ロクでなし魔術講師と学生警備官(仮)   作:一徒

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03.小さなきっかけ

 黄昏時の学院東館屋上。放課後まで授業をサボっていたグレンは、脱力したまま鉄柵にもたれかかり、ぼんやりと無作為に一日を潰していた。

 目の前の光景は空中庭園、古城のような別校舎、薬草農園、迷いの森、古代遺跡、転送塔──そして何処からでも見上げる事の出来る空の城。

 自分のいる校舎五階の屋上から見える学院内の景色は自分が在学していた頃と大差なく、何をする訳でもなく自分のいた頃をぼんやりと思い出す。

 

 当時、最年少の十一歳でこの学院に入学したグレンは飛び抜けて優秀な生徒というわけではなかった。成績は平凡、卒業まで目立った成績も論文も残さず、何かの競技に出た記録もない。

 とある理由から自分の書いた論文も日の目を出る事もなく、論文を書いた事実さえ抹消されたグレンとしては今回の非常勤講師という不本意な一件でもなければ、アルザーノ魔術学院なんて耳にしても思い出す事も無かった学生時代だ。

 

「まさかこんなトコで会うとはな……」

 

 そんな灰色の思い出が吹き飛ぶような出来事が、かつて出会った子供──ナルとの再会とは思わず脱力したままグレンは頭を抱えた。

 元々、魔術なんて大嫌いだと子供のように駄々を捏ねて自分からは関わらないようにしていた自分が魔術を人に教えるなんて向いていないにも程がある。

 そんな教師失格の人間に、ましてや受け持った教室の生徒には過去に自分が殺した男の家族だった生徒が一人。彼にとってグレンは家族を奪った仇のようなものだというのに、相手はなんの行動も起こさずに生徒と教師の関係のまま普通に生活している方が奇妙な話だろう。

 正直、ここ数日をまともに学院で生活していること自体がグレンにとっては綱渡りで成立していると思っていた。

 

「家族が殺された時も無関心な奴だったけど、幾ら何でも俺に無関心すぎやしないかアイツ……」

 

 再会したと思えば向こうから話しかける事も無く、最初にまともに会話をしたのは不可抗力な更衣室の覗き事件でグレンが不可抗力から犯人になってしまった事故の時だろう。

 尚、グレン本人は頑なに事故だと主張するが女子生徒はそんな事では納得せず、ナルはシスティーナに頼み込み、システィーナとルミアという頼もしい二人を味方に被害届の提出を水際で止めたという功績があるが、それをグレンは知る由もない。

 

「でもまあ、他人に無関心そうに見えても普通に学生やれるくらいには成長しているのかね、アイツは」

 

 グレンもナルが警邏庁で働いている事はセリカから聞いていた。警邏庁での評判も悪くはなく勤務態度は基本的に真面目。任務にも基本忠実で外道魔術師を相手にする事件では一般の職員を庇うように自ら前線に志願し、魔術による戦闘に住人だけでなく一般職員達も巻き込ませない姿勢が市民や職員からも一定の評価を得ているという。

 自分のように意味もなく怠惰に日々を過ごすような人間ではなく、警備官として治安に貢献。魔術師としても外道魔術師のような誤った道に進まず、魔術の悪意から人々を守ろうとする姿は自分が夢を捨てた『正義の魔法使い』のようにも映るだろう。

 かつて自分が夢想した姿を人伝に聞いたナルの姿と被せようとして、グレンはそれを否定するように首を振って否定する。

 

「アホか俺は……他人に人の夢を押し付けようなんて図々しいマネができるかっつの……」

 

 自分は既に諦めた人間だ。夢を語る資格を失い、目指した目標への道筋から滑落している。そもそも、自分の中でさえ『正義の魔法使い』とは何を成す者なのか解ってもいないくせに、生き延びた少年が夢を引き継いで人の為に戦う姿を自分の捨てた過去と重ね、ましてや自分が過去にやってきた行いが赤の他人の行為で償えている気がするなど、勘違いも甚だしい。

 そんなありもしない幻想でナルの家族を奪ったグレンが押し付けて、奪われた彼の新しい日常にずかずかと入り込むなど許される筈もない。

 

「アイツだって家族のことも乗り越えて進んでいるんだろうし、いつまでも俺みたいのが学院にいたら迷惑かけちまうような」

 

