魔女と鬼殺隊   作:えぇ……

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隊士と花柱と噂の魔女

 

 蝶屋敷と呼ばれる建物がある。

 

 それは一人の「柱」が所有する屋敷であると同時に、負傷した隊士達を癒す病院としても機能していた。病床は少なくないものの、患者で溢れているわけではない。そこには傷ついて生還するよりも鬼に殺されてしまう隊士が多いという凄惨な理由があった。

 

「……ぅ、ん?」

 

 そんな蝶屋敷の病床で、河田は目を覚ました。ぼんやりと天井を見つめていると、徐々に頭が回りだしていく。

 

「ここはっ!? って、いだだだだ!」

 

 見知らぬ天井に気付き、今いる場所を把握すべく飛び起きようとした河田を襲ったのは全身の筋肉痛であった。ついでに痛めた脇腹も軋み、河田は悶絶の声を漏らした。

 

「起きたか。随分と辛そうだな」

 

 唸る河田に苦笑したような声が掛けられた。ゆっくりと体を起こし、声が聞こえた方を見てみれば、隣のベッドに泉が座っていた。

 

「泉、生きていたか!」

「ああ。何とかな」

「良かった……」

 

 魔女の処置は完璧だったようだ。袖を通さずに羽織っているだけの上着から覗く上半身には包帯が巻かれているが、顔色も悪くなく、特に辛そうな表情もしていない。

 

「それで、ここはどこなんだ?」

 

 友が助かったことに安堵してから、河田は先ほどの疑問を改めて口にした。

 

「ここは蝶屋敷です」

 

 答えたのは、泉ではなかった。

 

「目が覚めたようですね。体は大丈夫ですか?」

 

 場違いなまでに華やかな声色が心地よく耳朶に入ってくる。はっと顔を向けた先にいたのは、柔らかく微笑む美しい女性であった。

 

「あ、あなたは……」

 

 ゆったりと歩み寄る女性に、河田と泉は完全に凍り付いた。彼女が歩くたびに揺れる羽織りが、優雅に舞う蝶の羽を思わせる。窓から入った陽光を受けて、長い黒髪と蝶を模った髪飾りが光を帯びた。

 

「いえ、失礼しました。多少痛みますが、問題ありません」

「それは良かったです」

 

 手を合わせて女性は微笑んでいるが、河田はそれどころではなかった。

 

 鬼殺隊を構成する中での最高戦力を「柱」と呼ぶ。揺らぐ事のない心に練り上げられた技量、そして鍛え抜かれた体。心技体を極めた者のみが到達できる「柱」という存在は、その名の通り鬼殺隊そのものを支える柱と言えた。

 

 目の前の女性は、その柱の一人であった。良くも悪くも柱は強烈な存在である。河田とて鬼殺隊に所属してから少なくない年数を過ごしている。こうして対面するのは初めてだが、彼女のことは知っていた。

 

「お心遣いありがとうございます……花柱様」

 

 花柱、胡蝶カナエ。それが彼女の名前であった。

 

「そんなに畏まらず、楽にしてくださいね。お二人は怪我人なのですから」

「ええっと、その……はい」

「恐縮です」

 

 ちらりと横を見れば、泉も顔を強張らせていた。それがどうにもおかしく感じたが、きっと自分も同じようなものだろうと思えば、残念ながら笑うことは出来なかった。

 

「ですが、時間が惜しいことも事実。目覚めたばかりで申し訳ないけれど、幾つか質問をしてもいいかしら?」

 

 笑みを消し表情を引き締めたカナエに対し、河田も居住まいを正した。体中から上がる悲鳴はどうにか無視できた。

 

「はい。答えられることであれば」

「ちょっと、姉さん――花柱様!」

 

 どんな質問が来るのかと身構えた河田であったが、カナエの後ろから飛び込んできた人影につい視線を向けてしまった。

 

 端整な顔立ちに幼さを残す、小柄な少女であった。彼女もまた蝶を模った髪飾りを着けている。カナエを姉と呼んでいた事から妹だろうと推測した。そんなことを考えていると、どことなく似ているような気がした。

 

「お二人が目覚めたら教えてって言いましたよね?」

「もちろん忘れていないわ。私が様子を見に来たら、ちょうど目を覚ましたのよ」

 

 不機嫌そうな少女にカナエは苦笑いを浮かべながら言葉を返している。

 

「そうですか。それじゃ、ちょっと失礼しますね!」

 

 少女はずんずんとこちらに向かってきた。何事かと思ったが、どうやら用があるのは隣にいる泉らしい。

 

「泉隊士、でよろしいですね? 早速ですが、傷口を見せて頂きます」

「あ、ああ」

 

 有無を言わさぬ迫力の前に、泉は大人しく上着を脱いだ。少女は泉の後ろに回ると、上半身に巻かれている包帯を丁寧に解かれていく。

 

「隊士服の破損から見れば傷口が小さすぎる。これほど回復するなんて、西洋医学はそんなに進んでいるの? いえ、この回復力は常識で考えられない。となるとやはり…」

 

 泉の傷口を見つめながら、少女は独り言をぶつぶつと続けている。自分の背中を見つめたまま独り言を繰り返されるのは流石に不気味なのか、泉の顔はカナエを見た時より幾分も引きつっていた。

 

「あらあら。しのぶったら相変わらず興味津々なんだから」

 

 二人のやりとりを見ながら、カナエは頬に手をあてて困ったように笑っていた。

 

