01.再会
少年は絵本に出てくる『正義の魔法使い』に憧れた。
絵本に出てくるような『正義の魔法使い』になりたかった。
絵空事のように魔法の杖の一振りで困っている人を救えるような、皆を救える魔法使いになりたいと夢を見た。
だが、少年が道半ばで辿り着いた夢の形は、彼の思い描いたものとはかけ離れた現実を見せつけてきた。
好きだった魔術は少年が思うほど素晴らしい力ではなく、ただの人殺しの道具だった。
正義とは綺麗事だけでは収まらず、魔術を行使する事で自分が出来たことは人を殺し、己の手を血で汚しただけだったという事。
罪も無き人々を助ける為に自分の手を汚し、思い描いた理想の夢を語り、幾度も『正義の魔法使い』を夢想し、夢の為に学んだ筈の魔術で誰かを殺す。
決して悪い事ばかりではない。助けられた人々は敵を殺した少年を英雄だと褒めて讃え、過ぎ去った悪意に安堵し、脅かされる事のない日々に歓喜し、隣人と共に笑い合い、そうして助けた少年に感謝してくれていた。
誰かを救えた事に喜ばなかった訳ではない。敵を倒した事に達成感も確かにあった。だが、己の手を汚して人を殺すという行為と罪悪感に自分の心は耐えられず、自分の歩む道に絶望し、心が磨り減る事を自分ではどうすることもできなかった。
それでも『皆』を救う『正義の魔法使い』になりたかった。
目の前の全てが微妙に噛み合わず、ボタンをかけ違えているように自分の中で何かがズレているのだと、間違いを自覚しながら自分の夢を諦めきれなかった。
大好きだった魔術はロクでもないもので、人殺しの道具だったとしても構わない。
自分の歩む道に苦しもうとも、それで誰かを救えるのなら構わない。
せめて『皆』を救う『魔法使い』になりたいのだと……
──そう願っていた自分の夢が、誰かから奪う側になるとは思ってもみなかった。
■
路地裏で探し人を見つけた頃、降っていた雨は止んで夜空には月が出始めていた。
春も近い季節だが、その日は一日中降り続けた雨で気温は低く、雨で冷えきった空気がそこにいるだけで身体から熱を奪うような冷たさを感じる。
路地裏で建物同士が重なるように生まれた日陰の切れ目は、雲の切れ端から覗き始めた月明かりで小さくその場を照らし、遠目から見れば画家の描く絵画のようにも見える光景。
其処に居たのは二人。
一人は魔術師特有の丈長の黒いローブを着た黒髪の男。背を向けた姿から表情は見えないが、右手には見慣れない形状の銃を持ち、その銃口からは途切れそうな程にか細い硝煙が薄く残っている。
見下ろすように下を向く視線の先にはもう一人。短く切り揃えた白髪の頭部とコートから見える胸元を血で濡らした壮年の男が、壁に背を預けるようにして座り込んでいた。
「殺したの?」
男が振り返るのと同時に火薬の炸裂した衝撃音と弾けるような金属音が間近で響き、黒髪の男が右手に持つ銃口の空洞がよく少年を狙う。
驚いたのは反射的に銃を撃ってしまった男の方だったかもしれない。咄嗟に向けた武器を声の主へ向けたまま、目の前には敵ではなくただの子供がいた事に酷く驚いた表情をしていた。
黒みがかった藍色の髪に同じ色の瞳で人殺しの光景に泣きもせずに見つめ、銃を向けられても死体を見続けていた少年を見下ろしていた青年はそれ以上動けず、何かを堪えるように、確認するように青年は掠れた声で問い質す。
「……お前の……父親、か……」
尋ねられた少年は静かに視線を青年へと向けた。
自分の本心を押し殺し続けた表情は固く、虚ろな瞳は幽鬼のように薄暗い。子供を見つめる事にも躊躇うように視線を彷徨わせていたが、拳銃を握る手元だけは繰り返された動作の反復からか、銃口を少年へと狙いを定めて微動だにしない。
生殺与奪を握られた少年は青年を静かに見つめ続け、もう一度男の死体を見下ろすと少し考えた素振りからすぐに首を振って否定した。
「他人では無いけど親ではないと思う。俺の親父はロクでなしらしいから」
あまりにも淡々とした答えに青年は聞き返す。恨んではいないのかと。
「別にいいよ。そういう日が今日で、殺す役がたまたまお兄さんだった……それだけでしょ」
