なんかこうそれは違うやろってなって、こうなりました
「うんうん、君たちも受験生だ。大いに勉強し、自分たちの夢を追いかけてほしい! 私は老人で、ごらんのとおり頭髪もないが、夢を追う少年少女を思う気持ちは人一倍持っているつもりだよ。いやぁ若いというのはいい。ひたすらにがむしゃらに夢に突き進むというのはとってもいいことだ!」
その日、教諭の田中一郎はいつものように大量の唾をまき散らし、不運にも最前列目の前に座る生徒の顔を濡らしながら熱弁を続けていた。
田中一郎はどこにでもいる中年教師である。このクラスの生徒を三年間受け持ち、卒業を控えた今日まできっちりと育てあげたことに誇りを持っている。
欠点をあえて言うならば話が長いこととこうして唾をまき散らすしゃべり方だろうか。
それ以外では特に特徴のない平凡な教師である。本人曰く、生まれてこの方、病気一つしたことがないというのが自慢とのことで、本人もそれこそが自らの個性と言っている。
「だが! 私は悲しい! 老婆心……いやわしは男だがね、まぁあえて言わせてもらおうか。揃いも揃ってヒーロー科! あぁ嘆かわしい!」
田中は教壇をばしんっと叩く。
その瞬間、クラスの生徒たちは「またか……」という表情を浮かべた。
この田中という教師の欠点をもう一つ上げるとすれば、同じような話をもう何十、何百と繰り返すことだろう。それだけならまだしも、言ったその口で、数分後には反故にするようなことも言うのだ。普通であれば、ひょうきんな教師という風に受け止めれるものだが、こと重要な話でもそういうことをするので、その点だけはあまり生徒からの信用もない。
「うむ、確かにヒーローたちは素晴らしい! 世のため、人のため、自らの力を行使し、奉仕活動に専念するなんてことは並大抵の事ではないできない! 素直に尊敬する! しかしだね、一教育者から言わせてもらうのだが、無限の未来を持った君たち少年少女が揃いも揃ってヒーロー、ヒーローと口をそろえるのは非常に! 嘆かわしい!」
「いや、あの、先生、でもヒーローってかっこいいじゃないですか」
「かっこいいだけでヒーローになれると思うんじゃなぁい!」
生徒の一人が思わず口にした言葉に田中は大声で反論した。目の前の生徒にまた唾がかかる。
「まぁわしは君たちの進路を今更とやかくいうつもりはない。だが、だからこそ面倒くさい中年男のぼやきとして聞き流してくれてもいいが、君たちには無限の可能性があるというのに道を一つに絞る必要はないのだ!」
まるで自分の発言に酔いしれるかのように田中は言い切った後、深呼吸をして、自分を落ち着かせた。
「はっはっは! センセーの言うとおりだぜ、モブども!」
すると一人の生徒が机に脚をかけて、大笑いしながら叫ぶ。
「ヒーローってのは選ばれた奴だけがなれるモンなんだよ。そう、俺のような──」
その生徒は己の手に炎……いや、爆破を発現させながら今度は机の上に立つ。まるでスターのように、指を鳴らすようなリズムで小規模な爆発を起こしながら。
「個性でなきゃヒーローなんざなれねぇんだよモブどもが!」
「爆豪君。内申点を下げられたくないなら、さっさと座りなさい。それと教室内での個性の使用は禁止だよ。今日は見逃すけどね」
田中は爆豪と呼んだ生徒に対して恐れる様子もなく、粛々と対応した。
先ほどの雄弁、熱弁はどこへやら今の田中はやる気の見れない教師のようだった。
そんな担任の態度に、件の生徒、爆豪克己は小さく舌打ちをして、田中に従った。
「ちっ……内申点は下げられたくねぇからな」
「そうとも。ヒーローを目指すならとにかく社会規範は守りなさい。それと、誰とは言わないが、中学生で喫煙しているもの。家には連絡を入れたのでそのつもりで」
ぼそりと田中の言い放った言葉にびくりと反応を示した生徒が数人いたが、田中はそれ以上を追求することはなかった。
