サクラゼンセン   作:雨魂

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隣の部屋の桜内さん

 

 

 

 Monologue/

 

 

 

 人の一生は、生まれた場所では決まらない。

 

 あなたは、そんな言葉を耳にした事があるだろうか。

 

 耳障りがいいだけの、偉人たちが残した格言の臭いを醸し出した、その戯言。俺はそんな言葉を聞く度に、耳の穴に蠅が入った時のような痒みを覚える。

 

 だってそうだろ? その言葉が真実なら、俺たちはどこに生まれたって努力さえすればどんな夢だって叶える事ができる。まるで、舞踏会に行く事を願っただけでその夢を叶えた、貧しいシンデレラみたいに。

 

 けど、それは現実ではあり得ない。海が近くに無い町に生まれたあの子が、プロのサーファーになれないように。雪が降らない町に生まれたあいつが、クロスカントリーの選手にはなれないように。日本で生まれた俺たちが、どう足掻いても大統領にはなれないように。生まれの所為で叶わないものが、この世界には確実に存在する。

 

 だから、俺たちは生まれた環境に合った夢を見る。街に少年野球チームがあるなら、頑張ればプロ野球選手になれるかもしれないし、サッカークラブがあるのなら、努力さえすればサッカー選手になれるかもしれない。だから、俺たちは叶わなそうな夢を口にする。たとえ、それが叶わなくても、その夢を見る事はできるのだから。

 

 そう。かくいう俺も、何も無い田舎に生まれて、その環境下でも見られる夢を見て育った。

 

 小学生の時は、博士になりたかった。中学生の時は、プロのバスケットプレーヤーになりたかった。もちろん今はそのどちらも目指していない。理由は夢を諦めた他の誰かと同じ。どこかの時点で、どう頑張ってもそれにはなれない事を痛いほど気づかされたから。

 

 才能の無い俺には、どれだけ勉強をしたって、どれだけスリーポイントシュートの練習をしたって、秀でた能力が身につく事は無かった。これも生まれの所為にしようとすればいくらでもできる。塾が無かったから博士になれなかった。小学生の時からバスケができるチームが無かったから、俺は上手くなれなかった。そんな風に。

 

 でも高校に入った後、俺は生まれて初めて、育ってきた環境が夢を叶える事に影響しないものに出会った。

 

 それはたぶん、この日本のどこに生まれてもできる事。いや、むしろ何も無い田舎だからこそ、それにのめり込む事が出来るのかもしれない。

 

 それが、音楽。才能や生まれた環境が必要なものの中で、唯一努力だけで栄光へと這い上がれるもの。俺は今でもそうだと認識している。

 

 俺は一人の男と出会ってから、音楽に夢中になった。来る日も来る日も、そいつと楽器を鳴らして、歌った。こんなに楽しい事がこの世にあるのか、と思うくらいに。

 

 ……なのに、生まれはまた俺の邪魔をした。生まれっていうイデアは、俺から音楽以外のものをすべて奪って行った。人生に音楽以外のものはいらない。そう口を滑らせただけで『じゃあ、それ以外は()()()のもんだな』そんな風に、この手から何もかもを奪い去って行った。

 

 俺に残ったのは、音楽だけだった。

 

 だからこそ、俺はそれだけを抱えてこの町(東京)に来た。

 

 そうして、意味も無く歌い続ける日々を繰り返して、今に至っている。

 

 

 Monologue/end

 

 

 ◇

 

 

 

 

 第六話/隣の部屋の桜内さん

 

 

 

 

「………………」

 

 

 朝。俺は、近くで聞こえるピアノの音色で目を覚ました。もちろん、俺にそういう習慣は無い。アラームなんてスマホの初期設定のままだし、むしろ目覚ましをセットして寝床に入る事の方が少ない。

 

 じゃあ、なんで今日はピアノの音が聴こえてくるのか。それを確かめるため、布団に寝転んだまま、視線を電子ピアノが置いてある方へと動かした。

 

 

