「富士砕き!」
百代の拳が、高昭の腹部に直撃する。だが、一瞬の内に、攻撃が通じたという感触は消え失せ、百代は本能から来る行動で、高昭の反撃を躱す。
合計すれば、既に二桁を超える攻撃を受けながらも、高昭の外傷は殆ど無かった。
「無尽蔵とも言えるだろうな。気の総量がまるで読めない。」
百代が目配せをすると、京は黙って頷いた。
それは、他の皆が退避した事を示し、この戦場に残ったのが三人だけである事と今更ながらの警告であった。
「でも、タンクが優秀でも供給口が小さいなら……。」
京が数発の矢を牽制で放つと、高昭は空中に足場を作り出し、避ける。
追撃に百代が放つかわかみ波。それも避ける。だが、反撃を行う素振りは一切ない。
「こっちは、一日分疲労も溜まっているからな。一気に畳みかけるぞ。」
百代が合図をすると、京は頷く。断続的に回避か、迎撃の行動取らせるべく、矢を放ち続ける。それは、高昭にとって致命傷にはならない攻撃ではあるが、行動を制限するには十分。そして、仮説が正しいならば、高昭の気の総量を減らすのが主な狙いである。
「かわかみ波!」
高昭の逃げ先を潰すように、百代はかわかみ波を撃つ。高昭が万全の状態であれば『渦雷』で打破ずるべき局面であった。
しかし、高昭はそれをしない。
「陰撃ち。」
高昭は空中に作り出した壁を叩くと、体内にストックしておいた衝撃を、気の壁に向けて放出する。飛来する矢を粉々に砕きながら、衝撃波は空気を軋ませる。そして、既にコンクリートがひん剥かれ、土が露出している道路を抉り、土と雨粒を舞い上げる。
疲弊を騙し騙しで戦う百代と京に対して、高昭は顔色一つ変えない。だが、その口からは血が流れ出ていた。
外傷は無くも、その体の内側への負荷が既に見た目に表れ始めた。
瞬間回復を三度残す百代であるが、京の限界を感じて、闘気を収める。
「流石は武神といったところか、既に絡繰りには気づいていたんだろう。」
「お前が『修羅』である以上は、いいや少し言い方が違うな。お前と同等の覚悟が無ければ、止められない。」
最早お互いに戦意は無く、目的を達成した以上は百代達に軍配が上がっていると言える状況。しかし、元々の修羅討伐に主眼を置けば、高昭に軍配が上がっている。京は、乱れた呼吸を整えながらも、百代と高昭の会話に耳を傾ける。
「そうだ、死合と言えば聞こえは良いが、それでは単なる殺し合い。でも、そうじゃない。そんな事を口走る奴ほど覚悟は無い。誰も殺せやしない。お前たちや、川神院の奴らのようにな。」
「耐えきれる攻撃を実質的に無力化する術。それがお前の陰撃ちならば、相対する者が、私や京がお前の命を度外視しなければ、突破は殆ど不可能。」
「でも、私たちは、誰かを殺すことは……。」
「あの梁山泊ですら、躊躇った。項羽もだ。それを、人殺しを、出来ないなら俺には勝てない。俺は止められない。殺せないなら殺せまい。」
妙に饒舌になる高昭に、京は違和感を覚える。だが、止められないと分かった以上、京と百代の目的は、高昭を止められる人物が来るまでこの場に留める事だった。例え、会話を続けるという手段であっても、である。
「武神。その点で言えばお前の妹の攻撃が俺の命には一番近かった。」
高昭が無表情に自らの首筋を撫でて、もう少しで一子の薙刀が、高昭の命に届きそうだった事を表現する。
「奴は、俺を的確に『修羅』と捉えた。だから殺らねば殺られると、本能的に感じ取ったのかもしれない。しかし、他は駄目だ。『壁』であると、『黒田』のままであると信じ、まるで俺が奴らに興味があったかのように振る舞う。」
