその認識をもつ者のひとりであり、この制度が誕生したその日の日記には、次のように記されている。
「朝賀の儀における軍隊の出動は、かつて地球で西暦が使用されていた時代、一七世紀から一九世紀にかけて極東のある国家で使用されていた制度に酷似している。パックス・トクガワーナとも呼ばれるその時代、“参勤交代”という制度が存在した。その極東の国家においては隔年の行事であったが、きょう成立したこの制度は、参勤交代を、費用的にも期間的にもごくミニマルなものにしただけにすぎない。ただし、その効果は絶大である。なぜなら、朝賀の儀に賓客として参加するということ自体が、全銀河にあまねく、両国の宗従関係を表出させるからである。」
しかし、ユリアンは同時に安心してもいる。この制度がおよぼす威光があるかぎり、けっして新銀河帝国から直接的な武力介入はないだろうとも考えられるからである。この制度は、皇帝がその至高の玉座に座しているからこそ成立するのであり、ローエングラムがひとたびその玉座から腰を上げ、共和自治政府に歩みだすということがあれば、この関係性はたちまちのうちに砂上の城と化すのだ。
たしかに、さまざまな制約はある。だが、それは辛苦ではない。なにより重要なのは、共和制が眼に見えるかたちで存在し、その正当性が保障されているということなのである。
「パパ?」
自分とおなじ髪の色をもつ息子が、ユリアンの顔をのぞきこんでいた。ユリアンはあわてて笑顔をつくり、それに応じた。かれの思考は、かれの保護者と同じく、いかなる場においても、瞬時に星の海へ飛躍する翼をもっているのである。それは悪いくせであるのか、抗いようのない性であるのか、ユリアンは苦笑せざるをえない。
「自由ってなんなの、ですって」
小さく笑いながら、カリンが言う。ユリアンが宇宙に想いをはせていたということも、すべて悟っているかのような声だった。“わたしは知っているわよ”とでも言いたげな。
「きょうね、ウェンリーが言ったの。“ぼくは本を読む自由をつかっているだけ”って」
「自由というのはね」
と言って、ユリアンは考える。かれの思想の大半は、保護者のDNAを色濃く受け継いでいるものであり、そのDNAの流れぬものにたいして、ユリアンは途端に不安になるのだ。自分の考えは、正しいものではないのかもしれない。そう思うと、狼狽を隠すことで精いっぱいなのだった。
ヤン・ウェンリーはどう考えていただろうか。自由とは、かれがもっとも尊ぶところにあったもののはずだ。
「……あとで一緒に、辞書をひこうか」
眼を輝かせたのは、ウェンリーだけだった。ロミーは、くちびるをとがらせて不満げな顔を浮かべている。
やや冷めてしまったアイリッシュ・シチューを、スプーンですくって口に運ぶ。その動作の途中、カリンがじっと見つめているのが見えた。この眼は、いつもユリアンの本質を突きとおしてくる。
ユリアンの迷いも、カリンは知っているだろう。なすべきことはたくさんあるが、子どもたちの疑問をそのままにしておく理由には、けっしてならないはずだ。