 懐から取り出した封書。その中身は辞表だ。元々自分が魔術師の講師など一ヶ月も持つとは思っていなかった。いつまでも引き摺って他人を巻き込むくらいなら、土下座をしてセリカに養って貰おう。生きる為に尊厳なぞ必要ないとグレンは頷き、自分のような人間が教師をやって他人の道を遮るくらいなら、さっさと無職の引き籠もりに戻して貰おうと前向きに最低な覚悟を決めていた。

 

 もう一度強く頷いたグレンが封書を懐に忍ばせた直後、屋上と階段を繋ぐ扉が勢いよく開かれてグレンは反射的に振り返る。扉を開けて仁王立ちしていたのはシスティーナだった。

 彼女の姿にグレンは露骨に気まずそうな表情で逃げ場か隠れ場所を探し、自分が遮蔽物のない屋上で惚けていた事を思い出す。

 

 着任初日どころか早朝の出会いから魔術で吹き飛ばされる最悪出会い。そんな彼女と自分の相性の悪さにグレンは気まずさを感じていた。

 魔術嫌いな自分の前で真剣に魔術を学び、魔術を極める為に切磋琢磨する日々。魔術の綺麗な面だけを信じて疑わないような善人だと決めつけ、彼女の前で大人げなく魔術の暗黒面を突き付けていた。それもナルには遮られ、彼を否定すれば生徒に頬を叩かれる格好の悪い自分。

 聞けばシスティーナの家族との絆のようなものを貶めていたようで、他人の家族をとことん貶めてしまう自分の間の悪さは自分でも呆れるくらいだ。

 そんな衝突で終わった放課後、グレンの方は気まずい雰囲気だがシスティーナは何故かグレンをそのままにして西館の方を向くと、すぐに詠唱を始めた。

 

「《我が(まなこ)は万里を見晴かす》」

 

 一節の詠唱で東館の向かい側に位置する西館を黒魔【アキュレイト・スコープ】で見通し、彼女の見下ろす西館をグレンも視線を向けてみると教室の一室で影が動いた気がした。

 

「《彼方は此方へ・怜悧なる我が眼は・万里を見晴かす》」

 

 確かに何かが動くのを見たグレンが右目を閉じて三小節でシスティーナと同じく黒魔【アキュレイト・スコープ】を唱えると、システィーナの隣で窓のすぐ傍で覗き見るように教室の中を見た。

 

「あれ? 何しているんですか、こんなところで」

 

 今気づきました。とでも言いたいような驚いた表情。まさかすぐ隣に座るまで自分に気づいていなかったとは思わなかったが、グレンは今更気にしない。既にグレンの意識はまぶたの裏に映る実験室の光景に奪われてしまっていた。

 実験室の中には二人の男女の姿、ルミアとナルの姿があった。

 

 その時、グレンの脳内に閃くような電流が流れる。魔術実験室は学院長室に繋がる通路に近く人も殆ど通らない。生徒のみで実験室の使用には鍵の貸出が必須となり、鍵さえ借りてしまえば放課後の誰もいない実験室なんて用もない人間の意識から外れる完璧な密室が作れてしまう。

 つまり、今あの魔術実験室は完全に二人だけの空間。それはもう何を意味するかなど皆のお兄さんグレン=レーダスの冴え切った頭脳は明確な正解を導き出すことだろう。

 グレンは先程までのアンニュイな空気なぞ微塵も感じさせない嬉々とした表情で隣にいる同類に声を掛けた。

 

「白猫。つまり、あの二人ってそういう(・・・・)ことなのか?」

 

 学生同士の青臭い青春物語とはどうしてこうも笑いの種に──酒の肴になりやすいのか。期待を込めたグレンの色めき立つ問い掛けに、システィーナは振り返ることもせずに答えた。

 

「いえ、そういう(・・・・)訳でもないです。って、誰が白猫ですか。変なあだ名で呼ばないでください」

 

 恐らく二人の関係を疑われてシスティーナに聞いた人間というのは一人や二人ではないのだろう。慌てる事もなく淡々と返すシスティーナの事務的な反応で返され、グレンは期待が外れてつまらなそうに肩を落として教室内に意識を向けたまま会話を続ける。

 

「なんだよ、つまらねぇな。男女が二人で教室に忍び込むとか期待するだろうが」

「二人ともそういうのとは無縁というか、そこまで意識が向かないんじゃないですか? ルミアはああ見えて告白とかされる子ですけど全部断っていますし……というより軟派なのは私が追い払います」

「白猫なのに番犬とはな。んで、アイツの方は?」

「だから白猫って…… ああ、もういいです。その前に、今度は私の質問に答えてください。一方的なのはフェアじゃないですよね?」

「仕方ねぇな……」

 

