サクラゼンセン   作:雨魂

1 / 24
第一章
桜色の出会い


 

 

 

 

 Prologue/

 

 

 

「知ってる? この木は十年桜って言って、『ここでまた会う約束をした人たちは、十年後に再会できる』っていう言い伝えがあるんだって」

 

 

 桜の下。少女は優しく微笑みながら、そう言った。

 

 

「だから約束。いつかまた、必ず()()で会おうね」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 The story begins/

 

 

 

 

 

 

 春うらら。荒川の河川敷に植えられた大きな桜の下。そこに響くのは、アコースティックギターの音色と、桜の枝を止まり木とする鶯たちの声。

 

 その穏やかな一風景の中で、ひとつ深呼吸をする。

 

 温かさを思い出した季節の空気が肺に取り込まれ、身体に蟠っていた何かを、少しだけ浄化してくれる気がした。

 

 

「こんな感じ、かな」

 

 

 傍らに置いていた大学ノートに思いついた歌詞を記し、それからコードを奏で、そのメロディに乗せて、唄う。

 

 この歌が他者に、どのようにして聴かれているのかは分からない。それもそうだ。今は平日の真昼間。こんな時間に、桜の下でノスタルジックに溺れながら作曲をしている男なんて、きっと日本中を探しても俺ひとりしかいない。

 

 

「曲名は…………何にしよう」

 

 

 鉛筆の尻を顎に当て、独り言を呟く。素敵な春の景色を眺めていたら、意外とすんなり歌詞とそれに合うコード進行は浮かんできた。ならばタイトルも同じようにすぐ思いつく、と楽観的に考えていたのだが、そう上手く行かないのが世界の理。春は今年も俺にスパルタらしい。

 

 そうして頭を悩ませたまま、時はゆっくりと、しかし確かに前へ進んで行く。その事実を、少し離れた場所に流れる川が教え諭してくれているようだった。

 

 

「そうだ」

 

 

 川の流れを見つめていると、家を出てくる前にテレビに映るお天気キャスターが言っていた、ある言葉をふと思い出す。あれは、確か。

 

 

「あ、あのっ」

 

 

 そうして曲名が頭の水面に浮かび上がりそうになった時、誰かの声が聞こえてくる。

 

 顔を向けると、肩に浅葱色のトートバッグを掛けた一人の女の子が、桜の下に座る俺を見つめて立っていた。

 

 臙脂色の長い髪に、琥珀色の瞳。女の子にしては背が高く、水色の七分丈ジャケットとクリーム色のロングスカートから伸びる細い四肢の肌は、きっと雪でも驚くんじゃないかと思うほど白い。右のこめかみに付けられたパールのバレッタは、夏休みの朝に降る控え目な雨みたいに、彼女の純朴さを程よく引き立てていた。

 

 

 春の妖精。気配も無く、突如として俺の前に現れたその子は、この目に映した瞬間から、そんな表現をしたくなるほど儚げな容姿をしていた。

 

 数秒間、沈黙が落ちる。ただそれは、気まずさを生じさせる類の無音では無い。少ないボキャブラリで形容するならば、構成の中で敢えて音を失くす休符のように、曲を完成させるためには必要な静寂。そんな風に思えた。

 

 

「こんにちは」

 

 

 俺はそう言って、閑静を破る。すると声をかけて来た女の子は少し戸惑う仕草をしてから、口を開いた。

 

 

「その……今の歌」

 

「うん? ああ、聴いてたんだ」

 

 

 俺の言葉を聞いた女の子はこくりと頷く。

 

 

「ごめんなさい。素敵な歌声だったので、つい」

 

「はは、ありがと。お世辞でも嬉しいよ」

 

「お、お世辞なんかじゃありませんっ」

 

 

 女の子は強い口調でそう返してくれる。視線の先にあるのは、真剣な表情。それを見て、彼女が嘘を吐いているとは口が裂けても言えなかった。

 

 

「じゃあ、本当にありがとう」

 

「あ。いえ、それは私の方こそ」

 

「君は、何をしに来たの?」

 

 

 問いかけると、女の子は俺が凭れかかっている大きな桜の木を見上げる。

 

 

「桜を、スケッチに」

 

「へぇ、絵が描けるんだ」

 

「はい。あんまり上手じゃないですけど、少しだけ」

 

「そっか。邪魔だろうから、俺は移動した方がいいよね」

 

 

 気を遣ってそう言ったのだが、彼女は首を横に振った。

 

 

「邪魔じゃありません。むしろ、私こそ邪魔しちゃってごめんなさい」

 

