宇宙悪夢的神話の魔術実験に関する真実   作:海野波香

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イルヴァーモーニーとミスカトニック

 前項ではいかにしてビルゲンワースがホグワーツ魔法魔術学校の中で醸造されていったか、そしてビルゲンワースがどのような冒涜を成し遂げたかを示した。本項ではともにマサチューセッツ州に位置するイルヴァーモーニー魔法魔術学校とミスカトニック大学とがどのような密約を交わしていたかを記す。四つの学府全てが結びついた結果については次項に譲ることとしよう。

 

 しかし、本題に入る前に、いくつかの補足をしておきたい。筆者は前項までの流れが読者諸氏を混乱させるに十分な複雑さを帯びていると理解し、猛省した。そのため、寄せられた質問の中から、読者諸氏全体に共有すべきであろうものを紹介し、それに回答していく。

 まず、ラブクラフト氏らの神話体系が結局のところ魔法界へどのような影響を与えたのか。これに関しては読者諸氏の期待を裏切るようで申し訳ないが、ほぼ影響はないと断言してよい。ラブクラフト氏らの書籍および書簡は(序文で語ったように)魔法界が秘匿している超自然の脅威について事実を告発したものであり、それらの文書類は魔法界でほとんど流通しなかった。魔法界におけるラブクラフト氏の不自然なまでの無名さには英国魔法省やマクーザの思惑が大いに絡んでいると考えられるが、これについては筆者の推測に過ぎないことも述べておかねば不誠実だろう。

 次に、ラブクラフト氏の死因は本当に呪詛を受けてのものであったのか。もはや過去の事件であるため、痕跡を辿るのは不可能に近い。しかし、おおよそ間違いないだろう。某秘密結社のエジプト支部がラブクラフト氏の活動開始前後に接触した形跡が存在している。そして、ラブクラフト氏の著した神話体系は某秘密結社にとって不都合なものであった。ラブクラフト氏の晩年は無気力と低体温に苛まれての緩やかな死が這い寄るものであった(公式には癌と栄養失調によるものであるとされている)が、このような真綿で首を絞める呪詛はエジプトの魔法使いや魔女が得意とするものである。しばしば呪い破りたちが同様の呪詛によって他界している。ラブクラフト氏は呪詛によって殺害された可能性が非常に高い。

 そして、なぜヤーナムの惨劇が生じる前にビルゲンワースの活動へ魔法省が介入しなかったのか。これについては複雑な事情が絡み合っている。まず、前項でビンズ氏が語ったように、学派としてのビルゲンワースを卒業した学生は優秀で、その多くが魔法省の一部署である神秘部へと就職した。英国魔法省における神秘部の影響力と発言力は(魔法界にとって重要な多くの事物を管理していることから)比較的大きく、地方都市で「ちょっとした」違法行為がなされているとしても、それが神秘部と関連しているとなれば、そう簡単に魔法法執行部や魔法事故惨事部(あるいは、魔法生物規制管理部の機動部隊かもしれないが)を動かすわけにはいかなかった。当時の魔法大臣グローガン・スタンプがビルゲンワースの出身であったこと、彼がヒトたる存在を「魔法社会の法律を理解するに足る知性を持ち、立法に関わる責任の一端を担うことができる生物」と定めたのが1811年、つまりビルゲンワースが本格的に実験を始めた後であったことも関係している。実験の被害者は少なくともすでにヒトではない。

 さらに、なぜビルゲンワースは天文学に傾注したのか。これに関してはヤーナムの残存する貴重な記録と、ラブクラフト氏の著作を結びつけることで回答できる。ビルゲンワースが潰えると前後して、医療教会が後継として設立された。この宗教組織は専ら信仰対象としての上位者(すなわち、超自然の存在)とその血を扱うことを目的としたが、ビルゲンワースに比較的近い活動をしていたと思われる一派が存在する。彼らは聖歌隊と名乗り、その具体的な性質については定かではないが、「宇宙は空にある」という標語を用いていた。この「宇宙」について心当たりがないかビンズ氏に問い合わせたところ、ミコラーシュ・セルビーというビルゲンワース出身の学生がとりわけ天文学に傾注しており、一部の魔法生物は異なる星からの来訪者であると主張していたと判明した。彼自身はヤーナムのビルゲンワースに進学しており、その後の消息は不明であるが、ビルゲンワースが成した惨劇に何かしらの影響を及ぼしている可能性はあるだろう。加えて、ラブクラフト氏らの著作に「異星」「星辰」といった要素がしばしば登場すること、ラブクラフト氏がイルヴァーモーニーで天文学を得意としたことも重ねて付記しておきたい。