人の死を前に何も感じていないような無機質な瞳はそれ以上を語らず、ただ静かにそこにある死を見つめていた子供は諦観したように死んでいる男が自分に向けて呟いた言葉を青年に教えた。
「その人、いつも自分が死ぬこと解っているような事を言っていたから」
狙われると理解していながら男は抵抗もせず、青年の尾行に気付いていながらも一人で奥まで出向き、誰にも悟られないように死に場所へと自ら趣いていた事を青年は漸く理解した。
既に彼は自分の死期を察し、とうに覚悟が出来ていたらしい。
「……俺よりもお兄さんの方が辛そうだけど?」
いつの間にか少年は男の傍でしゃがみこみ、死に絶えた男の目の前で見上げるように男の顔を覗き込む。呆然としていた青年が咄嗟に引き離そうとするも、腕を伸ばしたその先で見つめる少年と目を合わせてしまい、自分が彼の身内を殺した罪悪感からか手を伸ばしきれずに何度も眼を逸らしてしまう。
「名前をくれたくせに、一度も名前で呼ばなかったんだ……それは不思議だった……」
青年の葛藤には気づかず、ずっと男を見つめたまま問いかける。この二人の関係を自分達は知らない自分の組織は少年の問い掛けに答えるものを持っていない。
「殺される前に、一つだけ頼まれた……」
今思えばその願いも納得する。彼が求めたのはこの子なのだと……
「子供は見逃してくれ。そう言われた……」
自分でも無理難題を口にしていることは理解していた。今の時代、身寄りのない子供が一人で生きていくにはまだ難しく、だが父親代わりの男が関わってきた事件を知れば、少年の人生はまた迫害と差別で苛まれる、それでも自分達はこの子にこれ以上関わることは出来ず、唯一できることはこの場で少年をそのまま逃がす事しか青年にしてやれる事は無かった。
「だから、お前はこのまま……俺の前から、消えてくれ……」
なんとか最後まで言い切った青年の突き放すような言葉を、少年は何も聞き返さずに聞き入れて男から離れた。そのまま自分が入ってきた路地の奥へと、来た道を引き返すように戻っていこうとすると、その背中が振り返って青年ともう一度向き合う。
「お兄さん、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ……早く行ってくれ……」
大丈夫なものか。自分の夢が、憧れが擦り切れて、それでも『皆』を助けられるならと歩み続けた道は、自分の願いが如何に愚かなものかと突きつけてきた。
『皆』を助けたいという願いが無償で『皆』を救うのではなく、『皆』を救う為には自分が誰かの大切な人の何かを代わりに奪うのだという背けられない現実が青年を責め、その重圧が彼の心を更に締め上げる。
「何が……『正義の魔法使い』だ……!!」
吐き出しながらも苦しみながら彼は止まれない。自分だけが止まるわけにはいかないのだと、自分に何度も言い聞かせ、俯く姿を誰にも見せないように、己の夢を否定しなかった彼女を苦しめさせないように、彼は心を磨り減らして現場から背を向ける。
そうして、グレン=レーダスの『正義の魔法使い』の夢は潰え、それでも歩みを止める術を知らずに彼は魔術の見せる現実を転がり落ちていった。
消えた少年がどうなったのかを、グレンは魔術から離れる最後まで、確かめる事はなかった。
■
魔術とは奇跡の業を用いて万物の真理を追い詰める誇り高き探求者達。
崇高で偉大な学問であり、世界の心理を追求して神に近づくに等しい探求は、この世界の起源、この世界の構造、この世界を支配する法則、それらを解き明かして自分と、この世界が何の為に存在するのかを深奥へと目指して探求する、選ばれた者に触れる事の出来ない学問だと。
魔術師の学会や研究会で教授連中が主張していた論文の冒頭を思い出しながら、魔術に畏敬の念を込めた連中だって世界の深奥を目指すにも元手は必要であり、学者であれば、そして人としての営みで人として生きていくのならば、どれほど崇高で偉大な魔術師様も稼がねばならない。
