総人口の八割が何らかの能力『個性』を身に着けるに至った時代。人々は超人……否、新たなる人類の誕生を祝福した。
誰かはこう言ったという。人類は新たなステージに突入したと。誰しもが、何らかの超常的な能力を発露する社会は、混迷を極めるが、同時に人間というのは自制心、正義感、博愛主義というものがまだ残っていたようで、これらの『個性』を使った犯罪が行われる一方で、『個性』を使い、それらを捕らえる者たちも生まれた。
人々は彼らをヒーローと呼び、その社会的地位は瞬く間に確立された。空想上のものだったスーパーヒーローが現実のものとなり、今では国家に認められたれっきとした職業として存在する。
ヒーローたちは華麗に悪を打ちのめし、賞賛を受ける。
ゆえに誰もが憧れる。ヒーローという存在に。
「全くどいつもこいつも口を開けばヒーロー、ヒーローだ。気味が悪いと思わんかね」
田中は最近のイケオジならばこれに決まりとしつこく宣伝される乗用車の後部座席にふんぞり返りながら運転手へと悪態をついていた。
「まぁ憧れるのはわかるとも。それをいちいち否定はしないさ。しかしね、どうにもこう……今の連中はヒーローというものをはき違えていると思うのだよ。わしにはね、それがどうにも気に食わん。第一、個性主義というのが気に食わん! 君も見ていただろう、あのなんだったか、えぇい、名簿はどこにしまったか……あぁまぁいい、あの爆破爆破とうるさい子供だよ。そりゃあね、あの子もわしのかわいい生徒さ。今は教師であるわしもそこを差別するつもりはないがね、ありゃ昔の教師なら一発殴ってるところだと思わんかね? それがいつごろか、体罰禁止だのと甘やかすようになって、しまいには個性を尊重するとかいう話で二重に甘やかし、もてはやすものだからあんな風に成長するんだと思うよ」
田中の長台詞を聞きながらも、運転手は無言だった。
彼は無表情であり、その目もどこかうつろで、果たして前を見ているのかどうかも定かではない。
次第に田中も無言を続ける運転手にイラついたのか、じたばたとまるでこどものように地団駄を踏み鳴らす。
「おい、聞いてるのかね! お前とはどういうわけか長い付き合いになっているが、はいとかうんとかぐらいは返事をしたらどうだ、えぇ?」
それでも運転手は無言なのである。
が、田中は知っている。この運転手は無言、無口というわけではなく、しゃべれないということを。
それを知ったうえでこういうことを言うのだ。
運転手は、いわゆる、人間ではない。いや元はそうであった。
「はぁ、昔が懐かしい。こんながわだけの安い車じゃなく、部下に高級車を運転させていた頃が懐かしいよ。与党代議士の第二秘書だったのだぞ、わしは! それが何が悲しくて、中学校の教師なんぞに……あぁかつての栄光よ、いずこへ……」
田中は過去を思い出しながら、思わず涙ぐんだ。
今の自分の境遇はなんとも情けないものだった。
そう、かつて田中は代議士の秘書をしていた。政治に興味があるわけではない。ただ何かとその立場が都合がよかった。だから続けていた。
しかし、時が過ぎれば親分であった代議士が亡くなり、所属派閥が自然消滅すると次の寄生先を探すのだが、田中にはそれができなかった。
本来であれば、田中は新しい戸籍、身分を手に入れて再び居心地のよい場所にさも当然のように忍び込めるはずだった。
だが、できない。もう彼にそのような権力は残っていない。
田中は……かつては『大使』と呼ばれた男は、敬愛する『組織』が壊滅してもなお、無様に生き残っている男だから。
「あぁこの点に関してだけは恨むよ本郷君! わしにも生活というものがあったのに!」
田中は今はどこで何をしているかわからない男の名を叫んだ。
その男は、田中がかつて所属していた組織を壊滅させた張本人である。すさまじい男であった。忘れっぽい田中であっても彼の男の事ははっきりと記憶に刻み込んでいる。なんなら再会出来たらハグをしてやってもいいし、花束を渡してもいい。
