二八
「見事なものだな」
心の底から、ヴィンツェンツォ・ザザは嘆息した。おたがいの射程外に布陣した敵軍の偉容にである。堂々として、しかし毛ほどの隙もない。大軍の利を生かすことのできない宙域に、しかも航行不能宙域というこちらの利の最大たるをすぐそばにして、それすらも圧倒的な武をもって断じようとするかのごとき構えであった。あらためて、敵の畏怖すべき強さを、ザザは実感するに至った。
軍に衆寡の差がある場合、つねに先んじて動くべきは寡の側である。だが、ザザは行軍の隙を狙うことも、布陣における動揺を狙うこともしなかった。ザザたちにとって、戦いの勝利と目的の達成は同一ではない。たとえ最後の一艦にまで撃ち減らされようと、敵の総旗艦に致命的な一撃をさえ浴びせられれば、目的は達せられる。
白銀の美姫は、敵軍の中央に座しているだろう。王そのものであり、宇宙空間における移動する玉座。白き艦船は、新銀河帝国においてはただふたつのみである。ひとつは、"鉄壁"ミュラーの座する戦艦パーツィバル、そしてもうひとつは――ザザの視線のはるか先にその答えはあった。総旗艦ブリュンヒルト。もはや、それはひとつの伝説であった。
ザザは待った。コルレオーネ家の影響が強い惑星から受ける補給は決して万全ではなく、不足こそないものの、むだな艦隊運動は避けるべきである。ルーカス・クリーガーがひそかに扇動している反乱が、いつ終息させられるかもわからない。千載、万載にあらわれた一遇の好機である。その終末の一点に、ザザは屹立していた。
ザザの手の内にあるカードは、そのほとんどがブラフだった。バーデン宙域という挟隘な戦場、航行不能宙域という未知なるもの、衆に対する寡の反通例。残るカードは二枚である。自分自身と、そして……。
苦笑する。勝ち目などなかった。だが、おれはただ武人としての誇りに生きたいのだろう。強大な敵に、全霊で挑む。それだけだ。その誇りに、ジョセフ・コルレオーネはみずからの命運をかけたのだ。
四万の艦隊。虚空に浮く城塞のようにも、それは見えた。
二九
かなり、やる。陣容を見て、ミッターマイヤーはそう感じた。二万の大軍との戦いは、彼の経験からしても稀有なものである。そして、その二万を意のままにあやつることができる人材というのも、同様に稀有だった。
ラインハルト・フォン・ローエングラムに仕えるようになってから、ミッターマイヤーは幾度となく艦隊戦を経験してきた。そのなかでも、数的に劣勢だったことは一度ではない。新銀河帝国の黎明期には、そのほとんどの戦いで、敵との圧倒的な戦力差は保ったままだった。戦略的優位を確立してから砲火をまじえるというラインハルトの方針は、いつだって正しかったはずである。しかし、いまは、必ずしも数的優位がミッターマイヤーの後ろ楯となっているわけではなかった。未知の要素がある以上、それは数的優位をそのまま戦略的優位につなげることはできない。
奇策への警戒は、つねに怠ることができなかった。左手に航行不能宙域、右手に高密度のアステロイドベルト。なにがあっても不思議ではない。そしてその確率は、新銀河帝国中央艦隊が敗北する確率とも近似している。
ミッターマイヤーが組んだ陣形は、堅実ではあるが独創性に欠け、挟隘な地形のなかで、こと遊兵の数という点においては敵よりも多かった。しかしそれは、陣形の厚みというかたちで有利に働くということでもある。
「意外に消極的だな」
不動の敵を見て、ミッターマイヤーは小さく舌打ちをした。もし、このまま凡庸な砲撃戦に移ったとして、敵側としては敗北が明らかなのである。単純な仮定だが、一対一で艦船の損耗があったとして、差し引きでこちらが二万残ってしまう。
まして、敵はこちらに先んじて戦場を設定した。なにかを隠しているというのは疑い無いように思える。
「来い、ということか」
ならば、とミッターマイヤーは不敵に笑った。敵にいかなる奇計奇略があろうとも、それを捩じ伏せる力を前してはどうか?
