サクラゼンセン   作:雨魂

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居酒屋の凛さん

 

 

 

 

 第二話/居酒屋の凛さん

 

 

 

 ◇

 

 

 それから十分ほど歩き、俺たちは目的の店に到着する。

 

 

「お店って、ここ?」

 

「うん。俺の行きつけの居酒屋だよ」

 

 

 駅前の目抜き通りから外れた路地に佇む、一軒の古びた中華居酒屋。周辺にはキャバクラとかスナックが軒を連ねてるので、店に近づくにつれて桜内さんの顔が段々と渋くなっていったのを、この目は見逃さなかった。

 

 

(ねこ)明亭(あかりてい)?」

 

 

 店先に置かれた巨大な招き猫を見て、桜内さんは言う。

 

 

「常連は猫あかりって呼んでる。店長が猫好きな人でさ、店の中にも猫がいるんだよ。桜内さんは猫、大丈夫?」

 

「あ、はい。ネコは大好きです」

 

「ならよかった。あ、そうだ」

 

「?」

 

「一匹だけでっかい猫もいるから、気をつけてね?」

 

 

 店のドアに手を掛ける前に、いちおう忠告しておく。桜内さんはよく分からない、というような表情を浮かべながら首を傾げていた。無理もない。

 

 その顔を見てから、俺は店に入る。

 

 

「こんばんわー」

 

 

「あ。拓ちゃんっ、いらっしゃいませだにゃーっ!!!」

 

 

「…………? え? え?」

 

 

 店内に足を踏み入れた瞬間、俺たちを出迎えたのは超ハイテンションな店員の奇抜な挨拶。案の定、桜内さんはその場に立ち尽くしたまま呆気に取られている。

 

 俺たちの前に立つのは、黄色のチャイナドレスを身に纏い、頭頂部付近に二つのお団子の髪飾りを付けた橙色のショートカットの綺麗な女性。初めてこの人を見て驚かない人間は、この広い世界にもそうそういまい。

 

 

「お疲れさまです凛さん。今日も元気っすね」

 

「もっちろんっ! って、あれ? 拓ちゃん、今日はお連れ様もいるのかにゃ?」

 

 

 チャイナの店員は、俺の後ろに立つ桜内さんに気づく。

 

 

「はい。さっき駅前で偶然会って」

 

「拓ちゃんが女の子を連れてくるなんてめずらしいね~。いらっしゃいっ! ゆっくりして行ってにゃっ!」

 

「は、はいっ。よろしくお願いしますっ!」

 

 

 テンパった桜内さんはそんな返事をする。よろしくされるのはどっちかというとこっちなんだけどな。

 

 

「あっ、ちょっ、あの……」

 

「へー、とっても可愛い子。拓ちゃん、一体どこでこんな女の子を拾って来たのかにゃ?」

 

「拾ってませんよ、人聞きの悪い。この前、荒川の河川敷で歌ってる時にたまたま会ったんです」

 

 

 桜内さんの近くに行き、匂いを嗅いでどんな人間なのかを知ろうとする猫のように彼女の全身を眺めるチャイナの店員。当然、桜内さんは困った顔をしてる。でも、この人に目をつけられたら諦めるしかない。

 

 

「でも、本当に可愛いね。まるで、()()()()みたい」

 

 

「────っ!?」

 

「ほら凛さん、そんな舐めるようにジロジロ見られたら困りますよ。離れる離れる」

 

「えー。久しぶりに美少女を見られて嬉しかったのに~」

 

「はいはい。凛さんも十分綺麗ですよ」

 

「ホントっ!? えへへ、拓ちゃんに褒められたぁ」

 

 

 桜内さんから離れさせながら軽い感じでそう言うと、チャイナの店員は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

 

「驚かせてごめんね、桜内さん。こちら、この猫あかりでバイトをしてる凛さん」

 

「星空凛でーすっ。よろしくねっ!」

 

 

 俺が紹介すると、チャイナの店員──凛さんは桜内さんの手を握ってまたスキンシップを取りに行く。桜内さんは未だに凛さんのハイテンションについて行けず、目を丸くして前に立つチャイナ娘を見つめていた。

 

 

「さ、桜内、梨子です」

 

「梨子ちゃん、っていうんだにゃっ! 可愛い見た目にピッタリな名前だねっ」

 

 

 凛さんは握った桜内さんの手をぶんぶんと上下に振る。それから手を離して、その小さな身体を軽やかに翻した。

 