とは思うものの、件の男のせいで田中はそこそこの権力を失ってしまったので、やはり少し憎い。
嫌いではないが、恨みはする。そんな気分だった。
田中がそのようなことをぼんやりと考えていると同時に車が急ブレーキを踏む。
そのせいで、シートベルトをしていなかった田中は放り出されて前座席に顔面をぶつけてしまった。
「あだだ! こらっ、安全運転をしないかね君! まさか私を殺そうとしているのではないだろうね!」
ぎろっと運転手をにらむ田中。
しかし、運転手は無言のまま前を指さす。
「うん? はぁ、またかね。無秩序に暴れるだけのヴィランどもめ。社会秩序をもう少し考えたうえで行動してもらいたいものだね」
田中はぶつけた鼻を抑えながら、何度目かの溜息を吐いた。
彼の視線の先には多くの人だかりと渋滞が出来上がっていた。そのさらに奥では原因となる騒動が起こっていた。
巨大な粘液性の生物が暴れており、それに対応するように複数のヒーローが戦っている。だが、ヒーローたちは何か理由でもあるのか、手も足も出ないようで、戦うこともせず、被害拡大を抑えているのみだった。
人命救助、消火活動に専念するものもいるが、それ以上に野次馬の数が多く、スマホで写真を一斉に撮っている光景を見て田中は思わず吐き気を催した。
「おや……あれは……?」
その時、田中は粘液性のヴィランが何かを取り込んでいるのを確認した。
遠く離れた場所にいるはずなのに、田中には見えた。
「あれは……爆豪君かね」
ヴィランに取り込まれているのは自分の担当生徒の一人であることが分かった。
そして……
「誰か飛び出した? 緑谷君?」
ヒーローたちの静止を振り切り、緑谷出久、デクと呼ばれている少年が飛び出す。
この時代において無個性の少年が、何かをわめきながらヴィランへと向かっていく。
「こりゃあ、死ぬな、二人とも。まだ若いというのに」
だが状況は田中が思いもよらなかった方向へと変わっていく。
人込みの中から突如として巨躯を誇る男が現れ、右腕を無造作に振るうだけで二人の生徒を救出した。
「オールマイト……確か、死にかけたと聞いていたが」
田中のつぶやきを、もしも誰かが聞いていたとすれば、何をバカなことと笑うだろう。
真実を知るものたちからすればなぜそれを知っていると思われるだろう。
しかし田中は知っている。
今しがた颯爽と現れ、右腕のパンチ一つで上昇気流を発生させ、粘液性のヴィランを一瞬で吹き飛ばし、こどもたちを助けた男が、本来であればもうヒーローとして活動できるはずがないということを。
ヒーローの名はオールマイト。この世界、この時代で、最も名が知れ渡り、最も尊敬を集めるヒーローであった。
「やれやれ……あの二人も運がいい。どれ、英雄オールマイトもいるのだ、挨拶だけはしておくかな」
田中は車から降りると、まるで今しがた事態に気が付いた男のように慌てふためきながら、現場へと駆け出す。
「すまない、通してくれ。私の生徒なんだ。ちょっとどいてくれないか、私の生徒なんだよ、あの二人は」
先ほどまで静観していた男の白々しいセリフなど誰も気が付くはずもなく、田中は急いで駆け付けた風に装いながら、救出された生徒ふたりのもとへと駆け寄った。
「緑谷君! 爆豪君! あぁ、よかった、無事なようだね。一体なんの騒ぎかと思ってみていたら、君たちが襲われているじゃないか!」
「あ、田中先生……!」
「……」
デクは見知った顔が心配をしてくれることに素直に喜んでいたが、一方の爆豪はばつの悪そうな表情を浮かべるだけだった。
「いやぁ、オールマイト! さすがはナンバーワンヒーロー! ありがとう、私の生徒を助けてくれてありがとう!」
田中はすぐさまオールマイトと呼ばれる大男に振り向くと何度も何度も頭を下げる。
「ノープログレム! 市民を助けるのはヒーローの使命!」
オールマイトはにかっと笑みを浮かべていたが、瞬く間に取材陣に囲まれてしまい、田中ははじき出されてしまった。