「ビッテンフェルト艦隊に伝令」
総旗艦ブリュンヒルトの艦橋に緊張が走った。この言葉の意味を知らぬ者など、この場にはいない。それは、指揮シートに座る金髪の少年も同じであろう。
「黄金獅子の牙は何色か」
それを、陛下に知っていただく秋が来たのだ。
「黄金獅子の牙は何色か」
ふるえる声でミッターマイヤーからの通信文を読み上げたのは、ユルゲン・ハインツ・ベンヤミン少尉であった。彼は士官学校を優秀な成績で卒業した後に、ビッテンフェルト艦隊に配属された通信士官である。主だった功績はないが、"ハスキーだがよく通る声"の持ち主ゆえに、旗艦"王虎"の艦橋に席を得るに至った。冷静で我を忘れることがないという評判であったが、その彼の声が裏返っている。
口笛を吹いたのは指揮シートにて足を組み、不本意な雌伏をしいられていたオレンジ色の髪の男である。彼は勢いよく立ち上がると、紅の烈火を瞳にやどし、叫ぶように告げた。
「突撃だ!陛下にわれわれの力をお見せするときがきた!」
新帝国歴一八年一月一三日。虎の王の咆哮によって、銀河の一隅が深紅の特異点となることが決定した。
「黄金獅子の牙は、獅子が双頭の鷲の喉元に喰らいついたその原初より漆黒であった。」
この戦いにおけるミッターマイヤーの言は、のちに引用され、上の一文をみちびきだすことになる。後世、『ビッテンフェルト元帥評伝』をあらわすことになるマクガフィン青年は、このときいまだ惑星オーディンの大学における戦史学部で助教授を勤めていた。彼は自由惑星同盟から、新帝国歴五年に移り住んできたのだが、それは帝国側の観点から、ヤン・ウェンリーという偉大な軍人を描出しようと試みたからである。しかし、彼は研究をすすめるうちに――ヤン・ウェンリーの研究が帝国でタブーでなかったにもかかわらず――、帝国のひとりの軍人に眼をつけた。それこそが、成功と失敗を繰り返し、だがどちらも大きいという特徴をもった、ある自称革命家によると"奇跡の人"、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト元帥だったのである。
"黄金獅子の牙"。その色を問われたとき、人はその獅子が描かれた栄光の軍旗を想像する。だが、マクガフィン氏にとって、それはただ描かれた紋章にすぎず、彼が歴史資料という剛脚を地面におろしたまま広げる、想像の翼を邪魔するものにはけしてならない。彼は知っているのである。フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトという男が、のちに皇帝となるひとりの青年の最古参の臣下であったということを。
ビッテンフェルトは、ジークフリード・キルヒアイスの次にラインハルト・フォン・ミューゼルに召し抱えられ、常に自由惑星同盟との争闘、ひるがえっては、双頭の鷲の紋章を戴く旧銀河帝国の簒奪の先頭にたち続けてきた。
マクガフィン氏に言わせれば、黄金獅子の牙とは次のようである。
「黒色槍騎兵艦隊あるかぎり、黄金獅子の牙は漆黒であり続けた。ラインハルト・フォン・ローエングラムは、黄金の翼で虚空を雄飛するたびに、漆黒の牙を朱にそめあげたのである。」
――だが、もし後世の人々が『ビッテンフェルト元帥評伝』を読み、新銀河帝国歴一八年の記述まですすんだ場合、うしろに控えるページの数は、残り少ないものになっているであろう。それを知るものは、移り気な神をのぞいて、その場にはあるはずもなかった。
中性子レーザーの曵光が交差する。その光条の終着点では、つねに人命が消えていくのだった。
黒色槍騎兵艦隊が動き出したという報は、ただちにコルレオーネ家軍全体に浸出していった。このままだと、まもなく左翼側がおそわれることになる。
「応戦せよ。手筈どおりに」
コルレオーネ家軍の左翼はミケーレである。勇に大きく傾斜した指揮官であるが、ビッテンフェルトにくらべたらその絶対量は比較にならない。
漆黒の艦隊は、紡錘の陣形を保ったまま、まっすぐに突っ込んでくる。恒星バーデンのアステロイドベルトに接触しない、ぎりぎりかつ絶妙な位置だった。
たいするこちらは、紡錘の先頭の一点に向けて、火力を集中するのみである。双方に犠牲は出るだろう。だが、下手に動けば、次は本隊と右翼を噛みつかれる。
「ただ、耐える。やつらが隙を見せるまで」