 

「じゃああっちのお席にご案内するにゃーっ」

 

 

 そうして凛さんは俺たちを窓際の席へと案内してくれる。まだ時間が早いからか、店内にいる客は俺たちだけだった。冷静に考えればそれもそう。常に酒が入ってるんじゃないか、ってくらいのハイテンションで絡んでくるこのチャイナがいる所為か、ここを一件目に選ぶ奴はまずいない。常連でも一、二件のウォーミングアップを入れてから来るんだから。素面で凛さんと絡める客は、俺を含めても数人しかいないと思う。

 

 

「じゃあお冷とメニュー持ってくるねーっ」

 

 

 俺と桜内さんが席に腰を下ろすと、凛さんはそう言って厨房の方へと消えて行った。それでようやく騒がしさが落ち着く。桜内さんは黙って厨房の方を見つめていた。

 

 

「気をつけてね、って言った意味が分かった?」

 

「は、はい。ちょっとだけ、ビックリしました」

 

「はは、驚かせてごめん。凛さんはあんな感じでいっつも騒がしいけど、良い人だから心配しなくていいよ」

 

 

 俺がそう言うと、桜内さんは頷いてくれる。

 

 

「それは、なんとなく分かります」

 

「そうでしょ。凛さんは俺の二つ上の先輩でさ、プロのダンサーになるためにここでバイトをして、アメリカに留学するお金を貯めてるんだって」

 

 

 厨房の方から凛さんの中国語と笑い声が聞こえてくる。たぶん、店長とまたバカ話でもしてるんだろう。

 

 

「…………二つ年上、ダンス」

 

「うん? どうかした?」

 

「ああ、いえ。なんでもないです。ただ、」

 

 

 桜内さんは凛さんがいるであろう厨房の方を見つめて口を開く。

 

 

 

「あの人、どこかで見た事あるような────」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから食べ物と飲み物を注文し、俺はビールを飲みながら桜内さんと話をしていた。彼女が飲んでいるのはオレンジジュース。初めて会った男の奢りで酒を飲むのは、ちょっと憚られるか。単純に飲めないのかもしれないけど。

 

 

「そういえばさ」

 

「はい?」

 

 

 そう言うと、俺の向かいの席で春巻きを咥えている桜内はこちらを見てくる。さっきは流してしまったけど、酒が入った今なら訊ける気がした。

 

 

「なんであの駅で降りたのか、そろそろ教えてくれたりしない?」

 

 

 桜内さんは一度箸を置き、春巻きを咀嚼しながら何かを考えるような表情を浮かべる。彼氏の家に来たのでは無ければ、何のためにこんな下町に来たのか。それが気にならないと言えば嘘になる。

 

 

「一之瀬さんも、この辺りに住んでいるんですか?」

 

「まぁね。駅から五分くらいの所にあるおんぼろアパートで、寂しく一人暮らししてるよ」

 

 

 質問に質問を返され、そう答える。俺が住んでいるのは築五十年、木造二階建て、線路目の前、小学校目の前、ゴキブリ出放題、家賃五万五千円、駅から徒歩十分、トイレ風呂付、六畳一間で大家の婆さん以外、入居者がいないスーパーボロアパート。

 

 桜内さんはまた口を閉ざし、向かいにいる俺の顔を琥珀色の目でジッと見つめてきた。

 

 

「…………大学の友達以外には秘密にしようって思ってたんですけど、一之瀬さんになら教えてもいいです」

 

 

 桜内さんはそんな前置きをしてから、話し始める。

 

 

「実はこの前、私が通ってる大学の寮が火事になってしまったんです」

 

「…………ん?」

 

 

 なんかニュースで見たような気がする話だな、と思うが、俺の様子に気づかない桜内さんは話を続ける。

 

 

「私の部屋は無事だったんですけど、大部分は燃えてしまって、その修繕が終わるまでの三か月間、学校が借りてくれたアパートに住む事になったんです」

 

 

 ふぅ、と小さなため息を吐く桜内さん。その決定に納得いっていないのは彼女の顔を見ればすぐに分かった。

 

 

「それで、そのアパートがここら辺にあるんだ?」

 

「そうみたいです。いつまでもホテルに泊まるわけにもいかないので、今日から住まなくちゃいけなくて」

 

 

 桜内さんの言葉を聞いて、彼女が駅前にいた事に関しては腑に落ちる。だが、また気になる事ができた。

 