その一瞬、田中の表情が無表情に変わったことなど誰も気が付かない。田中はまた表情を作り直し、生徒二人へと振り向く。
すると、そっちもそっちで何やらヒーローたちに囲まれていた。
「よく頑張ったな!」
「素晴らしい個性だ、君の力があればプロでもやっていけるぞ!」
「成長が楽しみだよ!」
ヒーローたちはまず爆豪へと駆け寄り、彼の奮闘を称えた。
「なぜ飛び出したんだ!」
「危険すぎるぞ、一歩間違えれば死んでいた」
「無謀と勇気をはき違えていけない」
だがもう一人の、デクに対しては厳しい言葉を投げかけていた。
この状況において、ヒーローたちの言い分は正しい。それは田中も認めるところだ。現に、爆豪にはすさまじい個性がある。話を聞けば彼はヴィランに取り込まれながらも個性を使い抗い続けていたという。
一方でデクには何の個性もない。ヴィランに対抗する能力も実力もないのに、がむしゃらに無計画に飛び出した。オールマイトがいなければ間違いなく死んでいただろう。
しかし、田中一郎という男は俗人である。気に食わないと思えば文句も言う。
「失礼な奴だな君たちは!」
なので、田中はヒーローたちに物怖じせず怒鳴った。
当然だがヒーローたちは田中が何を言っているのかわからなかっただろう。
「えぇ、そうだろう。わしのかわいい生徒を見殺しにしかけたくせによくも偉そうなことを言ってくれるものだ! 緑谷君が勇気を振り絞って向かっていた時、君たちは何をしていたのかね! えぇ、口ではヒーローだのなんだの言いながら相性が悪いだの、それは自分の仕事ではないだのと言い訳をしおって!」
「先生、いいんですよ! だって、ヒーローたちの言ってることは本当だし、僕はただ迷惑をかけただけで、何もできてないし、オールマイトがいなきゃ本当に危なくて……」
「君は黙っていなさい! これはね、責任ある大人だからこそ言っているのだよ! もしもオールマイトがいなければ、君たちはどうしてくれたというのかね。わしの生徒を見殺しにして、仕方がなかったというつもりかね!」
全くの言いがかりであることはこの場の誰もが感じていたことだった。
かくいう田中すらもそのことを理解している。しかし、ヒーローたちは言い返せない。田中の言葉は言いがかりなうえに、何様のつもりなのだと思うが、言葉の内容はまさしくその通りであったからだ。
ヒーローという存在である以上、たとえ敵がなんであれ市民を守る。それはヒーローの原則……いや、明文化されていないだけで本来であれば持ち合わせないといけない心構えの一つだ。
きれいごとではあるが、それはヒーローにとって大切であることを彼らは知っている。ゆえにヒーローになったし、なれた。
だが、確かにあの場面において、田中の言う通り、彼らは手をこまねいていた。それは敵との相性があったのもある。人質がいたということもある。
しかし、助けられていないという事実を正当化する理由にはなっていなかった。
ゆえに、時として無責任な言葉は英雄に突き刺さる。
「そのような気持ちでヒーローを名乗るなどとはな! 全く、わしの知るあの男ならば……あぁ、まぁ、これはいいか。とにかくですな、あーつまり、わしの生徒をあまり、悪く言わんでやってほしいのです」
言いたいことだけを言うと、田中はデクと爆豪に二、三の言葉をかけてその場を後にしていく。
車に戻ると、彼は満面の笑みを浮かべていた。
「いやぁ、言いたいことをいえてすっきりしたよ。今日はステーキでも食べたい気分だな、えぇ? 君もどうかね? あぁ、君は食事はとれないんだったか? うん、肉は嫌いかね、魚か? あぁそれとも……虫かね?」
ばんばんと後部座席から運転主席をたたく田中。
「うん? どうなんだね、カメレオン君?」
田中にカメレオンと呼ばれた運転手は……頷きもせず、ただ車を走らせる。
その瞬間、人間の顔が崩れかけたのを田中はバックミラー越しに確認していた。
そして笑みを浮かべた。
「そうかそうか、イナゴを食おうじゃないか。わしはイナゴにはうるさいぞ、ところでイナゴを出す店なんぞあるのかね」