第一話/再会
◇
四月の夕暮れ時。駅前は家路を辿る雑踏で賑わっていた。目の前を通り過ぎる人々は、皆それぞれ違った目的地を目指して足早に歩いて行く。だから一人で路上ライブをしている男なんて、きっと視界にすら入らない。
「…………はぁ」
最後の歌を歌い終わり、改めて辺りを見渡す。当然、見物人はいない。歌っている最中も、せいぜい待ち合わせの時間に少し早く着いてしまった女子高生が、暇つぶしに聴いてくれた程度。たまに缶コーヒーを奢ってくれる前歯の無いおっさんも、今日は現れなかった。
お決まりのため息を吐き、途方も無い虚しさを感じながら楽器類を片付け始める。もちろん、そんな俺に話しかけてくる奴は皆無。下町の駅前で肩を落としてるシンガーソングライターを気にかける人間なんて、残念ながらこの町にはいない。
「何やってんだろうな」
エレアコをギターケースに仕舞いながら、無意味な独り言をポツリ。それは誰の耳にも入る事なく、無数の雑踏の中に溶けて行った。こんな事を嘆いたってどうにもならないのは、俺がいちばん分かってるのに。
「さーて」
惨憺たる路上ライブの片付けが終わり、飲みにでも行くか、と思いながらギターケースを抱えて立ち上がる。
ライブの後はいつも全身が重い。心が沈んでいると、身体も無意識にそれを感じ取るのかもしれない。
「あのっ」
背後から声が聞こえてくる。けど、それが俺に向けられたものではないのは、振り返らなくても分かる。
この町──東京に約千七百万の人間が住んでいるのだとしたら、それと同数の目的や意思がある。当たり前のように、俺なんかに声をかける意思を持っている誰かは、何処を探しても見つからない。だってそんなの、喋らない小石に語り掛けていた方がまだ有意義だろうから。
「一之瀬さん」
しかし、今日はその理論に僅かな綻びが生じた。
行きつけの居酒屋へ向けていた足を止め、振り返る。
そこに立っていたのは、臙脂色の髪をした女の子。清楚な出で立ちの女子大生、と表現するのが最も分かりやすい。もちろん、東北のど田舎に生を受け、二十歳までそこで育った俺にそんな知り合いはいない。
だけど、そこにいた女の子には確かに見覚えがあった。
「桜内、さん?」
「はい。お久しぶりです」
数週間前に桜の下で出会った女の子の名前を口にすると、彼女はぺこりと頭を下げて来た。
「久しぶり。どうしたの、こんな所で」
また会えた嬉しさはあるけど、それ以上になんでこの子がこんな寂れた下町の駅前なんかにいるんだろう、という疑問を感じる方が早かった。
俺が問い掛けると、桜の下で出会った女の子──桜内さんは目を逸らし、事あり顔を浮かべた。
「それは、その……いろいろとあって」
「もしかして、新しくできた彼氏の家に遊びにでも来たとか?」
朗らかに笑いながら思いついた推理を口にすると、それを聞いた桜内さんはボッと顔を真っ赤にする。
「ち、違いますっ! なんでそうなるんですか!?」
「だって俺、いつもこの時間にここで歌ってるからさ。もし長いこと付き合ってる彼氏がいたなら、もう何回も会ってるだろうからね」
そう言ってみせると、赤くなった桜内さんは大きな目を少しだけ丸くした。でも、すぐにまた俺を睨んでくる。
「た、確かにこの駅で降りたのは初めてですけど、ここに来たのはそんな理由じゃありません。か……彼氏、だなんて、今までいた事も無いのに」
「え、マジで? 別にいいって、そういう冗談は」
「本当です。もう、一之瀬さんはイジワルです」
桜内さんは赤い頬を膨らませてそっぽを向く。この子が嘘を吐くような女の子じゃないのは分かってるし、そもそも俺にそんな嘘を吐いてもメリットの欠片も無い事実を鑑みて、その言葉は真実なんだろう。逆に東京の男共は何やってんだ。こんな素敵な女の子に手を出さないとか、お前らの理想はどんだけ高いんだよ。星でも撃ち落とそうとしてんのか。
「そっか。ごめん、見た目で判断してた」
「どんな目で見てたんですか」
「いや、彼氏なんて両手の指を全部使っても数え切れないくらいいるのかなー、って」
「さようなら、イジワルな一之瀬さん」
「待つんだ桜内さん。今のは冗談。冷静になろう」
まぁ四、五人くらいはいると思ってたけども。
「この前も言いましたけど、あんまり私をからかわないでください」
「ごめんごめん。今度から気をつける」
ジトっとした目で見上げてくる桜内さん。うん、全然信用されてないな俺。ぶっちゃけ今のは嘘だったし。
「でも、本当に偶然だね」
「私もビックリしました。聞き覚えのある声だなって思ってたら、まさか本当に一之瀬さんだったなんて」
「そう言うって事は、見てたんだね」
「あ…………はい。ごめんなさい」
桜内さんはバツが悪そうに謝ってくる。でも、今は思いっ切り笑われた方がいくらかマシな気がした。
「謝らなくていいよ。客が集まらないなんて、いつもの事だし」
桜内さんが笑わない分、自分で言って笑ってみた。
ああ。でも、こっちの方が虚しいかもしれない。
「でも、一之瀬さんの歌声は素敵です。この駅前で聴いていても、綺麗な声でした」
「そう言ってくれるのは桜内さんだけだよ。けど、ありがとう。少し元気出た」
あの日と同じように褒めてくれる桜内さん。けど、その言葉がお世辞じゃないのが分かるほど、ある事実を突きつけられている感じがして、余計に悲しくなる。
歌声は良い。なのに、客が集まらない。それはつまり、曲が全然ダメっていう事なんだろうから。
「そうだ、桜内さん」
「はい?」
「夜ご飯はまだ食べてないよね?」
そう問いかけると、彼女はこくりと頷いた。
「なら、一緒に食べに行かない? 奢ってあげるからさ」
「え、でも……」
「この間もらったサンドイッチのお礼って事で。何か用事があるなら仕方ないけど」
そう言うと、桜内さんは申し訳なさそうな表情を浮かべる。そんな顔をされると、何もしてないのに何故か悪い事をした気分になってしまう。
「いいんですか? 本当に」
「もちろん。袖振り合うもなんとか、っていうじゃん」
そう言って俺は笑う。もちろん、こんなのダメもとだ。たまたま駅前で会ったからって、一度会っただけの男に飯を奢られる筋合いはこの子には無い。
でも、今は誰かと一緒が良かった。こんな日にひとりで酒を飲んでも、美味いわけが無いだろうから。
「……それじゃあ、ごめんなさい。お言葉に甘えます」
そんな事を考えていると、桜内さんはそう言った。
完全に断られる気でいたから、一瞬彼女が何を言ったのか分からなかった。でも、ここで狼狽えたら誘っておいてなんだ、と思われてしまう。それは何となく憚れる。
「よし、じゃあ行こうか」
「あ、待ってください一之瀬さん」
そう言って、誰も見向きもしてくれない駅前から立ち去る。それはいつも通りの事。けど今日は少し違う。
たった一人だけ、
次話/居酒屋の〇さん