 関わるのは申し訳ないと思っていた後悔や葛藤も明後日の方向に投げ飛ばし、思春期真っ只中のトークを期待してナルを指したグレンに今度はシスティーナから問い返された。

 

「先生とナルって知り合いか何かなんですか?」

「……初対面だよ」

「それ嘘って自白しているようなものですよ」

 

 ぶっきらぼうに答えたグレンの反応にシスティーナは食い下がる。グレンもその話は長く続けたくないので大まかな部分をかなり端折って答えた。

 

「ホントに大した出会いがあるってじゃねーんだよ、昔に少しだけ見かけた程度だしな。お前のほうこそアイツとはいつからの付き合いなんだよ」

「私達は去年入学してからなので、二年目ですね」

 

 ナルがフェジテに来てからの付き合いというなら、彼女は学園に入学してからの付き合いとなる。あの子犬のような少女への番犬っぷりからも異性には厳しそうな彼女の答えがグレンからすれば意外なものだった。

 

「ふーん……そもそも何でアイツはこんな学院に通っているんだ? 別に魔術に興味がある訳でもなさそうだし……授業の時も他の奴は書き写しとか翻訳ばっかりなのに、アイツだけ魔術考古学の考察論文なんて読んでたぞ」

「あ、きっと私が渡した論文ですね。へぇ、ちゃんと読んでいるのね……ふふ、それなら近いうちにご飯でも誘おうかしら」

「あれ、もしかして、お前がそういう(・・・・)ことなのか?」

「いえ、私もそういう(・・・・)のではないです」

 

 自分の勧めた論文を読んで貰い、ナルの方も拒まずに素直に受け取る。読み終えていれば食事に誘うとは、友人としても少し距離が近すぎる彼女の満足そうな表情にグレンの脳内が閃きの電流を走らせるが、彼女からの回答は随分とあっさりしたものだった。

 もう少し慌てた反応を見せてくれるとか、狼狽えた表情でも見せればグレンも面白いのだが、どうやらグレンの閃きはアテにならないものだったらしい。

 

「何、お前って実はアイツのこと嫌いなの?」

「失礼な事を言わないでください。ナルと仲はいいですよ」

 

 向こうがどう思っているかは解んないですけど。そう付け加えるシスティーナの反応を見る限り、仲はいいがナルの方は二人に対して距離感に開きがあるらしい。

 

「仲が悪いわけじゃないんですけどね。休みの日に誘っても、そういう時に限って私達の事を美少女扱いして断ったりするし。仕事で忙しいのもあるから休みの日はゆっくりさせてあげたいですし」

「ふぅん……んで、たまの休みに放課後は自習の手伝いとはね」

「実は復習に付き合うのも珍しいから覗き見しているんですよ。普段は私がルミアの復習に付き合うし、ナルは直ぐに警邏庁舎行っちゃいますから」

「なるほどね、放課後に友達を出歯亀とは白猫も優等生に見えて実はやんちゃなタイプだな」

「でも放課後の教室で友達が何やっているか気になりません?」

「俺友達いなかったし興味ないな」

「……え、なんか……ごめんなさい……」

「やめてよご主人様、ボクみじめになっちゃう」

「誰がご主人様ですか」

 

 決闘騒ぎを起こした問題児同士とは思えない軽口を叩きながら教室の覗き見を続ける二人。その視線の先では覗かれている事に気づいていないルミアの復習が問題なく続いていた。

 

 ■

 

「《廻れ・廻れ・原初の命よ・理の円環にて・(みち)()せ》」

 

 水銀で描いた五芒星の法陣にルミアの唱えた五小節の詠唱が響き。反応した法陣が白熱して視界が白一色に染め上げられる。光が収まり鈴鳴の高音で駆動する七色の光が法陣のラインを縦横無尽に走る光景に、ルミアは嬉しそうに微笑んだ。

 ルミアが構築して実践していたのは流転の五芒と呼ばれる魔力円環陣。法陣上の流れる魔力を視覚的に理解する学習用の魔術だ。これを見ずに構築するように出来れば法陣構築術の基礎を押さえたことされている。

 

「綺麗だね……」

 

 教科書を開きながら床に円を描き、ルーン文字を五芒星の内外に書き連ねて、霊点に触媒を設置していく。

 描いた水銀が流れて形が崩れたり、触媒の位置を間違えてしまう事もあったがルミアは教科書を何度も確認して一人でこれを完成させた。その間、ナルは一人で続ける彼女を手伝う事はせず、何も言わずに同じ教室で彼女の作業を見守り続けた。

