西木野真姫
第四話/西木野真姫
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夜の帳が落ちたいつもの駅前に、今日もアコースティックギターの音色を響かせる。風が少し強いらしく、離れた所に咲いている桜の花びらが、歌っている俺の所まで運ばれてきた。そんな儚い薄紅色を見つめながら六本の弦を弾き、メロディに合わせて歌を歌う。言わずもがな、この弾き語りに耳を傾ける聴衆は皆無。
つまるところ、普段のバイト終わりの光景だった。
最後の曲のアウトロを弾き終わり、周囲に静寂が流れる。それだけ聞けば詩的な表現に感じるかもしれないけど、俺が欲しいのはこんな静けさじゃない。一生懸命歌ったんだから拍手くらい欲しい、と思ってもバチは当たらないだろう。
雲に覆われた夜空を見上げ、息を吐く。疲れた所為、それもある。でも今のは五割くらいがため息だった。
────バイト終わりにこうして、いつもの場所でいつも通りに路上ライブをする。これも俺のルーティン。
いくら下町の駅前だからと言っても、路上ライブをするには警察の許可がいる。俺が歌ってるスポットの数十メートル先にもバリバリ交番があって、そこの前には明らかに学生時代柔道とかレスリングをやっていたであろう、ゴリゴリのガタイをしたおっかないお巡りさんがこっちをガン見して立っている。許可をもらわずにライブをすると、あのゴリラみたいなお巡りさんに御用になるのは今どきの小学生だって分かるだろう。
だが、俺の場合はそうならない。何故か? 答えは簡単。許可なしでライブをやりまくって、そのやった回数分、あの交番にお世話になったから。言ってみれば、俺は前科を何百回と重ねた犯罪者。だが、誰の迷惑にもなっていないし(そもそも誰も聴いてくれない)、ロータリーの端っこだから通行の邪魔にもなってない。
という言い訳を吐き続けたところ、こうして許可なし+お巡りさんにガン見されてる状況で路上ライブをしても、お咎めを受けなくなった。というか、罪を重ねすぎてお巡りさんも痺れを切らしたんだろう。台風だろうが大雪だろうが、何が何でも毎日必ず現れるフリーターの情熱が、正義に勝ったってわけだ。ちなみに、あのゴリってるお巡りさんとはたまに凛さんの店に飲みに行くほどの仲になった。これも怪我の功名、ってやつか。違うな。
「気は済んだ?」
空を仰いでいると、誰かがこちらに歩み寄りながら声をかけて来る。俺は顔をその人の方に向け、口を開いた。
「すんません、真姫さん。寒かったですか?」
「いろんな意味でサムかったわよ。あんた、よくこの雰囲気であんな風に熱唱できるわね」
切れ長の藤色のジト目に見つめられる。これは間違いなく呆れられてる。四月になったからとはいえ、夜はまだ冷えるのだから仕方ない。この人がサムイと言ったのは気温の事だけじゃないのは分かってるけど。
「そんなんいちいち気にしてたら、ライブなんてやってらんないっすよ」
「バカなのあんた。いい? ライブってのはね、アーティストとオーディエンスがいて成り立つもんなのよ。あんたがやってんのはただの音害じゃない」
「真姫さん。今の俺にそれはちょっと辛辣すぎっす」
ただでさえ痛い傷口に塩を投げてくるその女性。幕内力士でもドン引きするんじゃないか、と思うほどの塩の量だった。この人は俺を殺そうとしてるんだろうか。
「あんた以外に言わないわよ、こんな事」
「それは真姫さんが俺に期待をしてくれてる、って受け取ってもよろしいので?」
「図が高いわ。反省として土下座をしてからあたしの靴でも舐めなさい」
「いや、いくら真姫さんの靴でも美味しくは無いかと」
「誰がいつ味の話をしたのよ」
赤いトレンチコートを着た女性はため息を吐く。それを見て、少しだけ申し訳ない気持ちになったりした。
薔薇色の髪をした釣り目の女性────西木野真姫さんは、俺のバイト先の先輩。歳は凛さんと同い年で、なんと二人は高校の同級生だったらしい。世間って広いようで狭いよな、マジで。
歳は上だけど、現在大学四年生。二浪してから国公立医大に入った自称・苦労人。実家がデカめの病院を経営してて、本人も頭が悪いわけでは無いらしい。なのに二回も落ちた理由をこっそり凛さんに訊いたら『真姫ちゃんは色々あって、音楽から離れられなくなっちゃったのにゃ!』、という謎の返答をもらった。
簡潔に言えば、悪い時期に音楽にハマってしまって、受験勉強に身が入らなくなったって事だろう。残念だ。ちなみにその所為で実家を追い出され、今は恵比寿にある高級マンションで一人暮らしをしてるみたい。
見た目も超綺麗だし、実家も大金持ちの医者を目指してるお嬢さま。なのになんか色々と残念な人。
それが、この西木野真姫さんっていう女性。
「あんた、いま失礼なこと考えてなかった?」
「いえ、真姫さんってうちの楽器屋じゃなくてSMクラブとかの方が稼げそうだな、ってこと以外は何も」
「ふーん。そんなにあたしに踏まれたいの、あんた」
「いだだだ、もう踏んでます真姫さん。ヒールはやめてっ。足の甲にゴルフカップみたいなのができちゃう!」
「大丈夫よ。そしたらあたしが治してあげるから」
「何その新手のプレイ…………って、ちょっ、真姫さんマジでやめっ、ああ────っ!」
閑話休題。それから二分程、俺は真姫さんが履いてるパンプスのヒールに足の甲を踏まれ続けた。穴は開かなかったが、たぶん明日そこが黒くなると思う。なんてこった。俺にそういう性癖は無いってのに。
「まったく。あんたはあたしを何だと思ってるのよ」
腰に手を当てて、足を抑えてる俺を呆れ顔で見下して来る真姫さん。天然SM嬢ですね、という本音が声帯の一ミリ手前まで来たが、次また踏まれたらマジで穴が開くので、死ぬ気で言いたい衝動を堪えた。
「ほら、終わったんなら早く片付けて店に行くわよ。予約の時間、過ぎじゃうじゃない」
真姫さんはそう言って、路上ライブの後片付けを手伝ってくれる。可愛い後輩を容赦なくディスりまくるくせに、こういう優しさを持ち合わせてる。そんなところも、この人を西木野真姫足らしめている所以なんだろう。
医者になる夢を追いながらも、音楽を手離さない不器用な女性。音楽だけを追い駆けている俺とは違う、強い人。俺もいつかこの人のようになりたい、と思う時がある。
「真姫さん」
「なによ」
マイクスタンドを畳んでいる真姫さんに声をかけると、彼女は不機嫌そうにこちらを見てくる。
「夢って、どうやったら叶うんですかね」
本当に何気なく、雑談として俺は真姫さんにそう言った。そんな質問に答えが出せるなら、この世界に夢で悩む人間はいなくなる。それは理解してる。
でも、この路上ライブをした後はいつもこんな事ばかりを考えてしまう。答えの無い堂々巡りを繰り返して、自分勝手に落ち込んで、また明日もここで歌う。
それが、現時点の俺の人生。
真姫さんは片づけをしていた手を止め、こちらを黙って見つめてくる。その藤色の瞳は、目の前に立つ才能の無い男の心を見透かしているような気がした。
「知らないわよ、そんなの」
駅前の通りを救急車がサイレンを鳴らして通り抜けて行った後、真姫さんはぶっきらぼうな口調でそう言った。それから彼女は片付けを再開する。
俺は胸の中で蟠った何かをため息とともに吐き出し、ギターをケースの中に仕舞った。
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