サクラゼンセン   作:雨魂

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唐突な壁クイ

 

 

 

 

 第十四話/唐突な壁クイ

 

 

 

 ◇

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 猫明亭を出て、俺と梨子ちゃんは並んで家路を辿る。しかし、店を出てから会話は一切無い。

 

 さっきの凛さんとの一件から、梨子ちゃんはどうやら少し怒っていらっしゃるようだ。何故、俺が凛さんと親しくしているのを見て彼女が不機嫌になるのか。そのわけを考えていたら、自然と無言の帰り道になってしまった。

 

 数日前に儚く散った花びらを恋しんでいる裸の桜を見上げ、人気の無い深夜の住宅街を歩く。聞こえるのは俺が履くボロボロになったアディダスのスニーカーと、斜め後ろにあるフラットシューズが奏でるそれぞれの足音。寝静まった町を起こさぬよう、俺たちは慎ましくアスファルトを踏みしめながら目的地を目指す。

 

 そうして最後まで会話が無いまま、俺たちはアパートに到着する。ここで急に饒舌に喋り始めても、梨子ちゃんの機嫌が直るとは思えない。だから今日のところは潔くさようならをして、また明日改めて会えばいい。時間っていうのは意外と簡単に色んな事を解決してくれる。それが、この世界にある法則のひとつなんだから。

 

 

「じゃあまたね、梨子ちゃん」

 

 

 二階の端にある部屋の前に来た時、俺は振り返って背後にいた彼女にそう言った。アパートの通路に設置された切れかけの電球の淡い灯りに照らされる彼女は、やっぱりへそを曲げている。けど同時に、何かを俺に物申したい、というような顔もしていた。それに気づいたところで、彼女自身が話さない限りこちらから訊ねる事は無いが。

 

 

「…………うん、おやすみなさい」

 

「おやすみ。今日は寒いから、風邪ひかないようにね」

 

 

 梨子ちゃんにそう言い、俺は鍵を開けて先に部屋に入った。どうせ明日になれば会うんだから、名残惜しいとかは思わない。何か用があれば隣の部屋のドアをノックすればいい。そうすれば俺たちはすぐに顔を合わせられる。

 

 部屋に上がって電気を点け、背負っていたアンプやギターケースを床に下ろす。今日も朝から晩までバイトをした後に駅前で路上ライブをしたから、少し疲れてる。このままシャワーを浴びて布団に潜り込みたいけど、その衝動はグッと堪えた。自分で決めたルーティンは守らないと。

 

 

 

「やるか」

 

 

 

 机の前に胡坐をかき、ギターケースに入れていた大学ノートを取り出す。そこには作りかけの詩が書き殴られている。それは、あの子が作ってくれた新曲に乗せる歌詞。メロディは出来あがってるから、あとは言葉と声を付け足せばこの曲は完成する。できれば明日、いつもの路上ライブで初披露したかった。だから、無駄にできる時間は無い。

 

 今はとにかく、たくさんの曲を作って、もっと多くのリスナーを増やしたい。旬なんてものは、咲いたと思えばすぐに枯れる花のように、あっという間に過ぎ去るもの。できるだけ長く咲き続けるためには、必要な量の水を与え続けなければならない。

 

 

 六畳間の真ん中で頭に浮かんできたワードをノートに書き、傍らに置いていたアコースティックギターを軽く鳴らして小声で歌う。普通なら近所迷惑になると思うのだろうが、ここなら何も問題ない。耳が遠くなった大家の婆さんはマイクを通してシャウトでもしない限り起きて来ないだろうし、隣に住んでる可愛い女子大生は、たとえ聞こえていても怒ったりはしない。たぶんだけど。

 

 

「…………ん?」

 

 

 半刻ほど作詞作業を続けていると、部屋の外から誰かのくしゃみが聞こえてきた。集中していても聞こえてきたのは、このアパートが相当ボロいのと今が深夜だからだろう。けど、そもそもくしゃみをするような人がこんな時間に部屋の前にいるとは考えられない。