 

「最初から精製を頑張っていたから、うまくいって良かったな」

「うん、ナルのお陰だよ。最後まで手伝ってくれてありがとうね?」

「……俺は部屋の鍵を借りただけだよ。法陣の作成には何もしてないだろ?」

「それって私が一人で出来るって信じてくれたって事だよね。それに触媒の位置を間違えていた時、私が間違いに気付くまでずっと同じ場所を見ていたりしたでしょ?」

 

 あからさますぎると笑われ、法陣から視線を離さないナルの態度が彼の照れ隠しだという事をルミア知っている。誤魔化そうとする彼の態度にそれ以上は踏み込まず、二人は暫く光を走らせる法陣を眺めていた。ナルは素直になると自分から視線を逸らすクセがあるのをシスティーナやクラスメイトは知っているだろうか? 自分でも自覚しているせいで誤魔化すのが上手いが、こうして何気ない時にクセが出てくる彼の横顔をルミアは少しだけはにかんで微笑む。

 気づけばいつも一人で、遠目からは何をしているのか解らない事も多い。それでも時間が合えばこうして手を貸してくれるし、自分達が困っている時は協力もしてくれる。誰にでも分け隔てなく接するタイプではないが、それでも困っている人がいれば手を伸ばしてくれる人なのだと知っている。

 ナルは素直な人で決して悪い人ではない。それがシスティーナとルミアがお互いに持つ共通認識だ。

 他人に敏感なせいで逆に自分の事は他人に悟られないように隠す事があり、そういう他人の気配に敏感な所がナルの一人になり易い気質や人との距離感を縮めない一因に繋がってしまっているとルミアは思っている。

 それはかつてのルミアとは真逆。自分が世界で一番不幸なのだと、卑屈でわがままで、当たり散らしても許されると思い、泣いてしまえば許されると駄々を捏ねていた三年前の自分。

 自分が他人と関わっていいのかと疑い、ふとした瞬間に自分と他人の間にある境界線が決定的に違うものだと自覚してしまう。自分と他人の明確な間違いを他人に知られてしまい恐怖から忌避され、人殺しと疎まれて蔑まれる孤独の恐怖。得てしまった事で失う恐怖より、それを知られないままでいる方がずっと楽だから、最初から深く他人と関わらずに距離を開けてしまおうと諦観していた出会ったばかりのナル。

 

 法陣の光が消えていくと何事もなかったかのように静まり返る教室。黄昏で陽の光が届かない部屋の中は校舎の影で少し薄暗く、二人しかいない部屋は学院の中でも一つの小部屋のように区切られているようにも思えた。だからだろうか──

 

「ナルも……まだ魔術はロクなものじゃないと思う時はある?」

 

 一度は彼とも衝突をした話題を、もう一度問いかけてしまったのは彼の想いを自分で確かめたくなった。

 

 ■

 

「もうそろそろ終わった頃かねぇ……早く俺も帰りたいんだが……」

「女の子を一人で待たせない紳士的なグレンせんせいすてきー」

「こんな気の抜けた返しで先生扱いとか泣くぞ」

 

 学院を出て正門から少し離れた場所に設置された街灯の下で、グレンとシスティーナは一緒にいた。

 意外な二人組に道行く生徒達は一瞬ぎょっとするが、剣呑な雰囲気を感じさせない二人の間にある弛緩した空気と夕暮れ時の行き交う雑踏に、すぐ興味をなくして帰路へと向かう。

 システィーナは空に浮かぶ天空の城を見上げて子供のように目を輝かせ、グレンはそんな彼女に呆れたように視線を向けていた。

 

「あんなもん毎日嫌でも見るってのに……よく飽きないな……」

「何度見たって飽きませんよ、私メルガリアンですし」

「ああ、白猫は魔導考古学希望者か」

 

 天空に浮かぶメルガリウスの天空城。超魔法文明を築いたとされる聖暦前の古代史を研究し、当時の魔導技術を現代に蘇らせようとする魔術学問であり、その中でも特にメルガリウスの城に執心する魔術師達をメルガリアンと呼ぶ。

 システィーナは自他共に認める典型的なメルガリアンだったらしい。

 

「昼間も言ったと思いますけど、祖父はあの城に辿り着く為に長年研究をしていたんです。だから私も祖父に負けないように勉強して、いつか祖父の夢を私が叶えたいって思っているんですよ」