戦う意思のない百代に視線を向けると、高昭は薄ら笑いを消して言葉を投げる。
「そもそも『当て馬』としての役割も担う筈であったが、武神の見識はどうも常人とは尺度が違うようだ。果たして、俺がどのように映っているのか気になりするが――。」
高昭が振り向くと、そこには紗由理を背負った亜巳が近づいてくる姿があった。
行動を咎められ、近しいものに止められる事を恐れているからこそ梁山泊を使い足止めをした。その筈であるというのに、高昭の表情には喜色が混じっている。
背負う紗由理を、起こそうとする亜巳を見て、高昭は確かに口角を吊り上げる。
「亜巳?ここは……。」
意識を浮上させた紗由理は、自らの足で大地を踏みしめながらも、辺りを見回した。
「亜巳、それに高昭。何がどうなってるの?記憶がぐちゃぐちゃで何も分からない。」
弱々しく呟く紗由理。亜巳は肩を貸しながら黙っていた。
「待ち焦がれていたぞ、黒田紗由理。」
「高昭?」
まず異質だったのがその呼び方。そして、好戦的な表情であった。
紗由理はその真意が分からずに、何も言い返せなかった。何も分からなかった。目を覚ましたばかりで、頭が働いていない。
「若しや、あんたは自分に都合の悪いことを忘れるのが特技だったか?今日、何があったのかも忘れたんだろう。俺が修羅へと堕ちた時のことも忘れていたんだもんなぁ!」
紗由理は、その言葉を受けて少しずつ記憶を手繰り寄せていく。
この日、紗由理は両親に呼ばれて道場に正座していた。
二、三十分待っていると父親とそれに従うようしている母親が入ってくる。そして、扉越しに背を向ける高昭が居た。
「父さん、話って何?」
紗由理は両親の顔を見て、前向きな話題では無いと感じ取った。
「落ち着いて聞いてくれ。」
父の忠告を受けて、紗由理は身構える。
「 。」
「えっ。」
紗由理は、その言葉が理解出来なかった。
聴覚の遮断。それだけではなく、嗅覚、触覚、或いは味覚も無かったのかもしれない。目に映る世界がとてもゆったりと見えた。
呆けたように首を傾げる紗由理であったが、父親に肩を掴まれて、正気を取り戻してしまう。
「冗談でも何でもない。よく聞いてくれ。」
「お前は、俺たちの子供ではない。」
今度は確実に、はっきりと聞き取れた。紗由理は、自分が何故だか冷静であるように思えていた。
「じゃあ、誰の子なのよ。」
言葉を言い切ると、その答えを返す事無く、紗由理に、母親と思っていた女性が抱きついた。
「ごめんね紗由理。私が悪いの。」
紗由理は抵抗も無く、そもそも力が抜けていて、ゆっくりと体を預ける。
「貴女は、色んな遺伝子を掛け合わせて生まれた人間なの。だから厳密には私や高昭とは家族ではないのかもしれない。でもね紗由理、貴方はお父さんの遺伝子は受け継いでるから、全くの無関係の人間ではないの。」
返事も、反応も、紗由理は返さずにただ瞳を揺らすだけだった。
そうしていると、紗由理の遺伝学上の父親が紗由理が長年に亘って母親だと思っていた女性を引きはがした。
「事実を、はっきりと言え。高昭を利用してデータを消させた以上、お前しか真実を知らない。紗由理と俺に、全てを説明しろ。」
「貴方が知ってるので全てよ……。紗由理は、九鬼と川神、中華の英雄である項羽、そして貴方の遺伝子から最良の人間を創るプロジェクトKの成功例。識別番号『K』。それ以上でもそれ以下でもない。」
――私が実験体?