だれに向けて言ったのか、彼自身にも知れないことだ。脳内の思考の泉からあふれでた言葉が、ひとりごとというかたちで出てしまうのである。ザザの身の回りにいる男たちは、それを知っているのか、だれもなにも反応を示すことはなかった。あるいは自分に言い聞かせたのか。それすら、ザザは計りかねていた。
グスタフ・イザーク・ケンプ中尉は、この戦いにおける総旗艦ブリュンヒルトの艦長補佐第三席であった。彼の父の名は、カール・グスタフ・ケンプという。
ブリュンヒルトにはひとりの艦長のもとに何名かの補佐がおり、グスタフ・イザークは三番目の補佐として、航宙士らと連携をとりながら、重要な仕事に従事していた。仕事ぶりそのものは熱心で、次世代のブリュンヒルトの艦長は彼であろう、とだれもが思っていた。
グスタフ・イザークの為人をひとことで表すなら、それは"武人"である――と、彼を一目みた者は口をそろえるだろう。だが、それは彼の外面だけをとらえて、すべてをわかった気になっているだけにすぎない。彼のほんとうの姿を知る者は、彼自身というたったひとりをのぞいて他にない。グスタフ・イザークは、カール・グスタフ・ケンプという偉大な武人を父に持ちながら、その遺伝子は外見的特徴のみを伝達していたのだった。
彼の内面は、後天的な原因によって、この方向への進化を強制されたのである。その進化の方向性は、父親が経験したものとはかけ離れ、あえて言葉で表すなら"卑屈"こそがそれにふさわしい。
尊敬すべき父カール・グスタフ・ケンプの死は、グスタフ・イザークの人生に影をおとした。いや、彼そのものが暗い道に迷い混んでしまったというべきか。父は、彼にとって巨大な太陽だったからである。その光を受けなければ、影が生まれようはずもないのだ。
父の死後数年は、支払われた遺族年金と、"上級大将"という称号を誇りに思うことによって、グスタフ・イザークの心はなぐさめられていた。しかし、ラインハルト・フォン・ローエングラムが皇帝となり、"ジークフリード・キルヒアイス武勲賞"がおかれるにあたり、グスタフ・イザークはわずかに疑問を持ちはじめた。
父は、たしかな武勲を挙げていたはずである。有能なパイロットであり、提督であったはずだ。それなのに、なぜ、元帥号も与えられず、表彰もされず、さらにのちの戦史家たちに、"捨て駒にして、無駄死に"とけなされることになるのか。
少しずつ、グスタフ・イザークのなかで、父という黄金の偶像がひびわれはじめた。多くの人間から、カール・グスタフ・ケンプという塑像が、じつは金箔によって一枚皮をあたえられていたのだというそしりを、彼はうけた。グスタフ・イザーク少年は、彼の目の前で、少しずつ金箔をはがされ、その下に隠れていた父の暗い顔をあばかれていったのだった。
彼の新銀河帝国にたいする疑心は、かくて沈積していったのである。この大帝国のいしずえには、まちがいなく父の亡骸があるはずだ。しかし、そのいしずえを思い起こし、亡骸に祈りを捧げるものがどこにいる?
……このような疑念を抱きながら、グスタフ・イザークは、それでもさだめられたかのように士官学校に入った。彼が目指したものは、父が勇名を馳せた単座式小型戦闘艇のパイロットではなく、戦艦の艦長だった。
「父の汚名をすすぐなら、それは息子の名をもってすべきだろう」
彼は新帝国にたいして疑いをもっていたが、それ以上に、父の名をおとしめることはしたくなかったのである。
そうしてみずからを研磨しつづけた彼がいま行っているのは、平面維持と呼ばれる計算だった。
宇宙空間は、言うまでもなく三次元的に広がる空間である。しかし、宇宙船は三次元的な戦いを行えない。たとえば、X-Yという平面にたいし、垂直にひろがるZ軸があるとして、その空間内で戦艦どうしが撃ち合いを行うことを想定する。この場合、おたがいの戦艦が他方の戦艦にたいして、直線的に進んでいく砲撃を互角に命中させるためには、双方の艦が同一平面上になければならないのである。
敵艦にたいして、垂直方向の位置を確保できれば、たしかにその艦は有利である。だが、その艦数が増えれば増えるほど、自分の艦にたいして、逆に相手の艦が垂直方向を位置取る可能性も増えるのだ。したがって、艦隊戦は、まことに奇妙な話であるが、相手に垂直方向を盗まれぬよう、おたがいがおたがいの同一平面を見立て、おたがいの同一平面に位置取りを続けることで成立するのである。