労働とは自分の身体を用いて真面目に働き、生きて明日を迎える為に必要なものを得る為の人が当たり前に行う作業だ。
つまり正当な報酬が保証されない時間外労働はクソだ。超過した分の残業代が支払わる事がなければ寧ろ仕事が遅いと怒られ、次の仕事にも差し支えるような評価に繋がりかねない。
それでも仕事を続けなければならないのは与えられたノルマがあり、その与えられたノルマが終わらなければ次の仕事に入れない。そしていつまでも業務が終わらないという悪循環が出来上がるからだ。だから仕事は時間内に終わらせたい。業務内容がどんなモノでも関わらず、規定通りに、時間内に、そして定時に終わらせて帰路に着きたい。
「何が言いたいかというとな、逃げられもしないのに諦めもせず態々下水道まで転がって、鼠との逢瀬を楽しんできたお前を待ち構えるせいで俺の勤務時間が過ぎている事の責任を感じて欲しいという事だよ」
「黙れっ! 端金で雇われた飼い犬風情が!!」
「人の話きけよ。 お前も商品を送る飼い犬じゃねぇか。 お互い犬同士で仲良くしようぜ、もう大人しく捕まろう? 覚えていたら面会とか行くから」
「馬鹿にしているのか貴様っ! っ、オイッ! 踏む力を強めるな!!」
人の気配も少ない下水近くの路地裏。街灯すら届かない奥まった立地にある住人のいない廃墟の片隅で二人の男が言い合うような声が響く。
一人は下水を通ったせいで魔術師特有のローブを下水の排水で汚し、濡れ鼠のように転がる薄汚い男。
老朽化した建物の壁に顔を押し付けられるような体勢で倒され、もう一人の男に踏みつけられている。
踏みつけている男はジャケットとズボンを上下同じ黒色のスーツで揃え、青い暗色のシャツは胸元のボタンを開けて着崩す細身の少年。彼の左肩には治安を守る警備官達と同じ装飾の肩章が身に付けてあり、正式な制服ではなく肩章だけを身につけていることから彼が臨時で雇用されている非正規の職員である事を証明している。
黒みがかった藍色の短髪と同色の瞳。見た目は年若い少年のような外見だが年相応の幼さを感じさせず、やる気の無さそうに責めた口調ながら視線は別人のように男を逃さず睨みつけ、男を踏みつける片足には細身ながらも訓練された兵士のような力強さがある。
「その歳で権力の犬か……反吐が出る《吼えよ・炎──」
「おお、檻の中で存分に吐いてくれ。《雷精の紫電よ》」
忌々しそうに悪態を吐き捨てながら逃げようと足掻く男が魔力を込め、詠唱によって魔術を行使しようとするも、それよりも速く踏みつけた靴の裏から紫電が走る。
男は全身を襲う雷撃の痺れによって痙攣すると呆気なく意識を手放し、少年は意識を失う男の顔面を地面にもう一度踏みつけた。
対象の意識が途切れた事を確認すると合流した他の職員に連絡を取り合い、正規の隊員達に捕縛した犯人の身柄を引き渡す。
逃走犯を捕まえただけでは仕事は終わらず、使用した逃走経路を遡っての現場確認、潜伏していた隠れ家での証拠品や研究資料の押収。雑用は他にも大量に残っているが、他の警備官は少年が朝には学園に通う事を知っている為、それらを全て引き継いで少年を帰らせた。
報告書も翌日で良いと言われ、これで少年の夜勤は終了。まだ働く職員達とそのまま現地で解散し、大袈裟に息を吐いて帰路に着く。
北セルフォード大陸の帝政国家アルザーノ帝国。その南部に位置するヨクシャー地方のフェジテと呼ばれる都市。学級都市として名高い筈のこの街で『魔術』と呼ばれる特別な力を習得しながらも、敢えて人の道理を外れて犯罪行為へと手を染めた外道魔術師と呼ばれる犯罪者との楽しくもない夜を終えて、アルバイトを終えた苦学生ナル=ヘンカーは気怠そうに建物の影へと消えていった。
■
仕事を終えた翌日の朝、自分の通う学院へ向かう途中で石畳の隅で蹲る金髪の少女を見つけたナル。その容姿が見知った少女であることを確認した彼が声を掛けようとすると、遠目にも僅かに見える柔らかい光が友人の手元を照らして向き合う見知らぬ老人の手元が彼女の優しい光で包まれる。