田中という男は確かに平凡だが、どういうわけか生徒の不良行為には目を光らせており、どんなに隠しても田中には見抜かれてしまう。それは喫煙、飲酒というだけに留まらず、学内のテストでカンニングをすると、その生徒は絶対に点数を減らされる。どれだけうまく隠してもばれているのだ。当然、文句を言う生徒はいるが、田中は態度を変えない。
しかし逆を言えば田中は真面目に学生生活を送るのならば多少のいたずらは目をつむるし、そこまでしつこく追及することもなかった。
二、三とちょっと長めの説教をするだけで許してくれる。
そのようなどこか不気味な二面性のせいで、田中は別の意味で生徒からは恐れられているのであった。
「まぁ学生というものは時にして隠れてそういう姑息な悪さをしたがるものだ。うん。わかるよ。男として、それはわかる。だがね、さっきも言ったがヒーローを目指すならそういう細かな規範、規則は徹底してもらわないと困るのだよ。これはね、大人からの忠告だ。私はなにも君たちが憎くてこう言っているわけじゃないことを理解してほしい。君たちがヒーローになりたいというのなら、まぁ、思うことはあるが、応援する。頑張り給え。それでも、大人だからこそダメなものはダメといわせてもらうよ。それが社会というものだからね。あぁ話が長くなったけど、とりあえずこれを返そう、進路希望の奴だ。はい、順番に──」
またいつの間にか教室は田中の一人舞台となった。
もくもくと進路希望表を返却する田中。しかし、そのうちの一枚を手に取った時、田中は思わず手を止めてしまった。
「緑谷君、私は確かに無限の可能性とは言ったし、夢を応援するとは言ったが、これは本気で書いてるのかね?」
田中が手に取った用紙に書かれた名前は緑谷出久という名が記されていた。
その瞬間、生徒全員の目が件の少年へと注目される。
「雄英の、ヒーロー科……」
田中はこめかみを抑えて、絞り出すような声で、それでいて申し訳なさそうな声音でつづけた。
「まぁ確かに受験の規定には反しないし、成績という面で見れば君は学科の方は問題ないだろうけど……」
田中が言葉をつづけようとすると、それを遮るように生徒全員が噴出し、嘲笑を発した。
「おいおいおい! デクぅ、てめぇ、ヒーロー科志望って本気かぁ!?」
爆豪が件の少年、デクと呼ばれた少年の机をたたきながら詰め寄る。
「無個性のテメェに何ができるんだよ!」
爆轟がデクの机を爆破しながら叫ぶ。すると彼に呼応するように生徒たちが肯定の嘲笑をさらに強めた。
対するデクは委縮しつつも、
「で、でも、田中先生の言う通り、受験はできるし……昔からの夢で……やってみないと、わからないじゃないか……」
「あぁ? 何がやってみないとだよ、無能の無個性野郎が、何ができんだ!?」
それを言われて、デクは何も言い返せない。教室はいまだに嘲笑に包まれていた。
「黙りなさぁい!」
が、それを田中が一喝して鎮める。
「なぜ笑う? 人の夢を、他人が否定してよい理由などない!」
先ほどの自分の演説の事など忘れているのか、田中は語った。
「え、先生、さっき……」
「あぁ、最近の若い者はいつもこうだ。とにかく他人をけなさないと気が済まない。自己肯定感の低さがモラルの低下を招いているという学者の言い分も今なら理解できるとも。全く。私はね、諸君。どんな夢も持つのは自由だと思っているし、それを他人が否定するのは最も嫌いだ!」
「えぇ……先生、さっきといってること……」
「黙りなさい! 全く、人が話しているというのに、こうして遮るのも若い世代の悪いところだ。よくもそのような考えでヒーローになろうとしたものだ、恥を知りなさい! さぁ、君たち、今すぐに彼に謝るんだ。でなかれば、内申点はゼロ! 私はやると決めたらやるぞ! 全く、長いこと教師をしてきたが、ここまで性根が腐るとは思わなかった。これだから最近の若いものは……」