艦船はたえず位置を変え続けるから、この平面維持のためには、敵と味方の艦船の位置を計測して、絶え間ない計算が必要なのだった。むろん、ある程度のことはコンピュータが自動で行うが、不意の要素にたいしての備えは、人間が行わなければならない。
一般に、平面維持装置が耐えうる仰角・俯角の限度は、それぞれ宇宙船にたいして四五度とされている。それ以上をこえると、コンピュータによる自動計算が行われず、人間の頭脳に頼るほかなくなってしまう。
人々が宇宙空間において平地と変わらぬ活動ができるようになったのは、いくつかの要因があるが、最も大きなものをあげるなら、この平面維持装置と疑似重力発生装置のふたつである。後者は、疑似引力とも言い換えられるが、すなわち、無重力である宇宙空間において、前後左右上下の別をもうけるために、人々の足や物が、戦艦の床に張り付くようにする装置である。
これらの装置の発明は数百年前にさかのぼるが、すべてを完全に自動化することは、ついぞできないでいる。この事実は、宇宙という"大自然"が、あらゆるものを克服してきた人間にたいして課す、最大の試練かもしれなかった。
そうした試練に、グスタフ・イザークは挑み続けている。彼のその闘争心は、皇帝や国家への忠誠を燃料とするものではない。彼の燃料は、ただ歴史の影におびえることを余儀なくされた、尊敬すべき父の、唾棄すべき屈辱であった。
「前進する」
赤いマントをかけた艦隊総司令官からの指示に、グスタフ・イザークはすばやい両手の動きによってこたえた。ビッテンフェルト艦隊の行動開始から、やや遅れてのことである。このままだと、右翼が前進する斜線陣にちかい陣形で敵とぶつかることになるが、原始的な斜線陣の真髄は、火力の疎と密を意図的につくりだし、その火力の比重によって敵の戦線崩壊をねらうことにある。
挟隘な地形では、しかし、兵の数によって火力の疎密をつくりだすことができない。ミッターマイヤーは、右翼のビッテンフェルト艦隊を前進させることにより、純粋な砲門の数差によって、火力の疎密をつくりだしたのだった。むろん、これは黒色槍騎兵艦隊が、敵よりも圧倒的な火力をそなえている、という前提に依ったものである。
はたして、そううまくいくだろうか。味方でありながら、グスタフ・イザークはその成果に懐疑的だった。そこまで単純な敵であるならば、このようにのこのこと出てくることはないだろう。勝つために自分の手を惜しむことはしないが、グスタフ・イザークにとっては、みずからと父の名誉のために、戦いの勝利よりも優先すべきことがあったのだった。
三〇
前進を指示したミッターマイヤーであったが、これで勝ちを確信していたわけではない。黒色槍騎兵艦隊の砲火をうけながら、敵はまったく陣形を崩すことがなかった。たえず戦線が崩壊しようとするところを、毛一本のところで耐えている。
ミッターマイヤーの構想は、斜線陣によって敵の左翼を突破し、側面および後方に艦隊を展開するすることで、大軍の利を最大限生かすことであった。挟隘な戦場で、真正面からぶつかりあう必要はない。いたずらに戦力を磨耗するだけだろう。
黒色槍騎兵艦隊の猛攻をうける敵左翼は、つねに戦線崩壊の危機にさらされているといっていい。しかし、けっして統率と集団を失わず、数十、あるいは百艦程度の小集団に分かれながら応戦している。
謎の艦隊である。だが、練度という点でいえば、かなりのものがあるように思われた。指揮官も、けっして凡庸ではない。二万の艦隊を統率できるなど、非凡といっても良いだろう。
「敵にしておくのが惜しいくらいだ」
ミッターマイヤーは素直に感嘆した。むろん、自身の敗退など微塵も考慮のうちにない彼である。それは、彼らの傲慢などではけっしてない。彼らは、考えに考えてたどりついた結論なら、その先に勝利があると信じているのである。
「敵艦隊、後退」
通信が入った。ビッテンフェルト艦隊からである。
「そうだろうな。おれでもそうする」
無意識のうちに、敵の指揮官をみずからと同列に並べていることに、ミッターマイヤーは気づいた。それは自己矛盾と自己陶酔の化合物ではないのか? 彼はそう束の間考えて、みずからのうちに湧き出でた疑念を振り払おうと、かるく頭を振った。
ミッターマイヤーの心の内には、あるいは残虐と言ってもよい思いがひとつある。それは、新銀河帝国への挑戦者は、あの男以下であってはならない、というものである。あの男――オスカー・フォン・ロイエンタールになし得なかったことが、どうしてあの男以下の者に果たせようか?