「ふぅん、そりゃあ大層な夢で……まぁ、そういう事なら確かに俺が言ったのも顰蹙買うわな。悪かったよ、お前の家族まで貶めるマネして」

「何度も謝らないでくださいってば。私が煽ったのも原因なんですから」

 

 あの城のせいで魔術を勘違いする馬鹿がいると悪態を吐くグレンだったが、システィーナはその声音に自嘲するような響きを感じて深く追求するような事はなかった。

 

「そうは言うけど、先生って本当は魔術好きそうですよね」

「なんだそりゃ。これだけ目の前で否定しているのに未だそう言われるとは思わなかったぞ」

「でもルミア達が復習をやっているのを眺めている時、楽しそうでしたよ。彼女が法陣をちゃんと起動出来たのを見て、嬉しそうでしたし」

 

 ぼんやりと人の行き交う通りを眺めていたグレンの息が詰まる。覗き見をしていた時、自分はそんな表情をしていたのか? 

 

「たまたまだろ。偶然にも遠見であの子犬のスカートから下着がチラっとな……いやー、いいもん見ちまったなぁ……大人しそうな見た目にぴったりの可愛らしいデザインでなー」

「へぇ、ルミアって下着の趣味は凄いから、ラッキーでしたね。今日のも結構際どいですよ」

「え、アイツあの大人しそうな雰囲気でそんなに暴れん坊なの?」

「嘘ですよ。本当に見たならそんな反応しないでください」

「っ……お前は……男のロマンを嘲笑い……侮辱した……!!」

「お腹に力を込めて呻かないでください怖いから! って、なんで手袋外して握っているんですか!?」

「構えろっ 白猫……!!」

「ちょっと!! 落ち着いてくださいって!!」

 

 男には譲れない戦いがあると凄む愚か者に慌てたシスティーナが距離を開けて宥めていると、手袋を左手に戻したグレンは少し冷静になって誤魔化すように笑い飛ばす。

 

「ま、残念だがお前の印象はてんで的外れだよ。俺は魔術が大嫌いだ。自分に才能も無かったし、人が上手く出来て喜ぶのもありえん」

「でも魔術を使えるって事は学ぼうとするきっかけはあった……って事ですよね。学んだきっかけは何ですか?」

 

 問い掛ける彼女の視線は何処までも真っ直ぐでグレンは直ぐに視線を逸らした。システィーナの瞳は魔術に対して憧れを持っていた自分の姿を思い出し、捨てた自分が振り返りたくないものを思い出させてくる。

 まだ危険性や暗い世界を知らず、夢のままに『正義の魔法使い』に憧れた子供の夢がグレンの胸を締め付ける。

 

「まあ、セリカと一緒にいたからな。自分もあんな魔術師になれると勘違いしちまってな……」

「え、先生ってアルフォネア教授と一緒に暮らしているんですか?」

 

 魔術師にとってセリカのネームバリューは見過ごせない物らしい。これ幸いにとグレンは話題をすり替えることにした。

 

「おう、ガキの頃からお袋がわりに世話になっていてな、そのよしみで卒業してからもずっとスネかじって引きこもりの穀潰し生活で悠々自適よ!」

「うわっ、割と最低なのに自慢げですね」

「ふはははっ! 何とでも言えよ白猫! この一年はスネをかじりまくって贅沢三昧だ! これで働けとかマジで無理だと思ったね、まじめに働いて生きるとか俺の人生には向いてない」

「働いて生きるのが合わないって…… あれ? 一年って……それよりも前は?」

「ええい、この話は終わりだ。俺の引きこもり生活なんて話しても仕方ないしな。それより、今度は俺の番だ。一方的に聞くのはフェアじゃないよなぁ?」

「にゃっ……仕方ないですね……」

 

 これ以上聞かれているのも面白くもない。ルミアとかいう同居人が来るまでとの事だが、まだ彼女が来るまで質問攻めなどグレンもゴメンだ。

 

「お前らってなんでそこまで魔術に必死に拘るの? 今日も話したがな、魔術は本当にロクでもないものだ。別になくても困らないし、あってもロクなことにならん。どうしてお前らは魔術を学ぶことを選んだ?」

 

 話題をすり替えたいと思いながらも、これはグレンの本心からの疑問だ。そして口には出さないが、グレンなりに彼らを気遣ったつもりでもある。魔術(こんなもの)に拘らなくとも人は生きていける。魔術(こんなもの)が無ければ、きっと世の中はもう少しマシなはずだ。

 無くてもいいものを学ぶくらいなら、彼らにはもっと大切に過ごせる時間があるんじゃないか? 