 

「ちなみに、桜内さんが通ってる大学って」

 

「聞いた事あるかどうか分からないですけど、秋葉にあるO大、っていう美術大学です」

 

「マジか…………」

 

「?」

 

 

 驚愕を隠さずにそう呟くと、桜内さんは首を傾げる。

 

 彼女が通っているという大学は、都内でも有数の超お嬢さま学校。詳しい事はよく知らないが、そこに通う女子大生は軒並みガードが硬い事で有名だった。一般人が合コンでもしようものなら、自己紹介をした瞬間に相手が全員帰ってしまう、という恐ろしい都市伝説も聞いた事がある。

 

 そこの寮が不審火によって燃えたニュースは、数日前にテレビで話題になっていた。まさか彼女がそこの学生だったなんて。いや、見た目は確かに通ってそうだけども。大丈夫だろうか。フリーターがこんなハイレベルな女の子と中華料理屋で安い飯を食ってていいのか? 

 

 

「どうかしました?」

 

「あ、ああ。いや、なんでもないよ。大変だったんだね」

 

 

 動揺を隠しながら何とか返事をする。今からでも凛さんに頼んで高級なフカヒレでも頼むべきだろうか。それで彼女が満足してくれるかは微妙だが、格安の春巻きや麻婆豆腐よりかは断然マシだろう。金は無いのでまた凛さんにツケてもらう事になってしまうだろうが。

 

 

「はい。でも、そのおかげでまた一之瀬さんをお会いできましたから、よかったです」

 

 

 うっ、笑顔が眩しいっ。どんだけ良い子なんだ。

 

 

「そ、そうだね。俺も嬉しいよ」

 

「じゃあ、今度は私が訊いてもいいですか?」

 

 

 誤魔化すようにビールに口をつけると、桜内さんは俺に向かってそう言ってくる。

 

 

「いいよ。何かな?」

 

「その、一之瀬さんはあの駅前で毎日歌ってる、って言ってましたよね」

 

「うん。そうだよ」

 

「それは、何のためにですか?」

 

 

 桜内さんの問いを聞き、俺は少しだけ黙る。自分で言ったのだから、答えづらいというわけじゃない。ただ。

 

 

「プロのミュージシャンになるため、かな」

 

 

 ほとんど初対面の女の子に大袈裟な夢を語るのは、なんとなく心苦しい気がしたから。

 

 

「……プロの、ミュージシャン」

 

「途方も無い夢だけどね。そうなれたらいいな、って思って、二年前に上京してきたんだよ」

 

 

 そう言えば、初めてこの町に来たのも四月だった。そんな過去を思い出して、ちょっとだけセンチな気持ちになる。まいったな。酔った所為だと思おう。

 

 

「もちろん、そう簡単に叶う夢じゃないのは分かってる。でも、何もせずに田舎で燻ったままなのは嫌だったんだ」

 

「だから、東京に来たんですか?」

 

「うん。さっき見てもらった通り、結果は散々だけどね」

 

 

 桜内さんにそう言ってからまたビールを飲む。

 

 口の中を流れるそれは、いつもより苦く感じた。

 

 

「でも、素敵な夢だと思います」

 

 

 沈黙の後、桜内さんはそう言ってくれる。けれど、素直さを失った酔った頭はその言葉を否定しようとする。

 

 

「夢がどれだけ素敵でも、叶わなきゃ意味は無いよ」

 

「それは、分かります。でも、明確な夢がある生き方っていうのは、とても素敵だと思うんです……私には、もう」

 

 

 桜内さんはそこまで言って、ふるふると頭を左右に振る。その仕草が何を意味するのかは、知る由も無かった。

 

 

「そんな風に言われたの、初めてだよ」

 

「ふふ。なら、私が一之瀬さんの初めての人、ですね」

 

 

 笑いながらそう言った途端、それが誤解を招きそうな言葉だったのに気づいたのか、桜内さんは顔を赤くする。

 

 

「ありがとう、桜内さん。また元気出たよ」

 

「い、いえ。お気になさらず」

 

「俺の初めての人は桜内さん、って事でいいのかな?」

 

「それは忘れてくださいーっ!」

 

 

 真っ赤な顔を両手で隠す桜内さん。彼女の恥ずかしそうな仕草を見つめながら、残ったビールを飲み干す。

 

 何だかさっきより、苦味が薄くなった気がした。

 

 




次話/桜色の物語
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