新帝国歴二年のあの戦いで、ミッターマイヤーは文字通り死力を尽くしてたたかった。そこには、数万にわたる会話に勝るなにかがあったはずだった。どちらかが果てるまで、そのたたかいは続くはずだった。いや、続かなければならなかったのである。おたがいがおたがいを、自分以上の実力者と定義しながら、背を向けた相手の方へミッターマイヤーが振り返ったとき、ロイエンタールの背中は、まったく予期し得なかった方向から、凶刃によって貫かれたのだった。
おれは、たしかにあのたたかいを、心のどこかで愉しんでいたのだ。ロイエンタールへの怒り、陛下への忠誠、将としての義務……あらゆるものを差し置いて、どうしようもなくみずからに流れる武人の血が、強大な敵と死力を尽くしてたたかうことに悦びを感じていたのだ。それでも、おたがいに血にまみれながら、その最後の決着は、ミッターマイヤー自身の手からも、ロイエンタールの手からも、滑り落ちてしまった。
強大な敵をこそ、ロイエンタールは求めていた。ラインハルト・フォン・ローエングラム陛下と、それからおれと。あるいは、ジークフリード・キルヒアイス、ヤン・ウェンリーと。みな同じではないか。その憧憬に、どこかで身を焦がしてはいなかったか。たたかいによって、充足を感じてはいなかったか。口では平和を望んでおきながら、抗うことができないまでに矛盾した感情。けっして満たされぬ、満たされてはならぬ孤独。あの日以来、おれは、心のどこかでそれに苛まれていたのだ。
だから、名も知らぬ敵よ。ミッターマイヤーは言葉に出さず語りかける。簡単に打ち倒されてくれるなよ?
「ビッテンフェルトに通信。敵の誘いに、わざわざ乗ってやる由はなし」
ミッターマイヤーは、ちらりと指揮シートに座る金髪の若者を見た。自分は斜め後方に控えているので、その表情は見えない。まだ少年の面影は濃く、それはあと数年は残り続けるだろう。だが、ときおり、はっとするほどの天稟がみえることがある。獅子帝の遺伝子は、この戦いの果てに、何を得るのだろうか。
それから、あの子は――。
後退していく漆黒の艦隊を見て、ヴィンツェンツォ・ザザはするどく舌打ちをした。一筋縄でいかないだろうことは事前に予想されていたが、実行する段階にいたったところで、困難は避けられるものではなかった。
ザザが艦隊を退げた目的は、バーデン星系外縁と航行不能宙域による隘路の出口へと、敵艦隊をおびき寄せることにあった。隘路を出たところで、その出口にたいして半包囲陣形を敷けば、頭を出した敵艦隊に砲火のスコールを浴びせることができる。
しかし、そんな誘いに乗るほど、帝国軍は甘くなかった。黒色槍騎兵艦隊ならば、あるいはとも思ったのだが、ビッテンフェルト元帥もまた百戦錬磨である。
「そう簡単にはいかないな」
敵艦隊がこちらの射程外にさがったのを見て、ザザは艦隊に前進を命じた。敵艦隊の心臓にむけて喰らいつくのである。たえず圧力をかけ続ければ、どこかでほころびが生じるはずだ。
横隊のまま、しかし中央艦隊に火力を集中する。ザザの真の狙いは、この段階では皇帝アレクサンデル・ジークフリードにはない。ザザが狙いをさだめたのは、敵の左翼ーー情報によるとカール・エドワルド・バイエルライン艦隊である。
「やつは二重の忠誠を抱いている。皇帝アレクサンデル・ジークフリードと、首席元帥ウォルフガング・ミッターマイヤーにだ。そして両者は、どちらもおなじ艦に乗っている」
ザザは艦隊を前中後段のみっつにわけ、それらが入れ替わることによって連続的な火力の集中を可能にした。左翼のミケーレ艦隊に関しては、黒色槍騎兵艦隊を抑え込むために割かなければならなかったが。
バイエルラインは、忠誠と敬愛の過剰なばかりに失敗をするタイプの軍人であるはずだ。もし敵の左翼がほころびを見せれば、そこにつけ入る隙があるだろう。
バイエルラインは耐えていた。こちらのみっつの艦隊のなかで、もっとも格が劣るのは自分である。首席元帥とは比較にもならないし、ビッテンフェルト元帥とも越えがたい壁があるのは自覚している。それゆえに、次に狙われるのは自分であるだろうということも。だからこそ、バイエルラインは耐えねばならなかった。
