マシリアに不合格を言い渡された次の日、俺とギャレ、クリスは聖界ファバーナの草原地帯に呼び出された。
果てしなく続く平地が緑一色に染まる。山から吹き込む風が草花を踊らせているようだ。
「風が気持ちいいわね」
クリスは風を体全体で受けているが心地よいというようなもんじゃない。正直目を開けるのもままならないぐらい強い風だ。
「ハッ、ハッ、ハックショーン!!」
ギャレの豪快なくしゃみに草花が首をもたげる。花粉症持ちには辛い場所だ。花が視界に入るだけでも苦痛なんだろうなきっと。
「三人とも、よくここまで走ってこれたな。まあ、水でも飲んで鋭気を養ってくれ」
確かにかなり走らされた。朝食を取ったばかりの走り込みは腹にくる。クリスティナは平気そうだったが日頃からバカ食いするギャレは顔を青白くしていた。途中で歩くこともできなくなったギャレを俺とクリスが支えてなんとかここまで来れたんだ。恐らくこれも訓練の一環なんだろう。
俺はマシリアから水を貰おうと手を伸ばした。
「トムは汗があまり出ていないから必要ないだろう」
「はあ!?」
そして水を奪われ事情を説明しようとしたがクリスも同じ目にあうと思ったので我慢する。
「クリス、ギャレに飲ませてやれ」
「は、はい」
マシリアはクリスに水の入ったボトルを二本渡す。理不尽だ。あまりにも理不尽だ。俺だって喉が渇いているのに酷い仕打ちだ。
文句を言おうと思ったが唇を動かすだけで僅かな隙間から風が入ってくる。あっという間に喉が渇いてしまった。
これも訓練か……。
「言ってなかったが今日から実戦だ」
「実戦ってことはただの草原に悪意の思念体がいるのか?」
クリスが不安そうな顔をしている。だが、ギャレの看病でそれどころではない。
「今から行う任務は草原に溶け込む思念体の討伐だ。ここに潜む悪意は草原の先にある農村の作物に甚大な被害を及ぼしている。迅速に処理せよとの命令だ」
「思念体は無色透明だから背景に溶け込んだ悪意を炙り出さなきゃいけないのか……」
「そんな不安な顔をするな。私も不安なんだ」
「でもクリスもギャレの看病で離れることはできない。俺とマシリアだけでどうにかしないといけないよな」
「軍の命令では遭遇した悪意のみ討伐すれば良いとのことだ。私が視認した悪意は三体。その内二体は付近まで迫っている」
「三体もいるのか……」
「君は一体討ち取ってくれればいい。あとは任せてくれ」
マシリアは颯爽と草原を斬り払っていく。華麗な身のこなしに精錬された手際の良さ。思念体そっちのけで魅とれてしまいそうになってしまった。
「とりあえず剣を抜くか」
『リアデルハイト』の証である
「剣の重さは実戦で慣れていくしかない」
思念体の居場所を突き止めなければ剣を振るう意味はないに等しい。かといって相手の出方を伺っていたらクリスとギャレを危険にさらすことになる。
「トム、考え込んでいる時間はないぞ!」
離れた場所から檄が飛んできた。マシリアは必死の形相で見えない敵を追っている。強風がソルダに当たり重石になっているんだ。相当腕に負荷がかかっているに違いない。
「風?そうか!これを使えば――」
見えない敵には色をつければいい。だが、闇雲に色をつければ言い訳じゃない。一目で判別できるように瞬時に識別できる色じゃなきゃダメだ。
「
俺は自分のソルダに術をかけた。見た目は何も変わっていない。
「どうするつもりなの?」
クリスが細い目で問いかけてきた。
「絵の具を飛ばす」
「絵の具?」
俺は目一杯、青い空を斬るように剣を振り回した。黄色い雨が草原一帯に降り注ぐ。風に乗った絵の具が俺たちにも降りかかった。
草花が黄色い斑点に色付けされた。
「見えた!」
約十メートル先を横切る黄色い斑点のついた思念体が見えた。俺は一気に距離を詰め剣を振り上げる。ところが強風で剣先が靡いてしまった。俺はよろめき泥濘に足を取られる。体勢を整えようと立ち上がった瞬間、腹部を痛みが走った。
「ヴッ……!?」
蹴り飛ばされたような痛みに腹部を抑えていると敵意を感じ黄色い斑点を目で追う。だが気づいたときには既に目前まで迫っていた。
振り払おうとするが手の中にソルダがない。探すがどこにもない。
「これを使うしか――」
俺が悪意の思念体を呼び出そうとした時だった。
「でやーッ!」
ギャレの雄叫び共にソルダを一閃。思念体は湯気が上がるように消えた。
「ギャレ、助かった」
「良かったぜ、足手まといにならなくてな」
「なあ、クリスはどうした?」
「あっ!?」
ギャレの顔色は再び青くなった。俺はクリスの方を振り変える。血の気が引いた。もう一体の思念体がクリスの背後に迫っていた。俺たちは慌てて駆け出した。
間に合わない!