 

 話題を変えたいだけのつもりだったグレンの問い掛けに、システィーナは考え込むように俯いた。そして一度空に浮かぶ天空の城を見上げた彼女は改めてグレンと向き合って答える。

 

「私の夢は祖父との約束を叶えるため。他にも色々と夢や目標はあるけど、どんなに考えても祖父との約束を叶えたい事だけは揺らぎません」

 

 フェジテを象徴する空の城。誰も知りえない謎と不思議に満ちた幻の城に、たった一歩足を踏み入れて城を間近で見たかったと、空に浮かぶ城へ思いを馳せた亡き祖父の心残りを自分が叶えたい。

 

「その為になら人殺しの技術だろうと学ぼうって?」

「ええ、魔術がどんな力であっても使う人次第ですから。だからこの技術を私は深く学びたい」

「剣が人を殺すんじゃない、人が人を殺すんだってか?」

 

 それはグレン自身が人殺しである事から逃れる事のできない事実を突き付けられた皮肉だった。

 

「はい。でも……これはルミア──私の親友からの受け売りですけど、危険だからって関わらないようにしても、魔術はもう在るんです」

「……ああ」

「それなら無いことを願うよりも、どうすれば魔術が人に害を与えないかを考える方が建設的ですよね。人殺しの道具でもなく、悪魔の妖術でもない。盲目のままに忌避するよりも、その在り方を正しく制したい」

「模範的な魔術師になりたいと……魔導省の官僚にでもなって魔導保安官にでもなるのか?」

「……うちの両親が魔導省の高級官僚だから頑張れば官僚試験くらいは……」

「そっちはマジで名門じゃねーか白猫家」

「フィーベル家ですって。それに、これはルミアの夢だと思うんです。きっとルミアはルミアで色々と考えていると思いますよ」

「言いたくはないが徒労に終わるぞ、そいつの目指す者は高すぎる。一人じゃどうにもならん」

 

 一人の意識で救われるほど魔術の闇は浅くはない。そこに沈んでいった人間をグレンというちっぽけな人間だけで数え切れないほど見てきている。

 

「それでもルミアは諦めないと思いますよ」

「どうしてそこまで言い切れる?」

「恩返しをしたい人がいるそうです。それに、ナルの事もありますし」

 

 グレンの表情が一瞬だけ強ばった。

 

「ルミアと私って昔は仲が良くなかったんです。家に来たばかりのあの子はワガママばっかりで、泣き虫だったし……居候が始まったばかりの頃は顔を合わせるのも嫌だったくらいだったんですけど……来たばかりの頃、私と間違われて誘拐されたんです」

「見かけによらずハードな人生送っているなお前ら……ルミアの方も有力貴族の生まれなのか?」

「両親は詳しく教えてくれなかったのでなんとも……私も、追放された家の事は思い出させるような事をしたくはないですし…… それで誘拐された時に、あの子を助けてくれた魔術師がいたそうなんです。 ルミアはその人にお礼を言いたいって言っていました。自分を助ける為に人を殺めた魔術師の人が、誰かを傷つけて苦しむような世界を変えたいって。自分が魔導を深く知ることで道を踏み外す人がいないように導いていけたなら、いつか自分を助けてくれた人と出会ってお礼を言いたいって──って、先生?」

 

 親友の夢を語るシスティーナの言葉が届いているのか、グレンは眼を細めて何かを思い出すような素振りをしていた。だが、それもシスティーナの問い掛けに含み笑いを込めて返す。

 

「そんなご都合主義の三文小説みたいな夢物語を本気にして目指すのかよ。そんなもん、助けた奴もアイツの事なんか忘れているぞ」

「それでもルミアは自分の気持ちを伝えますよ。助けてくれた出会いは本物ですから」

 

 真摯な願いを笑われてもシスティーナは気にせず、ルミアの夢を信じた。他の誰が笑おうとも、彼女の夢を笑わない友人が自分の他にももう一人いる。

 

「んで、アイツと今の夢と関係があるのか?」

 

 アイツとはナルの事だろう。少し言おうか迷っていたようだが、システィーナはナルとの出会いをグレンに話す事にした。

 

 ■

 

魔術(これ)が何に役に立つって?」

 

