隠された才能
第三章/
Monologue/
私は、『一緒にいたい』と言ってくれた大切な人たちを裏切った。自分の夢を追う、ただそれだけのために。
でも、仕方なかったんです。まだ幼い私には、この世界に並べられた無数の席のうち、どれが正解かなんて分かるはずが無かったから。
夢か、友情か。私の目の前にあったのは、そんな二つの椅子。多分そのどちらを選んでも、いずれはどこかのタイミングで後悔していたと思います。そういうものが誰にだってあるのは、そこに座る前から理解していました。
私はその椅子のどちらかを選ぶ時、世界中の若者がするのと同じように、自分よりも広い視野を持っている大人を頼ってアドバイスを求めました。
『ねぇねぇ、ウサギさん。私はどっちの道を行けばあの場所に辿り着けるの?』と。深い森の中、美しい宝玉の在処を探して歩く、おとぎ話の貧しい村娘みたいに。
けれど、大人たちは宝玉の在処を私に教えてはくれなかった。答えてくれなかった訳ではありません。ただ、その答えがあまりにも不明瞭過ぎて、私には彼らの言葉の意味を正しく受け入れる事ができませんでした。
後悔している今なら、その理由が分かります。きっとあの大人たちも、私と同じようにどちらの椅子が正解かなんて分からなかったんです。
子どもの私でも分からない事が、大人たちにも分からない。だったら、もう答えなんて何処にも無い。それを知ってるのは神様だけ。そう考えたら、どうすればいいのかが自然と分かって来ました。
どちらの椅子を選んでも正解で、どちらを選んでも不正解。なら、もうどっちだっていい。いくら悩んだって、そのどちらかにしか運命は転ばない。
だから私は、他者との繋がりの糸を切って、一人になる事を選んだ。一人で東京に戻り、自分のやりたい事をやって、叶えたいと思う夢を追う事を選んだ。
いいんです。それで正しいとか、間違ってるとか誰かに言われなくても。だってそんなのを決めるのは結局、どこの誰でもない──私自身なんですから。
じゃあ、私はこの椅子に座っているのが幸せ?
………………そう自問したところで、私は最終的に、哀れな自分を擁護する答えしか生み出さない。『いいんだよ。あなたは正しい。大好きな人たちと別れてまで、自分の夢を選んだんだから。きっと幸せになれるわ』
なんて、中年を過ぎてからもいつか自分の前に素敵な王子様が現れるのを待っている、夢見がちな独身女性みたいな事ばかりを考えてしまう。それが間違っているのは、世界中で一番私が知っているのに。
でも仕方ないじゃない。この寂しさから目を逸らすには、そう言い聞かせるしか方法が無いんだから。ここで折れてしまったら、この頼りない背中を押してくれたみんなを裏切ってしまう。それだけはいけない。絶対に。
そう思うのに、弱い私はいつも一人を怖がってる。自分の選択を後悔して、それでもこの現状は間違ってない、とマントラのように繰り返している。
私はこれから大人になって、夢を追って生きて行く。自分で決められるのは、自分の運命だけ。その原則から逸れず、私の道は私が決めて生きて行く。
……うん。
きっとそうなんだって、本当に思っていたんです。
桜の木の下で、あの人と出会うまでは。
Monologue/end
◇
第十三話/隠された才能
真姫さんのライブを見た日から二週間が経ったある日の夜。季節はまだ春だけれど、気づけば桜は散り、木々は寂しさを醸し出す緑色へと色彩を変化させていた。
あれから俺には専属の音楽パートナーができた。俺の奇跡になる、と言ってくれた彼女は、その言葉の通り奇跡そのものみたいな音を作った。
メロディを彼女が作曲し、俺が歌詞を載せる。本当はもっと複雑な作業を繰り返したけれど、言葉にしてみればたった一行で表現できてしまうのがもどかしい。それからSNSを使って、不特定多数の人たちにその歌を聴いてもらい、いつもの路上ライブの告知をするようにした。
するとなんと、一週間で十数人のファンができた。歌を聴いた誰かが誰かに広めてくれているらしく、その数も日に日に増えているのが目に見えて実感できるほど。
そして今日もライブが成功した。こんなにライブ後の後味が良いのは、音楽を初めた高校の時以来。
それもこれも全部、この桜色の女の子のおかげ。
「ふふ。今日も楽しそうだね、拓海くん」
「ん? いや、そりゃ楽しいよ。ライブはやっぱこうでなくっちゃね。梨子ちゃんも嬉しいでしょ?」
「うん。二人で作った曲だもの、聴いている人が口ずさんでくれたりしてたら、すごく嬉しいよ」
いつもの路上ライブの後、俺たちは凛さんが働いている猫明亭で祝杯を上げていた。
出会ったばかりの頃、この子は俺の奢りでも絶対に酒は飲まなかったけど、最近は少しずつ飲むようになってくれた。ちょうどお互いの名前の呼び方が変わった頃くらい、だったか。少しでも心を開いてくれた証なのかな、とか思い込んで勝手に嬉しくなったりしてる。
「でも、本当に思わなかったな」
「何を?」
