ペチュニア、菜の花、撫子、ルピラス、アネモネ、したの並木道を見下ろせば桜が見える。
暖色で彩られた花壇。そして天井には仕切りなんてなく、一面の空模様が見える。
開放感溢れるこの場所は素の自分を解放させられる彼女にとっては数少ない名所の一つだ。
―美城プロダクション
彼女が所属するアイドルプロダクションの事務所にはどの部署にも開放ラウンジやカフェ、マッサージルームなど身体的、精神的に休める場所はたくさんある。過分と言ってもいいほどに。でも彼女にとっては花に囲まれていて、それでいて自然を感じられる、この屋上広場こそが最適解―だったのだが。
珍しいことに、先客がいたようだ。
広場の中央に位置する噴水を起点として、この広場は螺旋状に道が連なっている。北寄りの木陰にあるベンチで先客であるもう一人の少女はうたた寝をしていた。
春の暖かさに眠気が誘われたのか、何にせよ目の前で寝ている少女の寝顔は、彼女がいつもすれ違いざまに見かける笑顔とはかけ離れた無防備な無垢な少女のそれだった。
くぅくぅと小さな寝息を立てながら右に傾いたり、左に傾いたり、振り子のように等速で頭が右往左往している。
「ふふっ」
彼女はつい笑みをこぼした。
起こしてしまわないよう、音を立てずにそっと隣に腰掛けた。
よく見ると一輪の花弁が眠り姫の頭に咲いていた。白く形の整った花弁。ベンチの横に植えられている柚の花が風で飛ばされたのか、それとも誰かが悪戯で置いていったのか、寝息を立てる少女の髪に引っかかっていた。
本来柚子の花は開花時期が五月なのだが…、怪訝そうに顔をしかめる彼女だったが、
(気になることは気になるけれど、まぁ別に可愛いからいいか)
と自分もリラックスするため深く息を整えて、しばらくの間目を閉じた。
そよ風が、二人の髪を軽く靡かせた。髪は交差しつつも、絡まったり、ほつれたりを繰り返して、空中をふわふわ、と舞っている。
すると、彼女の鼻腔に柚子の香りが漂ってきていた。寝ている少女は、頭を彼女に預けながら朧げに目を覚ます。
「あ…あれ…?プロデューサーさん……?」
目を覚ました少女は、体勢を立て直しつつ、涙目で横に座る彼女を凝視した。
「…やっと起きたんだ」
目をこすり、ぼやけた焦点を合わせていくと横に座る彼女が「プロデューサーさん」ではないことを気づく。
少女は恥ずかしさから蒸気が立ち昇りそうなくらい赤面した。
「あ、あれ?すみません!その!私っ!お昼ご飯食べてたら急に眠くなっちゃって!その!失礼しました!」
気が動転しているように見える少女だったが、素っ気ない態度は決して取らずに、はにかんで誤魔化した。
もし横に座る彼女であったら、ぶっきらぼうに
「あ、そう」
と、言葉を残して立ち去っていることだろう。
「汚れなき人」
目を覚ました少女の頭を見つめながら、彼女は不意に言葉を漏らした。
「?」「あ……」
ふと口にした言葉に彼女自身も驚いているようだった。戸惑いを隠せず、目を泳がせているが、すぐにその鉄面皮は戻ってきた。
「……その頭に乗っかってる柚の花言葉だよ」
「えっ?頭に…?」
少女はあたふたして髪をかけ分けて探している。それでも見つけることができず、それを助けるため、彼女は後頭部に手を伸ばして花を掴みとって、改めて、それを少女の前髪に綺麗に結んだ。
「花に囲まれながら寝て、プロデューサーさんのこと呼んじゃうなんて、よっぽど居心地良かったんだ。」
二度目の赤面。
少女は、その恥ずかしさをごまかそうとして、とっさに質問を返す。
「私!よくここでお弁当食べるんです!」
「お花もたくさんあって、天気が良い日には他のアイドルもくるんです!夕美ちゃんとか、蘭子ちゃんとか!」
(きっと友達作りが上手なのだろう)
彼女の中で少女の印象はいつも明るいものだ。
少女は孤独とは無縁そうな眩しい笑顔で、次々と誰かの名前を羅列する。
そのうちのいくつかに見知った名前もあったけれど、反応する必要性も感じなかった彼女はそのまま受け身の姿勢を保つ。
「えぇと…、あなたは…ここのアイドル…ですよね?」
話を聞いていく内に、次はあなたの話も聞きたいな…と言わんばかりの構って欲しいような顔つきで視界の外から彼女に顔を傾けてきた。
「ま、まぁ…、そんな感じかな」
彼女は自分の話をするが苦手だった。
自分がまだ夢中になれる何か。
「渋谷凛」という名前だけが彼女の持つ価値だったから。「熱中する何か」がないから、格別語ることも特にないし、ましてや憧れの人とはいえ、初対面の少女に自分の醜態を晒してまで教える義理もなかった。
(これ以上探られても、この後に控えている仕事に差し支える)
彼女はそれを理由にこの場を去ることにした。
「それじゃあ、私この後まだ用事あるから」
話し足りない少女は何か言葉を発そうと口を鯉みたいにパクパクさせる。
しかし彼女は待つことなく、立ち上がり脚を払うと広場の出入り口へと向かった。
「あ、あの!」
彼女とはまた違った優しさの含んだ声が広場中に響き渡った。
「また!ここで会えるでしょうか?」
彼女は背を向けながら、彼女に見えない笑みをこぼしながら、右手を振って返事をした。
出入り口で待つ、私にしか聞こえない声で。
―うん
また会えるといいね
卯月
柚雨のプロローグを一話に直しました。
伏線を折り込めるだけ折り込みました。今後の展開に乞うご期待。