「…………え」

 

 

 作曲用にいちおう置いている安物の電子ピアノ。俺は基本的にギターでしか作曲をしないから、そこの前に座る事はほとんど無い。たまにシンセとかの音を出したい時に電源を入れて鳴らす、くらいのもの。

 

 だと言うのに、今はそこの前に座って音色を奏でる誰かがいた。いや、その前にこの部屋に他の住人がいる方がおかしい。だから、俺はその人影を見て思った。

 

 

「天、使……?」

 

「あっ。お、おはようございます、一之瀬さん」

 

 

 寝ぼけていたから、だろうか。思った事が理性のフィルターにかからず口から零れ落ちてくる。

 

 俺の声を聞いたピアノの前に座る天使は演奏を止め、焦った様子でこちらを向く。願わくばもう少しだけ、鍵盤を弾いていてほしかった。その優しい音色を聞いていれば、また夢の世界へと墜ちて行ける気がしたから。

 

 

「…………って、あれ?」

 

 

 時が進むにつれて、段々と目が覚めてくる。それとともに、ピアノの前に座っている人影が誰であるのかを認識する事ができた。

 

 臙脂色の髪に、白い肌と琥珀色の瞳。数日前に隣に越して来た桜色の女の子が、何故か俺の部屋にいる。

 

 

「おはよう。ごめん、すっかり寝てた」

 

「私こそごめんなさい。その、起こしてしまいましたか?」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 

 顔を赤くして謝ってくる桜内さんにそう言い、欠伸をしてから掛け時計を見る。朝の八時前。彼女と一緒に帰って来て、色々してから約六時間が経過してる。

 

 

「昨日、というかさっきはごめんね。無理やりあんな事させちゃって。本当は嫌だったでしょ」

 

「い、いえ。ああいうのは初めてではないので、別に」

 

「へぇ。じゃあ結構よくしてたんだ?」

 

「はい。高校生の時は、友達と毎週のように」

 

「毎週? それはすごいな。まぁ、桜内さん優しいから、したい人はいっぱいいたんだろうね」

 

「そ、そうでもありません。一度に八人くらい一緒だった事はありますけど」

 

「マジか。桜内さんも、そりゃキツキツだっただろうね」

 

「そうなんです。一時間ごとに代わりばんこで一人ずつ私のベッドに入ってきたりして」

 

「はは、そっか。じゃあ俺も今度しちゃってもいいかな?」

 

「は、はいっ。ちゃんと綺麗にしておくので、その節はよろしくお願いしますっ」

 

「ふふ、それは俺の台詞だよ」

 

 

 そこまで言ってから、俺は一度伸びをして続ける。

 

 

「でも、本当にごめんね? 急に真姫さんを泊まらせてほしい、なんて言っちゃって」

 

 

 謝ると桜内さんはすぐに首を横に振る。彼女が誰かを部屋に泊めさせるのが、初めてじゃなくてよかった。

 

 

「終電を逃してしまったのなら、仕方ありません。…………それに、いくら仲の良い先輩でも、一之瀬さんの部屋に泊めるわけにはいけませんから」

 

 

 桜内さんは視線を逸らしながらそう言う。最後の方が尻すぼみになって聞こえなかったけど、別にいいか。

 

 ────数時間前。終電をギリギリで逃してしまい、しかも突っ立ったまま眠ってしまった真姫さん。

 

 彼女をどうするべきか悩んだ挙句、俺はナイスなタイミングで近くにいてくれた桜内さんに真姫さんを一晩泊めさせてほしい、とお願いした。

 

 最初は戸惑っていたけど、土下座をする勢いで頼んだらコンビニのプレミアム玉子サンドを買ってくれるならいい、という条件を出され、俺はダッシュでその玉子サンド×3(計千五百円)をダッシュで買って来た。今さらだけど、なんで一個五百円もすんだよあのサンドイッチ。金箔でも入ってんのか? 