 

 きっと気の所為だと自分に言い聞かせ、また作業に戻る。あとは最後のサビの歌詞さえ浮かべば完成。眠いけど、もうちょっと頑張ろ────

 

 

「…………」

 

 

 そう思った直後、再びくしゃみが聞こえてくる。今度はくしゃみをした人物が女性である事も分かった。それも若い女の子。そこまで理解して、それが誰であるのかを連想するのは小学二年に習った九九の暗算よりも簡単だろう。

 

 ギターを壁に立て掛けて立ち上がろうとした時、センターテーブルの上に置いていた携帯が震える。

 

 ロックを外してディスプレイを見ると、そこには『一晩くらい外にいても、風邪はひかないよね?』、なんていう意味深なメッセージが表示されている。差出人の欄にはもちろん、桜内梨子という文字。何やってんだ、あの子。

 

 

「あ…………」

 

「何してんの、梨子ちゃん」

 

 

 玄関を開けると、隣の部屋のドアに寄りかかってしゃがんでいる桜色の女の子を見つけた。彼女は身体を微かに震わせながら、現れた俺の顔を見上げている。

 

 

「こ、こんばんは拓海くん。今夜、かなり冷えるね」

 

「いや、そんな格好で言われても自業自得としか言えなんだけど」

 

「あはは、そうかも……」

 

 

 梨子ちゃんはまたくしゃみをする。寒いのを全身で体感してるのにも関わらず、なぜ部屋の中に入らないのか。その意味が一ミリも理解できない。もしかして、飲み過ぎて鍵の開け方まで分からなくなったのだろうか。それならそもそも、ここまで辿り着けていないと思うんだけど。

 

 

「で、なんで部屋に入らないの?」

 

「実は、その。大学のアトリエにうっかり鍵を忘れちゃったみたいで」

 

「…………続けて?」

 

「この時間じゃ終電も終わっちゃってるし、歩いて取りにも帰れなかったから…………えへへ」

 

 

 めずらしく自虐的な笑いをする梨子ちゃん。笑う理由は何ひとつ分からないけれど。

 

 

「はぁ……それなら早く教えてくれればよかったのに」

 

「ご、ごめんなさい。本当は何回もノックしようと思ったんだけど」

 

 

 と、そこまで言って梨子ちゃんは目を逸らす。ほんのりと朱に染まったその横顔には、少しの照れと恥じらいのようなものが見受けられた。

 

 

「まぁいいよ。とりあえず俺の部屋に入って? そのままじゃ本当に風邪をひいちゃうから」

 

「いいの?」

 

「当たり前じゃん。もう何回も入ってるんだから、別に気を遣う必要もないでしょ」

 

「でも、その……」

 

 

 俺がそう言っても、梨子ちゃんは首を縦に振ってくれない。何か憚られるような問題でもあるのだろうか? 俺たちはもう初対面でもないし、彼女は作曲作業をする度に俺の部屋に足を踏み入れている。だというのに、今さら何を気にしているんだろう。

 

 

「ほら、いいから入る」

 

「あ────」

 

 

 このままでは埒が明かないと思い、俺はしゃがんでいる梨子ちゃんの右手首を掴んで立ち上がらせ、部屋の中に引き込んだ。少々強引かもしれないけど、別にやましい事をしようとしているわけじゃない。隣に住む友達を部屋に泊まらせたところで、罪に問われたりはしないだろう。叫ばれたりしたらヤバいかもしれないが。

 

 ドアを閉め、梨子ちゃんが外に行かないよう鍵を閉める。彼女が開ければ出て行けるけど、その行為を見た直後に開けようとは思わないだろう。

 

 

「…………っ」

 

「もう逃げちゃダメだよ。梨子ちゃんに風邪をひかれたら、俺も困るんだから」

 

 