 最後に、「鴉」が語った「上位者を狩る狩人」ルドウイークは何者なのか。これについては答えがない。ヤーナムの歴史は濃い霧に包まれており、あらゆる手を尽くしてもそれを見通すことは叶わなかった。ただ、結びつけられるかは怪しいが、有名な魔道書である『妖蛆の秘密』を執筆した魔術師であり、数世紀を生きた後、1542年に処刑されたとされる、ルドウイーク・プリンという人物がラブクラフト氏の著作に登場する。この魔術師の名は超自然の脅威を退散させるアーティファクト「プリンのアンサタ十字」に残っており、「上位者を狩る狩人」という逸話に多少重なる部分がある。また、彼の著書『妖蛆の秘密』は彼が投獄中に密かに手配して持ち出したとされるが、もしそうなら、彼が処刑を免れていてもおかしくはない。あるいは、彼の名を継ぐ者であったのかもしれない。

 

 いよいよ本項の本題にあたるイルヴァーモーニーとミスカトニックの話を進めていく。両者はともに米国のマサチューセッツ州に位置し、距離はさほど開いていない。興味深いことに、創設された時期も限りなく近い。イルヴァーモーニー魔法魔術学校がまだ石造りの小屋であった1627年からそれほど時を待たずして、1690年にアーカム・カレッジとしてミスカトニック大学の原型が成立している。マサチューセッツ州には魔女狩りで悪名高い(今や観光資源であるが)セイラムがあること、そしてセイラム魔女裁判が両者の成立した17世紀の出来事であることも忘れずに記しておこう。

 イルヴァーモーニー魔法魔術学校の創設者であるイゾルト・セイアについて興味深い逸話がある。彼女は希少な魔法生物であるホーンド・サーペントと交感し、その魔法生物から授かった角を芯材として魔法の杖を作ったという。そして、それは新大陸で最初の魔法の杖であった。この逸話はラブクラフト氏の著作に登場する超自然の存在、イグと関連していると考えられる。イグは蛇、または東洋の龍の姿をしており、人間に対する慈愛を持ち、時には崇拝者に施しを与える。イグの崇拝者は北米にも存在しており、イゾルト・セイアが米国に渡ってからイグ信仰に触れた可能性は大いにありうる。

 初めから魔法魔術学校であったイルヴァーモーニーとは対照的に、ミスカトニック大学は徹頭徹尾合理と科学で固められた象牙の塔であった。彼らは超自然の存在を理解の範疇に落とし込まんとその智慧で道を拓いた探究者であり、そのために幾度も調査団を派遣し、壊滅させている。それでも現代のミスカトニック大学はアイビーリーグ校(馴染みのない魔法族のために説明すると、北米の名門私立大学グループである)の一つであり、その研究成果は英国にいてもしばしば目にする。パンフレットを見る限りでは、奨学金制度や進学制度も充実しているようだ。マグル界において若き学徒が理想と希望を抱いて目指すにふさわしい学府であると言えるだろう。その隠された暗く冷たい一面を除けば。

 

 イルヴァーモーニー魔法魔術学校は1920年代に最盛期を迎えた。ミスカトニック大学が超自然の存在へと邁進しはじめたのも同時期である。1931年には南極探検隊が、1935年にはオーストラリア発掘調査隊が、それぞれ超自然の存在と邂逅している。そして、注目すべきは、イルヴァーモーニー魔法魔術学校のカリキュラムである。時を同じくして、1926年には小枝を用いる類の占い学(馴染み深い例を挙げるのなら、ルドウイーク・プリンの子孫である「奇妙な神の神官」アビゲイル・プリンが1690年の他界まで得意としていた交感の術に酷似している)が授業科目に加わった。そして、1927年には魔法生物学も加わっている。魔法生物の多くはその出自が定かでなく、あるいはラブクラフト氏が著述するところの超自然の存在にあたると考えることもできる。事実、ビルゲンワースは魔法生物学に秀でており、そして彼らは何らかの超自然を見出した。イルヴァーモーニー、ミスカトニックの両者が同時期に超自然の存在へと手を伸ばしたのである。これほどまで偶然が重なることがあるだろうか。

 両者は異なる方面から超自然の存在を見つめている。それゆえに、両者が共同研究を行うのは学府としてさほど不自然なことではない。いつから両者が連携していたかは不明だが、イゾルト・セイアの夫がマサチューセッツ州在住のマグルであったことを考えると、両者の創設された初期から結びついていた可能性もある。イルヴァーモーニー魔法魔術学校の卒業生はしばしば母校の変身術を「科学的」と、そして魔法薬学を「マグルの化学に影響を受けている」と形容するが、これはミスカトニック大学の影響であろうか。また、ミスカトニック大学の研究者が頑迷にならず、超自然の存在に対して受け止めたうえで理解しようとする姿勢を持つのは、イルヴァーモーニー魔法魔術学校という怪異がそばに存在していたからであろうか。これらは仮定であるが、可能性は否定できない。そして、事実、共同研究は成されたのだ。それこそが本作の主題、すなわち故オーガスト・ダーレス氏が収集した情報である。

 

 次項からはまず、ダーレス氏とその意思を継ぐ人々が編纂した、凄惨極まりない共同研究についての記録を公開する。その上で、いかにしてそれらが成立し得たのか、筆者にわかりうる範囲で解説を加えることとする。


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