 

 

 桜内さんに了承してもらった後は、眠ってしまった真姫さんをおぶってこのアパートまで帰ってきた。そんで、桜内さんの部屋にあるソファに真姫さんを寝せ、何かがあったらすぐに俺の部屋に入って来られるようにと、桜内さんには合鍵を渡しておいたのだった。まさか、本当に入ってくるとは思わなかったけど。

 

 

「真姫さん、寝ぼけて暴れたりしなかった?」

 

「…………だ、大丈夫でした」

 

 

 なんだ、今の微妙な間。明らかに何かがあった感じがバリバリ出ている。昨夜の大立ち回りから引き続き、今度は何したんだあの人。

 

 

「本当に大丈夫だった? 気を遣わなくてもいいからね」

 

「ほ、本当に何も無かったですっ。ただ、西木野さんと話した内容が、一之瀬さんには言えない、というか」

 

「?」

 

「とにかく、何も無かったので安心してください。それに、西木野さんとも少しだけ仲良くなれました」

 

 

 桜内さんはそう言って微笑んでくれる。その顔に偽りは隠されているように見えない。でも、二人が何を話したのかはちょっとだけ気になった。

 

 

「話をしたって事は、真姫さんはもう起きてるの?」

 

「はい。今はお風呂に入っています。その間に一之瀬さんを起こしてくるように、と言われて、ここに来たんです」

 

「なるほど」

 

 

 その説明でだいたいは理解した。そうだよな。何も無いのにこの子が俺の部屋に突入してくるわけが無い。

 

 それより、今はある事の方が気になっていた。

 

 

「桜内さん、ピアノ弾けたんだね」

 

 

 そう言うと、電子ピアノの前に座ったままの桜内さんは一瞬表情を凍らせ、それから口を開いた。

 

 

「…………少しだけ、私も音楽をやっていたので」

 

「そうなんだ。凄く上手だったから、ビックリしたよ」

 

 

 小さな頃からピアノを習っていて、綺麗な衣装を身に纏って発表会に出ている幼い頃の桜内さんの姿が、簡単に想像する事ができた。きっと裕福な家庭に生まれて、実家には綺麗なピアノがあったんだろうな。

 

 質問に答えた後、桜内さんはしばらくの間、電子ピアノの鍵盤に手を乗せたまま動かなかった。その不自然な様子の意味が分からず、彼女を見つめて首を傾げる。

 

 

「どうかした?」

 

「あ……いえ、何でもありません。それと、ごめんなさい。勝手に弾いたりして」

 

「いいっていいって。まぁ、桜内さんの声で起きるのもそれはそれでよかったけどね」

 

「ふふ。次の機会があったら、私が起こしてあげます」

 

「うん。楽しみにしてる」

 

 

 そう言って俺たちは笑い合う。この雲のような感じがする春の朝に、いつまでも包まれていたい、と思った。

 

 

「────邪魔するわよ、って、もう起きてるじゃない」

 

「うわっ…………なんだ、真姫さんか」

 

「なんだとは何よ、なんだとは。人を強盗みたいな目で見ないでくれるかしら」

 

「昨日は強盗より性質が悪かったですけどねー」

 

「なんか言った?」

 

「待つんだ真姫さん。マグカップは飲み物を入れて飲むもので、決して人に向かって投げるものじゃない」

 

 

 インターホンも押さずに部屋のドアを開けて入ってくる、赤いコートを着たの女性。どうやらこの人には後輩()に気を遣う、という概念が無いらしい。

 

 

「西木野さん。用意は終わったんですか?」

 

「ええ、おかげさまでね。シャワーとか諸々貸してくれてありがと、梨子」

 

「いえ、お役に立てたならよかったです」

 

 

 いつの間にか真姫さんが桜内さんの事を名前で呼ぶようになっている。俺が起きる前に話をしたと言っていたが、そんなに距離を縮めるくらい気が合ったのだろうか。というか、これは桜内さんが底抜けに優しいおかげか。初対面であんなにメンチを切られたり罵倒されたりしたら、二度と関わりたくないと思うのが普通だろうに。俺もこの二人が険悪な関係になるんじゃないか、と心のどこかで心配していたので、ちょっとだけ安心した。

