第九話/元スクールアイドル
◇
写真美術館を出た後、真姫さんは次に俺たちを昼食に連れて行ってくれた。恵比寿駅の近くにある、外観からして超高級そうなフレンチのお店。ランチなのになんで一人五千円某も払わなければならないんだろう、と思ってしまったのはきっと、俺が庶民の感覚をしっかり持っているから。そう自分に言い聞かせながら、生まれて初めて目にしたフォアグラやエスカルゴを食した。
ちなみにお代は全部真姫さんの奢り。今日は桜内さんがいるから、金持ちの本気を見せつけているのかもしれない。俺と飯に行く時は凛さんの店のラーメンくらいしか奢ってくれないくせに。
そのお洒落な昼食の後、真姫さんは再び電車に乗るよう俺たちに告げた。どうやらまたどこかへ連れて行ってくれるらしい。朝の宣言通り、今日の費用は真姫さん持ちみたいだし、断る理由も無いので黙ってついて行く事を選択。桜内さんも申し訳なさそうな顔を浮かべながらも、素直に真姫さんの後を歩いていた。
「真姫さん。秋葉で降りて今度は何するんですか?」
俺たちが次に降りたのは、サブカルチャーの聖地・秋葉原。なんというか、そういうオタクの文化にはめっぽう疎いので、ここに来るのはなんとなく敬遠していた。事実、上京してから今日はじめて足を踏み入れた。うお、すげぇ。本物のメイドさんがいる。
「また見せたいものがあるのよ。ま、今度のはあんたは何回も見た事あるでしょうけど」
「? 俺は見た事あるんですか?」
「そうよ。今日は梨子に見せるために来たの。あたしの自己紹介も兼ねてね」
平日の日中だというのに大勢の人で賑わっている中通りを進みながらそう訊ねると、そんな答えが帰ってくる。そういえば、真姫さんの実家は外神田とか言ってたっけな。それと関係あるのかは分からないが。
「桜内さんの大学は秋葉にあるんだよね」
「はい。小・中・高・大、全部秋葉の学校に通ってます。高校だけ卒業したのは別の学校ですけど」
「へぇ、そりゃすごい。じゃあ静岡に引っ越す前はどこの高校に通ってたの?」
「………………」
「桜内さん?」
「え? あっ──ご、ごめんなさい。それは、えっと……」
俺の質問を聞いた途端、妙な反応をする桜内さん。何か答えられない理由でもあるのだろうか。そして、何故か彼女の目は前を歩く真姫さんの方へと向けられていた。
「大丈夫よ梨子。こいつ、本当に何も知らないから、答えたって気づきはしないわ」
すると真姫さんは、桜内さんの方を見てもいないのにそう言った。まるで、彼女が何を気にしているのかすべて把握している、というような口ぶりで。
桜内さんは真姫さんの言葉を聞き、疑り深そうな顔で俺の顔を見上げてから、その小さな口を開く。
「…………私の母校は、音ノ木坂学院高校といいます」
そして、ある方向へ視線を向け、桜内さんは続ける。
「その高校は私が入学する前、廃校の危機にあったんです。でも、ある人たちの努力のおかげで音ノ木坂は救われたんです。……その人たちがいなければ、きっと」
桜内さんはそこで言葉を止め、前を歩く真姫さんの方へと再び目を向ける。それから口元に笑みを浮かべた。
「きっと、私はここにいられなかったと思います。だから、その人たちには感謝をしてもし切ないんです」
「そうなんだ。凄い先輩たちがいたんだね」
「はい。……でも、本当に知らないんですね、一之瀬さん」
「そんなに有名な話なの?」
「たぶん、私たちと同年代で知らない人は、この日本でも指で数えられるくらいしか居ないと思います」
「マジか。じゃあ真姫さんは知ってるんですか?」
「…………」
「おーい、真姫さーん。聞いてますー?」
桜内さんの言葉が本当なのか確かめるために訊いてみようとしたのに、真姫さんは何も答えてくれない。と思ったら不意に足を止めて、こちらを振り返った。
「う、うるさいわよ……ばか」
「? なんで照れてんすか?」
「て、照れてなんかないわよっ。いいから黙って歩きなさいっ」
ふん、と鼻を鳴らして顔を逸らすように前を向く真姫さん。口ではそう言ったものの、やっぱり後ろから見える耳が赤くなってる。真姫さんの照れてる顔なんて、普段はあまり見られるものじゃない。
でも、なんでこの話の流れで急に照れたんだろう。俺にはよく分からん。
「ふふ。一之瀬さんも、いつか分かる時が来ればいいですね」
「えー。いつかじゃなくていま教えてよ」
「そ、それはダメです。私たちのプライバシーにかかわるので」
「じゃあ真姫さんに訊こ。真姫さん、教えてください」
「うっさいバカ!」
「辛辣ぅ!?」
訳を知っているであろう二人に訊いたらそれぞれのやり方で突っ撥ねられた。真姫さんにあってはマジで理不尽極まりない。俺が何をしたっていうんだ。
そうして二人にしつこく訊ねながら秋葉原の中通りを進んで行くと、ある店の前に長い行列ができているのが目に入った。
歩きながら遠巻きに眺めていると、店の奥からメガホンを持った店員が現れ、その行列に向かって大声で何かを言い始めた。
「それではこれからμ'sラストライブin秋葉ドームの完全限定版Blu-rayと、Aqoursの完全密着ドキュメンタリー付きライブBlu-rayボックスの発売を開始しまーすっ!」
「「──────ッ!!!???」」
店員の叫びに呼応するように、歓喜のシャウトを響かせる行列に並んでいる集団。よく見ると、なんか泣いてる奴らもいる。そんなにヤバい事なのか?
「…………ラブ、ライブ?」
その店の看板にはどデカい文字でそう書いてある。聞いた事はあるけど、どういうものなのかは知らない。そしてどうやらそこは、スクールアイドルというジャンルを専門とするショップだったらしい。
「ねぇ、あれって────」
ちょっと気になったので訊ねようとした瞬間、女性二人組は俺の腕を片方ずつがっちり掴み、それと同時にどこかへ向かって走り出した。なんだなんだ。
「ちょっ、急にどうしたんだよ二人とも!」
意味が分からず問いかけても、二人は前を向いたまま無言で走り続けている。
なんというか彼女たちの行動は、どうしても見せたくないものから俺を無理やり遠ざけているように思えた。
その理由はもちろん、謎のままだけれど。
次話/あれが、西木野真姫