第十話/あれが、西木野真姫
◇
そうしてなんやかんやありながらも、俺たちは真姫さんが連れて行こうとしていた目的地に到着する。そこに入ったと同時に、俺は真姫さんの言葉の意味を理解した。ここに来た事は無いけれど、他の場所なら何度もある。客席のみならず、ステージの上にも。
「一之瀬さん。西木野さんはどこへ行ったんですか?」
「ああ、さっきも言ってたよね。真姫さん、桜内さんに自己紹介をするって。多分、その準備じゃないかな」
「? こんな所で自己紹介をするんですか?」
「そ。あの人あんまり話をするのが上手じゃないから、言葉じゃないもので挨拶をしたがるんだよ。俺と会った時もそうだったし」
「?」
俺の言葉の意味が分からないのか、桜内さんは首を傾げて不思議そうな顔をしていた。無理もない。こんな所に急に連れて来られて、今から自己紹介をされる、なんて予告をされたら誰だって混乱する。
俺たちがいるのは、秋葉の片隅にあるライブハウス。狭いし観客こそ少ないが、悪くない雰囲気の箱だった。ステージを見ていると、そこに立って歌いたくなってくる。
真姫さんはこのライブハウスに着くなり、俺と桜内さんを置いてどこかへ消えた。訳が分かっていなければ二人とも途方に暮れていただろうけど、俺にはその意味がちゃんと分かっているから何も問題ない。
「桜内さんはこういう所に来るの初めて?」
「初めて、ではないです」
「じゃあきっと、真姫さんがなんで詳しく説明しなかったのか。その理由がよく分かると思うよ」
俺がそう言った直後、ステージ上に設置されたスピーカーから爆音のSEが流れ始める。桜内さんは何かを言いかけていたけれど、それもすぐに掻き消された。
『今日は梨子に見せるために来たの。あたしの自己紹介も兼ねてね』
初対面の人間に自己紹介をする時は、誰もが真っ先に『言葉』というツールを使いたがる。それは言葉を使う以外に、自分という人間がどんな人間なのかを、俺たちは簡潔に表現できないから。
香水を集めるのを趣味としているならば、その誰かは初対面の人間に対して『自分は香水を集めるのが趣味なんです』と言う。そしてここから徐々に話を拡げて行き、コミュニケーションを図ろうとする。これが普遍的な初めましての会話だろう。何もおかしい事は無い。
だが、言葉というのはどんなに熱く語ろうが、緻密に鮮明に背景を描写しようが、他人の目に見えるものではない。だからこそ、嘘もまかり通ってしまう。
初対面だからこそ、その人が歩んできた背景が掴めないため、いくらでも虚言を吐いてしまえる。自分という人間を大きく見せたがるのは、人間の本能ともいえる行動。つまり、嘘も方便、というやつだ。
だから俺はあまり『言葉』を信用しない。その人が語る言葉が真実だ、という確証が自分自身の中で持てるまで、本当の心を開く事ができない。
なら、どうすれば初対面の人間に自分はこういう人間だ、という事実を理解させる事ができる。見栄などではなく、本当に自分がこれを愛している人間なのだと知ってもらうには、どうすればいい?
『────行くわよッ』
ライブハウスのステージ上に現れた、数人のバンドメンバー。そのフロントに立つギターボーカルの赤い髪をした女性がシャウトをした瞬間、かき鳴らされる重低音と心臓を揺らすようなドラムの連打。それが奏でられた直後、ライブハウス内に散り散りになっていた少ない客たちが、一斉にステージ前へと移動し歓声を上げ始める。
「………………」
眩い照明の下でギターを弾きながら熱いロックサウンドを歌う、さっきまで隣にいたはずの女性。彼女を見て、桜内さんは驚愕の表情を浮かべていた。どうやら彼女は見事に真姫さんの思惑に嵌ってくれている。ステージの上からでも、その顔がしっかり見えているだろう。案の定、真姫さんはこちらを一瞥し、小さく微笑んだ。
──自分が何を一番大切にしているのか。何を最も愛しているのか。それを他人に強く理解させるには、実際にその姿を見せてやればいい。言葉なんて形無い物じゃなく、行動として、形として見せてやればいいんだ。これ以上に自分を他人に分からせる方法は、この世界に存在しない。
だから真姫さんは、言葉ではなくこのライブという方法で今の自分を桜内さんに魅せている。彼女が今、何を最も大事にしながら生きているのかを、そのギターで、歌声で明確に表現している。
「あれが、西木野真姫さんっていう人だよ」
曲が終わったタイミングで、桜内さんの耳元にそう語りかける。その言葉の意味がよく分かったというように、彼女は笑顔を浮かべてこくりと頭を頷かせる。そして、次の曲を歌い出した真姫さんの方へと、再び目を向けた。
◇
ライブが終わり、俺と桜内さんはすぐにフロアから出て演奏を終えたメンバーを出迎える事にした。出入り口には既に数十人のファンの塊ができている。プロのミュージシャンと比べたら少ないかもしれないけど、このバンドにもファンが存在する。この光景を見る度に俺もいつかは、という願いに熱が帯びる。
そうしてしばらくすると、汗だくになったバンドメンバーが外に出てくる。それからファンと軽い会話を交わしたり、写真を撮ったりし始める。これもインディーズならではのファンとの距離感。
他のメンバーとは少し時間を置いて、最後にメインボーカルが出てくる。途端、待っていましたというように出待ちをしていたファンたちからひと際大きな声が、その女性に向かって投げられた。
赤い髪を汗で濡らし、肩に白いタオルをかけたボーカルの女性は、満更でもなさそうな顔をしてファンの要望に応えていた。そのカリスマ的な姿を見ていると、あの人が少し遠くにいるような感覚を覚える。さっきまで近くにいたあの女性は、別の誰かだったのではないか、と思ってしまうほどに。
だが、その人は俺の思惑を裏切るようにファンの群れを掻きわけてこちらへと向かって歩いてくる。
そして、彼女は俺たちの前で立ち止まった。
「これが私よ。よろしくね、梨子」
真姫さんはそう言い、出会ったばかりの桜色の女の子に向かって、優しく微笑んだ。
次話/桜色の奇跡に