田中一郎の自宅は閑静な住宅街にある。一軒家であり、庭付き、二階建てでテラスもある。そこで、彼は愛する妻と娘と共に暮らしているというわけである。
駐車場に車を止めて、田中は大きな声で「ただいま!」と言った。
いつの間にか、運転手の男は消えていた。その姿はどこにもない。
「うむ?」
だが田中はそんなことよりも愛する妻と娘の声がないことに首を傾げた。
いつもなら笑顔で自分を迎えてくれるはずの家族なのに。
「おかしいね。おーい」
田中は靴を脱いで、どたどたと自宅に上がり込む。その時点で彼は異変を察知していた。誰かがいる。それは妻と娘ではない。田中はむっとした表情を浮かべながら、ずんずんとリビングへと通ずる扉を開け放つ。
「誰かね! 私の家に勝手に……むぐ!」
その瞬間、田中は何者かに口を塞がれ、両腕を布状のもので縛り上げられてしまった。そして乱暴に蹴飛ばされると、床に顔を殴打する。
一瞬顔をゆがめて、視線をおこすと薄暗いリビングの様子がある程度把握できた。
自分のすぐそばには妻と娘が転がっていた。バラバラな残骸となって。
「なんてことを! 貴様ら、ひどいことをする! 高かったのだぞ!」
田中の妻と娘の頭は張り付けたような笑みを浮かべていたが、彼女たちの体からは血の一滴も流れない。なぜなら、彼女たちは……ロボットだから。
「よく言う……こんな気色の悪いおもちゃで家族ごっこしているような男が」
薄暗いリビングの、さらに陰の強い場所にいたせいか、田中はその声の主を一瞬見落としていた。
しかし、いざ存在を認識すると、その奇妙な風貌がいやでも視界に入る。顔面を手の形をしたマスクで覆った奇怪な男だった。彼の周囲には無数の部下らしきものたちが控えていたが、田中はそんな有象無象よりも目の前の男に注目した。
男は指の隙間から見えるひどく淀んだ目で、田中を見下ろし、彼のもとへと歩み寄る。途中、進行方向に転がっていた田中の妻の頭を蹴飛ばし、しゃがみ込みながら田中を覗き込んだ。
「ふん、どこのチンピラ……いや、今の世はヴィランか……わしを相手によくもこのような人数できたものだ。自慢ではないが、わしは弱いぞ。殴られれば死ぬ。だができれば死にたくない。何をすればいい。金なら有り金すべて持って行っても構わんぞ。君たちの事も黙っていようじゃないか。一応ヒーローには通報させてもらうが……」
「ちょっと黙ってろ」
男は田中のしゃべり方がイラつくのか、バリバリと首筋をかきむしる。
そして乱暴に田中の胸倉をつかみ上げた。すると、田中のスーツがぼろぼろと崩れていく。
「ふん、超能力……いや、個性か」
掴みかかられても、田中は息苦しさで顔を赤くするだけで平然と言い放つ。
「なんとも薄気味の悪い力だ。その手でわしをどうするつもりかね。え? 無抵抗の男をその手でなぶり殺しにするつもりかね。それは大層気持ちがよいだろうとも。力のない相手を強い力でいたぶるのは確かに胸がすくような……」
「黙れ」
男は明らかないらだちを見せ、田中の首を握りしめる。だが、器用に人差し指だけは田中の首に触れないようにしていた。
気道を圧迫され、田中の顔から血の気が失せていく。それでも、最低限の呼吸は確保できるようで、田中はうめき声を上げながらもなんとか意識を保つことができた。
田中は男の目を見る。手のようなマスク、その指の隙間から見える充血したような目を見て、田中は……笑った。
「チッ……」
刹那、男は羽虫でも払うかのように、虚空に左腕をふるう。素早く、しなやかに、まるで鞭のように走る左腕が虚空の中にいた、何かを叩いた。
その一連の行動を見て、男の仲間たちはぽかんと口を開けていたが、彼がなぜそのような行動をとったのかはすぐに分かった。
どさりと音を立てて、男の足元に全身緑色の異様にやせ細った男が崩れる。その頭部はカメレオンそのもので、突起した両目がぐるぐると周囲を見渡しているのがわかる。だが、先ほどの一撃を受けたせいか、それとも極端に耐久力がないのか、カメレオン男は動こうともしなかった。
「ハァ……カメレオンの個性か? 体表を周囲に溶け込ませるってわけか。ふん、ボディーガードにはちょうどいいわけだ」
男は気だるげに、カメレオン男をにらんだがもう脅威ではないと判断したのか、カメレオン男の捕縛を部下に指示すると、再び田中へと視線を向ける。
田中は、笑っていた。
「何が……そんなにおかしい? 貴様を助けてくれるボディーガードはこのざまだぞ?」