 

 

「ほら、あんたもいつまでも布団の上にいないで早く準備しなさい」

 

「え? どっか行くんですか?」

 

 

 布団の上で胡坐をかきながら考え事をしていると、真姫さんはそう言ってくる。今日は俺も真姫さんもバイトが休み。どうでもいいけど、休みが重なる日だけ、俺たちは一緒に飲みに行く。それもほとんど無いんだけど。

 

 

「そうよ。話を聞いたら、この子も大学が休みで空いてるらしいのよ。だからその、昨日は迷惑をかけちゃったみたいだし、何かお礼をしなきゃと思ったの」

 

「ああ、そういう事ですか」

 

 

 腕を組みながらバツの悪そうな表情を浮かべる真姫さん。どうやら桜内さんは昨夜の説明をしてくれていたらしい。真姫さんの記憶は忘却の彼方に消えたみたいだが。

 

 そういえば二人とも既にメイクを終えていて、出かける準備は済んでいるように見える。というか。

 

 

「三人で行くって事は真姫さん、俺にもお礼してくれるんですか?」

 

「んな訳ないでしょ。あたしはこの子にお礼をするのよ。あんたはその付き添い」

 

「ですよねー」

 

 

 淡い期待をしたのだが、即座に一蹴された。そりゃそうだ。今回、迷惑をかけてしまったのは桜内さんに対してだったんだから。……飲みに行く度に介抱してる俺にも、たまには何かをくれてもいいんじゃないか、と思わなくもない。だが、この人にそんな事を期待するだけ無駄だ。

 

 

「早くしなさい、ぐずぐずしてると置いて行くわよ」

 

「それは言われなくてもしますけど。いいんですか?」

 

「何がよ」

 

「いや、ここ俺の部屋なんで、普通に着替えたりしますよ、って話です」

 

「────ッ!」

 

 

 そう言うと、真姫さんの代わりに桜内さんの顔がコンロに火を点けるような音とともに赤くなる。

 

 

「二人がそれでいいなら、俺は別にいいですけど」

 

「あたしは別にいいわよ。ああ、梨子。悪いけどちょっとテレビ点けてくれない?」

 

「い、良いわけありません! わわわ私たちの前で一之瀬さんが着替えるだなんてっ、そんなの絶対ダメですー!」

 

 

 ソファに腰掛けてくつろぎ始める真姫さんとは対照的に、桜内さんは顔を紅潮させてそう言ってくる。真姫さんも真姫さんだけど、桜内さんの反応はなんとなく予想通りだった。逆にそうじゃなかったら俺が混乱してた。

 

 桜内さんは真姫さんの腕をグイグイと引っ張って立ち上がらせ、この部屋を出て行く事にしたらしい。

 

 

「わ、私たちはあっちの部屋で待っていますので、一之瀬さんは準備が終わったら来てくださいっ」

 

「了解。じゃあ、また真姫さんをよろしくね」

 

「何よ梨子。こんな奴の裸を見るくらい、別にいいじゃない。何も減るものなんてないわよ」

 

「あるんです! むしろ大ありですっ! お、おおお男の人の裸を見るだなんて……!」

 

「ピュアなのねぇあんたも。まぁ見た目どおりと言えばそうだけど。でも、あんまり純粋さをアピールし過ぎても今どきモテないわよ? 特に、ああいう鈍い男はちょっとくらい積極的じゃないと気づきすらしないんだから」

 

「いいから行きましょう西木野さんっ。じゃあ一之瀬さん、またあとで!」

 

「う、うん。それじゃあ」

 

 

 そんな会話をしてから、桜内さんは真姫さんを引き連れて俺の部屋を出て行った。

 

 そうして俺は一人、部屋に取り残される。それを自覚し、深く息を吐いてから、出かける準備に取りかかった。

 

 




次話/内浦の海
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