何気なくそう言うと、向かいの席でファジーネーブルを飲んでる梨子ちゃんは首を傾げる。
「梨子ちゃんがここまで良い曲を作るだなんて、超予想外だったって話」
「そう、かな。自分ではまだちょっと自信が無いけど」
「だって、俺が作った曲だと誰一人立ち止まってくれなかったのに、梨子ちゃんの曲を歌った瞬間、ほとんどの通行人がこっちを見てくれたんだよ? ああ、あの時の衝撃はしばらく忘れらんないね」
数日前、彼女と一緒に作った初めての曲を路上ライブで歌い出した時の事を思い出す。あれは衝撃的な出来事すぎて、歌いながら泣きそうになった。
最初の曲で近づいてきた女子高生二人が最後まで聴いていて、また今度も来る、と言われた時は膝から地面に崩れ落ちそうになったほど。ちなみにその子たちは学校の友達にも俺の存在を広めてくれたらしく、SNSアカウントのフォロワーも徐々に増え始めている。
やっぱりトレンドをキャッチする速度はいつの時代も女子高生が一番早いらしい。それについて梨子ちゃんに語ったら少し不機嫌になられた。何故だ。
「……拓海くんのために作った曲だから、私には誰に届くかとかは分からないよ」
視線を机の上に下げる梨子ちゃん。彼女の頬が桜色に染まっているのは、きっと酔っているからだろう。
「でも、結果的に誰かの心にもしっかり届いてる。俺もよく分かんないけど、梨子ちゃんが作る曲と俺のギターと歌は合ってるのかもしれないね」
「それは私もいつも思ってるよ。こんな歌を歌ってほしい、って考えるとね、拓海くんの歌声に合うメロディラインがすぐに浮かんでくるの。不思議だよね」
嬉しい事を言われ、今度は俺が少し照れる。
人間として彼女に俺という人間が理解されてるとは思わないが、シンガーとしてはちゃんと分かってもらえてる。それは決して俺がすごいのではなく、この子の作曲家としての手腕が優れているからに他ならない。
でも、彼女はどうしてここまでの腕を持っていながら音楽ではなく芸術の道に進んだのか。それについては訊けず終いでいる。訊ねればもしかしたら答えてくれるのかもしれないけど、簡単に捨てられるような才能では無いのが身に染みて分かってしまうからこそ、そこには深い理由があったのではないか、と勘繰ってしまう。
「はーい、激辛麻婆豆腐お待ちにゃーっ」
そんな事を考えていると、大皿に乗った麻婆豆腐を凛さんが届けに来てくれた。この人は今日も今日とてバイトらしい。真姫さんはプライベートでも割と関わりがあるけど、この人に関しては私生活がほぼ謎。バイトとダンスの練習してる以外は何してるんだろ。
「んー? なーんか最近、拓ちゃんの顔色がよく見えるにゃ。なんか良い事でもあったのかにゃ?」
「ああ、まぁいろいろと。ね? 梨子ちゃん」
「う、うん。そうだね」
「えー、なぁにー? 凛にも教えてー?」
別に隠す事でもないが、狭い部屋の中で男女が一緒に作業をしている事実を、どう表現すればいやらしさを含んだ言葉ではなくなるのか。残念ながら俺の頭では分からない。だから、凛さんには悪いけど濁す事にした。
「まだ秘密です。そんな事よりほら、仕事に戻る戻る」
「むぅ、なんか怪しいにゃ。梨子ちゃん、もしかして拓ちゃんと何かあった?」
「な、何も無いですよ? 全然、変な事は何も」
「えー? ほんとにぃ?」
そして今度は俺ではなく梨子ちゃんに絡んで行く凛さん。嘘を吐けない優しい梨子ちゃんの表情や仕草は、確かに何かあった感がバリバリ出ていた。
これ以上訊かれたら素直に答えちゃいそうだし、ここは梨子ちゃんに助け舟を出そう。
「だから何でもないですよ。素敵な凛さんと会えて肌の艶がよくなってるだけです」
「もー、拓ちゃんは話を誤魔化すのが上手なんだからぁ。凛だって本音と建前くらい分かるんだからね?」
「建前じゃないですって。俺は嘘を吐きません」
「ふーん。じゃあ、拓ちゃんが凛のものになっても、梨子ちゃんは怒らないよね?」
「──────っ!?」
「ちょっ、何やってんすか凛さんっ。離してくださいっ」
凛さんはよく分からない事を言ってから急に俺の右腕に抱きついてくる。咄嗟に拒絶したものの、しばらくこのままでもいいかな、と思ってしまったのは許してほしい。なんか石鹸の良い匂いがする。あと、柔らかい肌が当たってるのを自覚したら無意識に心が乱されてしまった。
「ふふ、どうするにゃ梨子ちゃん。何も無いっていうなら、本当に拓ちゃんを凛のものにしちゃうよ?」
凛さんは俺の腕を掴みながら梨子ちゃんに向かって言う。俺がこんな事をされていても、この子にとっては死ぬほどどうでもいいだろうに。
そう思っていたのだが、梨子ちゃんは徐に立ち上がり、俺の方へと歩いてくる。
そして、空いている俺の左手を両手で控え目に握った。
「…………だ、ダメです。拓海くんのパートナーは、私なんですから」
梨子ちゃんは俺の左手をくいっと引きながら、反対の腕を掴んでいる凛さんに向かってそう言った。
顔が赤いのはやっぱり、酒に酔ってる所為だろう。
次話/唐突な壁クイ