 入学して初めての連休。南区に隣接した商業区域の裏路地で見知った違法行為に手を染めた魔術師を見つけたシスティーナとルミアは、とある事件から巻き込まれてナルと出会った。

 当時、学院で実験に使う触媒の一部に不備があると知られて業者が変更になった直後、納品に立ち会って作業を手伝っていたシスティーナが触媒に不備はなかったと訴え、触媒を仕入れていた業者ではなく講師に問い詰めた事があった。

 その時は証拠不十分により何もなく終わったが、触媒を仕入れていた講師を偶然路地で見かけた彼女はルミアの静止も聞かずに奥へと入り込んでしまい、触媒の一部を高値で売り捌こうとした講師を現行犯で問い詰めてしまった。

 名門のフィーベル家に知られてしまえば先はないと自棄になった男が買い手のゴロツキを使って彼女に手を掛けようと犯罪を重ね、講師も魔術を用いて彼女らを襲った為に入学したての彼女らは多勢に無勢ですぐに取り押さえられてしまった。

 万事休すかと思い、巻き込んだ事をシスティーナが涙ながらに謝罪し、ルミアが彼女を庇おうとした時──

 

 ナルはその場に偶然居合わせた。

 

 出会ったばかりの頃、ナルは学院でも酷く浮いていたと思う。それは授業の成績ではなく入学してきた頃の噂が原因だった。

 

 ナル=ヘンカーは別の街で入学予定の学院講師と在学生に対して傷害事件を起こし、再起不能にしている。

 

 噂の一人歩きかと講師が力尽くで黙らせようとした結果、その講師とゴロツキは二人の前で噂通りに再起不能にされ、後日魔術を行使する事が出来無くなる重傷だったと判明した。

 事情が事情の為、大事にはならなかったが助けられたシスティーナはそれで納得がいかず、わざわざナルの自宅まで押し掛けた。

 助けられた際に魔術を人殺し以外に役立つ術がないと言われた事を納得しなかったらしいシスティーナは魔術がどういうものか、自分の持つ知識と資料で語り尽くした。

 熱い弁論に対して結局は人殺しと切り離せないと諦めた口調の変わらないナルとシスティーナの口論にシスティーナだけ白熱した頃、その頃のナルはシスティーナの祖父を貶めるような発言をしてしまい、故人の夢を追いかけるシスティーナを否定した。

 そこでまさかのルミアが参戦。彼女の怒りも買った三人での大喧嘩の結果、ナルが本当に魔術を殺しの道具としてしか学ばず、それ以外の道を知らなかった事を二人は知った。

 それからというものシスティーナは自分の持つ資料を片っ端からナルに読ませ、ルミアもシスティーナの行動に付き合う内にナルは二人に魔術の研究や伝承を教わることが増え、ナルは軍事利用や人殺し以外での考え方を漸く理解し始めたのだという。

 

「殺し以外に教わった事ないからさ……二人が教えてくれるのはすげー面白い……」

 

 読みきれない沢山の本や資料を部屋に積まれ、流石にやりすぎたと二人が謝罪した時にナルは初めて笑った。

 

「崇高さとか偉大さだとか、真理に近づくって意味が全然解らないけどさ……俺、知らないものばっかりだったんだな」

 

 まだ何も知らなかったと。楽しそうに笑ってくれた姿に漸く三人は一緒に笑う事が出来た。

 

 ■

 

 一通り話を終えたシスティーナが一息つくと、少しだけ困ったように微笑む。今でこそ戦う以外の知識に触れる事が出来ているが、今は研究よりも仕事で手が離せない事も多いらしい。

 

「……ナルは何をしたいのかまだ選んでいる最中だと思いますよ。これでもう少し魔術に時間を割いてくれると研究とか熱心にやれると思うんですけどね……」

「アイツが魔術に興味を持って何かをしたいと思うのかね……警備官だって元々は生活費稼ぐ為とかじゃねーのか。学生でも給与が一番高くて雇用制度がハッキリしているとか」

 

 意外すぎるナルの経歴に驚きつつも適当な内容で返答してナルとの関わりを否定するような言葉を選んだつもりだったが、システィーナの方は少し驚いた様子でグレンを見返していた。

 

「先生も一応は講師扱いだからナルの就業目的とか聞いたのかな……いや、でも面接事項とか関係ないだろうし……雇用制度で選んだのも私とルミアだし……」

「え……まさかアイツ、ホントに生活費稼ぐ為だけに……というか、お前らアイツの生活に何処まで食い込んでいるの?」

「ひ、一人暮らしだから色々と大変なんですよ! あとナルは給金が高いだけで簡単に危ない仕事を引き受ける時がありますから!」

 

