宇宙悪夢的神話の魔術実験に関する真実   作:海野波香

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ホグワーツとビルゲンワース

 今回の主題である実験の産物について語る前に、その実験に関与した四つの学府の話をしなくてはならないだろう。四つの学府とはすなわち、ヤーナムのビルゲンワース、スコットランドのホグワーツ、そしてマサチューセッツのイルヴァーモーニーとミスカトニックだ。

 

 ビルゲンワースの名を知る者は今やこの世から消え去りつつある。その最盛期は時代から言えば十九世紀、英国はヴィクトリア朝の太陽に照らされていたころの話だ。蒸気と煤煙に包まれてなお輝いていた英国であるが、眩しければ眩しいほど影は濃くなるものであると、賢明な読者諸氏は悟っていることだろう。英国の地方都市ヤーナムではそれがとりわけ顕著だったらしい。

 比較的多くの迷信と土着信仰が残る英国においてなお一風変わった風習を維持していたこの都市は、すでに大規模な工業地帯の一角となり跡形もなくなっている。この地が住宅地や商業区画にならないよう手配したのは、英国政府と魔法省の尽力によるものであることに違いない。そしてそれは英断であった。後述するヤーナムの地域的特質は、およそ人が棲まうに適さないどころか、おぞましい結果をもたらし得る。さらに正確な物言いをするならば、おぞましい結果をもたらしたと記してもよいだろう。

 筆者自身、ヤーナムとビルゲンワースについて多くを知るわけではない。情報は不自然に断絶している。それを探った者たちの消息も同様だ。しかし、幸運にもホグワーツで魔法史の教鞭を執るゴーストであるカスバート・ビンズ氏と対面し、ビルゲンワースの起源について直接話を伺うことができた。以下はその書き起こしである。

 

 

 ビルゲンワースは元来ホグワーツの一学派でありました。さほど昔のことではありません。大まかな区分で語るなら、そう、十七世紀の後半から十八世紀の前半がホグワーツにおけるビルゲンワースの最盛期であったと言ってよいでしょう。彼らの研究は多岐にわたったと耳にしています。特筆すべきは魔法生物学と魔法薬学、そして天文学への注力でしたな。ビルゲンワースから輩出された学徒の多くは神秘部へと進みました。当時、まだ肉体を有していた私はレイブンクローの寮監でしたが、進路についての面談ではビルゲンワースに属する学生がみな神秘部を希望することを興味深く思ったものです。

 ビルゲンワースが独自のコミュニティを形成し、空き教室で議論を交わす様を幾度となく目にしました。彼らの興味はもっぱら超自然の存在に向けられており、時には魔法生物や肉体を変質させる類の呪いについて過激な発言を平然と口にする者もいたと思います。彼らを擁護するわけではありませんが、このような研究倫理の欠落は優秀なレイブンクロー寮生にしばしばありがちなことで、その多くは学びのうちに適切な倫理観を獲得していくものです。ただ、ビルゲンワースという閉鎖的なコミュニティが、彼らにその学びを得る機会を失わせたのでしょう。

 状況が変化したのは、アンナリーゼ・カインハーストという女生徒がビルゲンワースに接触した、その時だと私は考えています。彼女は学業優秀でしたがどこか謎のある少女でした。おそらく生家が関係していたのでしょう。きっかけは宿題の相談かなにかだったようですが、いつの間にか彼女はビルゲンワースの中で可愛がられる存在になりました。可愛がられるとは言っても、ビルゲンワース流の可愛がり方でしたが。討論に参加させる、実験を手伝わせる、そしてやがては被験者へ。彼女は良識のある子でしたから、次第にビルゲンワースの学徒達を避けるようになり、そして卒業後は「家を継ぐ」とヤーナムに戻りました。

 彼女を追ってヤーナムに赴いたのが当時の主席にして後のビルゲンワース学長、ウィレーム・ホーキングです。彼のことはよく覚えています。ビルゲンワースの中でも一際優れた、そして過激な生徒でした。当時の神秘部にとっては、いや、魔法省のどの部署であろうと喉から手が出るほどほしい人材だったでしょう。しかし、彼は忽然と姿を消し、そしてヤーナムでビルゲンワースを学府として設立しました。私塾でもあり、研究機関でもある。それが彼の寄越した手紙に記されていたビルゲンワースの説明です。このころからホグワーツのビルゲンワースを卒業した学徒はヤーナムのビルゲンワースへと向かうようになったのです。思うに、これが悲劇の始まりでした。

 とはいえ、ヤーナムの惨劇について詳しい話を耳にしたわけではありません。私はもうホグワーツ城から離れることの難しい身となっていましたし、ウィレーム・ホーキングも私を歓迎することはなかったでしょう。ゴーストでもない故人を悪く言うのは憚られますが、それでも、歴史を学び教える身としてこう評価せざるを得ないでしょう。彼は冒涜的殺戮者の先頭に立っていた。

