第八話/十年桜
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それから俺たちはゆったりとした足取りで写真を見進めて行く。すると、部屋の一番奥に真姫さんの後ろ姿を見つけた。隣には白髪の男性が立っていて、どうやら二人はある写真の前で何かを話しているらしい。
「真姫さん」
「ん? ああ、ようやく来たわね」
名前を呼ぶと彼女は振り向き、隣にいた男性もこちらを向いた。真姫さんと話していたその人は、髪こそ白いが容姿は若く、見た目では年齢が読めなかった。五十過ぎ、と言われれば信じるし、二十代後半と言われても納得してしまう。なんというか(稚拙な表現かもしれないけど)、不思議なオーラを漂わせているダンディーな男性だった。
「こちらがこの写真展を開いた方よ」
真姫さんがその男性を俺たちに紹介してくれる。言われる前からなんとなくそんな気はしていた。
俺と桜内さんは会釈をして、その白髪の写真家と向き合う。彼は顔に羊雲のように穏やかな笑みを浮かべ、俺たちを見つめてくる。
「初めまして、佐伯と申します。西木野さんのご友人、でしょうか?」
「はい。まぁ、そんなところです」
「はぁ? 誰があんたの友達なのよ。踏まれたいの?」
「待つんだ真姫さん。美術館では静かにしないとダメなんですよ」
「分かったわ。じゃあ静かに踏むから」
「残念ながら俺が言いたいのは踏み方の問題じゃないです」
「ふ、二人とも。ちょっとうるさいです」
そんな俺たちのいつも通りのやり取りを見て、佐伯さんは笑っていた。なんというか、笑い方も超エレガントだった。桜内さんはなんかオロオロしてる。
「はは。でも、西木野さんに年の近い友達がいて安心したよ。彼女には私のような一回りも二回りも年上の知り合いしかいない、と思っていたからね」
「ああ、分かります。この人、自分より年上の人としか酒は飲めない、とか言うんですよ。まったく、同年代を見下してるっていうかなんていうか。そういうのは中二までに卒業しててくださいって話ですよね」
「あんたは後で泣かすから覚悟してなさい。今日は何がいいかしら? 縄? それともまた首輪かしら?」
「どっちも嫌に決まってんでしょうが。つーかまたって何ですか」
「な、縄……首輪……ごくり」
「桜内さん。なんか顔を赤くしてもじもじしてるけど、違うからね。そんなのやられた事ないからね」
俺と真姫さんがヤバそうな事をしてると勘違いしてるであろう桜内さんに弁明する。佐伯さんにあっては声を上げて笑ってる。あと、数人の客がこっちに不審な目を向けてるんだけど、大丈夫かな。写真展を開いた本人が怒られる、とか無いよね。
「ふふ、西木野さんの違った一面も見られて私も嬉しいよ。もし君が西木野さんの恋人だったなら、今夜ディナーでも連れて行ったのに」
「佐伯さん。その気持ちは嬉しいですけど、踏まれている俺の足を守るためにお断りさせていただきます」
佐伯さんの爆弾発言を聞いた直後、俺の右足はパンプスのヒールの餌食に。なんてこった。桜内さんは『こ、恋人……っ』とか言いながら頬を両手で隠している。
「それで、そこの綺麗な彼女も、西木野さんのご友人なのかな?」
それから佐伯さんは俺の隣にいる桜内さんに顔を向ける。彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべて、その言葉が間違いだと言うように、顔の前で手を左右に振った。
「い、いえ。私はその、ただの知り合いで」
「そうだったのかい……それにしても君、どこかで」
桜内さんの声を聞いた佐伯さんは、手を自身の顎先に付けながら彼女の顔を凝視する。その言葉からして、彼女をどこかで見かけた事があるのかもしれない。
そうして数秒後。佐伯さんは何かを思い出した、みたいな表情を浮かべた。
「不躾な質問で申し訳ないけど君、名前は?」
「桜内、梨子です」
「ああ、やっぱりそうだ。まさかこんな所で会うだなんて。実は、娘たちが君の大ファンだったんだ。会えて光栄だよ。来てくれてありがとう」
桜内さんが自己紹介すると、佐伯さんはそう言って彼女に手を差し出す。まるで、有名人と顔を合わせた時のように。だが、俺にはその意味が何ひとつ分からない。
佐伯さんの娘さんが、桜内さんのファンだった?
「…………? …………???」
「こ、こちらこそ、ありがとうございます」
「いやぁ、帰ったら娘たちに自慢できるよ。今は違うグループを熱心に追いかけているみたいだけれど、始まりは君たちだったんだ。とても喜ぶと思うよ」
嬉しそうにそう語る佐伯さん。だけど、桜内さんはどこか恥ずかしそうな表情で俺の方をチラチラ見てくる。どうしたんだマジで。桜内さんと佐伯さんの娘さんの間にいったい何があったんだ。超気になるぞ。
「この写真展に来てくれたって事は、内浦の写真も見たかい?」
「はい。とても綺麗で、見ていてなんだか懐かしくなりました」
「はは、そうかいそうかい。あれは去年の夏、娘たちと沼津に行った時に撮った写真なんだ。君に見てもらえて本当に嬉しいよ」
そうして佐伯さんと桜内さんはそんな会話をする。真姫さんは薔薇色の髪を人差し指でクルクルと巻きながら二人の話を聞いている。なんとなくだけど、この人も佐伯さんの言っている事を理解しているみたいだった。つまり、俺だけが蚊帳の外にいるっていう事。なんで?