老人の怪我を白魔【ライフ・アップ】で治療を終えると優しく握る手を離し、彼女は金属のバケツへと指を向け、今度は黒魔【ファイア・トーチ】で何もない指先から小さな炎を出してバケツの中を燃やす火種を放り込んだ。
(ああ、片付ける途中で怪我したお爺さんの手伝いか)
どうやら片付けの最中に怪我をした老人の治療と、ゴミ処理の手伝いをしていたらしい。
老人の怪我も酷いものではなく少女と同じように安堵し、分け隔てなく手を差し伸べる相変わらずの善意に苦笑しながらも少しの悪戯心で二人の死角から近付き声を掛けた。
「おやおや、優等生のティンジェルさんともあろう人が朝から規則破りとは見過ごせないですねえ?」
少し声が低すぎたかもしれない。余程驚いたのか、肩を跳ねさせて咄嗟に振り向く少女の姿は普段よりも瞳を大きく開き、本気で驚いているように見える。
ついでに老人も酷く驚いた表情だった為、老人には心の中で驚かせた事を謝った。
振り向いた先が見知った顔だった事を知って安心したのか、それとも驚かされた事への意趣返しなのか、同級生のルミア=ティンジェルはお爺さんからは表情が見えない事を良い事にナルの芝居に便乗して悪乗りをし始める。
「ち、違うんです……これはお爺さんの怪我が心配で、私にも何かできないかなって……」
憂いの表情が可愛い。こんな表情で心配されたら男子なんてすぐ恋に落ちる。
「そんな言い訳が通じると思っているのかいティンジェルさんよ、学院の敷地外で無許可の魔術使用なんざ罰則もんだろう? 優等生のお前が普段から校外で魔術を使用しているなんて知られたら、あの『講師泣かせ』のお嬢様にも迷惑が掛かるんじゃないか?」
「ああ……どうかお慈悲を…… これは私の招いた不始末。 誓ってお嬢様には何も責任もありません……! どうかその罪は私だけに……!」
相変わらず友人の前でないとノリノリである。 実は演技派な少女の迫真の演技には逆に此方が驚かされた。
「もし貴方の寛大な御心で、私の浅はかな行為に目を瞑って下さるというのなら、これ以上の喜びはありません…… どうか、どうか浅ましい私の行為に眼を瞑り、慈悲の心をお恵み下さい……」
少女は自分の身体を抱きしめると、わざわざ胸を持ち上げて擦り寄ってくる。上目遣いで見つめながらも演技が限界なのか、唇は既に震えて笑いを堪えているようだが、今の絵面では弱々しく拒絶をしないように、震える自分の身体を弱々しく押さえ込むようにしか見えない。
なんという演技だろうか、この光景を見れば十人中十人が悪いのはナルの方だと証言するだろう。笑いを堪えるせいでナルの唇が震え、口端が釣り上がった今の自分の表情は、他人から見れば悪い笑みに受け取られる。まるで弱みを握った美少女の体躯を好きにしようと下卑た笑みを浮かべる卑劣漢のようだ。
というか卑劣漢に見られていた。チラリとお爺さんの方を見れば、批難するような視線とぶつかり、自分が巻き込んでしまったという罪悪感から表情を曇らせるお爺さんにナルは直ぐに謝罪をしたい気持ちで一杯になる。
「……そ、そこまで言うなら見逃してやろうじゃないか。 ……ただ、分かっているだろうな?」
「……はい、私は大人しくついて行きます…… ですが……お爺さんは無関係なのです、どうか今は私一人だけを……」
本当はこのまま学院に向かうだけなのだが、少女が肩を震わせて俯く姿は完全に被害者だ。但し、向かい合うナルの眼には笑いを堪える表情が丸見えだが。
この辺で潮時だろう。というより、この状況が更に悪化すると警備官でも呼ばれて朝から婦女暴行の現行犯として扱われかねない。
「ルミアさん、ルミアさん、そろそろ俺の為にも止めて貰えませんかね? 朝から警備官沙汰は俺も勘弁して欲しいですし、お爺さんが心配しているし……あとゴメンさない調子乗りました」
「えー、先にからかって来たのはナルの方だよ? 朝から驚かされた仕返しはしたいなぁ……」
ルミアと呼ばれた金髪の少女は整った表情をナルに見えるようにだけ愉しげに綻ばせながら、普段の柔和な表情とはまた違う笑みで追撃の手を緩めようとはしない。
ナルは新しいカードを用意して交渉に臨んだ。