「じゃあ何故、記録の一切を消去させた。」
「あのままマープルが負けたら遅かれ早かれ紗由理の事が知られてしまうからでしょ。不確定要素は取り除くべきだった。」
「そんな事をせずとも紗由理は暴走なんかするものか!」
――暴走?私はそんなに危険なの?
「もしもの為にと、高昭を修羅に堕とそうとした貴方が、危険性を語るなんて……!」
「その時は俺が止める。初代の残した書物を間違った解読をした俺にも責任がある。」
そして紗由理は思い出した。思い出したくない記憶を、あの日何が起こったのかを。
「そっちに行っては駄目!紗由理は知らなくて良い事なんだから!」
幼い紗由理は、母の静止を振り切り、無視を決め込んだ。高昭に物心が付き始めると両親は紗由理へのスキンシップが疎かになった。
特に父親は、修行の為に高昭を連れて道場に籠る。紗由理はそれが楽しくなかった。武道から遠ざけられている事を、幼い紗由理は何となく知っていた。
故に、紗由理は我慢しなかった。何故なら、その日は高昭と父親が居るのは道場ではなく書斎であったからである。
武術でなければ、迷惑は無いだろうと、漠然と考える。
そして、武道に詳しくない母親もまた、座学を邪魔をするくらいは旦那が抑えると思い、紗由理を追いかけるものの本気で止める事は無かった。
そして、全てが間違いだったと思い知る。
「があああああ!」
叫び声。
当時、黒田本家に暮らしていた為、その声は紗由理だけでなく祖父母や、時間外に修行をしている門下生が居れば聞こえていただろう声。
幼い男子の声であった。間違いなく物心ついて直ぐの高昭の悲鳴であった。
紗由理だけでなく、母親も、何事かと走った。そして目にしたのは、部屋を舞う紙の類と、血に濡れた手を拭う父親と、血と共に倒れ、壊された丹田から気を噴き出す幼い高昭だった。
この後に、川神の地に紗由理たちは引っ越す事になる。
フラッシュバック。
紗由理は、暴走をする。一度目は血を流す弟を見て、自分も同じ目に合わないように。二度目となる今回は、一度目を思い出したからであった。
抑えきれない気。紗由理の体から放出される暴風となって室内を埋め尽くす。それは当然紗由理以外の人物に暴力として襲い掛かる。心得のない者が、壁に叩きつけられて呻き声を漏らすのは必然であった。
「違う、私は、そんなつもりで。」
制御出来ぬは力のみであり、はっきりと意識を持つ紗由理は、自分が母親と二十年間信じていた女性が力なく倒れ伏すのを見ていた。
過去に高昭がされたように、今度は紗由理が家族へと手をかけてしまった。そしてその事実が、混乱を生み、自省が自制を食い破ろうとしていた。過去の暴走は、未発達の体で今回と同じように気を放出しようとして――結果としては何も起こらなかった。暴走すれば自身の体すらを滅茶苦茶に壊してしまうと、本能が止めたからである。だが、今の紗由理は成熟した女性である。
故に、本人は問題ないと錯覚し、本能は止めない。
しかし、両親はそれが命を削る呪いだと知っていた。気の総量こそ規格外であっても、暴走を恐れて修行から遠ざけてきたのが仇となっていた。事実を知れば、今のように暴走しかねない。故にこの日に全てを打ち明けようとしていたのだ。
このまま本気を出し続けていれば、紗由理の命は一週間と持たない事を両親は知っていた。本能は瞬間の命の危険は勘定しても、長期に見れる訳が無い。
「高昭。紗由理を止めてくれ。お前は『修羅』へと堕ちたのであろう!」
父親に呼ばれて、高昭は傍観を諦める。
「駄目よ、高昭!家族を繋ぎとめるのに戦いで解決してはいけないわ!」