「ごめん、桜内さん。どういう事?」
「ん? なんだ君、彼女の知り合いなのに知らなかったのかい? 高校生の時、彼女は有名なスク────」
「あああああっ! 一之瀬さんは聞いちゃダメです!」
佐伯さんの言葉を、真っ赤な顔をした桜内さんは俺の耳を塞いで聞こえなくしてくる。どうでもいいけど顔が近い。あと、めちゃくちゃ良い匂いがする。
「すいません佐伯さん、もう一回言ってもらってもいいですか?」
「だ、ダメですっ。一之瀬さんにはまだ早いですっ」
耳を塞がれたまま、桜内さんにそう言われる。まだ早い? なんだそれ。もしかしていやらしい事なのか? でもこの子がそういう事をするとは到底思えない。あくまでも今の俺が見ている桜内さんは、だけど。
そうやって俺たちが不毛な争い? をしていると、呆れ顔の真姫さんがこちらに近寄って来た。
「ほら、やめてあげなさい梨子。ていうか、そもそもは何も知らないこいつが悪いんだから、あんたは何も気にしなくてもいいのよ」
「え、俺が悪いんすか?」
「そうよ。あんたは少し音楽以外の文化を知りなさい」
俺の耳に付けられた桜内さんの手を退かし、そう言ってくる真姫さん。そしてなぜか怒られた。理由はもちろん分からない。俺が無知な所為、なのか?
そんな俺たちのやりとりを見て、佐伯さんはぽんと拳を手のひらに乗せ、何かを納得するような仕草をする。
「なるほど、そういう事か。気を遣わなくてすまなかったね桜内さん。私も少し興奮していたものでね」
「……だ、大丈夫、です」
佐伯さんに謝られた桜内さんはそう言って、安堵の表情を浮かべる。秘密がばれなくてよかった、とその綺麗な顔に書いてあるような気がした。
「とにかく、あんたはこれ以上なにも訊かない事ね」
「なんでですか。教えてくださいよ」
「いいから言う事を聞きなさい。それともあんた、この子に嫌われてもいいの?」
「嫌われる?」
言葉の意味が分からず訊き返すと、真姫さんは桜内さんの方を見て彼女に向かって口を開く。
「ねぇ梨子。もしこいつがしつこくあんたの事について訊ねてきたりしたら、あんたはこの男をどう思うかしら」
「嫌いになります」
「そういう事よ。ほら、まだギリギリ嫌われてないんだから泣かないの。男でしょ」
「俺が何をしたっていうんですか…………っ!」
真姫さんの質問に、無表情で心無い答えを返す桜内さん。初めて見る彼女のその顔は、それが偽りではない事を物語っていた。つーか、そんなにヤバい事なのかよ。そこまで言われたらもっと気になるじゃん。残念だが、今日の夜は悶々として眠れない事が決定した。
理不尽な状況に耐え切れず真姫さんに慰められながら涙を流していると、何かに気づいた桜内さんが俺たちの横を通って前に歩いて行く。
「………………この写真」
「ああ、そういえば紹介し忘れていたね。これが、この写真展を開くきっかけになった写真だよ」
桜内さんの言葉に、佐伯さんはそう答える。二人の声を聞いて、俺もようやく顔を上げ、そこに飾られている写真を見つめた。
そして、同時に息を呑んだ。
「これって」
「もしかして君たち、この桜を見た事があるのかい?」
俺と桜内さんの反応を見て、佐伯さんはそう訊ねてくる。俺たちは同時に頷き、その問いに答えた。
「なんだ、そうだったの。あんたたち桜が好きだっていうから、この写真を見せたら驚くかと思ったんだけど」
少しだけ残念そうな声のトーンで真姫さんは言う。でも、それは少しだけ間違っている。
俺も桜内さんも、もう充分驚いているから。
「この桜は十年桜と言って、写真家の中では有名な桜なんだ。他の人たちからすればマイナーなんだけどね」
「…………十年」
「桜…………」
「そう。どうしてそんな名前になったかは知ってるかい?」
俺は首を横に振る。桜内さんもどうやら知らない様子だった。それを見て、佐伯さんは再び語り始める。
「これは言い伝えなんだがね。遥か昔、一人のお姫さまと彼女に仕える侍の少年がいたらしいんだ。二人は立場の壁を越えた恋人同士で、他の誰かに見つからないようにお互いの事を愛し合っていた」
突然始まったその話に、俺たちは耳を傾ける。
「けれどある時、姫さまの父親に二人が恋仲だという事が知れ渡ってしまう。それで、侍の少年は遠く離れた土地へと移り住まなければならなくなってしまい、姫さまは外に出る事を禁じられてしまう」
それは、どこにでもありそうな昔話。
でも、何故かその話には心が惹かれた。
「離れ離れになるその日。お姫さまの家の中にあった桜の木の下で、『十年の月日が経った後、この桜の下でまた会おう』と、二人は約束を交わした。それから姫さまは遠くに行ってしまった少年を想い、来る日も来る日もその桜の下で少年とまた会える事を願った。
そして、十年が経ったある日。約束通りに二人はこの桜の下で再会して、幸せな日々を過ごしましたたとさ」
めでたしめでたし、と微笑みながら佐伯さんは語る。
俺と桜内さんはその話を聞いた後も、目の前に飾られた美しい『十年桜』の写真を見つめ続けていた。
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