「……デザート奢らせて頂きます……」
「ふふっ、それじゃあデザートで示談としましょう。 あ、お爺さんにも謝らないと……」
示談成立。話し合いの大切さと自業自得の余計な出費に懐を慰めながらルミアと二人でお爺さんの方を振り返ると、ルミアの表情が固まった。勿論、ナルの表情だって固まっている。
理由は単純、こういうイタズラの際に最も会ってはいけない女の子が二人の前で優しげな笑みを浮かべて微笑んでいるからだ。
銀髪のロングヘアとルミアと同じくらい整った容姿。ルミアが柔和なら、微笑む彼女は凛々しく、だが表情とは異なり凛とした佇まいは早朝から悪乗りした二人の背筋を正す程の覇気を纏っており、思わず言葉を詰まらせる。
微笑む文句なしに可愛い。朝からこんな表情を見せられたらチョロイ男子は今日一日、きっと何があっても頑張れるだろう。
「朝から二人とも楽しそうね?」
「お、おかえりシスティ、忘れ物はあったの?」
「おはようシスティーナ、忘れ物なんて珍しいな?」
「ええ、ルミア、忘れ物はちゃんと取りに行けたわ。 それから、おはようナル、朝から二人で楽しそうね?」
2回言い直された。ナルはじりじりと後退り、システィーナ=フィーベルから距離を取ろうとする。
「いやー、そうでもないです。 デザート奢る羽目になりました」
「それはナルの自業自得だよね。 私、本当にビックリしたんだよ?」
背中越しに制服のローブをルミアに握られてしまった。一人だけ逃げるのは許さないと訴えるような指の力にナルは思わず足を止めてしまう。視線を外した一瞬に逃げ出そうとしたのがシスティーナに露見してしまい、彼女は猫の耳が尖ったような装飾と銀色の髪を逆立たせ、二人に間髪入れずに告げる。
「二人ともまずは紛らわしい事をして心配を掛けたお爺さんに謝りなさい!」
「すいませんでしたお爺さん」
「ごめんなさいお爺さん」
システィーナに一喝されて二人は勢いよく頭を下げる。 お爺さんも驚きはしたものの、三人が同じような服装と学友ということからルミアには何もなかった事を安心してくれた用で、ナルは更に善意で胸が締め付けられる思いをしただけだった。
■
「じゃ、俺は先に学園に行くから」
「たまにはナルも一緒に行こうよ?」
「俺が他の男子に殺されるから無理です」
「またそんな事言って…… たまには私達と一緒でもいいじゃない、クラスも一緒でしょう?」
「俺が他の男子に殺されるから無理です」
「まあまあ、そう言わずに……デザートのお礼とさっきのお詫びということで……」
「……二人ともめげないわね」
老人との茶番を終えた三人がその場を離れると、ナルは二人の女子から距離を取るように先に学園へ向かおうとする。行き先は同じなのだから一緒に行けばいいとルミアは口を出すが、ナルは二人にとってはいつもと同じ答えを返す。
考えすぎだとシスティーナは呆れるが男子であるナルからすれば生死に関わる問題だ。
片や柔和な笑みで男女分け隔てなく接する金髪の美少女ルミア、もう一人は凛とした佇まいから外見だけは男子に人気な銀髪の美少女システィーナ……
タイプこそ異なるが二人とも間違いなく男子の人気を二つに分けるような美少女で、そんな二人と一緒に登校する男子などというポジションなど誰が好んで居残るだろうか……
「何度でも言うぞ、俺が死ぬ。 主に嫉妬と妬みと羨ましさの純粋な殺意で」
「……男子って普段そんなに殺伐としているの?」
「そんなわけ無いでしょ。 まぁ、私達も無理には引き止めないわよ、また学院でね?」
「ごめんなー」
そう思うなら、たまには一緒に行動しなさい。と、小言を言われながらナルは小走りでその場を離れた。それから暫くすると何故か通りを一瞬だけ強い風が吹き抜け、振り返ると誰かが飛び上がっているように見えたがナルには関係のない話だった。
■
「は? 不審者?」
数多くの高名な魔術師を輩出し、魔術師育成専門学校として近隣諸国に名高いアルザーノ帝国魔術学院。その東館校舎二階の奥、魔術学士ニ年次二組の教室。