「謝らなくていいよ。君みたいに可愛い子なら、いくら近くにいたって邪魔にはならない」

 

「──か、かわっ!?」

 

「あはは、冗談冗談」

 

「か、からかわないでくださいっ!」

 

「ごめんごめん」

 

「もう…………」

 

「あ、可愛いっていうのは冗談じゃないよ?」

 

「──────っ!」

 

 

 女の子は顔を赤くし、こちらを睨んでくる。こんな軽い冗談で必死な顔をされると、嗜虐心が擽られてしまう。純粋なのかな。それも見た目どおりだけど。

 

 

「それで、俺はここで歌ってていいのかな?」

 

「はい。声をかけてしまって、ごめんなさい」

 

「いいっていいって。良い絵が描けるように、頑張って」

 

 

 そう言うと、女の子は頷いてから踵を返す。

 

 その後ろ姿を見て、俺はさっき言われた言葉を胸の中で反芻する。それから一度、Gのコードを鳴らした。

 

 

「…………素敵な歌声、か」

 

 

 そんな風に誰かに褒められたのなんて、一体いつ以来だろう。すぐに思い出せないところからして、だいぶご無沙汰な気がする。それが嬉しくない、なんて事をもし閻魔様に言ったら、問答無用で地獄に送られてしまう。

 

 

「なら」

 

 

 ここからはもっと丁寧に歌おう。聴いているあの子が、少しでも良い桜の絵が描けるように。

 

 河川敷に春風が吹く。それは、頭上にある桜の葉と目線の先にいる桜色の女の子の髪を、そっと靡かせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それからまた作曲に集中し、一時間ほど経過した。

 

 こんな穏やかな小春日和の中にいるから、だろうか。いつもより良いアイデアが頭に浮かんでくる。さっきあの女の子が聴いてくれた曲も、あと少しで完成する。

 

 

「ふぅ」

 

 

 しばらくのあいだ夢中になっていた所為で、腹が減っていた事に気づかなかった。いい加減にしろ、というように腹の虫は鳴き、その事実を思い出させてくれる。

 

 抱え続けていたアコースティックギターを桜の幹に立て掛け、三月の空を見上げてながら欠伸をひとつ。涙で潤んだ視線の先には、一本の飛行機雲が伸びていた。

 

 おそらく時間は正午過ぎ。昼ご飯を持ってこなかったので、ここにいたままでは腹の虫を満足させてやれない。 

 

 そろそろ帰ろうと思い、離れた芝の上にレジャーシート広げてそこに座りながら、桜をスケッチしている女の子の方へと顔を向ける。彼女は真面目な表情で、手元にあるスケッチブックと向き合っていた。

 

 

「あ…………」

 

 

 邪魔をしないように黙ってその場を去ろうとしたのだが、絵を描いていた女の子が顔を上げてこちらを見た。

 

 視線が交わり、また春の静寂が訪れる。俺が作曲をやめたのが分かったのか、それとも彼女が自身のスケッチに区切りをつけようとしたのかは、分からない。

 

 女の子は俺を見て、何か思いつくような仕草をする。それからスケッチブックを閉じ、傍らに置いていた浅葱色のトートバッグを持って立ち上がった。

 

 そして、ゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる。

 

 

「あの、お昼ご飯は持ってきていますか?」

 

 

 桜の下に座る俺の前に立ち、女の子は訊ねて来た。

 

 

「ううん。この通り、ギター以外なにも持って無いよ」

 

 

 両手を横に拡げて何も持ってきていない事をアピールすると、彼女は安心するように微笑んだ。そして、肩に掛けていたトートバッグから茶色い長方形の箱を取り出す。

 

 

「じゃあ、一緒にサンドイッチを食べませんか?」

 

「いいの?」

 

「はい。作り過ぎちゃったので、一人じゃ食べ切れないんです。だから、どうぞ」

 

 

 彼女はそう言って、サンドバスケットの蓋を開け、そこに入ったサンドイッチを見せてくれる。確かに、女の子ひとりで食べるにしては少し量が多いかもしれない。

 

 ちょうど腹も減っていたし、せっかくこの子が誘ってくれたのだから、ここは素直に頷いておくのが道理だろう。

 

 

「なら、お言葉に甘えようかな」

 

「ぜひ。ああ、でもお口に合わなかったらごめんなさい」

 

「それは大丈夫。俺はなんでも食べられるから」

 

「嫌いなものが無いんですか?」

 

「まぁね。隣、座る?」

 

 

