サクラゼンセン   作:雨魂

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太陽が西から昇っても気づけない

 

 

 

 十九話/太陽が西から昇っても気づけない

 

 

 

 ◇

 

 

 それから文字通り、地獄の日々が始まった。

 

 誰の手も借りず、誰にも協力を求めないで最高の曲を作る日々。二か月前まではそれが当たり前だったけど、今は状況があの頃とは違う。プロになるまであと一歩。次に作る楽曲が審査員に受け入れられたなら、俺の夢は叶う。

 

 長いあいだ見続けた夢が、手を伸ばせば届く所まで来た。ここまで来られたのは俺の力ではない。あの子のおかげで、夢の一歩手前まで来た。

 

 だから最後の一歩は、俺自身の力で歩く。その一歩がどれだけ大きくても関係ない。自分のために、この壁を越えなければならない。

 

 

「すんません、真姫さん。俺のシフト、代わりに入ってもらって」

 

『悪気があんならまず結果を出しなさい。まぁ、いいわよ。終わったらあたしの分を働いてもらうんだから』

 

「ありがとうございます。終わったらまた飲みに行きましょうね」

 

『はいはい。ほら、あたしとの電話で時間を無駄にしない。さっさと切って作業に集中しなさい』

 

 

 一カ月バイトを休む事を真姫さんに伝えたら、あの人は俺が入る分のシフトを自分のところに入れてくれた。勉強が大変だって言ってたのに、俺が本気になった事を分かってくれたのかもしれない。天邪鬼な応援をしてくれるところも真姫さんらしい。あの人はやっぱりいい人だ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝、起きる。それから部屋の隅に置かれた電子ピアノの前に移動して、パソコンを開いて、思いついたコード進行をギターで弾く。歌いたい時は近くの公園に行って、平日の真昼間から自作の歌を歌うイタイ奴になっていた。現に近所の住人からは変な目で見られ(今までも結構そういう目では見られていたけど)、公園に遊びに来た小学生たちにからかわれたりもした。

 

 でも、それがどうした。こんな一時の恥で夢が叶うのなら、俺はいくらでも恥をかいてやる。確かにその瞬間は嫌だけど、そんな理由で止めて後悔するのは、俺が誰よりも分かっていた。笑いたきゃ笑えばいい。それでも歌い続ける。そうやって音楽を続けてきたんだから。今日もそんな時間を過ごして、一日が終わった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。寝たと言ってもほんの数時間。カフェインの摂り過ぎで眠りが浅いからか、最近は確実に夢を見る。ギターを弾いて歌っている夢。夢の中でも作曲作業をしてる自分が馬鹿みたいに思えてくる。そんなエピソードを誰にも話す事無く、俺はまたピアノの前に座り、パソコンを開く。そしてギターを奏でる。そうして一日が終わる。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。最近、というかあの決意をした日から梨子ちゃんとは顔を合わせていない。意図的にそうしているわけでは無いが、ほとんど家から出ないので必然的にそうなっているだけ。

 

 この部屋の隣に住んでいるあの子はきっと誰よりも、俺が馬鹿げた生活をしてる事を知っている。朝早くからピアノやギターを弾いて、夜遅くまでそれが続いているのを、壁越しに聴いているのだから。申し訳なく思うが、あの子ならきっと許してくれる。そう自らに言い聞かせて、今日も作業を続ける。そうしてまた夜が来た。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。今日は公園に歌いに行って、帰ってきたらドアノブにビニール袋が掛けられていた。中に入っていたのは、手作りの玉子サンド。

 

 それを誰が作り、誰が置いて行ったのかは言うまでもない。俺がこの数週間、どれだけ栄養の無い食事を摂っているのかを、隣に住む女子大生は分かっているのかもしれない。ピアノを弾きながら、ありがたくその玉子サンドをいただいた。食べてる最中に寝落ちしてしまったのは、疲れている所為かもしれない。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。身体が怠い。何もしたくない。布団に寝そべったまま天井を見上げていると、小さな悪魔が耳元で『そのまま寝てろ』、と囁いてくる。やめろ、と追い払ったら今度は小さな天使が『もう休んでいいんだよ』と、俺を唆しに来た。悪魔も天使も、どっちも俺を休ませようとしてくる。だが、俺は煩いそいつらを捕まえて握り潰し、またピアノの前に座る。買い置きしてた缶コーヒーを飲んだら吐き気がしてトイレで吐いてしまった。でも、飲まなければ起きていられないので、もう一本を一気飲みして、それからギターを爪弾いた。また吐いた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。もう起きているのか寝ているのかも分からない。身体は自動的に置き、ピアノの前に座り、鍵盤を指で叩く。感覚的にギターを弾き、誰が思いついたのかも分からない歌詞やメロディをパソコンに打ち込んでいく。

 

 こんな状態で良い曲が作れるのかどうかは、もう分からない。分からないけれど、俺にはこの方法しか思いつかなかった。だからとにかく時間と労力をかけるしかない。才能の無い俺には、これしかないのだから。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。遂に布団も押し入れに仕舞った。あれがあるとどうしても甘えたくなる。最近はもうギターを抱えたまま仮眠を取っている。これなら時間を音楽にしか使えないからいい。でも、どうしても眠気に耐えられなくなる時はある。そんな時は、氷水を敷き詰めた風呂に飛び込んで無理やり目を覚ますという方法を試した。ヤバすぎて叫んだら、深夜に起きていたであろう梨子ちゃんからメールが来た。今度会った時に謝ろう。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 朝、起きる。ここまで来ると逆に意識が冴えて、作業が楽になった。時間の感覚も無い。まるで水の中で生活しているかのよう。フワフワと、脳も身体も何もかもが自動的に動き、成すべき事を成してくれる。九日間、不眠で食事も摂らず、横にもならずにただひたすらお経を読み続ける、というお坊さんの修業があるとどこかで聞いた事がある。俺もそれに近いものを感じているのかもしれない。俺の場合はただ我慢してるだけだけど。

 

 

 

 そんな、太陽が西から昇っても気づけないような生活を一か月間毎日繰り返し、俺は一曲の歌を作り上げた。

 

 

 

 そうして、遂にその日が来た。

 

 

 




次話/黒猫と雨


五輪
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