「ええっと、彼女は花柱様の妹さんで?」

「そうなの。私の妹であり、継子でもあるわ」

「なんと、継子の方でしたか。泉の傷について、何か気掛かりなのでしょうか」

「傷そのものではなく、彼の傷を癒した方法について、かしらね。それは、あなたに訊きたいことでもあるの」

 

 カナエは泉を一瞥してから、河田へと視線を向けた。

 

「単刀直入に聞くわ。お二人は魔女と遭遇した。違いますか?」

「そ、その通りです」

「では、彼は魔女によって治療されたと?」

「はい。正直、泉の傷は深く助からないと覚悟しておりました」

 

 柱から魔女の話題が出たことに驚きつつ、河田は昨晩の出来事を隠すことなく伝えた。鬼に敗走し追い詰められた事、死を覚悟した時に魔女が現れた事、そして魔女に命を救われた事。

 

 こうして改めて言葉にすると、とても信じられる内容ではないと思った。しかし、魔女との出来事は紛れもない事実である。脚色も捏造もしない。河田は過不足なくカナエに全てを伝えた。

 

 

「……やはり、魔女」

 

 河田の話を聞き終えたカナエは一言、小さく呟いた。腕を組み、じっと考え込んでいるように見えた。

 

「あの、花柱様。魔女とは何者なのでしょうか」

「それを、私たちも知りたいと思っているの。特に、しのぶは魔女にお熱だから」

「誤解を招くような発言はやめてください!」

 

 いつの間にか泉には再び包帯が巻かれていた。そしてこちらの会話を聞いていたのだろう。しのぶと呼ばれた少女は頬を微かに紅潮させながら声を上げた。

 

「私は魔女が扱う薬品に興味があるだけです。重症ですら劇的に回復させる医薬品をどこで手に入れたのか。私たちでも運用できれば、もっと多くの人が救えるわ」

 

 花柱の妹は鬼殺隊の隊士であると同時に、医学や薬学にも精通していると聞いたことがある。蝶屋敷が隊士達を癒す場所となっているのも、彼女が拠点としているからなのだろう。

 

「なるほど、流石は花柱様の継子の方ですね」

 

 しのぶの志に感嘆しながら、河田は魔女との会話を思い出していた。

 

「ですが、あれは魔女殿が自分で調合した薬のようですよ」

「……は?」

「魔女殿にとっては納得のいく完成度ではないようですが」

 

 雑談の中での話を口にしただけだったが、しのぶは初耳であったらしい。またカナエも同様のようで、驚きに目を丸くしている。

 

「魔女が調合したもの? あれを個人で作った? 嘘でしょ……」

 

 俯いてしまったしのぶの口から、またぶつぶつと独り言が漏れ出してきた。

 

「あらあら。魔女の事となると本当に夢中になっちゃうんだから」

 

 そんな彼女の姿をカナエは微笑ましそうに見つめていた。しかし、その笑みには幾ばくかの悲しみが含まれているように見えた。

 

「何にせよ、貴重な情報だわ。ありがとう、河田隊士。泉隊士も。もう少しお話を聞きたいけれど、私はそろそろ行かなくてはならないの」

 

 柱の多忙さは河田も聞き及んでいた。それぞれ管轄を持っているが、要請があれば西へ東へ奔走することになる。花柱であるカナエも例外ではない。

 

「それじゃ、私はこれで。しのぶはどうする? まだ問診を続ける?」

「いえ、大丈夫です。お二人とも、お大事になさってくださいね」

「あ、はい。ありがとうございます」

「お気遣い頂き、恐縮です」

 

 深々と頭を下げた二人に手を振り、カナエはしのぶを伴って病室から去っていった。

 

 

「……あぁ、緊張したなぁ」

 

 静まり返った部屋で、ようやく河田は気を抜いた。悲鳴を上げる体を動かして、仰向けにベッドへと沈み込んだ。

 

「やっぱ柱の方は強者の雰囲気があるよな。あんなに美人なのに」

「ああ。会話している間も少しの隙も見せなかった。俺たちとは格が違う、ということだ」

 

 泉も溜息混じりに言葉を返してきた。

 

「でもよ。花柱様が訊ねてきたってことは、魔女殿の存在を上も認めているってことか?」

「かもしれんな。少なくとも、無視は出来なくなったということだろう」

「ま、正直なところ鬼殺隊を助ける目的も分からんからなぁ」

 

 考えれば考えるほど、魔女は謎に包まれている。何故鬼殺隊を助けているのか。理由も目的も一切が不明なのだ。

 

 鬼殺隊に関わり続ければ、鬼に殺される可能性は高まっていく。その危険性については魔女も理解していることだろう。だからこそ、余計に分からなくなる。

 

「……河田」

「あん?」

「俺はまだ魔女に礼を言っていない」

「そりゃ、あんだけ重症なら仕方ないだろ」

「だから、さっさと傷を癒して鬼狩りに復帰するとしよう。そうすれば魔女にも会えるかもしれん」

 

 命を救ってくれた礼は直接言いたい、と泉は言葉は重ねて笑った。

 

「そうだな、うん、そうだ」

 

 河田としても泉を救ってくれた魔女には感謝している。礼こそ伝えているが、今度はゆっくりと話しをしてみたいとも思った。その時に彼女の目的などを聞いてみるとしよう。

 

 

 それから二週間後、二人は再び鬼狩りの任務に戻っていった。しばらくの間は魔女の話もそこそこに、鬼との戦いに専念していくことになる。

 

 河田と泉の耳に魔女の話が飛び込んでくるのは、その三か月後のことであった。それは奇しくも、胡蝶カナエが絡んだ驚くべきものとなるのだが、それはまた別の話となる。

 




この作品の主人公は魔女です。

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