ぶつぶつと田中がぼやきを続ける。静まり返る教室。
「ん? 謝らないのかね、ふむ、そうか。では君たちの成績などは……」
すると生徒たちは一斉に、不承不承ながらもデクに謝罪をする。投げやりな言葉が大半で、心などこもってすらいないが、とりあえず彼らは謝罪をした。
「どうしたのかね爆豪君。あとは君だけだよ?」
「あぁ? センセーよぉ、俺は別にこいつをバカにしてるわけじゃねぇんだぜ。真っ当な事実を指摘してやってるだけだ。無個性でヒーローになれるわけねぇし、第一、そんな奴がヴィランに勝てるかっていってんだよ?」
「謝らないのかね」
「だから、さっきから」
「謝らないのかね」
「……ちっ、あーはいはい、悪かったよ」
そのような空気の中で、HRは終わりを迎える。
本来であれば、みなが華々しく将来の夢を語り合うところだったが、それは田中のせいで台無しとなり、生徒の殆どはぶつぶつと文句を言いながら帰り支度をしていった。
件の田中はさっさと職員室へと戻っていった。
だが、その数分後の事である。
「いかんいかん、わしとしたことが……いやはや物忘れが多くなるというのは歳だねうん」
田中は教室へと戻ってきた。
その時、田中が見たのはうなだれるデクと友人二人を連れて教室を後にする爆豪の姿だった。
その瞬間、田中はおおよそ何が起こったのかを理解していたが、もはやそれにいちいち首を挟むような真似はしなかった。
「……緑谷君」
「あ、田中先生……」
「学校はもう終わりだよ。早く帰りなさい」
「はい……」
とぼとぼと自分の横をすり抜ける少年に対して、田中は深いため息をついた。
「やれやれ、大体何があったのかは予想がつくよ。全く、これだから最近の若い者は……やはり親御さんに電話をして……」
「い、いいんです! 大丈夫ですから、先生!」
「そうかい? 君がそういうのならそうするが……まぁしかし、教師である私が言うのもなんだがね、緑谷君。君、雄英、やめた方がいい。百パーセント、無理だ」
「え?」
デクは思わず田中を見上げた。
彼の眼には田中の無表情が映り込んでいた。
「私はね、大人として、そして教師として子供の夢を奪うような真似は……あまり好ましくないが、真実は伝えるべきだと思っている。君は、無理だ。個性がない。それではヒーローには、少なくともこの社会においては君はヒーローにはなれない」
淡々と事実をつけつける田中。
「だが、それの何が悪い? 個性がなくとも人は生きていけるじゃないか。現に君は十四年間こうして健康に過ごしている! それに世間ではヒーローというがね、悪人を捕らえるだけがヒーローではないだろう? そうだ、君は勉強ができるし、医者になってみたらどうかね。怪我人を治すことも人助けだし、患者からすれば間違いなくヒーローだ。医者に個性は必要ないぞ。まぁ中にはそういう便利な奴もいるかもしれないが、結局ものをいうのは技術だ。うん、それがいい。君なら難しい高校もいけるだろうし、努力をすれば医者にだってなれるさ! 医者はいいぞ、私も娘を医者にしようと頑張ってはみたのだが……ん、おい、どこにいくのかね?」
「あの、すみません、急いでますから……」
デクはさらに影を落としたように縮こまりながら、去っていく。
田中はまた溜息をついて彼を見送るとぼそりとつぶやく。
「やれやれ、今ならわかる気がするよ、『彼』が言っていた言葉がね……」
忘れ物を取りに来たということなどすっかり忘れて田中は教室を後にする。
「個性……超能力……新人類……まったくもって、薄気味が悪い」
吐き捨てるように田中は廊下を進む。
「あぁ本当に、嫌な時代だよ。そうは思わないかね、本郷君?」