「無茶をするな!お前を避難させるにも、まずは暴走の足止めはしなければいけない。家族全員が無事で終える為にもここは――」
言い争う両親を見る高昭は、微塵も興味を示さず、紗由理をちらりと見ると、拳を握った。
「家族か。」
そして高昭は、笑みで顔を歪ませるのだった。
「家族にはこうするのだったなぁ!」
高昭の拳は、父親の腹部に叩き込まれる。状況も何もない。夫婦そろって壁まで吹き飛ばされて蹲るのを見て高昭は口角を吊り上げる。
紗由理にとって、自身の身に起きた事以上に、信じられない光景だった。
「なんで……!」
「おいおい、自分は母親ぶっ飛ばしておきながら、俺には是非を問うのかよ。」
返事を聞くことなく、紗由理は高昭に向かって駆け出した。性質だけが修羅と堕ちた高昭と違い、紗由理はその潜在能力が化け物じみていた。
「渦雷。」
高昭は接近すら許さない。全力で以って紗由理の接近を拒否する。余波で更に両親を傷つける事を知っても尚、紗由理は暴走し、高昭は自発的に力を振るう。
「あんたにとってもそうだろうな。『弟』か?『跡継ぎを代わってくれた存在』か?何にせよ、自分が自分勝手に、望み通りに動く為の『部品』と思っていたんだろうよ。そこに這いつくばる連中と同じだ。」
均衡していた力は、高昭に傾き、紗由理は徐々に押され始める。
「俺はそこの女にとって『家族を繋ぐ為の部品』だった。唯一、血で縛る事が出来るのが俺だけだからだ。だが、それ以上の価値も無い。作り置きすらすることは無い。昨日、お前も目の当たりにしたな。あの卓上に何か用意でもされていたか?それとも疑問に思う事すら無いのかもな。あんたが一人暮らしを始めた後に、頼みを一つ叶えた昨日でさえ、食事は、愛すべき夫と娘の為だけだ!食事だけであるものか何もかもがだ!」
高昭と紗由理がぶつかり合う衝撃から、二人の大人が身を守るように蹲っている。男は女を庇うが、最早その程度では暴威に対する手立てにはなり得ない。そもそも、意識を保っている訳ではない。先代の黒田は、無意識の内に、己が愛した伴侶を守ろうとしていた。
「そこの無様な先代は、『K』に対する手段として俺を『修羅』と落とそうとして、結果として初代が残した書物の解読に失敗し、俺の丹田を意味なく穿った。自らの過ちが明るみに出ないように俺を『当主』とさせ、お前がクローン技術に関心を向けぬように俺を『壁』とさせた。自らの力不足で初代が残した秘伝書を曲解し、責を擦り付けるような振る舞いで、俺がどれだけ傷つこうがお構いなしだ。何せ俺は、こいつらにとって『役』を担う存在以下、『部品』なのだからな!」
怒声と共に高昭は、紗由理を道場の壁へと吹き飛ばす。『渦雷』に晒された紗由理は夥しい傷を負っているが、それは直ぐに塞がっていく。
「無尽蔵と湧く気の総量による無理矢理の回復。事実上の鉄壁か?実にあの女の最高傑作らしさがあるな。」
「でも、高昭。貴方の気はさっきの『渦雷』で尽きたでしょ。」
突進。
紗由理が行うは純然たる暴力の代行。全ての気を撃ち晴らした高昭に目掛けて、向けるべきでない怒りも、正当な怒りも、全部を叩きつけようとする。
「高昭ィ!」
歴代で数えても最も殺人的と断定できる拳は高昭に目掛けて振り下ろされ――そして届くことは無かった。
逆に殴り飛ばされながら、紗由理は原因が分かった。幾重にも設置された気の壁が、紗由理の速度を著しく落としたのだった。怒りに我を忘れていた紗由理には、暴走した化け物には、触れれば消えるものに注意を払う考えが無かった。
「そもそも、潰されて、丹田がない俺がどうやって気を扱っていると思う。答えは、全てをコントロールする事だ。普通の武人が丹田にしまい込むはずの気は、俺の場合は気を抜くと、文字通り気の抜けた炭酸水の如くだからな。故に丹田の跡地から作られた片っ端から制御して気で膜を作る。逃がさない。」