バイエルライン艦隊の長じるところは、ミッターマイヤー艦隊ゆずりの機動力である。ミッターマイヤーは、その機動力と戦術センスを合算することで、なにものにも並ぶもののない艦隊をつくりあげた。だが、自分はそのどちらもが模倣である。挟隘な戦場で機動を生かすすべは見つからず、自発的な艦隊運動はほとんど行っていない。
バーデン星系を反時計回りに迂回して、敵の後方をつくことも考えた。だが、バイエルラインがそのような行動をおこしたところで、その瞬間に彼我の戦力は拮抗することになる。また、こちらの狙いも明白になりすぎる。奇策は、対抗するすべを編み出されてしまった時点で奇策ではなくなるのである。
耐えろ。バイエルラインはみずからに言い聞かせる。ミッターマイヤーからの指令はない。いまは、動くべきではないということだ。しっかりと陣形を整え、各個撃破に専念しながら、反撃の機会をうかがう。
第二次ランテマリオ会戦。おれは、そこでロイエンタールにしてやられたではないか。そこに、"まだ"という接頭辞をつける余地などなかった。完膚なきまでに打ち倒され、反撃もできなかった。おれは敗けたのだ。肩書きにこだわる彼ではなかったが、あの戦いは、元帥と大将とに横たわるへだたりを、象徴的にあらわしていたのである。
三段にかまえた敵が、中央艦隊に火力を集中する。右翼のビッテンフェルト艦隊は、いまだ突撃を繰り返していた。つまり、ビッテンフェルト元帥は、中央艦隊が危地にあるとは思っていないのである。
ミッターマイヤー首席元帥を信じるしかない。バイエルラインとて、また覇者の朋である。おたがいに背中を預け、預けられている以上、眼の前の敵は打ち倒してくれると信じるべきだ。
「提督、中央艦隊が……」
進言してきた参謀長ケラー大将を手で制止ながら、バイエルラインは言った。
「なにも問題はない。こちらの陣形は崩れておらず、敵の牙は皇帝陛下の御元に届きようもなし。もしこのまま敵が中央艦隊のみを攻撃するのであれば、われわれは黒色槍騎兵艦隊と連携してそのまま敵両翼を破り、側面と背面を襲えばいい」
参謀長がこくりと頷いた。すこし口元に笑みを浮かべているのは、バイエルラインの葛藤を見抜いたからなのか。
バイエルラインは、賢明な参謀長に笑みをもって礼をなすと、ふたたび艦橋スクリーンに眼をやった。
戦況は、まだ動かない。それは、自分の行動によって動くことがないということだ。敵か、あるいはミッターマイヤー首席元帥か、それともビッテンフェルト元帥か。自分の艦隊は、その決定的な場面で、役割を果たせばいい。
バイエルライン艦隊が不動を貫くのを見て、ミッターマイヤーは小さく笑った。それは、校長として教え子の成長を見守るのに似ている。
敵の狙いは、あきらかにバイエルラインにあった。ビッテンフェルトはいちはやくそれを見破り、手薄になり得る敵左翼に猛撃をくわえたのである。しかし、敵左翼はそのまま黒色槍騎兵艦隊のために割かれており、したがって中央艦隊に集中した火力も、ミッターマイヤー艦隊ひとつで耐えられないものではなかった。
ミッターマイヤーのなすべきことは単純そのものである。崩壊しかける戦線を維持しながら、敵の浸透をはばみつつ、わずかな隙に砲撃をたたきこむ。中級司令官も、よくやっていた。このあたりは、動乱の時代を生き抜いた者たちがうまく動いてくれているのだろう。
戦いは、まもなく二日目に差し掛かろうとしている。ここまでは、ほぼ無休だった。新兵たちの弱さがでるのは、このあたりかもしれない。新兵特有の興奮状態でいられる時間は、勝利のために必要な時間に比べて、あまりに短いのである。だが、それを耐えられれば、新兵も大きく成長するはずだ。
艦隊を細かく動かしながら、ミッターマイヤーは祈っていた。戦力の差は大きいが、経験の差ではこちらが敗けていると考えるべきだろう。敵の動きは素早く、かつ統率がとれている。あきらかに、実戦経験を積んだ兵だった。