 どうやら苦学生らしい。それも身寄りもない経歴にした原因がグレン自身ともなれば苦い表情にもなるし追求はされたくもない黒い過去の話だが、幸いグレンとの接点に気が付かれない限りは要らない配慮だろう。

 

「でもまぁ、お前らもお前らで色々と考えているんだな……」

「好きで選んだ道ですからね。それに、色々と考えているのは私達だけじゃないですよ」

 

 知らないことばかりだったと笑う彼の笑顔がどういうものか……話を聞いただけのグレンには知る由もない。だが、魔術を嫌う事で一方的に知らずに関わろうとせず、自分には無関係だと切り捨てる行為を、目の前の少女にまで当て嵌めて切り捨てる事はグレンの中では既に出来なかった。

 

「あ、ルミアが来ましたね。 ルミアー! こっちこっちー!」

 

 学院から出てくる二人を見つけたシスティーナがルミアに駆け寄り、ルミアも待っていた二人に駆け寄っていく。そんな二人をグレンとナルは向かい合いように二人を眺めていた。

 

「さあて、俺も帰るか……」

 

 三人が揃って帰るのに非常勤とはいえ講師の自分がいるのは場違いもいいところだろう。グレンは一人で先に帰ろうとするが、その後ろ姿をルミアに見つかってしまし、仕方なしに途中まで一緒に歩く事となった。

 

 ────そして、帰り道の途中の屋台で。

 

「俺、ルミアが一方的にシスティーナを攻めているの初めて見ました」

「俺はあの二人が親友で仲がいいって聞いたけど……どうやら聞き間違いだったらしい」

「普段は仲いいですよ?」

「あれでか? あれは勝手にエロ下着を身に着けているだとか、色々と適当に言われた子犬を同情すればいいのか、一方的にクレープを突っ込まれている白猫を庇えばいいのかわからん」

「それは俺もです」

 

 野菜やベーコンを挟んだ軽食のクレープを食べつつ、男二人は胸焼けしそうな量のクリームをトッピングされたクレープを力尽くで食べさせようとしているルミアと、強制的に食べさせられてしまいそうなシスティーナという奇妙な構図を眺めていた。

 

「ルミア……お願い、許して……!」

「まぁまぁ、こんな時間まで待たしちゃったから私からのお詫びと思って、ね?」

「待って! こんな甘いもの食べたら私の今日のカロリーがすごい事になるからぁ!」

「疲れた時には甘いものだよシスティ」

 

 膝から崩れて仰け反りながら抵抗を続け、助けを求めるシスティーナだがルミアは微笑みを崩さず穏やかに笑うだけだ。決して笑顔から表情を崩さないルミアだが、笑顔でも笑えないプレッシャーでシスティーナの抵抗を凌駕している。

 帰り際に教室を覗き見ていた事を覗き見コンビがうっかり口にしてしまい、復習していた事をルミアが恥ずかしそうに微笑む。それだけならばルミアもここまで怒ることは無かっただろう。

 ナルとの会話も覗き見コンビには聞き取れなかった為、それもまだ許される。

 だが、会話の途中でルミアのセクシーランジェリー着用疑惑をグレンが笑いの種にし始めた時からシスティーナとルミアの間に漂う空気が変わった。

 それもその筈、何気ない会話のつもりで口にしてしまったグレンの一言が思いのほか声量が大きく、行き交う人々の一部が露骨に反応してしまったせいだ。直ぐにルミアが否定をしても後の祭り、一瞬でも人々の好奇の視線を集めてしまったルミアは頬を真っ赤にして否定するとシスティーナに抗議し、システィーナも軽はずみな冗談だったと軽率な発言を素直に謝罪した。

 そのお詫びにとクレープの屋台に立ち寄った瞬間、システィーナは禁断の一声で境界線は破られた。

 

「夕飯前にそんなの食べてもルミアは胸だけに行くものね」

 

 振り返ったルミアの瞳は静かに燃えていた。羞恥に燃え盛る業火を映す瞳がシスティーナを捉えて逃がさないと訴え、ナルは引き止めることを早々に諦めた。グレンはナルに同調して少女達から距離を開けた。

 救いの手すら差し伸べられる事のない孤立無援の状況。甘味を山盛りにしたクレープを口に放り込まれたカロリーの蹂躙に、システィーナの悲鳴は誰にも救われる事はなかった。


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