 何気なくそう言い、桜の下のスペースを空ける。女の子は、少々ぎこちない様子で頷いてくれた。

 

 

「は、はい。ありがとう、ございます」

 

 

 彼女が左隣に腰掛けると、そよ風に乗って甘い香りがした。それが彼女の香水の匂いだと脳が認識した時、心臓がほんの少しだけ鼓動の速度を早めた。

 

 春の妖精。この言葉が、脳裏に浮かび上がってくる。

 

 

「では、どうぞ」

 

「ありがとう。じゃ、いただきます」

 

 

 バスケットの中に入ったサンドイッチをひとつ手渡され、そう言ってから一口食べる。

 

 彼女がくれたのは、玉子サンド。ほんのり甘めで、好みの味付けだった。

 

 

「うん、美味しいよ」

 

「本当ですか? 建前じゃありませんか?」

 

「はは、心配性なんだね」

 

「……男の人に料理を食べてもらうのなんて、初めてだから」

 

 

 桜色の女の子は視線を斜め下に向け、そう返して来る。

 

 

「そっか。じゃあ本音を言ってあげる」

 

「は、はいっ」

 

 

 そう前置きを置くと、女の子はシャキっと背筋を伸ばし、緊張した面持ちでこちらを見て来た。

 

 その純粋さを心の中で笑いながら、俺は口を開く。

 

 

「もし、俺が治らない病気に罹ったとして、寿命が尽きる直前にこれを食べられたなら、きっと笑って死んでいけると思う。それくらい美味しいよ」

 

 

 二流の純文作家の散文のような表現でこの玉子サンドの美味しさを形容してみる。隣に座る桜色の女の子はよく分からない、というような表情を浮かべていた。

 

 

「それは、褒めてるんですか?」

 

「もちろん。もうこれ以上ない、ってくらいに」

 

 

 素直にそう言うと、目に映る顔は再び笑顔に変わる。

 

 

「ふふ。そんな風に褒められたの、生まれて初めてです」

 

「やった。じゃあ俺は君の初めての人なんだね」

 

「そ、そうですけど。その言い方は、ちょっと……」

 

 

 俺の冗談に、桜色の女の子はまたもやピュアな反応を返してくれる。なかなかからかい甲斐があるな、この子。

 

 そうして穏やかな春の空気の中。俺たちは話をしながら、そのサンドイッチを食べ進める。

 

 俺は、この子と今日初めて会った。それは間違いない。なのに、話をしていると何故かそう思えなかった。懐かしい感じ、とでも言えばいいのか。そんな感覚が心に芽生えているのを、無視するわけにはいかなかった。

 

 

「そういえば、さ」

 

「はい?」

 

「桜の絵は描けたのかな?」

 

 

 両手でサンドイッチを持ち、二等辺三角形の頂角を小さな口で食べている女の子に問いかける。どうでもいいけど、食べ方が女の子っぽくてとても可愛らしい。

 

 桜色の女の子はこくりと頷き、サンドイッチを飲み込んでから答えてくれる。

 

 

「おかげさまで、いつもより上手に描けました」

 

「それならよかった。ほんとは邪魔になってるんじゃないかと思って、心配してたんだけど」

 

「いいえ。上手く描けたのは、きっとあなたの歌を聴いていたからです」

 

「はは。そんなに褒めると、嬉しくてうっかり何かしちゃうかもよ?」

 

「な、何をするんですか?」

 

 

 ひしっと身体を隠すように両手で抱く桜色の女の子。しかし残念ながら、俺にはこんな可愛らしい女の子に何かをできるほどの甲斐性は存在しない。

 

 

「嘘だよ。言葉の綾ってやつ」」

 

 

 桜色の女の子は頬を膨らませる。その表情も俺の悪戯心の脇腹を擽っている事を、彼女は知らないんだろう。

 

 

「良かったら見せてくれないかな、その絵」

 

 

 それを見たくない、と言うのはきっと、空腹時に目の前の大好物を食べたくない、と嘯く事と同義。

 

 俺の言葉を聞いて、桜色の女の子はトートバッグの中に入っているスケッチブックを取り出し、あるページを開いてそれをこちらに差し出してくれた。

 

 

「…………」

 

「プロの人と比べたら下手かも知れないけど、私にとってはここ最近で一番の絵が描けました」

 

 

 女の子は、絵を眺める俺に向かって言う。謙遜が含まれたその言葉。だけど、それすら虚言に聞こえてしまうほどに、この目が映しているモノクロの絵は綺麗だった。

 

 そこに描かれていたのはやっぱり、俺たちが寄りかかるこの大きな桜の木が中心にある風景画。

 