 失礼、そろそろ授業がありますのでこれで。私の名前は出していただいて構いません、どのみち死ぬことはありませんから。

 

 

 以上の通り、彼の話からは学派としてのビルゲンワースがヤーナムで学府を設けるまでの経緯、そして歴史から名を消した純血の一族であるカインハースト家最後の令嬢アンナリーゼ・カインハーストとビルゲンワースの関係の起源、さらにはビルゲンワースの学長ウィレーム・ホーキングの人物像がわかった。女王アンナリーゼとウィレーム学長(後に両者はそのように呼ばれるようになる。特にウィレーム・ホーキングはビルゲンワースの学長となって家名を捨てたため、本項でも学長と呼称するのが相応しいだろう)がホグワーツの出身である事実は興味深いだろう。ビンズ氏は俗世の利益や権勢に関心のない人物であり、ヤーナムについてほらを吹く意味はない。また、ほらを吹けるほどヤーナムについての情報は転がっていない。これは事実だと考えてよいだろう。

 ビルゲンワースは超自然の存在を研究する過激な学徒の集団であり、彼らは被検体としてカインハースト家の令嬢を選んだ。そしてビルゲンワースの中でも一際優れた学徒が彼女を追ってヤーナムに赴き、その地で学府としてのビルゲンワースを築いた。そしてカインハースト家も、ビルゲンワースも、後にヤーナムの惨劇と称される事件によって滅びた。これが大筋ということで、読者諸氏も同意してくれることだろう。しかし、ここには奇妙な点が少なくとも二つの疑問がある。なぜウィレーム学長はヤーナムの地に留まることを選んだのか。そして、ヤーナムの惨劇とはなんなのか。

 前者の疑問についてもう少し詳しく語りたい。もしアンナリーゼが被検体として特別であったとして、なぜ過激な学徒であったウィレーム学長はアンナリーゼを連れ去ることを選ばず、ヤーナムに学府を築いたのか。過激で優秀、人望のある人物であったなら、名家とはいえ女性を一人行方不明にするくらいのことはさしたる苦労もかからないだろう。であるにもかかわらず、僻地であるヤーナムに留まることを選んだ。さらには、示し合わせたようにビルゲンワースの学徒達はみなヤーナムへと向かった。筆者にはこれが不可解でならなかった。

 この疑問に差し込む光を与えてくれたのが、インドのパールスィー地区で出会った老婆だ。彼女は顔を見せず、「鴉」とだけ名乗った。彼女はヤーナムの惨劇の当事者であり、かつてのヤーナムとビルゲンワースについての知識も少なからず持ち合わせていた。彼女は当初話を渋っていたが、どんなに危険であろうとも真実を記して出版するという条件で、ヤーナムの過去を語りはじめた。

 

 

 さて、私は話下手だから、何から話したものかね。あんたが興味を持っているのはビルゲンワースについてだろう? それなら、どうしたって色々なことを話さなきゃならない。医療教会、血の医療、獣、狩人、上位者。どれか一つでも意味がわかるかい? わからんだろうね。あんたが夢を見れれば早かったんだが、そうもいかない。私も長らく夢を見ちゃいないんだ。あのお節介焼きは今も夢を彷徨ってるのかねえ。

 余計な話をしたね、悪かった。ただ、私も全てを知っているわけじゃない。ほんの少し、そう、あの正気を失うほど恐ろしい場所で見聞きしたことをなんとかボケずに覚えているだけだよ。ただ、まあ、ようやく話がまとまってきたから、聞かせてやろうじゃないか。

 ビルゲンワースは元々、上位者とかいう化け物どものことを探ってたのさ。私もこのあたりは直接見聞きしたわけじゃない。師匠、そう、私が役目を受け継いだ爺さんから伝え聞いた話さね。その爺さんも師匠から聞いたってんだから、どれだけ昔の話なんだかわかったもんじゃない。ただ、まあ、私がヤーナムに飛んだころにはビルゲンワースなんて名前も聞きやしなかったから、もう滅んでたんだろうね。

 上位者について詳しいことは知らないし、知りたいとも思わなかったよ。私の専門はそっちじゃなかった。ただ、血と関わりがあるのは確かだ。医療教会って連中がいてね、ビルゲンワースが研究していた上位者を神様にしちまったのさ。そして、連中は怪しげな血の医療をヤーナムの連中に施していた。いかれた話さ、出所のわからない血を体にぶち込むんだ。そのせいなのか、それとも別の原因があったのかは知らないが、ヤーナムで獣の病なんてのが流行った。考えられるかい? 人間様が獣になっちまうのさ。獣にならないにしたって、血に酔って正気を失っちまうやつが山ほどいた。私の弟子もそうやって馬鹿になっちまって、最期はお節介焼きの後輩にやられちまったよ。ともかく、ヤーナムって土地そのものが正気じゃなかった。