小さな隙。しかし、それを突けるほど、こちらの動きは機敏ではなかった。こういうことが、この戦いでは何度もあった。陣形の維持こそ、兵力の多さによってぎりぎりのところで成立してはいるが、そこから逆撃に転じることはより高度だった。
敵の攻撃は六時間に及んだが、ミッターマイヤー艦隊に大きな犠牲はでなかった。この間、ビッテンフェルト艦隊は敵左翼との相討ちにちかいかたちで後退を余儀なくされ、バイエルライン艦隊が敵中央艦隊の後退に合わせて追撃をおこなった。しかし、敵艦隊は整然と後退し、バイエルラインが深追いしていたのなら、痛撃をうけていたのはこちらのほうだったかもしれない。バイエルラインは絶妙な位置で追撃を停止し、ほとんど犠牲を出さずにミッターマイヤーと合流を企図した。
「さしもの卿もおとろえがあるかと思ったが、杞憂であったな」
かなりの激戦だったはずだが、ビッテンフェルトの生気にかげりは見えない。やはりこの男は、戦でこそ輝くのだ。
両軍が互いに後退したので、両軍が奏でていた狂想曲のなかに、ようやく短い休符がきざまれることとなった。ミッターマイヤーは、軍議のためにビッテンフェルトとバイエルラインを呼び寄せていた。ビッテンフェルトは早めに後退していたので、先に来ていたのである。
「新兵が、思ったよりもよく動いた。それが大きいだろう」
「謙遜するなよ、ミッターマイヤー。おれから見ても、卿の指揮は見事だった」
「こちらを心配する余裕などないように見えたのだがな」
ビッテンフェルトは饒舌だったが、ミッターマイヤーの黙した態度に鼻白んだようである。
「おまえの息子は、よくやってるよ」
予想外からの砲撃に、ミッターマイヤーはビッテンフェルトを振り向いた。
「フェリックスの話は、よしてくれ」
「ほう、首席元帥も親だな」
本音を言えば、ビッテンフェルトが突撃を指示するたびに、ミッターマイヤーは内蔵のどこかが痛むのだ。ビッテンフェルトが無意味に花を散らすのを好まないということを知ってはいるが、戦場では、いつだれが死んでもおかしくないのである。それこそ、流れ矢にあたるように死んだとしても、だれに文句を言うことができるだろうか。
やはり、矛盾している。あれほど、戦いに血を沸かせていたではないか。自由でいられたではないか。武人でいられる自分と、父親でいられる自分は、どうしようもなく交互にやってくる。
子を持たぬ卿にはわかるまい、と言いかけて、ミッターマイヤーは眼を閉じた。この言葉は、ビッテンフェルトと自分との間に、越えがたい壁をつくりかねないのである。かつて、友と最後に交わした酒の酔いに任せてしまったときのように。
「子を持たぬおれにはわからぬ」
そう独語が聞こえて、ミッターマイヤーは思わず顔をあげた。ビッテンフェルトが、腕を組ながらどこかをにらんでいる。
「だから、おれは所帯をもたんのだ。自分の命も、家族の命も惜しくなるからな。おれは人を死なせる覚悟がある。それ以上に、おれ自身を死なせる覚悟があるのだ。個人の命を惜しむようでは、黒色槍騎兵艦隊の指揮官など務まらんよ」
結婚できぬ負け惜しみには聞こえなかった。ビッテンフェルトの覚悟。だれよりも敵を殺し、味方を死なせてきた男が、そういう生き方を選んだのである。それをそしる者がいるなら、ミッターマイヤーは全力でそれを殴りつけるだろう。ミッターマイヤーは、だからこそ、この男が嫌いになれないのだった。
「おれは、おれの命が惜しいよ、ビッテンフェルト」
「卿はそれでいい。卿の命は、陛下とともにあるのだから」
ビッテンフェルトが笑ったので、ミッターマイヤーも笑った。彼らはつねにおなじ陣営で戦い、おなじ美酒に酔い、おなじ苦杯を呑み込んできた。
従卒にワインを頼みながら、ミッターマイヤーは言った。
「では、フェリックスの話を聞かせてくれないか?」
「直接聞け、お父さん」
むろん、ビッテンフェルトは知っている。フェリックスの実の父親が、ロイエンタールであることを。だが、彼は血のつながり以上に、いまの姿と能力を大事にしているようである。それはなにも知らぬ他の者にとってもおなじだろう。フェリックスが才覚を発揮している限り、あの子はミッターマイヤーの子でいられるのである。