学院の守衛に昨日の報告書を提出したナルが授業の始まる少し前に教室に入ると、挨拶する間もなくシスティーナから奇妙な通報を受け、怪訝な顔で聞き返した。
「そうよ、不審者! だらしなくシャツを着崩して身だしなみを整えることもしない黒髪の男で! 噴水の水でずぶ濡れのシャツを張り付かせたままカエルを口から吐き出す男! しかもルミアの身体をベタベタ触った変質者よっ!!」
「一応確認するけど、男の人がずぶ濡れになった原因に二人は関係ない?」
「……衝突事故防止の為に緊急回避として魔術で防衛したわ」
「それでその人は吹き飛んで噴水に落ちちゃったもんね……」
「濡れた原因お前らじゃねえか」
急な強風と遠目から見掛けた男の飛び上がる珍妙な光景。その犯人が大衆の前で魔術を使用した事を指摘され、気まずそうに眼を逸らした。ナルの方もそこまで問題視するつもりはないので、授業が始まるまで不審者について聞いてみる事にした。
曰く、別れて暫くすると急いだ様子の青年とぶつかりそうになり、システィーナは驚いて吹き飛ばしてしまったとの事。
ぶつけたシスティーナに文句は言うものの、青年の方も魔術をぶつけられた事はそこまで問題にはしなかったが、何故か急にルミアの方を見ると身体を指でつついたり、髪に触れたりしていたという。
「ソイツ知的好奇心だとか探究心だなんて言っていたけど、やましさも自白したわよ」
「そりゃあルミアやシスティーナに触れるなら、やましさくらいあるわな」
システィーナはナルの相槌に批難するように頬を膨らませ、触られたというルミアは答えに困った用に苦笑している。聞き耳をしていた男子の殆どが同意するように頷き、その空気を感じ取ったシスティーナは自身の座っている最前列から、じろりと教室の男子に視線を向けると全員慌てて視線逸らしていた。
「まぁ、他にも被害が出ているようなら報告しとくから」
「ちょっと面白い人なだけだったから、大丈夫だと思うけど……」
「ルミア、朝も言ったけれどアレを他の人にもやっているなら面白いで済まされないわよ……」
授業前に他の男子にまで飛び火したら困るので、ナルは手帳を閉じて調書を切り上げて自分も席へと戻る事にした。まだ言い足りなさそうなシスティーナだったが、ルミアに宥められては続ける事も出来ず、自分の感情を整理するようしたのか直ぐに落ち着いて普段通りの様子に戻ると授業に取り組んだ───
「……遅い!」
授業に取り組むとどういうことか。授業が始まる筈が毛を逆立てて怒っているのは最前列のシスティーナ。
……知ってはいたがシスティーナという少女は熱しやすい性格なのかもしれない。授業の半分も過ぎた頃、落ち着いたかと思っていた彼女の熱は更に燃焼しており、宥めるルミアの後ろ姿をナルは他人事のように眺めている。
開始のチャイムが鳴るとホームルームには世界最高位の魔術師であるセリカ=アルフォネア教授が壇上に立ち、去年担当だったヒューイ先生の後任で非常勤の講師やってくると伝えて早一時間。その後任講師は来る気配を見せず、一から七まである位階の最高位、
授業の始まらない彼女の不満も熱量はともかく主張は真っ当なもので、歴史のある学院の為か、それとも高名な卒業生のせいか、憧れの学院に在籍する生徒の大半は誇り高く意識が高い。
その為か生徒の殆どが授業に遅刻する、サボるなどといった行為は一部を除いて発生せず、教師も教える立場からか性格に難はあれども熱意には応えてくれる人が多い。
……研究室で高笑いしている迷惑な天災白衣男や図書室の貴重な蔵書を邪魔だと一蹴し、派手に焼こうとした世界最高位の金髪美女などが一瞬脳裏を蝕むが、ナルは忘れようと頭を抱えてテーブルに突っ伏して一人静かに呻き苦しんだ。
意識を切り替えようとしていると扉が開く。……どうやら噂の講師が漸く到着したようだ。
「ナル! この人よ! 頭抱えてないで見て!」
「おいおい、授業の前から大分焦燥している奴いるけど大丈夫か?」
授業に半分以上遅刻する講師も前代未聞だろうが、授業中に半分以上騒ぎ続けたシスティーナも前代未聞の生徒ではないだろうか?