高昭は、微塵も敗北の可能性を考えていなかった。何故なら、この場は高昭が作り上げた必勝の舞台だったからである。
「故に体外まで俺のコントロールが可能になった訳だが、それでも一度に貯蔵できるのは高々人間の尺度でしか不可能。だとすればこれだけの膨大な気は何処から調達しているのか。それの答えも単純だ。だって、此処には十年近い年月をかけて多くの気が貯蔵されているだろう。」
道場。
木材に染み込むのは臭いや汗、血だけではない。武道家の道場は簡単に壊れてはならないが故に、放出した気を取り込み、多少の傷を直し、頑丈になる機能を備える。言うなれば人為的に作った霊脈の一種とも言われる事がある程に、である。
如何に人智を超えた化け物であったとしても、個体では全体には抗えない。力に目覚めたての紗由理が、過去を積み重ねた道場のバックアップがある高昭を打倒するのは不可能に近かった。
「あっけないな。単純なスペックで決まるのは優劣だけだ。命のやり取りで、表面化された能力だけが左右するなんて、児戯にも満たないお遊びだ。」
高昭は笑いながらも紗由理を見下すような事はしなかった。それは笑うという表情ですらなかったのかもしれない。
その眼には、何も映っていなかった。
「俺は、世界で一番強い奴を知っている。あれには勝てないが、殺せる。武神は人を殺さないが、俺にはそんな躊躇はない。」
壁掛けから落ちた槍を拾うと、高昭は紗由理に向かって投げる。余りに自然な行動で、殺意も無く、害意も無かった。溢れる闘気で守られる紗由理に刺さる事は無かったが、直撃して初めて攻撃を認識する事が出来た。
暴走する紗由理とは違い、何もかも壊れてしまっているのだと気づいた。
「何故?高昭が私に攻撃する理由なんてない筈。貴方に何の利点も無い筈でしょう!」
「おいおい、先に仕掛けてきておいて、旗色が悪くなると命乞いか?」
「家族を何だとおもってるの!」
紗由理の言葉は、真理であった。高昭の暴挙の全てであった。
「わからない。」
高昭の答えを聞いて、紗由理は言葉を失う。
「分からなかった。俺は、天ちゃんに家族だと言った。だが、家族とは何だ?俺は父さんも母さんも姉さんも愛していた。でも誰も俺という存在を見てくれなかった。誰も俺を愛してると言ってくれなかった。無償の愛が分からない。俺は家族も、愛も分からない。間違いなく俺は天ちゃんが好きな筈だった。でも、これは好きという感情で正しいのか?俺の愛への返答が無かったから、俺も返し方が分からなかった。愛がわからない。」
高昭が、喋ったのは、まるで呪詛であった。
「故に答えが、一つある。俺には愛がなかった。俺の家族は、だから愛を返せなかった。そして板垣家の皆が優しかったのは、姉さんが居る時だけ父さんと母さんが優しいのは、姉さんへの愛から来る余剰分の愛。それでも、俺が天ちゃんを好きなのは間違ってないと信じたいが、この考えの方が妙にしっくりくる。何にしても結局、修羅へと堕ちたから、もう誰も愛してくれないと思うと、もう全てがどうにでも良くなった。」
「高昭、正気で――。」
「正気だ、この十余年で形成された紛れもない正気だ!」
紗由理の問いを遮るように拳を振るう高昭。異様な雰囲気を醸し出す相手を前に、紗由理の本能は、暴走する紗由理は、過剰な迎撃を行う。
高昭に避けられ、空を切る拳であったが、込められた気の量は人外そのものであり、一種の結界とも言える道場を軋ませる程の威力であった。