 だけど、その一部分にはそこに入らなくてもいいはずの登場人物が描かれている。

 

 

「これって、俺かな?」

 

 

 大輪の桜の下で、ギターを抱えている一人の男。それが自分である事に気づくまで、長い時間は要らなかった。

 

 問い掛けると、桜色の女の子は少しだけ申し訳なさそうな顔をして、こちらを見つめてくる。

 

 

「ごめんなさい。どうしても、歌っているあなたの姿をこの絵の中に入れたかったんです」

 

 

 少しの間を空けて、彼女は続ける。

 

 

「綺麗な春の中に、あなたが自然に溶けていたから」

 

 

 そして、困ったような表情を浮かべたまま微笑んでくれた。それが褒め言葉なのかどうかは、玉虫色。だから、俺がここで言うべき言葉はこれしかないと思った。

 

 

「そっか。ありがと」

 

 

 三月に咲くの桜のように、あまりにもありきたりな感謝。けど、この言葉以上に感情を上手く表現できる気がしなかった。だから、これでいい。

 

 俺の言葉を聞き、スケッチブックを返された桜色の女の子は、数秒間そこに描かれた絵を見つめてから何かを閃くような顔をした。

 

 

「そうだ」

 

「?」

 

 

 そう言ってトートバッグの中から一本の鉛筆を取り出し、絵に何かを書き加える。

 

 そうして、桜の絵が描かれたページをスケッチブックから外し、それを俺の方へと差し出してきた。

 

 

「よかったらこの絵、あなたにあげます」

 

「いいの?」

 

「はい。素敵な歌を聴かせてもらったお返し、です」

 

 

 桜色の女の子は笑顔を浮かべる。そう言われて、断るなんて俺にはできやしなかった。

 

 そのページを受け取り、もう一度絵を眺める。すると、右下にさっきは書かれてなかった文字を見つけた。

 

 

「桜内、梨子」

 

「それが、私の名前です」

 

 

 遅れた自己紹介をする桜色の女の子、もとい桜内梨子さん。見た瞬間、ペンネームなのかと思ったけれど、彼女の言い方からして、たぶんこれが本名なんだろう。

 

 やっぱりこの子は、俺の前に突然現れた春の妖精。そう思い込まないと、彼女の存在を受け入れられなかった。

 

 

「これは、この絵の名前?」

 

 

 桜内さんはこくりと頷き、そうだと教えてくれる。

 

 それは奇しくも、俺が作っていた歌の名前と同じで、少しだけ笑ってしまった。こんな偶然もあるのか、と。

 

 サンドイッチをご馳走になって、嬉しい事を言われて、自分が描かれた絵をもらった。ならば、何かを返さなければならない、と思うのが人間の心情ってやつだろう。

 

 でも、俺には彼女のように形になる何かが描けるわけじゃない。金があるわけでもない。だったら、この瞬間にしか与えられない何かを、彼女にあげるしかない。

 

 

「桜内さん」

 

「はい?」

 

「お礼、させてくれないかな」

 

 

 そう言って、俺は桜に立て掛けていたアコースティックギターを手に取る。それを見て、隣に座る桜内さんも俺が何をするのかに気づいてくれたらしい。

 

 

「はい。ぜひ、聴かせてください」

 

「うん。じゃあ、心を込めて」

 

 

 この歌は、この桜色の女の子だけに向けて歌う。彼女が描いた、素敵な桜の絵と同じタイトルの歌を。

 

 河川敷に春風が吹く。芳しい花のような香り。それは薄紅色の花びらと共に北へと運ばれて行く。

 

 

 

 日本列島におけるソメイヨシノの開花日の等期日線。その花が同時に開花する場所はこの線上に分布し、おおよそ南から北へと進行するという。

 

 その花の開花日を地図上で一本の線で結んだ言葉を、俺と彼女はそれぞれの作品に名付けた。

 

 

 

 

 

「聴いてください。曲名は────」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 But if it won’t bloom(それが咲かないのならば),

 

 I’ll take this song as a parting gift(私はこの歌をはなむけとし).

 

 A faint prayer that allows me to reel(結んだ糸をそっと手繰り寄せるための)

 

 in each thread connecting (淡い祈りを)

 

 the birds the wind the moon(鳥に 風に 月に).

 

 

 To the far-off place where you remain(今も 遠き 君に).

 

 

 

 

 ────Song, Birds, Wind, and Moon

 

 

 

 

 

 

 ────────サクラゼンセン────────

 

 

 




次話/再会
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。