何故か気遣う男の声に聞き覚えはあるが、恐らく男の方が講師の人だろう。少し青ざめた表情のまま入口を見ればシスティーナの証言と同じ黒髪の青年が擦り傷、痣、汚れて乾ききっていないシャツのまま、ナルのいる場所を見上げていた。
「あ、大丈夫です…… 第七階梯の問題行動とか思い出したもんで……」
「アイツここで何してんだよ…… まぁ、いいや…… えーっと、グレン=レーダスです。本日から一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせていただくつもりです。───」
システィーナの声にのらりくらりと返して壇上に立ち、グレンと名乗った青年の自己紹介も今度はシスティーナに遮られ、あくびを噛み殺したように授業を開始する。
───結果、それは見事に適当な説明の授業と自習を繰り返し、死んだ魚のような瞳でやる気のない授業を始め、質問にも答えないという斬新な授業という何かで講師泣かせの悪い意味での称号を授けられているシスティーナの怒りを買ったのは言うまでもない。
そして最初の授業が終わった直後。
「えーっと…… 取り敢えず調書取ると思うから空いている教室で警備官待ちましょう?」
「ちょっと待て! 勘弁してください! そんな事したらマジでセリカに殺されちまう!!」
「女子全員の魔術を全部受けているなら大丈夫な気もするなぁ……」
女子更衣室を覗いた現行犯としてグレン非常勤講師を捕まえるハメになってしまい、流石に困惑している。
授業を終えて実験の前に着替えに行ったのはいいが、更衣室に入る前にシスティーナ達に呼び止められ、ボロボロのグレンを突き出された時には流石にナルも引いた。
「大体お前も学生だろ? なんで警備官が来るまでお前と一緒にいなきゃいけないんだよ」
「バイトの非常勤なんですよ。守衛とか警護とか、あとは調査の手伝いとか」
普段は着けていない警備隊の肩章と身分証を見せるとやる気無さ気なグレンの態度が一変し、自己弁護へと走り出した。
要約すればラッキースケベに巻き込まれたのなら、どうせ殴られて怒られる事が決まっている。それなら見た男は罪悪感で眼を逸らす事なんてしないで自分の眼に焼き付けるべきだという事らしい。
男として共感したくなる主張なのかもしれないが、教師としても、成人男性としてもアウトな主張だったのでナルも頭を抱えた。
「やべぇ……これ本隊の人が来たらどうやって弁護すればいいんだろう……」
「ちょっと待て! マジで来るのか!?」
引き気味に頷いたナルと流石に逮捕はマズイと冷や汗を流すグレンがお互いに慌てていると、空き教室を遠慮なく開いて乱入したヒール音が一つ。
扉を開けて入ってきたのは二十歳ほどの美女。見目麗しく豪奢な金髪と真紅の瞳、無駄のないプロポーションを備えた美女……というか朝も教室来ていたセリカだった。
「よ、公僕手伝いお疲れさん。すまんな、うちのろくでなしが面倒を掛けたみたいで」
正確には正規の職員ではないが、セリカが飛び付いたグレンに魔術をぶつけて吹き飛ばした爆風で答える暇すら与えて貰えなかった。
一応生きてはいるようだが、結構遠慮なく衝撃を与えたらしい。電気と風の衝撃が二重でぶつけられたグレンは抗議する余裕もないのか、電気の反射で痙攣するカエルのように震え続けている。
このまま放置する訳にもいかず、吹っ飛んだ机や椅子から掘り起こしていると、セリカは若干聞き辛そうにナルに尋ねた。
「で、ホントに警備官は来るのか?」