道場から吸い上げる無尽蔵の気。それさえ潰せば勝機があると、紗由理は考え、暴走する本能も快諾する。
全身から放出、それでいて出来る限り両親には危害が及ばぬように、道場の天井を貫く爆発。
紗由理はそうして、気を失ったのだった。
思い出すように、心に刻むように、言葉を紡いだ紗由理。
「そんな事が……。」
百代はそう呟いて、高昭を見るが佇まいに変化は無かった。亜巳も、京も反応に困り、声が出ない。
「高昭、貴方は何がしたいの?」
「俺は何をするつもりもないさ。何か、何かに、納得できればそれで終わる。何もかも、な。」
高昭の口調は、狂人にしては理性的に聞こえた。
「修羅道か、命か、果てに辿り着けばいい。どちらにしても俺が壊れてしまえばそれでいい。押し付けられた役割を掻き集めて、ガラクタなりに生きていたが、『壁』として決定的に間違え、騙し騙しのアイデンティティーが今も崩れている。」
乾いた笑いを起こしながらも、この高昭の言葉は本心からの言葉だった。
「確かにぎこちなかったけれども、『壁』は、貴方は確かに人の心を動かした。完璧でなかったとしても間違えたとは、誰も言いやしない。」
京がはっきりと、第三者の、単なる武道家の目線で答える。
しかし、それは裏目に出る。
「そうだ。衆目の前でなら幾らでも振る舞えた。だが、俺は松永燕の握手を拒んだ。自分の右手の都合で、映像記録に残らないと逃げた。嘗て丹田を穿たれ、体より溢れる気で凌辱される狂気から修羅へと足を踏み入れても留まれたのは、俺が願望を受ける器と、己が身をガラクタと徹していたからだ。」
「高昭……。」
「俺は誰かを悲しませた。守れなかった。望まれるままのパーツとしても振る舞えず、家族としても扱われない。全ては俺が、何も果たせなかったからだ!故に果てる。立ち止まるものか!」
紗由理には、亜巳には、雨に打たれる高昭が泣いているように見えた。枯れ果て、心すら死んだと思われていた高昭は、右腕を壊す前から、ずっと、ずっと、家族に認められようと胸中で泣き言も言わず、耐え忍んできた。
認められぬのは至らぬ我が身のせいとして、必死になって、その心はいつの間にか深々と折れていた。
雨だけが理由ではない。今の高昭には紗由理達の声は届かない。高昭は構え、紗由理へと構えを向けている。
しかし誰もが知っている。高昭の戦意が、敵意が、決して紗由理への悪感情のみから生まれているものではない事を知っている。高昭の心に存在するのは、決してなくなる事の無い激情は、両親に押し付けられた責務が原因でもあり、姉への嫉妬でもあり、怒りでもあり、真実として高昭はこの感情だけに限らず思いの理解はツギハギで、自覚が出来ない。
壊れた男は正に、紗由理を殺そうとしているのは、紛れもない事実。だが高昭は本心からそうしたいとは思わない。そうすべきでもないと知っている。
それでも、高昭にはそうする以外にない。
「私は、謝りたい。こんな形でなく、戦いの最中でなく、正面からきちんと。だから高昭が高昭でなくなる前に、私の弟は絶対に止めて見せる。」
「紗由理、自分がやろうとしてることが――。」
「分かってるよ、亜巳。私は、私のまま救って見せる。だからこの衝動に飲み込まれはしない!」
溢れ出す気の暴威。
意図的な暴走は、『K』である事を、現代に生きるキマイラである事を受け入れた紗由理の覚悟であり、純然たる『修羅』である高昭に対抗するこの場で唯一の手段であった。
認めたくないと、拒み、目を逸らすのは過去の事。自らの力も弟も、二度と否定をするものかと足掻くもの在り。
足掻けども受け入れられず、あんなにも欲した温もりも、もはや、もはや、もはや、要らぬと心が息絶えたもの在り。