「いや、なに、お見事お見事。彼の奇襲をこうもたやすく見抜くとは、個性だけではないな君。実戦慣れしている。纏う雰囲気が違うよ。周りの、無能たちは全然違う。君は、どうやら本物のようだね。いや結構、わしもこの空気を感じるのは久々だ。しかし、君はまだ若いと見える。こんなことをしてちゃいかん。きちんと社会に戻って」
「そのおしゃべりな口はどうやったら閉じれる? 喉を潰せばいいか? それとも口を縫い合わせるか?」
「君にそれができるのかな?」
「なに?」
「君は、他人を殺すとなれば殺すだろう。それも容赦なく、なんの憂いもなく、ばっさりと殺すタイプとみた。なのに、わしを今なお殺さないということはなにか理由があるというわけだ。そもそもわしの家にこうして忍び込んでいる時点でな。で、わしに何かようかね。どうせ、わしの家も調べたのだろう? わしはしがない教師だ。君たちが求めそうなものはないし、金もそんなにない。何を求める。快楽殺人ではないのだろう? うん?」
「ハァ……先生の頼みじゃなきゃ、今この場でテメェを粉々にしてるところだ。おい、黒霧!」
男はいら立ちを抑えるように、首をかきむしり、仲間の一人を呼び寄せる。
すると二人の周囲の真っ黒なもやがかかり、それが徐々に人の形を成していく。
鎧を着た、黒い霧。黒霧と呼ばれた怪人がそこにいた。
「あまり、ひやひやさせないでほしいですな、死柄木弔」
紳士然とした口調で黒霧がススッと男、死柄木と田中のそばまで寄ってくる。
「ほう、ワープかね。いいねぇ、SFもわしは好きだよ」
「お褒めにあずかり光栄ですな。私の名は黒霧、今あなたの首を絞めているのが死柄木弔」
「これはご丁寧に。かつてのわしであれば名刺を渡しているところだが、あいにくと今はただの中学校教師でしてね。あぁ、失敬、名乗り遅れましたな。わし、いえ、私は田中一郎と申します……お、おい、なぜ首をさらに強く絞めるのかね!」
「死柄木」
黒霧に指摘され、死柄木はほんの少しだけ首を絞める力を弱めた。
「チッ……ハァ……おい、親父。お前の事はそれなりに調べさせてもらった。だが……お前の情報は全て嘘っぱちだ」
「ほう?」
田中はどこか満足気に笑う。
「生年月日、出生地、病院、故郷、ついでに学歴もすべて、嘘。巧妙に隠されている。役所連中じゃあまず見抜けない精巧さだった。挙句に、この人形を使った家族ごっこ……調べれば調べるほど、お前という男が分からなくなる。先生もそれを見越しての事なんだろうが……お前、何者だ。ただの中学校の先生様が、こう何もかも嘘ってのは、おかしいよなぁ?」
「はっはっは! よくぞ調べた。他人のプライベートをこそこそと。さて、わしが何者なのか? それは先ほど言った通りだ。わしは田中一郎だよ。正真正銘、親からもらった愛すべき名前さ。かつては二郎とかいう弟もいたがね、わしより先にぽっくり行ったよ。あいつはそう簡単にくたばるとは思ってなかったがあっさりだ。まぁ人間というのはそういうものだから仕方ないのだが」
田中はあくまでも質問を煙に巻くつもりだった。
そんなことをすれば相手をイラつかせ、ケガの一つでは済まないことぐらいは田中もわかっているというのにだ。
事実、死柄木の目はぐるぐると痙攣でもしているかのようにうごめき、ワキワキと指に力が入っている。それをなだめるのは黒霧だったが、果たしてそれがいつまで続くのかはわからない。
いつ殺されてもおかしくない状況にあって、田中はまだ笑っていた。
「あははは! いやだがこの状況ではふざけ続けるのも怖いものだな。わしはまだ死にたくないし、殺されたくない。ではそうだな、ひとつ昔話をしようじゃないか」
ググっと自分の首を絞める指に力が入る。
「死柄木、こらえなさい。先生も言っていたでしょう。この手の男は、何をやっても止まらないと」
「ハァ……イラつく」
「いかんぞ、ストレスはいかん。それによく見れば顔色も肌の色も悪い。どうかね、朝のジョギングなどをしてみては。それか温泉だな。最近よい場所を見つけたのだが」
「話を続けろ、お前は、誰だ。なぜ先生はお前を、連れて来いといったのかが俺は知りたい。先生は無駄なことをしない、させない。そこには意味がある。貴様は、誰だ」
「……ふん、冗談の通じない若者だな。まぁ良いだろう。ならば名乗ろうではないか。わしは……かつて『大使』と呼ばれていた」
田中は……否、大使は大きく口を開けて笑いながら名乗った。
「栄光の、ショッカー日本支部幹部。コードネームは『大使』。それがわしだよ。かつてのな」
大使は表情を殺した顔で、言い放つ。
「手を放してもらおうか、新人類。わしは、貴様らがどうにも好きになれんのでな」