吹き飛んだ教室で首を左右に振る。元々通報はシスティーナが声を掛けただけ、朝の通報も含めてナルはまだ何処にも報告できていない。こうも立て続けに問題を起こす本人を見れば署に報告はしておくべきかと迷いもするが、教授の連れてきた講師を着任早々に犯罪者のように扱うのはナルも少し躊躇うものがある。
「帝都の頃から恩義を感じている所もあるんだろうが、お前にこの学園を紹介したのは学園長だから、そこまで難しく考えなくていいんだぞ? まぁ、それは兎も角コイツはこのまま引き取るから後のことは頼んでいいか? 教室の場所とかは私が直接コイツの頭に刻んでおくから」
比喩でなく本当に刻まれそうな重圧に逃げ出そうとするグレンの襟首を掴みながらセリカは教室を出ていき、教室に残されたナルはシスティーナ達への言い訳を考えながら教室を片付けていく。
そして片付けも一段落した頃、昼を食べ損ねた事を思い出して購買にでも寄ろうかと廊下で出たナルが何処からか騒ぎを聞きつけ、中庭を見下ろすように窓を覗き込む。
少し離れた場所では何故かシスティーナとグレンが向かい合い、遠目から見ても魔術師同士の決闘騒ぎだという事はナルにも理解できた。
決闘になった事の発端はシスティーナとグレンが決定的に合わない事が原因だとは容易に想像が出来るが、流石に決闘を用いて物事を片付けようとする彼女の無鉄砲さにはナルも少し驚く。
ルミアの言い分だと普段はもっと冷静で倫理的な考えをするタイプだが、魔術が関わると彼女は尊敬する祖父の一件もあってか感情的な面が表に出やすく、無意識なのか自分と同じ高みを他の者にも求める所があるらしい。
決して悪気は無いのだと困ったように笑い、祖父との思い出を語るシスティーナを羨ましそうに微笑んでいた。
「先生とシスティーナじゃ見てきた景色も違うから、平行線は仕方ないんだけどな……」
遠目からも見える紫電の雷光がグレンを何度も撃ち抜き、痺れて焦げたグレンは新しい扉を開きそうになりながら何度も倒れる。
面白いことに威力の小さな魔術でもグレンは急所を避けるように当たり、痺れてダメージを負いながらも魔力以外の一切の負傷を負っていないのは、彼がそれだけ戦い慣れているのだろうと考えていた。
きっと、あの男を殺した後もグレンは外道魔術師や悪党を殺し続け、そして何の巡り合せなのか再会している。
「あの人、俺の事を覚えていそうだもんなあ……」
今も戦っているように見えてグレンはナルの視線に気付いており、魔術を行使してはシスティーナに競い負け、身体を痺れさせられていながらも、自分のいる方向を正確に把握して視線を外さない。
暫くやり取りが続くと勝敗が決したようで、決闘はシスティーナの勝利。倒れ込んだグレンは弱々しく立ち上がると何かをやり取りし、脱兎の如く彼女達から逃げていった。
逃げ出したグレンにシスティーナは怒り、気遣うようにルミアが彼女に寄り添う。立ち会っていたクラスメイトも思う所があるようだが、それらは既にナルも見てはいない。
視線の先は逃げ出した筈のグレンが途中で立ち止まり、離れた距離からでも解かるくらいにハッキリとナルのいる窓を見上げている。
その視線にふざけた表情はなく、あの日の人殺しを終えて焦燥しきった瞳の名残を感じさせる視線を見返しながら、きっと自分も幼い頃とは違う眼でグレンを見下ろしている。
子供から家族を奪った魔術師と、目の前で家族ごっこをしていた男を奪われた少年。
魔術の偉大さとやらも、崇高さとも無縁な魔術師の二人は、こうして三年ぶりの奇妙な再会を果たしたのだった。