そう思った瞬間、マシリアが俺たちを追い越し目にも止まらぬ速さで空を切り裂いた。思念体は呻き声のようなものを上げ消滅した。
「クリス、目を開けろ。もう大丈夫だ」
「は、はい……ありがとうございます」
「まだもう一体いたはずだろ?」
「お前たちがモタモタしている間に討ち取った。かなり手間取ったが、とりあえず任務は完了だ」
安堵した俺とギャレは膝から崩れ落ちてしまった。
俺はすかさず失念していたソルダを探す。すると腕に圧迫感を覚え身震いしてしまった。振り返ることができない。悪意の思念体はもういないはず。
なのになんでこんな汗が止まらないんだ?
「答えろ、トム。君は仲間を見捨てようとしたのか?」
「どういうことだよ、トムスケ!」
「そんな訳ないだろ!」
「ならば答えろ。君がどうやって悪意を討とうとしたかを」
「そ、それは悪意に色をつけて――」
「その後のことを聞いているんだ!」
「俺は……俺は悪意の思念体を呼び出して足止めしようとして」
「その間にソルダを探すつもりだったんだな?」
「これしかないと思ったんだ。この方法ならいけるって――」
「その程度の浅はかな考えで仲間の命を危険にさらすのか?」
「……」
「悪意の思念体を呼び出すには条件があったな?クリスティナ、答えてみろ」
「術者は呼び出した悪意の思念体に決して背中を見せてはならない」
「背中を見せるとどうなるんだ?」
「背中を見せた術者は心を貪り尽くされ肉体ごと乗っ取られてしまうの」
「知らなかったではすまされない。例え時間を稼げたしてもソルダが見つかる根拠はない。それに万が一君が肉体を乗っ取られた場合、私は君を斬らなければならなくなる。君は自分の命を簡単に投げ出すことに躊躇いはないのかもしれないが、私は君を斬ることに躊躇いを感じる弱い生き物なんだ」
「ああ……ごめん」
「何故私を呼ばない?何故助けを求めない?君の安易な行動で仲間を道連れにする可能性だってあったんだ。目先の利益に囚われるな。目の前にある命を優先しろ」
「……」
「陽が暮れてしまったな。そろそろ帰るぞ。完了報告もしなければいけない」
「マシリア班長、まだしなきゃいけないことがありますよ」
クリスが打ちのめされた俺を見ている。励ましくれるんだろうか?いや、期待はしないでおこう。
「なんだクリスティナ?夕飯なら三人でしてくれないか?私にまだ仕事が残っているんだ」
「違いますよ。制服が絵の具で汚れてしまったのでトムにクリーニング代を請求したいなぁって」
「そうだな。今回の不始末はクリーニング代でチャラにするとしよう。異議はあるか?」
「いえ……ございません」
ダメ押しされた俺に反論する気力は残っていなかった。この日以来、黄色を見るだけで吐き気に襲われるようになる。
クリーニング代っていくらするんだろう……?