そんなふうに、己を縛りつけなくていい。だが、それは高望みというものだろう。フェリックスは、みずから選んでミッターマイヤーの子となったわけではない。むろん、ロイエンタールの子であるということも。だが、軍人という道を選んだのはフェリックス自身である。それがどういう意味を持つか、ミッターマイヤーは懇切に説いたつもりだった。それでも、あの子は選んだのだ。そして、得られた場で、あの子は才能を発揮しつつある。
あれは、おれの子だぞ。そう叫びたい欲求を、ミッターマイヤーはつねに抑えてきた。知らせるべきは、ロイエンタールにだろう、と思うからである。あの男の血をうけた子を、みずからの子にしてしまっていいのだろうか。その葛藤に耐えたことは一度ではなく、耐えきれないと思ったことも同様に一度ではなかった。
「さて、バイエルラインが来たぞ、首席元帥」
幸運なことに、ミッターマイヤーの葛藤は、迷宮入りの前に呼び止められた。
戦いの最中である。帝国のためにも、自分のためにも、この戦いは勝たなければならない。
バイエルラインが着席する。三人のなかでもっとも若いが、経験は劣らぬほどに豊かである。そして、よく耐えた。敵の狙いを完璧に読みきり、ミッターマイヤーを信じた。よく成長したものだ、と思う。
やや遅れて、摂政ヒルデガルドと皇帝アレクサンデル・ジークフリードが入室した。立ち上がり、ふたりに敬礼する。さすがに、ヒルダのほうには疲労の色が濃かった。日頃の激務に加え、摂政となって初の戦争である。それに比して――この少年の涼やかさは、いかなるものか。
彼の父親であれば、ラインハルト・フォン・ローエングラムであれば、戦を眼の前に頬を紅潮させ、瞬く間に勝利へとわれわれを導いてくれただろう。だが、その子の蒼氷色の瞳は、どこまでも温度を下げている。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、ミッターマイヤーは今後の作戦案を語り始めた。
三一
ミケーレの隊が、限界を迎えつつあった。よく耐えた、と思う。本来は、猛攻を得意とする指揮官である。それが、守りを一方的に強制される戦いで、あの黒色槍騎兵艦隊を相手に耐え続けているのだ。いまの戦線は、ミケーレに支えられているといっていい。だが、それもそろそろ限界を迎えるだろう。
激戦に生まれた小休止のなかで、ヴィンツェンツォ・ザザは、帝国軍と同様に軍議を行っていた。犠牲の確認と、今後の方針決定のためである。犠牲は、ミケーレの隊をのぞけば、それほど多くは出ていない。
「敵がこの段階で休止を選んだということは、おそらくいまままでのような単調な撃ち合いを避けたいからだろう。むこうにはこちらの窮状が知られずにいるのだからな」
ザザの発言に、みなが頷いた。もはや、ザザが指揮官であることを疑う者はいない。ザザはみずからがこの艦隊を統べる者であることを、実力によって証明したのである。
「敵がこれから行うべきことは、おそらく二つだ。ひとつは、陣形を変え、なんらかの奇策にうって出ること。もうひとつは、このまま単調な殺しあいを続けること。後者を選ぶならこの場で休止などしていないだろうし、おれとしては、おそらく前者ではないかと思う」
「では、その奇策とは?」
将校のひとりが言う。苦笑した。それがわかれば、この戦いはすでに勝っている。
「わからんが、考えられるうちにできるだけ考えておきたい」
逃げの回答ではあったが、納得させるには十分だった。
「もし、敵がこのまま殺しあいを続けたら?」
発言したのはミケーレである。すでにいくつか死線をくぐりぬけてきたのか、数日前とは顔つきが変わっていた。
「その時は……」
刹那、戸惑ってから、ザザは言った。指揮官である限り、勝利の夢は抱かせ続けなければならない。それが、たとえ発言者にとっては幻に感じられていたとしても。
「切り札をつかう。それだけのことさ」