 左手で彼女の右手首を掴んだまま、逃がさないように空いている右手をドアに付けながらそう言う。これは所謂、壁ドンとかいうやつ。成り行きでこんな格好になってしまった。しかし、ここまですれば梨子ちゃんも外で一晩を過ごすのを諦めるに違いない。

 

 

「ん? なんかさっきより顔が赤くなってない?」

 

「な、ななななってませんっ! 光の加減でそう見えるだけですっ」

 

 

 明らかに顔を真っ赤に染めた梨子ちゃんはそう言ってくる。急に立ち上がった所為で酒が回ってしまったのかな。それ以外に理由が思いつかないので、たぶんそうなんだろう。ちょっとだけ申し訳ない。

 

 

「そっか。じゃあ、中に入ってよ」

 

「…………た、拓海くん」

 

「うん? どしたの?」

 

 

 そう言って手を離そうとした時、梨子ちゃんに名前を呼ばれる。俺より少し背の低い彼女は顔を赤く染めたまま、潤んだ琥珀色の瞳で顔を見上げてくる。それはなんというか、飼い主にエサをせがむ子犬のような目だった。

 

 そうしてその姿勢を保った状態でしばらく沈黙が流れる。急に突き飛ばされて出て行ってしまったりしないかな、とか心配しながら、何故かもじもじしてる梨子ちゃんを見ていると、彼女はようやく口を開いた。

 

 

「そ、その……変なこと、お願いしてもいい?」

 

「ん? よく分からないけど、別にいいよ」

 

「……じゃ、じゃあ」

 

 

 俺がそう言うと、何かを言い淀んでいた梨子ちゃんはひとつ深呼吸をしてから、再び口を開く。

 

 

「こ……この姿勢のまま、私の顎をくいっと上げてください」

 

 

「……………………???」

 

「や、やっぱりなんでもないっ! なんでもないから忘れて!」

 

 

 勝手に言っておいて勝手に無かった事にしてくれ、と頼まれたのは二十年以上生きてきて初めての経験だった。なんでそんな事を俺にして欲しいのかは不明だが、それで彼女の気が済むのなら別に悩む理由も無い。

 

 

「こう?」

 

「────ひ、ぁっ」

 

 

 言われた通り、左手をドアに付けたまま右手で彼女の小さな顎をくいっと上げる。すると梨子ちゃんは幽霊を見た猫のように大人しくなった。でも、この行為に何の意味があるんだろう。他人の部屋に上がる前にしなきゃいけない儀式、みたいなものだろうか。そういやあったな。葬式に行った後は家に入る前に塩水でうがいをするやつ。もしかしたら、こういうのが女子大生の間では流行ってるのかもしれない。除霊的な意味で。

 

 

「拓海、くん」

 

 

 その姿勢のまま、とろんとした目で俺の名前を呼んでくる梨子ちゃん。なんかだんだんといけない事をしている気がしてきた。いつになったら除霊されるんだ。ていうかなんでこの子に幽霊がついてんだよ。どの辺で拾って来たんだ。犬鳴村のトンネルに肝試しでも行ったのか。

 

 

「も、もういいでしょ? ほら、上がって上がって」

 

 

 このままでは梨子ちゃんについてるお化けが俺に乗り移ってしまうと思い、顎に触れていた手を離す。彼女もこれで満足してくれた、と思っていたのだが。

 

 

「……むー」

 

「いや、なんでまた怒ってんの」

 

 

 離れた瞬間、梨子ちゃんは不機嫌そうに頬を膨らませる。酒に酔ってるからなのか、今日のこの子の行動や思考が突飛すぎてついて行けない。

 

 

「私の気持ちが分からない拓海くんなんて、嫌いです」

 

「マジか。ごめん、これからは分かるように頑張るから、嫌いにならないで」

 

「ふんっ…………もういいです」

 

 

 梨子ちゃんはそう言って靴を脱ぎ、部屋に上がる。

 

 彼女が怒った理由は、やっぱり分からないままだった。

 

 




次話/もっとこっちを見て

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