 獣がいるんだから、当然狩人がいる。物騒なもの振り回してね、元々人間だったもんを殺すのさね。怖いかい? そうだろうさ。私も内心じゃ怖かったよ、狩人が。獣狩りの力と技がある、そんなやつが血に酔って人間を狩りだしたらどうなる? それをなんとかするのが私の役目だった。まあ、今はただのババアさ。

 私ら狩人の中にも、獣以外を相手にするやつがいた。超自然の脅威。私にはついぞ見えやしなかったが、今思えば、あれが上位者だったんだろうね。聞いた話じゃ、ルドウイークとかいう狩人が上位者狩りを始めたんだそうだよ。真偽は定かじゃあないが、そいつの弟子達が使ってた剣には何度かお目にかかったことがある。だから、実在はしたんだろうさ。ルドウイークも、上位者も。

 そうだ、古参の狩人にヴァルトールって変わり者がいてね、そいつは少しおかしくなってたが、それでも古参なだけあってよく物を知っていた。あの男が言うには、血の医療なんてのは副産物で、本当は上位者を作ろうとしたんだと。その材料だかなんだか知らないが、そういう因果なものがヤーナムの地下にあって、なんだったか……そう、聖杯とやらでその地下に潜って、材料を取ってきたんだよ。ヤーナムも最後はますますおかしくなってたから、もしかしたらそれが成功したのかもしれない。ただ、そいつが生まれるまでに随分と多くの血が流れたもんさ。

 本当は、全部を見て、全部を知ってるはずのやつがいてね。そいつは馬鹿で、おひとよしで、お節介焼きの、とんでもない間抜けだった。だが、あいつは狩りを全うしたはずだよ。だからヤーナムは終わったんだ。医療教会、血の医療、獣、狩人、上位者、全部終わっちまったのさね。私の、狩人狩りの役目もね。あいつもくたばったのか、それともまだ夢の中か。くたばってりゃあ、いいんだがねえ。狩人にとっちゃそれが救いなのさ。

 あんたに教えられるのはこれだけで、これが全てだよ。だが、あんたは学者様で、私の散らばった話をまとめるのがお仕事なんだろう? すまないけど、少し眠らせてもらうよ。狩人なんて業の深いものになっちまったせいで中々くたばらない身だけど、それでも、いや、だからこそ苦しいことってのはあるもんさ。

 

 

 さて、彼女の話にどれだけの信憑性があるだろうか。ビルゲンワースが超自然の存在を追い求めていたのは疑いようのない事実だ。彼女の年齢は定かではないが、師のそのまた師がヤーナムに赴いたというのであれば、ビルゲンワースが設立された時代か、それよりしばらく後であると考えてよいのかもしれない。血の医療、獣の病は疑おうと思えばいくらでも疑うことができるが、ビルゲンワースが人体実験をしないという保証がどこにあるだろう。ましてや、ビルゲンワースが本当に超自然の存在――上位者に辿り着いたのなら、十分にあり得る話だ。賢明な読者諸氏であればエクリジスと吸魂鬼の話を思い出すだろう。闇の魔法使いエクリジスは人体実験の果てに吸魂鬼を生んだ。そして吸魂鬼は最も古い護りの呪文に挙げられる一つである守護霊の呪文でのみ撃退される。前例は存在するのだ。

 興味深いことに、ラブクラフト氏の遺志を継ぐ一人であるリン・カーター氏の著作にも病を蔓延させる超自然の存在が登場する。カソグサと呼ばれるその女王は病の主であると同時に、ラブクラフト氏が表題に選んだ神格、クトゥルーの妻であり、多くの超自然の存在を産んだとされる。夢に関する神格もラブクラフト氏の著作に確認された。獣の病、夢といった用語が登場した以上、この超自然の存在を考慮せずに話を進めるべきではないだろう。

 ビルゲンワースはヤーナム固有の技術、または魔法の道具である聖杯を用いて上位者と呼ばれた超自然の存在を追い求め、その副産物として血の医療、獣の病という人体実験を生んだ。これが後に医療教会と名乗る宗教組織によって管理され、その影響圏であるヤーナム全土に獣の病は蔓延した。一方、超自然の存在を脅威と見てそれを討伐せんとした人々も存在したが、その成否は定かではない。また、ビルゲンワースが進めていた人工上位者の実験も進捗状況は不明である。しかし、ある人物(おそらく狩人の一人であろう)が狩りの果てにヤーナムを終わらせた。これが彼女の語るヤーナムの惨劇である。

 この後、筆者は「鴉」の語った狩人について調査を進めたが、その人物の足跡を捉えることはできなかった。

 本項ではビルゲンワースの栄枯盛衰、そしてそれを輩出したのがホグワーツであることを述べた。次項ではイルヴァーモーニーとミスカトニックの関係について述べる。


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